魔術士見習い習曲

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 ドオオオオン!!

 激しい地響きが轟いた。その威力を示すかのように、彼等の頭上から土と岩石の破片がばらばらと降ってくる。
 もうもうと立ち込める土煙の中、ユケとディリーナはお互いに顔を見合わせていた。
「……」
「……」
「…あ、あの…リーナ、さん……?」
「…だ、だから言ったでしょっ。どうなっても知らないってっ。あたし、ノーコンなんだから!!」
 呆気に取られ、思わず名を呼んだユケに、ディリーナはそんな事を言ってそっぽを向く。
「…威張って言う事じゃないよ、それ……」
 幾分疲れた口調で、しかしユケは突っ込む事を忘れなかった。
 窮地にあった彼等を救うはずの一撃は、ものの見事に穴を空けてはいた。ただし── 目標だったはずの魔族ではなく、その斜め上方の天井に。
 その結果、魔族はそこから落ちてきた大量の土砂で埋まり、確かに一応は危機が去ったとは言えた。
(…でもどういう事? あたし、ここまでするつもりはなかったのに──)
 正しくはそこまで威力のある攻撃は出来ないはず、だったのだが、よもやその原因が遠く離れた我が家にいる兄のせいだとまでは思考が回らないディリーナだった。
「…あれってさ、魔族を狙ってたんだよね……?」
「な、何言ってるのよっ。『結果オーライ』って言葉を知らないの!?」
 まだ何か釈然としない様子で唸(うな)るユケをそう一喝して、ディリーナは土砂で埋まった魔族に目を向けた。
 ── 今の所、動きを封じ込めはしているようだが、あの頑丈そうな身体を考えるに、止めは刺せていないに違いない。
 案の定、土煙が落ち着くにつれ、その予想が正しかった事が判明した。
 土砂に埋もれたとはいえ、その巨大な身体全てを覆い尽くしておらず、あのハンマー状の前足の片方を含めた左半分がほとんどそのまま残されていた。
 今の攻撃で益々戦意が高まったのか、残った左眼が炯々(けいけい)と光り、こちらを見ている。
「…まあ、上出来だよね」
 それを見て、ユケが及第点を出す。もっとも、そんな評価などディリーナは欲しくもなかったが。
 何とか危機を脱する事が出来たが、魔族が死んでいない以上、状況の楽観視も出来ない。
 さてどうしたものか、とディリーナが考えたその時、当たり前のようにユケが言った。
「さあ、今がチャンスだ! 止めを刺すんだ、リーナ!!」
 先程までの何処か神妙だった態度をがらっと変えて、にこやかに半分埋もれた魔族を示す。
「な── 何言ってんのよっ!! 止めまで刺さなくても、十分足止めできたじゃない! 逃げるんでしょーっ!?」
 よもや、見るからに平和主義っぽい、のほほんとした空気を纏う(…確かに、その性格には疑問が尽きないが)連れがそんな過激な発言をするとは思わず、ディリーナはぎょっとなる。
 確かに、自分達が戦士系の職業で── なおかつ、この目前にいる魔族を討伐する仕事でも請け負っていたのなら、この状況は明らかに優勢だと言えた。
 だが、現実問題として、ディリーナはストーンマスターの能力はあってもマジックハンターに過ぎないし、言い出した当のユケといえば、自分で『非戦闘要員』などと言うくらいである。
 どう前向きに考えても、この組み合わせでは魔族と戦うなど無謀としか言い様がない。
 だが、その非戦闘要員は至極もっともな顔でさらに言う。
「でもさ、リーナ。ここであれ倒していたら、逃げ帰る必要なくなるじゃないか」
「逃げ帰るって…あのねえっ! マジックハントは命あってのものなんだから! 何で命張ってまで闘わなきゃならないのよ!! 第一、そう言うならあんたが止めを刺せばいいでしょっ!?」
 こめかみに青筋を立てての力説に、流石の人でなしも思う所があったらしく、ふむ、と頷いた。
「まあ、リーナの言う事は正論だけど。僕も自分の命は可愛いからねー」
「……」
 ── 自分の命じゃなけりゃどうでもいいのか?
 一瞬、そう突っ込みたくなったディリーナだった。だが、そんな漫才めいたやり取りが出来たのはそこまでだった。

 グ…ガアアアッ!!

「!?」
 不意の大音響の唸り声に、大量の土砂が動く音が重なった。
 ディリーナの顔に緊張が走る。反射的にそちらに顔を向けて、さあっと青ざめた。
 件の魔族が、そのハンマー状の腕を振り上げ、埋まった半身を引きずり出そうとしていたからだ。
「だから止めって言ったのに……」
 傍らでうんざりしたように言うユケに、パニック状態のディリーナは詰め寄る。
「そんな事言ってる場合!? ど、どうするのよ!!」
「どうするって…また攻撃するしかないんじゃない? 逃げ道確保してないし」
「また、あたしかーっ!?」
「またって、攻撃手段はリーナしか持ってないんだからしょうがないじゃないか! ノーコンでもないよりマシでしょ?」
 最後に余計な事を言って、ユケは肩を竦めた。

