「文学横浜の会」

 上村浬慧の旅行記「Bruges(ブルージュ)は中世の街」


@Time Trip したのはテロ事件の起きた日

ABrussels … 中世と現代の共存する街

BBrussels … 中世と現代の共存する街 … 芸術の丘

CBrussels … 中世と現代の共存する街 … タウンバス

DBrugge… 深夜のショール探し

2003年7月26日


EBrugge… 中世の町Brugge 

 次の朝はからりと晴れたいい天気。昨夜の【スカーフ探しの一件】には一言も触れず、昼食を一緒に、とだけ言い残して夫はホテルを出ていった。

 ベッドにひっくり返りのんびりcity-mapを眺める。“女房同伴の海外”=“言葉が不自由な外地で侘びしい独りの食事はしたくない”という男の本音がちらりと思い浮かんだが、昨夜の借りがあるから仕方がない、と昼まで町をぶらぶらすることにした。

 のんびりついでに、「独り歩きの三種の神器」をベッドに並べカメラに収める。これは勿論自分で勝手に決めたもの。ぶらぶら歩きをする時は大きなポケットにこれらを入れて出かけることにしている。言葉が思うように通じない所では特に、これらは生きるための強い味方…必需品のようなもの…と思っている。大袈裟かな!? そのためには、これらを入れるための大きなポケットのついたコート、あるいはジャケットがとても便利。というわけで、今回もお気に入りのだぶだぶコートで出発。

@海外旅行の三種の神器

 ホテルを出て左ヘ行けばマルクト広場…昨日歩いた道。そこで右側(町の東側)へ向かってみることにした。

 ホテルのすぐ隣角がお土産屋さん。そこを曲がると目と鼻の先、レース店の店先に、小さな丸いテーブルを前にして、どこかでみたようなおばあさんが座っていた。このおばあさん、日本の旅行ガイドブックでもお馴染みのレースおばさんだった。ふっくらしていて笑顔が可愛い(失礼かな!?)。一日の大半をレース店の前に座り、ハンドメイドの実演をしている。観光地としてしか成り立たないこの町でPRに一役買っているのだ。当然商魂逞しいのではと思いきや、民族衣装を身に着けたこのおばあさん、まことに穏やか。商売っ気はまるで感じられない。カメラを向けると自然体でにこっと微笑んでくれた。観客が何もアクセスしなければ、この小さなテーブルの上で黙々とレースを紡ぎ続ける。すれてないんだァ…と感心した。

Aレースを紡ぐおばあさん

Bボビンレース
   

 おばあさんの手の指先は、ふっくらしたその体とは無縁にみえる。まるで独自の生き物。木製のボビンを巧みに操る動きにつれて、みるみる紡がれていく繊細な糸の世界は、手品を見ているような錯覚を起させる。それを見ているうちに店内も覗きたくなり入ってみる。そこには、おばあさんが紡いでいるのと似ている小物から、テーブルクロスやタペストリーといった大きなレース製品まで、たくさん並んでいた。奥まったところに、精密な絵画か撮影画像かと思えるような作品が数点飾られていた。これがレースなのかと目を疑うほどだ。中世につくられたものらしい。当然非売品。それらを観に、世界各国からその筋の研究者やブローカーが訪れるという。さもありなんと思う。

 高価なものには手が出ないから、おばあさんが紡いでいたのと同じ“栞り”をお土産に購入した。

 Bruggeはボビン・レースの名産地。ここのレースは、フランドル地方の真ん中を流れるスヘルデ川の辺りに茂っている亜麻草を原料にしたリネン製品。亜麻草を刈り取り、流れに浸して腐らせた後、千歯コキのような道具にかけて繊維だけを取り出し、仕立てる。リネンは絹のような光沢があり、薄手のものはハンカチやレース・洋服地として、厚手のものはテントに用いられたのだそうだ。勿論下着にも。産業革命で木綿が衣料品の中心となる18世紀まではヨーロッパの主な衣料品として重宝されていたともいう。精巧なボビン・レースを見たことのある人には想像がつくだろうが、最高級のボビン・レースを織り上げるには、気が遠くなるほど膨大な労力と時間が必要なのだ。それだけに、当時もかなりの高値で取引されたらしい。現在も大切に保管展示されている女帝マリア・テレジアに献上したとされるボビン・レースで造った衣服は、【一着で城が一つ買えるほどの値打ちがあった】とまで言われている。

 いつまでも見ていたい気がしたが、ホテルの近くなのだからまた来よう、と道に出る。

 この小路はショッピング街になっているらしく、道の両側に小さなお店がびっしり並んでいる。どこのお店でも、“観るだけ”を堪能できた。観光地なのに、お店の人はいたってのんびりしていて、どこの店員も本を読んだりお喋りをしたり、勝手に好きなことをしている。こちらから声を掛けなければ傍によってさえ来ない。商売するという意欲がないのか、店内に入ってくるお客にまるっきり関心を示さないのだ。まるで異次元世界に迷い込んだ気がしてくる。こんなところも、Bruggeが現存する中世の町といわれる由縁なのかもしれない。

