の丘

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『お前は死ぬべきなのだ』
 炎のように波打つ赤光をその身体に纏わせ、獣精は重々しく宣告する。
 それを呆然と見上げるファイザードは、凍りついたように微動だにしない。その若草色の瞳は、全てを否定し暗く翳っている。
 そんな彼に代わるように、アラパスが口を開いた。
「…あんた、何様のつもりよ」
 その声音には、先刻まであった驚きは欠片もなく、ただ渦巻く激しい怒りだけがある。押し殺した口調が、アラパスの怒りの深さを強調していた。
「偉そうにべらべらべらべらと! あんたは…絶対に許さない!!」
 その咆哮と共に、アラパスの周辺の空気── 正確には大気中に存在する水がゆらりと揺らいだ。
『…ほう? 小娘がよく吼える事だ』
 完全にばかにした口調で狼は言い放つ。
『儂の力を甘く見ているのではないか? たかが魚精程度に負ける儂ではないわ!』
 同時に狼を包んでいた赤光が、ファイザードとアラパス目掛けて放たれる。
『その罪深い小僧と死ぬがいい……!!』
「冗っっ談!!」
 怒鳴り返して、アラパスは光が届く直前にその両手を振り下ろした。瞬時に不可視の壁が彼等の周囲に築かれ、赤光を跳ね返す。
「わたしだって守護精だ、守護結界くらい張れる…イザを、守れるんだからっ!」
『なるほど? …だが、言葉は勇ましいが、随分と荒い結界だ。何処まで絶えられるものかな』
 楽しげに言い、狼は次々に攻撃を仕掛けてくる。
 炎の力、そして風の力。本来なら持ち得ないはずの力を、当然のように行使する。
 それだけでも、水の力しか持たないアラパスには十分不利な状況だった。

 ガキッ……!!

 鈍い音が生じ、赤光が結界に食い込む。その衝撃に耐えるように、アラパスはぎゅっと歯を噛み締める。
「…言った、はずよ。あんたはわたしに勝てないって……!!」
 力量差は歴然としてあったとしても、どうしても譲れないものがある。
 アラパスの水色の髪がざわりと動く。
「わたしは…っ、あんたなんかに、負けない……!!」
 鬼気迫る形相で、アラパスは叫ぶ。
 対する狼はそんな彼女をばかにするように見下ろし、ただ攻撃をしかけてくるだけだ。
 やがて、狼はくっくっと笑い声を上げ始める。
「…何よ……!?」
『ここまで愚かだと…いっそ、気の毒になるというものだな』
「!?」
『何故そんなに必死になって小僧を守ろうとする? そんな無力で罪深い者を、何故身を挺して庇う。それ程の価値がその小僧の何処にあると言うのだ?』
 まるで哀れむように、狼は言う。
『現実に直面した位で自分を手放すような心弱い者を、どうして守る必要がある』
 自分にはまったく理解できない、言外にそう告げて、さらに攻撃を強めてくる。完全にアラパスを屈服させる気なのだ。
 ガッガッと、赤光が激しい衝撃と共に結界へぶつかる。
 次から次へと襲って来る衝撃は、確実にそれを跳ね返そうと努めるアラパスにダメージを与えた。
「…っ!!」
 何度目かの衝撃で、アラパスの膝ががくり、と崩れ落ちる。しかし、結界はまだ維持したままだ。
 彼女の命綱は、傍らにいる少年の存在、それだけだった。
 彼の姿が視界にある限り、結界は維持しなければならない。
(イザを…守らなくちゃ。イザは…わたしの……)
 僅かに霞みだした視界。ふと、思い出したのは、ほんの少し昔に自分に向けられた笑顔と差し出された手。

『──…一緒に行こう、アラパス』

 そうだ。彼がそう言ってくれたから、自分は──。
 アラパスはかっと目を見開いた。
「イザは、わたしの、最後の希望の光なんだからあっ!!」
 絶叫と共に、結界は外に向かって砕けた。
 その崩壊は赤光を相殺し、一瞬眩しい光を生じ── そして消え失せる。
『ほう…?』
 狼が感心したように鼻先で笑う。
「何度でも…来なさいよ……」
 激しく肩で息をしながら、それでもアラパスは不敵に笑った。
「わたしは、負けない」

+ + +

 オマエ・ハ・ハハオヤ・ヲ・コロシタ

 未だ癒えない傷が開く。
 ── 闇に沈んでいく光。苦痛と…絶望の叫び。

 ボク・ハ・カアサン・ヲ・コロシタ

 ── 真紅に染まった視界。

「この事はわかっていたの……」
 悲痛の面持ちで、彼女は言葉を紡ぐ。
「あなたの父親── カリオウッドがここ…《悟りの塔》へやって来た時から、全て予測されていたの」
 未来は不確定なものよ、と彼女は言葉を重ねる。
「けれど、あの日、彼が自らの運命を知りながらも『外』へ出る事を選んだ時に、未来の方向性はほぼ確定してしまった……」

 カアサン・ハ・トウサン・ダケヲ・アイシテイタ

 ── 伸ばされた白い腕。

 カアサン・ハ・オニ・ニ・ナッタ

「彼は彼自身の命が残り僅かな事を知っていた……。けれど、それがどういう結果によって齎(もたら)され、どういう結果を引き起こすのかまでは当然ながら知らなかった。私達も…教えなかった」
 彼女はそこで自嘲するような表情を浮かべる。
「いえ、教える事は出来なかった。…『私達』は世界の意志を司る者。故意に他者の未来に口を出す訳にはいかなかったし…私達は自らの願いを捨てる事が出来なかったから」

 カアサン・ハ・タクサン・ノ・ヒト・ヲ・コロシテシマッタ

「ファイザード。あなたに与えた戒名には意味があるの」
 優しい手が、慰めるように背中を撫でる。悲しげな瞳に自分が映っている。まるで他人のような、無表情で。
「示す事象は炎と水── 相反する力とそれを調和させる力を意味している。暗示するものは…困難な道。転じて、それを克服する能力を示しているわ。…これはあなたの過去と未来、そしてあなたの本質を読み取って与えたものよ。私達は《悟りの塔》で僧侶になる全ての者にそうやって戒名を与えてきた。だから彼の運命も…あなたの運命もわかっていた。わかっていて── 変えようとしなかった。だから…あなたは私達を憎んでいいのよ」

 ── 絶叫と号泣。後悔と混乱。…悲哀と絶望。

 ボク・ハ……

「私達を憎みなさい。あなたは、悪くない。あなたに罪はないのよ……」

 デモ・エスメルーダ……

 ── 喪失。

 ボク・ハ・カアサン・ヲ・スクエナカッタ…───

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