魔術士見習い習曲

- 3 -

「…む?」
 彼が眉を顰めた瞬間、奥から何かが割れるような音がした。
「…不吉な……」
「何、一人でぶつぶつ言ってるのよ、タルク」
 奥の流し場から呆れ顔でカエラが顔を出す。
 その手には見事に真っ二つになった皿の残骸があった。
「ただお皿が一枚割れただけでしょ。大袈裟ね」
 だが、タルクはそんなカエラの台詞など聞こえなかったかのように、ぶつぶつと呟きながら何事か考え込んでいる。
 流石のカエラも一瞬どうしようかと思ったが、タルクがはたと我に返ったように顔を上げた事で取りあえず次の行動を保留にした。
「…どうしたの?」
「ひょっとしたら、ディの身に何かが起こったのかもしれん……!」
 そう言ったタルクの顔は非常に深刻なものだったが、付き合いの長いカエラは口調に滲む面白がる気配を聞き逃しはしなかった。
「……」
「しかも妹思いの俺とした事が、あいつにもう片方のランクを上げてやった事を伝えるのを忘れていた…なんて事だ……!」
 タルクは感極まったとばかりに頭を抱えてそんな事を言う。
 そんな彼を、カエラは冷めた目で見つめた。
(── わざと、ね)
 多分その方が、ディリーナが気付いた時に面白い事になるとでも思ったに違いない。
(リーナちゃんも気の毒に……)
 普段はあまりそこまで思わないカエラも、今度ばかりは何処の空の下にいるのか知れない少女の身の上に同情した。

+ + +

 ぴ…ちょん!

