2001年5月6日、5年間の沈黙を破り遂にJAF戦に復帰、舞台は走り慣れた岡山県TIサーキット、ここ2年ショップ開催のライセンス不要の走行会では何度も走っているが、公式のJAF戦となれば景色も違って見えるというもの。
復帰のきっかけは、走行会仲間のデカトーさんや、昔のレース同窓生、マ−君、安ちゃん、等々の身内が最近JAF戦に復帰、お手伝いや応援に行っている間に虫が騒ぎだし、機会があれば出てみようと考えていたのでした、しかしなかなかチャンスがなかったんですが、ここへ来てEPのメンテ先のベクトルのお客さんで普段は富士のチャンピオンレースを中心に戦っているミム〜選手が耐久レースのパートナーを探しているとの噂を聞き、お遊びで良いならご一緒しましょうと相成った訳です。
参戦までの準備期間も短く、コースライセンスも失効したままだったので練習もままならず、前日の公開練習日に1時間程ロードスターに乗っただけで決勝当日を迎えました。練習時のタイムは富士用のダンロップFM801で2分フラット、午後本番用のアドバン・ネオバを履かせて59秒台、オーナーのミム〜君は58秒台に突入、しかしこの時点でトップクラスは既に56秒台で走行、これでは勝負に成らず、決勝はただただ楽しみましょうとゆう結論に・・・。
翌6日、決勝当日、天候は薄曇りから快晴、気温23度絶好のレース日和。
前日に完璧なメンテを施された我が131号車は一発で車検合格、続いてドライバーのメディカルチェックへ、ここで少しトラブル発生、それは私の血圧が180にも上がってしまったこと、これも再検査では少し下降、何とか合格。
さていよいよ公式予選、まずオーナーのミム〜君がアッタク1分58秒189まで詰めたところでピットイン、私がコクピットへ、予選はどちらか速い方が採択され、パートナーはトップタイムの130%以内であればOKの規則、とりあえず1周でも計測されればまぁ、よせんは通過できるはず。
すでにタイヤは暖まっているので1周目から全開、2周目タイムが記録された後、私も形ばかりの予選アタック、12周周回で6周目に58秒888を記録、もちろん58秒189のミム〜君のタイムが採択され予選8番手で通過。
トップはマー君・安チャン組みの1分56秒298、速ぇぇぇぇー!
予選終了後ミーティング、タイムの速いミム〜君がスタートドライバーをやってもらい、なおかつ規定一杯の35分を最初と最後の2スティント乗ってもらう事に決定、私は残り50分程度ドライブすることに。
いよいよ決勝、ローリングで全車順調にスタート、スタート後数周は予選順位通りの7〜8番手を走行、その後他車のピットイン等もあり35分消化時点では6番手へアップ、1回目のピットイン、ここで20リットルのガス補給、ドライバー交代、いよいよ私が走り出す。
50分のドライブがどれほどの体力が要るのか解らず、様子を見ながらの走行、クラス違いの車とは極力バトルを避け、コースオフに細心の注意を払う。結果予選タイムより1秒程度遅いタイムで淡々と50分24周を消化、ポジションは7番手で最後の追い上げをミム〜君に託す。
ミム〜君は期待に答えて劇走、残り10分を切って5位に浮上、4位の車とは10秒程度の差、4位はもう届きそうに無い、私がもう少し攻めていたら、ちょっと悔やむも後の祭り。
久々の入賞を前に緊張、無事にゴールを願いながらピットをうろうろ、その内に2時間経過トップの車にチェッカーが出される、おくれる事数十秒、131号車IDIベクトルロードスターの青い車体が最終コーナーに姿を現す、もう何が有ってもゴール出来る距離、思わず手に持っていた白いタオルをちぎれる程にうち振る。
ピット前を131号車が通過、同時に5位チェッカーを受けゴール。やったぁー!
こうして5年ぶりのJAF戦復帰はパートナーにも恵まれ無事完走、望外な5位入賞、ドライバーズポイントのおまけまで付いて終了、スポット参戦で終わらせるのはなんか勿体無い気がする今日この頃・・・。
さてこれからどうしよう。
予選リザルトはhttp://www.ti-circuit.co.jp/2001CC/cc4/2H_Y.htm
決勝リザルトはhttp://www.ti-circuit.co.jp/2001CC/cc4/2H_K.htm
です。 |