ユケがギルドへ再びやってきたのは、次の日の真昼間だった。
「やあ、いるね」
爽やかな笑顔でそう言った彼は、一見した所普通の格好で、ディリーナは面食らった。
仮にも冒険に出るにしては、身に着けた衣服は丈夫ではありそうだったけれども、幾分薄手に思えたし、てっきりランクの低い魔術師だと思い込んでいたのに、それを補助するような魔法具は一切持っていない。
それこそ、『ちょっとそこまで』と言っても通用するような軽装だったからだ。
ひょっとして、こいつはすごい魔術士なんだろうか? などと思ったディリーナだったが、次のユケの台詞ですぐにその事を忘れ去った。
「昨日、待ち合わせの時間を指定するの忘れていたから、もしかしたらいないかなって思ってたんだよね」
のほほんとした口調で言われた言葉に、ディリーナはぷつりとキレた。
「そうよっ! お蔭であたしは、朝からず〜〜〜〜っと、ここで待たされてたんだからっ!」
そういうディリーナも、昨夜、宿屋で布団に入りかけた時にその事をふと思い出したのだから、人の事を言えない。だが、この際、待たされた側としての言い分が先に立った。
「ごめん。でも、ディリーナの宿が何処かもわからなかったし。どうせ明日ギルドに行くし、いなかったらそれまでの縁だったって事かなって」
「冗っっ談! こっちは何の情報も貰ってないのに!!」
その事がなければ、勝手に行動していたのは間違いない。
何故、先に詳細を聞かなかったのか、朝からユケが現れる時までディリーナは後悔していたのだ。
── しかし、この言い様だと本当に『面白いから』という理由でディリーナを旅の道連れに選んだようである。
それだけでも十分腹が立つと言うのに、今は逆らえないのだ。何故に自分はここまで心の平安から遠いのかと、天を恨む。
「…それで、昨日言っていた魔法力の偏りってのはどの辺にあるの?」
気を取り直して、ディリーナは本題に入った。いざとなったら貰えるものだけ貰って逃げよう、などと頭の片隅で考える。
どう考えても、この目の前の人物と一緒にいたらいつか絶対に憤死するに違いない。
「やる気満々だね」
そんな事をディリーナが考えていると知ってか知らずか、ユケはやはり呑気な口調でそんな事を言う。
「当たり前じゃないの。一刻を争うんだから」
「…そうなの?」
思わずといった調子でディリーナが漏らした言葉に、ユケが驚いたように目を丸くする。
「てっきり、単に一攫千金でも狙ってるのかと思ってたよ」
「…あいにくと、そういう単純な理由じゃないのよ」
偉そうに答えつつも、実際は至極単純な理由、『兄を見返す』為だけに魔法門を探しているディリーナである。
もっとも、これ限りの付き合いになるであろう人物に、身内の恥を語る口もなかったが。
「問題の地点は、ここから北へちょっと行った所だよ」
それ以上は追求せずに、あっさりとユケは話題を転じた。
「まあ、昨日下見してきたから、すぐにつけるんじゃないかな」
「は? 下見に行ったって……」
ディリーナは心底呆れ果てて、ユケの平和な顔を見つめた。
「そこまで行って、何で戻って来るのよ?」
自分だったらそのまま突入しているに違いない。
そうでなければ、折角発見した物を別のマジックハンターに横取りされかねないからだ。
独立開業が出来るだけのランクを持った者が少ない分、モグリのマジックハントを行う者も多い業界なのである(かく言うディリーナもそれに限りなく近い状況なのだが)。
しかし、ユケは当たり前のように言う。
「だって、危険かもしれないし。日も暮れかけていたしね。…ああ、横取りの心配だったら大丈夫。これは、うちのギルドの人間以外は多分、知らない情報だから」
「……」
何だかとても胡散臭い言葉である。だが、今は信じるより他はないようだ。
怒る気力もなくして、ディリーナは疲れたようにため息をつくと、横に置いていた自分の荷物を肩に背負った。
「…わかったわよ。じゃあ、案内して」
「え?」
思いがけずあっさりとディリーナが引き下がったのを怪訝に思ったのか、一瞬、ユケはきょとんとした顔になったが、すぐに例の呑気な笑顔で頷いた。
「じゃあ、行こうか」
+ + +
問題の地点とやらは、本当に街のすぐ側にあった。
「…確かに、ちょっと行った所ね」
『灯台元暗し』という言葉を噛み締めながら、ディリーナは深々とため息をついた。
というのもその地点というのが、実にギルドが存在する街の、裏山の中腹だったからである。
気合いが入っていただけに、何だか気抜けした。
「あれ。ディリーナ、もう疲れた?」
ディリーナのため息を勘違いして、ユケが心配そうにそんな事を言う。
「違うわよ。…あんまり近いから呆れていただけ」
実際ここに、規模はともかく魔法門が存在するなら、さぞ自分以外の《フォルク》のマジックハンターは悔しがるに違いない。
