■ fC6:科学総合I
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2006年09月15日(金)
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なんでここで科学かというと、結局思考回路の問題なのです。それはつまり、作者の持っているスタンスになる。文明論もそうだし、教育論もそうだし、宗教論もそう。つまり、この世界を自分はどう捉えているか、ということで科学なんだけれども。
Webを作るお仕事もしているのでタグを当然叩くわけですが、タグを打つ(作為)にたいしてHTMLという媒体がそのプログラムに反応、結果を見せる。まぁたとえば赤くなったり濃くなったりということですが、じゃあその構図というのは「魔法」としていかせまいかというふうに考えるわけです。自然を構成しているプログラミング・コードを読み取った上で、そこに人間の手でコードを改造する。たとえば火の玉を飛ばしたり、というのは、空気中に火の玉を構成するプログラムを切った貼った(コピー&ペースト)すれば発生するのではないか。
という話を真面目に生化学の研究者にしたところ、遺伝子組換大豆ってのはそういう発想だよね、という返事が来た。なるほど、たしかに、生物を構成するコードを読み取って、人為的に変化を与える作業ではあります。 じゃあ、応用が、聴くかもしれない。 科学は、魔法に、なるかもしれない。
そうすると、常々云われていた問題というのは解決するわけです。例えばテレポーテーションを試みると、テレポーテーションで喪失した部分は真空となり、そこに空気が一気に集中するためにかまいたちがおきるとか、石の中にテレポーテーションすることは出来るのか、とか。出来ることになってしまいます。岩を人間に書き換える、という発想が成り立つわけですから(まぁ、生きているかどうかは別として)。
で、この件に関してもう一個つながることがあるわけだけれども、それはまた次回。
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