 ところが、この町は西フランダースでも人気の高いショッピングの町なのだそうだ。マルクト広場を中心にして、現存する四つの外壁門〈ゲート〉に向かって、ショッピング・ストリートが放射線上に連なっている。店の種類はバライティーに富んでいて、地元の人でも旅行者でも、みな予算に合わせて買い物が楽しめるらしい。ただここで注意しなければならないのは、ほとんどの店の営業時間が朝9時から夕方の6時までだということ。勿論、飲食店は例外。前にも書いた通り、この町の人々は、日照日没という自然の摂理に従って生活を営んでいるものとみえる。真夜中の繁華街がまるで白昼のようなJAPANESE CITYに暮らしているせいか、これもまた中世っぽい、と思ってしまう。

 のんびり観るだけのショッピングを楽しみながら歩いていると、昔聞いたことがあるような耳に懐かしい音色が聞こえてきた。音の出所を探すと、すぐ先の町角でオルゴールを奏でているおじさんがいた。

Cオルゴールおじさん

Dオルゴールにチャレンジ

 パイプオルガンの縮小版といった感じの箱を前にして立つおじさん。ひょうきんな仕草でハンドルを廻すと、箱からエーデルワイスやアニーロリーなどポピュラーな曲が流れてくる。道行く人はみな立ち止まってその音に耳を傾ける。決して演奏家のように上手ではないのだが、なぜか惹かれる。おじさんは、観客が望めば気軽に演奏させてくれる。自分の帽子を客の頭に乗せ、手を添えてハンドルの廻し方を教えてくれる。ところがどっこい、なかなかうまく音が出ない。どうにか音が出たとしても、曲としてつながっていかない(わたしもやってみたけど、やはり最初は失敗)。みている人はみな、自分がチャレンジしている気になって、力こぶを作り、気の抜けた音が出た途端、照れくさそうに笑ってしまう。やはりおじさんはプロ! 楽しかったなあ!

 おじさんのパフォーマンスを見ているうちに、あーっという間に時間が過ぎて、もう11時。慌てて広場を離れ、橋を渡って川沿いの道を行く。

 レンガの苔生した古い館がみえてきた。グルートフーズ家。

Eグルートフーズ家

F苔生した庭園の塔

 15世紀ブルゴーニュ公国の貴族の館で、1955年から博物館として公開されている。中には入ってみなかったけれど、館の周りを歩くだけでも、気分は中世にタイムスリップできること請け合い。園内の広場…ここにも、平日だというのに、犬を連れた人がいた。

G犬を連れた人

 苔生した建物を眺めながら、園内で小休止、澄んだ空気をたっぷりと吸う。

 このグルートフーズ家に隣接して聖母教会が建っている。

H聖母教会

 天に伸びていくゴシック建築の122mの塔。うっそうと繁る大木の中にあってこの塔にはホロがかけられていた。古い建物は常に補修が必要なのだろう。

 この教会はミケランジェロの手になる大理石の聖母子像があることでも知られている教会。ひっそりとした入り口は、訪れる人を、何人も、何の詮索もなしに迎え入れてくれる。聖母子像は礼拝堂の翼廊のはずれに安置されている。聖母も幼児イエスも目を伏せていて、やわらかな像の線と大理石の静かなたたずまいを見ていると、なんとも言えぬおだやかな気持になってくる。

 祭壇近く、ブルゴーニュ一族の霊廟の前に置かれた蝋燭の灯りが静かに時を刻んでいた。

I聖母教会・祭壇

 Bruggeには運河がたくさんある。町を囲むように楕円形の大きな流れがあり、その楕円形を縦割りしながら、小さな流れが町を大小五つ位に分けて流れている。

 歴史を逆上れば、バルト海に面したBrugge は、11世紀に北海と運河で結ばれ、13〜14世紀にかけて、中世ヨーロッパの商業を一手に引き受けるビジネスセンターとして繁栄を誇る水の都となった。世界で最初の証券取引所はBruggeの商人ファン・デン・ピュールセ家の屋敷の中にあって、各国の商人との取引が行われたという。この一族の名“ピュールセ”が“証券取引所”の語源になったのだそうだ。ところが、15世紀末、北海から流れ込む砂のせいでBrugge周辺の運河が埋まり始め、貿易船の出入りが出来なくなった。貿易港としての機能は止り、まるで冷凍化したように中世のままの風景だけが残り、天井のない博物館と言われるようになってしまった。そうして400年以上もの間、深い眠りについていた。

 19世紀、作家ローデンバック氏による小説「死都ブリュージュ」がフランスの高級誌“フィガロ”に連載されたことによって、この町は復活。鐘楼・教会・運河・人気のない街並みなどの挿絵ともに、旅行ブームにあった時代の流れの中で、ヨーロッパの人々の旅心に火をつけることになったのだという。夏季には日本人の観光客もよく訪れるそうだ。

 Bruggeには、そんな歴史を裏付けるようにたくさんの橋が残っている。

 道草せずに歩いたら、ホテルから15分もかからないメムリンク美術館。2時間以上もかかってそこに着いた時、美術館の前には夫が待っていた。ごめん!