非常に眉唾だと思っていたが、まさかここまで近場に連れて来られると思わなかった。
かなりの確率でガセとも思える状況だったが、刻印によって上昇したディリーナの魔法力感知能力は、確かに不自然な魔法力の偏りを知らせていて、益々ディリーナを困惑させる。
彼等の目前にぽっかりと口を開けた洞窟から、それは感じ取れた。
「この、中?」
「うん、多分だけど。ディリーナ、何かわかる?」
聞かれてディリーナは意識を集中してみた。
だが、どうやらその魔法力の偏りは洞窟の奥深くにあるらしく、気配を感じ取る事しか出来なかった。
「…中に入ってみないとわからないわね」
実際に魔法門という物を見た事も触った事もないので、これがそうだ、とは断言出来ないし、かと言ってこれは違うと断言も出来ないのだ。
もっとも、ユケはその答えを予測していたようだった。毎度の事ながら至極あっさりと、
「じゃ、入ろうか」
などと言い、さっさと洞窟の入り口に足を進めてしまう。
「ちょ、ちょっと、ユケ!?」
「何? 何か問題がある?」
「そういうんじゃなくてっ! あんた、そんな軽装でいきなり入るわけ!?」
ディリーナから見れば、彼の装備はまさに丸腰にしか見えない。彼が取ろうとした行動は無謀としか言い様がなかった。
しかし。
敵(?)は何を言われたのかわからないような顔になり──
やがて、ぽん、と手を打った。
「そうか、途中でお腹が空いたら困るよね。この中がどのくらい深いかわからないし。でも、お弁当なんて買いに行ったら、またここに着くのは夕刻に──」
「誰がお弁当の心配をしてるってのよっ!!」
全くもって緊張感が欠ける人物である。
いくらここがピクニックに最適な距離にあるからといって、それはないだろう。
「いいわよ、もうっ! さっさと入りましょ!! 何があっても知らないからねっ!!」
「え? あ? ディリーナ?」
そのままの勢いで、ディリーナは先に洞窟にずんずんと入っていく。
その後に続きながら、ユケは心底わからないといった顔で首を傾げていた。
+ + +
洞窟内部は、湿気が多くじめじめしていた。
かび臭い空気がこもっているが、ディリーナには慣れた臭いだ。
これでも五年近くマジックハンターをやっているのだ、こういう場所に潜る事はそう珍しい事ではない。
地面にはびっしりと苔が生えて、足場が少し悪い。僅かに前方に向かって傾斜しているらしく、歩きにくい事この上なかった。
「……」
「……」
互いに黙々と進んでいるので、微かな音もよく聞こえる。
上から滴り落ちる水滴の音。自分達の立てる湿った足音。息遣い。そして──
空気の流れる微かな風の音。
そんな中、ディリーナは少々焦りを感じていた。
この洞窟に潜ってから、すでにかなりの時間を歩いているのだが、目指す魔法力の偏りは確かに近づいているものの──
けれど同時に、いつまで経っても辿り着く様子がないからだ。
(何なの、これ? 今まで、こんな変な魔法力なんて感じた事ない……)
体感するそれは、普段魔法力と見なしているものと少し違うように思われた。
僅かな、違和感。
…もっとも、完全に否定も出来ない程度だ。いっそ丸っきり違うのなら、引き返すように言い出せたかも知れない。
だが、これでもしそれが目指す魔法門特有のものであったら、ばかを見るだけだ。故にディリーナは黙々と足を進めていたのだが……。
(どうする── これじゃ、いつになったら目的地に着くかわからないわよ)
すっかり考え込んで足元が疎(おろそ)かになった、その時。
それまで何を思ってか、ずっと黙っていたユケが不意に口を開いた。
「あ。リーナ」
それがあんまりに緊張感がないものだったので、真剣に考え込んでいたディリーナの癇(かん)に障った。
しかも、許可した覚えもないというのに、いつの間にか呼び名が勝手に短縮されている。
「…何よ?」
苛立ちを隠さずに顔を背後に向け──。
「そこ、危ないよ?」
ごく当たり前のように、気軽な口調でそんな事を言われたと思った時には、すでに踏み出していた片足は踏むべき地面を見失っていた。
…しかして。
「へっ? …っ、きゃああああ!?」
思わず悲鳴を上げた時には、もう手遅れだった。
そのままディリーナの体はバランスを崩し──
さらに背負っていたいつもより重装備の荷物が仇(あだ)となって──
ディリーナの体は放り出されるような勢いで深い闇の中へと落下していた。
「リーナ!?」
驚きを隠さない声がどんどん遠くなる。
落下は止まらない。ディリーナは思わず死を覚悟した。どんな高さから落ちても、場合によっては簡単に死に至るものだ。
(…あの、クソ兄っ! それとあのボケナスっ!! 死んだら化けて出てやるからああああ〜〜〜っ!!!)
自分の過失を棚に上げ、そんな事を思った瞬間。
激しい衝撃が体に走り、ディリーナは意識を手放した──。