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DARUMASHI-KIKOU PRESENTS 続・TAHITI BORABORA
爆笑!mamiのタヒチ珍道中!!vol.1
mamiちゃんとの出会い
mamiちゃんが、だるまし一家のボラボラ旅行記を読んで、「3年前の1997年に私たちが旅行した時と、滞在ホテルがすべて同じだったので、すごくすごく懐かしくて嬉しくなって!」とメールをくれたのがキッカケでした。
それからも旅行記の更新のたびに感想メールを送ってくれ、その都度「私たちの時は・・・」と当時の旅行の話を聞かせてくれたのですが、出るは出るは爆笑エピソードの数々。
これを埋もれさせておく手はないっ!!ということで、『だるまし一家・ボラボラ旅行記』の続編として掲載させていただく運びとなりました。
そして2000年から2001年をまたいで、2度目のタヒチ(マニヒ・ランギロア)を旅したmamiちゃんの、更なる爆笑エピソードをご紹介。 彼女の行くところ、ハプニングが起こらないわけがないっ!?

1997
当時は・・・

私たちは97年、新婚旅行でタヒチに行きました。
当時はまだエールフランスが就航していた時期で、離島4泊タヒチ島3泊の7泊9日という形態のツアーが主流だったように思います。
当時、インターネットで情報を集める程ボラボラは注目されてなかったので、ガイドブックだけが頼りの旅行でした。


な、なんで?
行きの機内でなんだか暑くなってきて、主人がを頼むと言うので、私の分もお願いしました。
でも、持ってこられたのはビール二つ。しかも生ぬるい。私、実はアルコールが一滴も飲めません。
喉が乾いていた主人は渋々ながらも、「もういいや、めんどくさい。」と2杯を飲み干してまた寝てしまいました。
わ、 わたしは...。

とんだハプニング!
私たち夫婦も例に漏れず、ボラボラ島4泊、タヒチ島3泊の日程だったのですが、なんと巨大サイクロンの上陸に遭い、初日はタヒチ島に缶詰め。突如ビーチコンバーに泊まることになったのです。
通されたのはビジネスホテルのような一室でしたが、何時間もロビーでただぼんやり待たされた私たちには天国でした。
ただ、慌てて部屋の用意をしたらしく、洗面台の下からティーセットが出てきたのには、ちょっとびっくり(飲んだんですけどね)

旅の教訓・わが家の場合

翌日の夕方に、なんとか一日遅れでボラボラ島に渡れたんですが、とにかくホテルが半壊してたので、水上コテージは無理かもと言われてました。でも、なんとか無事泊まることができました。部屋は300番代で、オテマヌ山は右前方に見えました。
どうにかラグーン・リゾートに落ち着くことができた私たちですが、 備え付けの冷蔵庫の中身がところどころ抜けていて、明らかにそれまで使っていた人の補充がされないまま私たちが通された状態。主人がつたない英語でフロントとやりとりして補充をしてもらい、飲んだのは私たちではないと伝えました。
あのサイクロンで、水上コテージを使っていた人たちはみんなバンガローに避難させられたと聞いていたので、「ごたごたしているんだなー」くらいに思っていたのですが、不安になって最終日に冷蔵庫の明細を出してもらったら、ちゃーんと付いてるんです。伝票に!
とうとう主人が日本語で「だから、違うってば!!」と 怒ったところ、すぐに訂正してもらいました。 以来「クレームは日本語で!」が海外旅行での家訓です(笑) 日本人はなめられちゃうのかな?


ボラボラでは・・・

何より主人が「何もしないこと」を楽しみに行こう!と言っていたので、毎日シュノーケルでぷかぷかしてました。
写真左端の魚!すごく強暴だったんですっ!わざわざ顔面に向かって猛スピードで泳いできたりして、怖い思いをしました。しかも、主人はお腹を噛まれました。な、なんでだー?餌っぽかったのかなぁ?美味しそうだったのかなぁ?
出掛けたのは、バイタペに行ってスナックでアイスを食べたくらいかなー 。 あ、あとはひたすら、ガラステーブルに顔を突っ込んで魚にパンをあげてました。 ちなみに3年前にはお魚下敷きはありませんでしたぁ!!