「…ん、んん!?」
 一方、空の下どころか洞窟で落下したディリーナは、滴り落ちてきた地下水のお蔭ですぐさま現実に戻る事に成功していた。
「…たたた……。ったく、ひどい目に遭ったわ」
 くらくらする頭を振りながらも、ディリーナは自分の体の具合を点検する事は怠らなかった。
 暗い上に、光源にしていた簡易ランプを落下時に放り投げてしまっていて、手元もよく見えなかったが、いくつか打ち身と擦り傷がある他は大きな怪我はなさそうだ。
 その事実に安堵しながら、ディリーナはそろそろと立ち上がった。
 地面が分厚い苔類に覆われていたおかげだろう。このような洞窟に落下した割には軽傷と言えた。
「…ちょっと臨死体験しちゃったわ。まったく……」
 誰に言うともなくぶつぶつと文句を言いながら、改めてぐるりと周囲を見回す。
 そこは意外な位に広く、そして先程とは桁違いの濃密な魔法力が、まるで澱(おり)のように蟠(わだかま)っていた。
 なるほど、とそこでディリーナは合点がいった。
 今までうまく感じ取れなかったのは、目指す地点が奥ではなく、下にあったからなのだ。
(…でも、何だろう? 何か、やっぱり変……)
 直接触れてみて、やはりディリーナは違和感を強めた。
 何だか統一性のない、ちぐはぐな感じがする。時に魔力を濃く感じたり、法力を濃く感じたり。
 本来なら丁度良く混じりあって安定しているはずなのに───。
 そんな事をつらつらと考えていたディリーナの目が、ふと闇の一部に止まった。
「…あれ?」
 少し闇に慣れた目に、微かながら硬質な光が見えたのだ。
(まさか)
 足元に気をつけながら、そちらへと足を進める。近付くにつれ、それは確信に変わった。
「…なるほど、そういう事か……」
 手を伸ばした先、手に触れた感触は他の地肌より滑らかだ。
 もちろん、加工前だから形は歪(いびつ)だし、この暗闇では色も識別出来ないが、この感じは明らかに天然の水晶の結晶に違いなかった。
 無色・含有物なしの水晶は魔法具としては一般的であり、また強力な事でも知られている。
 占い師などが占具として用いるのも、これが使い手の能力を増幅させる効果を持つからだ。
 …おそらく、ここは昔、水晶鉱だったのだろう。
 確証は得られていないが、ここの魔法力が不安定なのはその為に違いない。未加工の水晶が魔力・法力を不均衡に増幅しているのだ。
「…なんだ、魔法門じゃないのね」
 水晶の魔法門も世には存在するが、もしそうならば魔法力は増幅ではなく吸収されているべきだ。
 …だが、これはこれでその名の通り掘り出し物ではある。
 ディリーナはごそごそと腰の辺りを探ると、万能タイプの小刀を取り出した。
「ま、もらっておきますか。折角だし」
 誰に言うともなく呟いて小刀を構えたその時。
「ぉぉ〜ぃ……」
 上から細いランプの光と、間延びした声が落ちてきた。
「ディリーナぁ、大丈夫〜? 生きてる〜?」
 心配している割には呑気すぎる声だったが、それは間違いなく連れの少年のもので、少なくともディリーナを安心させる効果はあった。
 あまり深く考えないようにしていたのだが、ここで連れであるユケが自分を見捨てた場合、どうやってまた元の地上に戻るか、いい方策が見当たらなかったのだ。
 どうやら、ユケはここでディリーナを見捨てるような人でなしではなかったらしい。
 その事に安堵して声を返そうとしたディリーナだったが、その前にユケはのほほんとひとりごちた。
「あ。死んでたら返事出来ないか。…すぐに返事がないって事は……死んでるのかな? おーい」
「勝手に人を殺すなあっ!!」
 反射的に怒鳴ると、上から、あ、やっぱり生きてるや、という声と笑い声が返ってくる。
「何が『やっぱり』なのよっ! さっさと降りてきなさい!!」
 その言い草では、まるでディリーナが殺しても死なないようではないか。
 第一、返事がすぐないからといって、勝手に死んでいると思うのはあんまりと言うものだ。
 ── いっその事、降りてきたらこの小刀でぶすりと……?
 そんな物騒な事までつい考えてしまったディリーナだったが、流石にそれは犯罪だと思い直し、忍の字でユケが到着するのを待った。
 程なく、ユケがランプを片手にそろそろと壁面を伝い降りてきた。
 簡易ランプの灯りが、これほどほっとさせるものだと思った事はない。
「リーナ、怪我は?」
 着地と同時にそう聞かれて、ディリーナは少しばかり殺意を治めた。
「平気。ちょっとあちこちぶつけたけど、後でちょっと痣になる程度よ」
「そう。驚いたよ、本当に。まさか落ちちゃうなんて思わなかったから」
 本当にほっとしたように微笑まれて、ディリーナはうっと詰まった。
「…ちょっと、考え事してたのよ」
 流石にそれを言われると返す言葉がない。注意力散漫だったのは確かだ。
 己の感覚を武器とするマジックハンターとして、致命的な失敗とも言えた。
「それより、見て。ここ、水晶窟よ。魔法力が偏っているのはこのせいじゃない?」
 自分に都合が悪い展開を避けるように、口早にディリーナは話題を転じると、その言葉を確かめるようにランプを掲げたユケは、その眉を一瞬顰めたが、そうだね、と同意する。
「魔法門じゃないけど、これはこれで魔法具の材料になるし。取りあえず持ち帰る事にするわ」
 そう言って、ディリーナは先程自分が掘り出そうとした辺りに目を向けた。
 ランプの灯りのお蔭でか、微かに色が識別出来る。
「無色じゃないわね。…はっきりとはわからないけど…黄水晶かな?」
 ランプの光自体が黄みを帯びた光である為に断言は出来なかったが、ディリーナが身に付けた数多くの石の中にあるものの一つと同じように思えた。
(…? 何でそう思うんだろう?)
 今まで石の識別など出来なかったはずなのだが── そう、ディリーナが首を傾げた時だった。
「リーナ」
 不意にユケがディリーナの肩を掴んだ。声に今までの呑気さがない。
「な、何?」
 思いがけない事にうろたえて振り返ると、ユケが未だ嘗てない深刻な顔で、闇の奥を睨み据えている。
「どうかし──」
 た、といい終わる前に、ディリーナは全身総毛立つような悪寒に襲われた。
 いきなり冷水を背後からかけられたような、否、それ以上のショックが一瞬の内に身体の中を駆け抜ける。
 その感覚は、不吉なものをディリーナに告げた。
(まさか)
 否定したい気持ちでユケが見つめる地点を見る。ランプの細い光では届かない蟠る闇。そしてじわじわと濃度を増す── 魔力。
 それは洞窟内に散りばめられた水晶によって増幅されているものではなかった。
 声が、出ない。
 何か言わなければ、と思うのに、意に反して身体が言う事を聞かない。
「ディリーナ」
 ユケがゆっくりと確認するように名前を呼んだ。
 気のせいか、そこには今まで見せていた呑気さはなく、まるでこういう状況に慣れているかのような落ち着きさえ感じられた。
 だが、そんな事はどうでもよい状況である事をディリーナも悟っていた。ただ、認めたくないだけで──。
 長いようで短い間を置いて、ユケは言った。
「…魔族だ」

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