魔術士見習い習曲

- 6 -

(…ここも、駄目か)
 意識を引き戻し、ユケは今まで触れていた壁から手を離し、また別の場所を探る。
(うーん、まさかこういう事になるなんてなあ)
 付近の情報を集めに出向いたギルドで出くわした時には、ここまでトラブルメーカーだとは思わなかった。
 背後から派手な音が次々に起こる。
 自分でノーコンと言うだけあって、攻撃は全て魔族周辺の岩壁に向かっているらしい。その衝撃が掌を伝わってくる。
(…まあ、本当に面白いからいいけど)
 本人が聞いたらまた修羅と化しそうな事をさらりと思って、ユケは再び意識を集中する。
 この洞窟に蟠る魔法力の流れを知覚する。
 ディリーナが感覚的に捉えるそれを、ユケは直感的に感じ取った。
 何故このように偏っているのか、ディリーナはここが水晶窟であるからではないかと考えた。
 それは一概に間違いでもない。だが実際の所、その事に魔族まで関わってきてややこしい事になってしまっているが、直接的な原因は別にあるのだ。
 それこそ── ユケが請け負った仕事の目的なのだが。
(──!)
 ある一点で、ユケは表情を引き締めた。
(…ここか)
 一見した所、何の変哲もない岩の壁。しかし──。

 どおおおおん!!

 その時、ひときわ大きな爆音が響き渡った。それと同時に、今までの比ではない風が吹き付ける。
「…リーナ? 大丈……」
 あまりの激しさに、つい心配になって振り向いたユケはそのまま凍りついた。
 決定的瞬間が、彼の前で起こる。
「あ゛あーっ!!」
 ディリーナの口から、恥も外聞もない奇声に近い悲鳴が上がった。
 次の瞬間には慌てて手で隠されたが、ユケの脳裏にそれは焼きついてしまった。
 爆風によってはらりと落ちた額の布。その下に隠された『間抜けヅラ』という、落書きにしか見えない刻印が──。
「……」
 あまりの事に、ユケの思考は硬直した。
 当のディリーナもユケに視線に気づいて石像と化す。
「ユ、ユケ……?」
「……」
 見られてしまっただろうか、というディリーナの心の声が聞こえそうなくらい、ディリーナの顔は引きつっている。
 緊迫した空気が、魔族の存在すらも無視して二人の間に流れた。
 その、次の瞬間。
「…ぶっ、はーっはははははは!!!!」
 ユケの大爆笑によって、それまでの緊迫感は霧と化した。
「くくっ、はははははは!!」
「そこっ! この非常時に指差して笑うなーっ!!」
「だ、だって…くく…け、傑作……」
「くっ、好きでこんなもんしてるんじゃないってんのよ! ちっくしょうっ!! これもあれもそれも…何もかもあのバカ兄のせいだわっ!! むっかつくううううう!!!」
 口汚く言い切ると、ディリーナはその苛立ちを全て、事の次第を理解していない魔族へと向ける。
 両耳につけた石をそれぞれ両手に握り、怒りに任せて解放した。

 どどんっ!!
 ガアアアアアッ!?