サイクロンの影響、こんなところにまで・・・

せっかくなので、とカヌーブレックファーストは頼みました。すごく楽しみに待っていたら、やたらと時間がかかる。「まぁタヒチだからね、何ていっても。」と、こちらもおおらかに対応して待っていたのですよ。
だけどふと主人が「あのさ、コテージからの階段って全室吹き飛ばされたでしょ。どうやって朝食が来るの?」 なーんかイヤな予感が...。するとほどなくドアを外からノックする音が。そうなんです。「階段が壊れてるから、こっちから持ってきたわ!」と ニッコリされました。
室内で、生暖かいヨーグルト(怖くて食べなかった)と、少し溶けたチーズ(食べれなかった)を横目にパンとフルーツをつまんだ私たちでした、とほほ。


みなさんもやってませんか?

私は、胃下垂なので1度に少しずつしか食べられなくて、すぐお腹一杯になる割には、すぐにお腹が空くんです。
夕食のバイキングの時、主人が「部屋に戻ってすぐにお腹空いたって騒ぐんだから、そのパン持って帰れ!」と 言い出し、服の中に隠し持って帰った記憶があります。(笑)


つ、釣り舟かい?

帰りのボートには愕然としました。行きはあーんなゴージャスなクルーザーでいい思いさせといて 「つ、釣り舟かい?」って感じだったもの。
しかもね、3年前は 離島4泊、タヒチ島3泊って日程を組んでいるツアーがほとんどだったので、乗客がびっしりだったんですよぉ。
私がサイクロンを上陸させたせい(泣)【※下記参照】で、行きはボラボラに行けない人たちっていうのも沢山いて、ゴージャスクルーザーは私たち以外全員フランス人。 (と、いってもあと4人) 外人さんってやたらとデッキに出たがるから私たちはクーラーの 利いた室内を貸し切り状態だったんです。
「これでボラボラともお別れだから、帰りはデッキで青い海を目に焼き付けるわー!」なんて、主人に宣言していたのに 「つ、釣り舟かい?」(しつこい?)でしたよ、全く。


幻のカップラーメン!?

帰りの機内では「軽食として、カップラーメンをご用意しております。どうぞ御気軽に。」との放送があり、あちらこちらでスチュワーデスさんをコールする音が鳴り響きました。つられた私たちもコールして「日本人の方が来てくれますように!」と待ってたんです。足早にいらした方は日本人だったので、2人してちょっと安心。
「これで、行きのように水がビールに化けることもあるまい!」と意気揚揚でラーメンをお願いすると、「申し訳ありません。私、間違ってアナウンスしてしまって・・実は、帰国便でカップラーメンをご用意してるのは、ヨーロッパ線だけなんです。ついつい、いつものクセで言ってしまって、これでもう40件以上呼ばれて謝って回ってるんです。」「あ、それは大変ですねぇ」と話し、その方が立ち去ってから主人は一言、言いました。 「だったらさー、間違えたってアナウンスすればいいんじゃない?」 うん、確かに。


いろいろあったけど、素晴らしい旅でした。

初めてのタヒチは、とにかく珍道中と呼ぶ以外に当てはまる言葉が無いかも知れませんね。
海以外に何もないような島で、果たして楽しい思い出は出来るのか?とも思ったのですが、雲が白い。海が青い。木々の緑が眩しい。そんな当たり前のことに感動してしまえる程の自然に出会えて本当にタヒチを選んで良かったと思ってます。
一生に一度の場所!だったはずが、いつかもう1度タヒチ!これがこの日から我が家の目標になりました。
そして・・・。


嵐を呼ぶオンナ!? mamiちゃんの 『私って、雨オンナ?』
みなさんゴメンナサイ。私がサイクロンを呼びました・・・
実は私、相当の雨オンナでして、今まで旅行先で雨にあたらないまま帰ってこられた記憶がほとんどありません。
主人は、ドライブと温泉が大好きで、よく一泊旅行をしてるのですが雨、雨、雨。
北海道にスキーをしに行って(張り切って朝一便で) 雨。雪ならまだしも、雨じゃ滑ることも出来ずに何の為に早起きをしたのか...。
毎年行く紅葉狩り旅行でも、雨に濡れていない紅葉を見たことがありません。
結婚式も雨・・・。
なもので、タヒチのサイクロンでは「また、お前か!!」 と主人に言われちゃいました。
横浜で親戚の結婚式があった時、 函館から来る親戚が 「せっかく、横浜まで行くのだから」と、式の翌日に『はとバス観光』を申し込んだんです。 挙式のホテルに親戚一同宿泊し、その時主人が「お前も泊まるから明日は雨かな」なんて言ってたので「雨のバス観光なんて、何も見えなくて サイテー」と笑ってました。
そして当日...。 どしゃ降りでした(爆)
バスからは、何も見えず本当にサイテーだったみたいです。
これって私のせいなのぉ?

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