 ピキッ。

 ディリーナのこめかみに、暗がりでもはっきりわかるくらいに青筋が立った。
「…もう一つ、手段がないわけじゃないわよ?」
 いきなり抑えた口調での言葉に、ユケの顔が引きつった。
「リ、リーナ…さん?」
「ふふ…知りたい? どーしても知りたかったら、教えてあげてもいーわよーう?」
 その様は明らかに悪人そのものだったが、キレたディリーナに自覚はない。
 薄笑いを口元に浮かべながら、じりじりとユケに詰め寄る。
「あ、あの……」
「自己犠牲の精神ってウツクシイわよねっ。そうでしょ? そう思うわよね? という事で…潔く散ってこーいっ!!」
「わわわ〜っ!?」
 今にもこちらに向かって来ようかとしている魔族に向かって、ディリーナはユケを思いっきり突き飛ばした。
 ── 鬼畜の妹は、やはり鬼畜だったらしい。
「何するんだよっ、リーナ!!」
 すんでの所で踏み止まり、流石に幾分乱暴な口調になってディリーナを非難する。
「何って…この非常時に、非戦闘要員の使い道って他に何があるのかしら〜? 大丈夫、あんたの命は無駄にしないわ」
 ほほほ、と笑うディリーナに、ユケはその時、修羅を見たという。
「…わかった、わかったよ。僕が悪かった」
 ぐったりした顔で、ユケが白旗を掲げる。
「今は仲間割れしてる状況じゃない。協力し合おう」
「まあ…わかればいいのよ」
 相手があっさりと引き下がった事で、ディリーナの怒りも沈静化したようだった。…微妙に、すっきりしない表情ではあったが。
 取りあえず安全圏まで戻ってきたユケを、再び敵に向かって突き出すような真似をしないくらいには落ち着いたらしい。
「で、どうする?」
 魔族はこうして話している間にも、じわじわと土砂から抜け出している。実際、気の抜けない状況だった。
「うーん、逃げ道を確保出来てない以上、あまり思い切った事は出来ないんだよね」
 非戦闘要員がどんな思い切った事が出来るのだろう、とディリーナはちらりと思ったが、一応取り結ばれた友好関係にひびを入れるのもあんまりかと思ったので、黙ってユケの言葉を待つ。
「本当にあの魔族に止めが刺せたら、一番良かったんだけど」
「…まあ、そりゃそうでしょうけどねえ」
「取りあえず、リーナが敵を撹乱している間に逃げ道を見つける方法しかないんじゃないかと思うんだよ」
「…結局、そうなるわけ?」
 幾分穏やかだったディリーナの顔が少々引きつる。それを申し訳なさそうに見て、ユケは頷いた。
「うん、僕達の能力を考えたらそれが一番最善だと思うんだよ。その代わり…逃げ道さえ確保できたら、僕が何とかするから」
「へ?」
 今までにない殊勝な態度に、ディリーナは呆気に取られた。
 またそういう言葉で騙しているのではないかと疑ったディリーナだったが、ユケの表情はいたって真剣だった。
「…何とか、なるの?」
「…まあ、五分五分って所かな。でもまあ…いざとなったら自己犠牲の精神で美しく散る事にするよ」
 言葉の後半には何時もの飄々とした調子に戻っていたが、ディリーナはその言葉を信用する事にした。
 もし── 本当に何とかならなかったら、きっちり責任を取ってもらおうとは思っていたが。
「わかったわよ。やってやろうじゃないの。…でも、本当に知らないからね?」
「わかってる。倒す必要はないよ。取りあえず撹乱するだけなら、そう難しくないと思うんだけど?」
「それなら簡単よ」
 ディリーナは薄く笑って請け合う。
「撹乱だけなら…ノーコンの方が使えるじゃない?」
 話は決まった。

+ + +

「いっせーのっ!!」

 どおおおおおおん!!!

 掛け声と共に派手な音が発生し、それに伴って魔族の周囲の岩盤にいくつも穴が空く。
 そこから落ちてくる土砂は、その下にいる魔族を襲い、その内に閉じ込めようとするが、流石にそう何度も同じ手は食わない。落ちてくる土砂を、自由な片腕で跳ね飛ばす。
 その結果、爆風と魔族が振り回す腕によって、強烈な風がその狭い場所に吹き荒れた。
「くっそー、何で当たらないのよ!」
 当てる必要はない。だが、だからと言って外しっぱなしというのも、ちょっと悔しいディリーナだった。
 手持ちの石はあと腕と耳につけたものだけ。
 元々、旅の邪魔にならないようにと、屑石に近い大きさのものばかりだったのだ。それに比例して、使える力は限られてくる。
(せめて、もうちょっとマシな石を持って来るんだった)
 今更思っても後の祭りだ。
 ユケは魔族をディリーナに任せ、先ほどから背後の壁を探っている。時々、妙に真剣な顔で一点を見つめ、また違う場所を探る。
 逃げ道を確保する、とは言っていたが、壁を探ってどうなると言うのだろう?
 やはり少々心配にはなるが、任せると言った以上は自分の役目を果たすのに専念すべきだろう。
 左手首に巻きつけていた石の連なりを引き千切るように取る。
 掌に握り、その内に眠る力を引き出す。すぐに右手に先程より大きな光の球が生じた。
 ここに至って、ディリーナは自分の身に何が起こったのか薄々理解し始めていた。
(…あのクソ兄貴! また人が寝ている間に勝手な事をー!!)
 だが今、その事が自分を助けてくれているのも事実なので、それ以上貶(けな)す事はしなかった。
 …かと言って、感謝の念を抱く境地には、今までの所業を思い起こすに、到底到達出来そうになかったが。
 もし、また変な刻印だったら、帰った時は今度こそ殺す! などと思いつつ、ディリーナはその力を解放した。

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