「── あれ?」
 笑いの発作をどうにか収めながら、ディリーナの攻撃の結果を見届けたユケは、笑いすぎて涙の浮いた目をぱちくりと見開いた。
「…当たった」
 攻撃した本人から、信じられないといった調子の言葉が漏れる。
 ディリーナの八つ当たりの一撃は、狙いもしていないのに見事に二発とも魔族にクリーンヒットしていた。
「……」
「……」
 二人とも思わず言葉を失って、陥没した外皮を曝した魔族を凝視する。もっとも、流石に止めは刺せなかったらしく、魔族の目は光を失ってはいなかったが。
「やったね、リーナ」
 気を取り直してユケが言うと、そこで我に返ったディリーナは取り繕った様子で当然よ、と胸を反らした。
「能ある鷹は爪を隠すものよっ」
「…確かに、隠してたけどね」
 思い出して、再びユケが笑いの発作に陥る気配を感じ取り、ディリーナは自分の額の刻印が曝されたままな事を思い出した。
 慌てて手で隠すが、今更なのですぐに諦めて巻いていた布を探す。
「…それって、そうは見えないけど…もしかして刻印?」
 笑いの滲んだ声でユケが尋ねる。
「…そーよ」
 すっかり埃まみれになった布をため息混じりに拾い上げながら、ディリーナは答える。
「マジックハンターのランクを上げる刻印…らしいわ」
「ふうん、今まで刻印持ちの人は何人か見たけど、ここまで笑えて…すごいやつは初めて見たよ」
「…すごいの?」
 ユケの『笑える』という余計な一言は聞かなかった事にして、ディリーナは聞き返した。
 実の兄ではあるが、実際の仕事はあまり見ていない。刻印師自体、その辺にごろごろいるようなものではないので、比較しようにも出来なかった、とも言うが。
 ただ、ランクAである以上は普通よりすごいのだろうという認識しかなかったのだ。
「そうだよ。刻印ってそれ自体が意味を持つ文字や記号で施される事がほとんどだけど、今、僕等が通常使う言葉にそれだけの意味や力はないんだ。つまり、言葉に意味を持たせるにはそれなりのまとまった文字数が必要になるそうだよ」
「……」
 意外な博識さを披露するユケの言葉を、自身の刻印の『すごさ』がわかっていないディリーナは呆然と拝聴するばかりだ。
「それをその…まあ、そのたった一言に、古代魔道文字とか精霊文字を使った普通の刻印と同じ能力を持たせる事が出来るって言うのは、かなりすごい才能だよ。…見た目はあんまりだけどさ」
「…知らなかった。刻印ってそういうものだったんだ」
 あの日がな一日、ぐーたらしている不良兄がそんなすごい人物とはやはり思えず、何処となくすっきりしない口調でディリーナは呟く。
「…知らないでそんな刻印を貰ったの?」
 ディリーナの嫌そうな言葉に、ユケが不思議そうに尋ねる。
 てっきり、自分から刻印を施して貰いに行って、結果として変な刻印を貰ってしまったのだと思っていたのだ。
「知るも何も、寝て起きたらこの有様だったのよ。…うちのバカ兄が、勝手にね」
「お兄さん? …へえ」
 蓋を開けたらそういう事か、とユケは納得した。
 普通の魔術士でそこそこの向上心を持つ人間だったら、刻印一つでランクそのものを上げる事が出来る刻印師の存在を無視できるはずがない。
 やけに淡白な反応だと思ったら、身近過ぎてその凄さが理解出来ないという事なのだ。
「なるほどね、リーナは『妹』な訳だ」
「? …そうだけど、それがどうかしたの?」
「ああ、僕にも妹がいるからさ。なんかお兄さんの気持ちがちょっとわからないでもないと──」
「…あんたの妹に、心底同情するわ」
 げっそりと言って、気を取り直すように額に布を巻きつける。
「あんたみたいな兄がいたら、きっと心痛絶えないに違いないもの」
 半ば嫌味で言った皮肉だったが、意外にもユケはあっさりとそれを認めた。
「うん。いつも帰る度に怒られてるよ」
 苦笑混じりに言われて、ディリーナは少し言葉に迷った。そんなディリーナを気に止めた様子もなく、ユケはにっこりと笑って言う。
「でも、可愛いからついちょっかいかけたくなるんだよねー」
「…それが余計なお世話というのよ」
 ちょっと言い過ぎたかと反省しかけたディリーナだったが、その一言で立ち直った。
 そして心の中で会った事もないユケの可愛い妹とやらに親近感を抱く。きっと彼女もひとでなしの兄に苦しめられているに違いないのだ…!
 なんて可哀想なあたし達! 不幸の星の元に生まれてしまったのねっ!!
 …と、相手がそこまで思ったかは定かではないが。
 だが、そんな物思いにひたっていられるのも、ユケがさらなる爆弾を落とすまでだった。
「そういや、うちの妹とリーナって年が近いんだよね。だからかな、妙に親近感があるのは」
「…は?」
 頭の中が一瞬真っ白になった。
「ちょっと…それってどういうこと?」
 今、とても信じ難い言葉が聞こえたような気がしたのだが。
「どういう事って…リーナは見た感じだと十六か十七辺りだよね? うちの妹は十八だから一つくらいしか違わな──」
「冗談は大概にしなさいよ? そういうあんたはいくつなのよっ!!」
 どう考えても年下にしか見えない男に、ディリーナはびしいっと指を突きつけた。その先で、ユケの童顔がきょとんとした表情でディリーナを見ている。
「いくつって…十九だよ、一応。次の春で二十歳になるけど」
「はあっ!? 何言ってるのよ、どう見たって年下じゃないよー!?」
 ディリーナの言い草に、流石のユケもむっとした顔で言い返す。
「…勝手に人の年齢、サバ読んだのはそっちのくせに……」
「十九なら年相応に振舞えって言うのよ!!」
 勝手に誤解していたくせに、引っ込みのつかなくなったディリーナだった。
 なるほど、道理でキャリアが十年近いはずだ。能力さえあれば、十歳くらいになれば職業は得られる。
「年相応ってねえ…これが持って生まれた体質なんだから、仕方ないじゃないか」
 軽くため息をついて、ユケは徐(おもむろ)に背後の壁を叩いた。
「?」
「取りあえず、議論は後にしよう。まずはここから無事に出る事が大事だよね?」
「ま、まあ…そうだけど」
 答えつつ、背後に控える魔族を伺う。
 気のせいだろうか? その怒りの為か、微妙に魔気が濃くなっているような気がする。
 今までの騒ぎで忘れていたが、ここが魔族の放つ魔気の吹き溜まりなのは変わりないのだ。
 思い出したように復活した悪寒に、身を震わせる。
「それで、逃げ道ってのは見つかったの?」
「うん、ちょっと乱暴な手段だけどね……」
 微かに自嘲気味に笑って、ユケは掌を壁に押し付ける。
 …そして。
「リーナ、こっちへ!!」
「な、何なのよ一体?」
 ユケの呼びかけに反射的に動きながら、ディリーナが一人ごちた瞬間。
 その洞窟に淀んでいた魔法力が、まるで夢だったかのようにふっと消え去った。
「え…ええっ!?」
 信じられない現象を前に、思わず叫んだディリーナだったが、それに重なるようにして、魔族が断末魔の絶叫を放った。

 オオオォオオォォオ…──!!!

 それが、最後。
 あれ程に苦労していた魔族は、幻だったかのようにその姿を崩していく。強大だったそれは徐々に縮まり、やがて己を埋める土くれと見分けがつかなくなった。
「…な、何が起こったの?」
 呆然と立ち尽くすディリーナを横に、ユケがぽつりと言った。
「依頼、完了…かな」

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