 メムリンク美術館は、ドイツ出身でBruggeで生涯を終えた画家ハンス・メムリンク(1430/40〜94年)の代表作が展示されている。Belgium七大秘宝の一つ。12世紀に建立されたヨーロッパ最古の病院・聖ヨハネ〈ヤンス〉病院の一角にある。入り口の右手の建物には、病院だった頃の薬局・17世紀の家具や器具類などを、当時のままの形で再現・展示している。聖ヨハネ病院がメムリンクの最大の注文主だったということだから、現在の美術館としての成り立ちは、そんなところからだったのであろう。

 隣接した教会の宝物殿には、15世紀のメムリンク作の祭壇画や聖ウルスラの聖遺物箱が展示されている。会議場の入り口は宝物殿の入り口でもあったので、中に入ってみたが、改装工事中だったため、作品の大半はグルーニング美術館に保管を移されていて観ることが出来なかった。

 昼食は、このメムリンク美術館の筋向いにあるミケランジェロというCafeに決めた。

 澄んだ流れに張り出したテラス風の席でのランチ。目の下を運河クルーズの船が行く。船が途切れたところで、白鳥が岸辺の草を食む。

J運河クルーズ

K運河の白鳥

 うっとりみとれていると、隣の席に座ったカップルがタバコのライターを貸してくれと言って来た。勿論OK。

L隣り合わせた客

 “楽しい午後を…”とライターを返してくれたカップル。バカンスでBruggeを訪れていたのだろうか。こんなところで国際コミュニケ‐ション! フフっと笑ってしまった。

 トコトコ・カラカラ音を立てながら目の前の橋を馬車が通って行った。

M馬車

“クルーズの船”と“馬車”には絶対に乗る…と決心。ミケランジェロでのオレンジペーストのかかったクレープと赤ワイン、泡だでコーヒーはとても美味しかった。

 夫は再び会議場へ。夜は Dinner Party が予定されている。それまで独り歩きの楽しみを続けようと、わたしもまた、午後の町へ。  小路を曲がるごとにWELKOMの幕が目に入ってくる。やはりこの町は観光地として中世から復活したのだな、と思う。

NWELKOM

 一際、人だかりがしている広場があった。広場の真ん中には一輪車乗りの芸をみせている若者、周りを観光客や土地の人々が取り巻いていた。「もしわたしが死んだら、後は君が引き継いで…」などと、ジョーク混じりでりんご切りの芸を披露している若者は5m以上もの一輪車の上で、客が地上から投げ上げる剥き出しの短刀を受け止めるたびに、ぐらーりと体が大きく揺れる。そのたびに観客の間から押し殺した喚声が上がる。みな若者の芸に惹きつけられていく。

O一輪車乗り

 昨夜とは打って変わるまぶしい陽射しの中で、ジョーク混じりのそんな一芸をみながら、群衆は思い思いの寛ぎ方で楽しんでいた。ベンチに座ったカップルの腕に抱かれたペットの犬さえも…。

P犬も寛ぐ

 その中に、土地の若者らしい姿も沢山みえる。確かに路上の芸は面白い。しかし、平日なのだ。この若者たちは働いていないのだろうか。生活の糧はどのようにして得ているのだろう、なんて、生活スタイルの違いがあるかもしれないのに余計な心配をしている自分に苦笑いの一幕だった。

 小さなこの町は端から歩いても、30分ほどで外れまで行ってしまう。町の中には中世の建物が連立。町角のあちこちに手回しオルゴールおじさんがいて、所々にある小さな広場では一芸を披露している老若男女がいる。そんな中で土地の人々がのんびりと生きている。

 町の東と西とではかなり雰囲気が違う。東側は観光客のラッシュ。地方色豊かな土産物店が多い。

Q-1、東側ショッピング街・土産物店

Q-2、東側ショッピング街・土産物店のショーウィンドー

 西側は、中世の建物を利用した高級プティックを扱う店が多く、有名なブランドのファッショングッズやスポーツ用品の店も多い。デパートはなく、ドラッグストア、文房具店、書店もない。ただし、パソコン レンタル ルームは数カ所、スーパーマーケットも2軒みつけた。いずれも西側ショッピング街の外れの方だった。そのスーパーマーケットの一軒でフルーツを買ったのだが、剥き出しで手渡され少しまごついた。持ち帰りようの袋は購入しなければならないのだ。これは、まさに、昔のまんまのショッピングスタイル。

R-1、西側ショッピング街

R-2、西側ショッピング街・工具店の店先

 タイムスリップした町の通りを、買ったばかりのスモモに似た感じの地元のフルーツを頬張ってホテルへと足を返した。

 夕方7時半 ディナー。Cafeミケランジェロの近く、町を囲む大きな河のほとりにあるマーケット広場の一画。なかなか暮れていかないBruggeの夜を、世話好きなシュナイダー婦人の横に座って楽しい一時を過ごした。テロのことはみんなすっかり忘れていた。というより、ニューヨークから来ていたシュナイダー夫妻のことを思って、みな、あえてその話題を避けていたように思う。    

(Lie)


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