Evergreen 〜永久なす緑〜

+闇の顔+

 その夜は、結局その村の跡地で野宿になった。
 季節的に耐えられるとはいえ、半分はアディの我が儘で出発が遅れた為である。
 ぱちぱちと控えめに焚かれた焚き火を挟んで、アディは毛布に丸まってすやすやと健やかな寝息を立てている。
 反対側に膝を立てて座るリーフは、その寝顔を無表情に眺めていた。
 一体どうしてこんな所に来たがったのだろう。
 そんな疑問をつらつらと考えている所で、不意に彼の表情は硬いものへと変わった。
「── こんな所にまで来たか」
 低く呟いたその刹那、リーフはいきなり横に置いていた愛刀を手にして立ち上がった。
 パチリ、と薪が小さく爆ぜた音。それを合図に彼は動いた。
 彼らを囲む木々の向こうに、気配を断った複数の人間がいる事を、リーフは感じ取っていた。
 向こう側はおそらく彼が気付いたとも思っていないだろう。
 実際、見事なまでに彼等は周囲の気配に同化していた。おそらく、普通の人間ではまったく感知できない程に。
 だが── 向こうにとっては不幸な事に、そして彼にとっては幸いな事に── 彼は、ただの人間ではなかった。
 この十年近くの年月、生死のぎりぎりの線を戦い、そして勝ち取ってきた叩き上げの戦士だったのだ。
 もちろん、当初は人を切る事すらままならなかった。けれど── 慣れと、守るべきものがある責任とが、未熟だった少年をそこまで成長させていた。
「…あいつには、指一本触れさせない」
 ぽつりと漏らし、その言葉が終わらない内にリーフは剣を抜き払う。
 その音で、相手はようやく彼が彼らに気付いている事を悟ったようだった。慌てたように身構えるその姿を目に捉え、青年は薄く笑う。
「…遅いんだよ」
 何処か自嘲するような口調で言い放ち、彼はその剣を思うがままに振るった──。

+ + +

 長いようで短い時間が過ぎた後。
 そこには、いくつかの血溜まりと苦痛に呻く数人の人物、そして返り血すらもほとんど浴びずに立つ青年の姿があった。
「…貴様…何者だ……?」
 濃密な血の臭いに顔を顰めたリーフに、傷付いた男達の中でも主犯格らしい人物が尋ねる。
 それぞれ軽傷といえない傷を負っているが、死者は一人もいない。
「お前のような使い手がいるなど…情報はなかった。傭兵か?」
「……」
 暗がりの中、それでもリーフの目には彼等が自分を恐怖の目で見ている事がわかった。
「…そうとも言えるし、違うとも言える」
 しばらく沈黙した後、それだけ答える。もちろん、相手がそれで納得しないだろう事は目に見えてわかっていたが。
「どういう意味だ!」
「お前達には、関係のない話だ。…とっとと、帰る事だな。そのままだと命の保証は出来ないぞ」
 忠告めいた言葉だったが、その言葉の半分も思いやりのない口調でリーフは言い放つ。
「もう、十年にはなるんだぞ。どうして放っておいてやれない。ただの子供がそんなに怖いのか」
「…貴様は、あの娘が何者か知っていてそんな事を言っているのか?」
 男は乾く唇を湿しながら、重々しく愚問を問い掛ける。
「あの娘は旧アディア王家の生き残りだ。残党は全て排除すべし── でなければ、たとえ本人にその気がなくとも、何時、誰が担ぎ上げて反乱を起こすか……!」
「…それがどうした」
 付き合いきれないとばかりに、言葉を遮る。
 無表情なその顔に、冷ややかな笑みが浮んだ。
「そんな事、俺には関係ない。もちろん、あいつにもな。あいつはもう、アディライト=ケイナ=アディアじゃない。ただのアディだ。…それ以外の何者でもない」
「詭弁を……!」
「ならばお前は、全く自分の記憶にない事まで責任が持てるのか? あいつは王女だった頃なんてまったく覚えてないんだ。王女だった時代よりも、ただのアディとして生きてきた年数の方が余程長い。自身に自覚もないのに、誰があいつを失われた王女なんて言いだすものか」
「く…っ。で、では何故貴様はそんなただの小娘をそこまで庇う!? それこそ、王女だと認めているからでは──」
「ぐちゃぐちゃうるさいな」
 つい、とリーフは剣を持ち上げて男の首筋に向ける。反射的に身を竦めた男に、彼は取り付く島もない言葉を投げた。
「…王女だろうと、そうでなかろうと関係ないのさ。あいつは…俺が守るって決まってたんでね」
「な……っ?」
 男の顔が理解出来ないと物語る。
 それを見て、リーフは微かに自嘲するように唇を歪めた。
 ── 誰かに理解して貰いたいなど思わない。誰かに信じてもらう必要もない。
 そう思う事は事実なのに、この頃誰かが囁く。「本当にそれでいいのか」、と。
「…あいつを守っているのは、義務だ。それ以外の何物でもない……」
 雇われたのでもなく、自分の自由意志でもなく。そう、決まっていたのだ。あの少女がこの世に生を受けた瞬間に──。
 そのはず、だったのに。
 何時からだろう。義務感よりも使命感の方が勝ったのは。
 役目だと思う前に、自らを挺して守ってしまうようになったのは──。

+ + +

 全てが終わった後、再び元の場所へと戻ると、まだ焚き火の勢いは衰えず、少女は変わらずに安らかに眠っていた。 
 何か楽しい夢でも見ているだろう、微かに口元に微笑みが浮んでいる。
 今となっては彼女がどんな夢を見ているのかもわからないが、彼女が悪夢を見る回数が確実に減った事に安堵する自分がいる事にリーフは気づいていた。
 まだ、彼が自分の身を守るのも覚束ない位だった頃。
 闇の中に身を隠しながら、アディは何時も身を小さく固めて、魘(うな)される事も多かった。
 時間が彼女の記憶から生々しさを消し去り、傷を癒してくれたのだろう。
 結局の所、リーフに出来るのは執拗に放たれる刺客から守り、少しでも安らかな眠り享受できるように祈る事だけだ。
 ── もうあの時のように、力と引き換えに命を救う事は出来ないから。
 生まれた瞬間から共にある事は変わらない。でも、もう『天使さま』は何処にもいないのだ。
 アディライト=ケイナ=アディアの守護天使・リフェイは、あの炎の夜に死んだのだから。
 今、ここにいるのは天使としての格を失った、ただの男。
 ── 何時か。
 アディはこの事実を知る事となるのだろうか。
 その日を思うと、リーフは恐怖にも似た感情を感じる。
 無邪気に『天使さま』を探すアディを、微笑ましいと思う反面どうしても考えずにはいられない。
 先を見通す事が適わなくなった自分は、一体何処まで彼女と共にあり、一体何時まで彼女を守ってゆけるのだろうかと──。

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