映画になった本のページ

ボーン・アゲイン・アイデンティティー /
The Bourne Again Identity

Robert Ludlum

1980 USA 640 ページ (ドイツ語版)

出演者

Jason Charles Bourne
(記憶喪失で地中海から助け上げられた男)

Dr. Marie St. Jaques
(カナダ人経済学者で、政府に勤める女性)

Dr. Geoffrey R. Washburn
(地中海の島の医者、大酒飲み、元スター外科医)

読んでいる時期:2002年9月末から

詳しいストーリーの説明あり。

読むつもりの方は退散して下さい。目次へ。映画のリストへ。

★ 映画 vs 小説

映画のボーン・アイデンティティーをドイツ公開前の7月に見る機会があり、感心したのですが、公開当日また見る機会があり、喜んで飛んで行きました。もう話は知っていたのですが、それでも楽しく鑑賞できました。それでいったい小説はどうなっているのだろうと思い、買ってしまいました。夏に畳の上で昼寝する時の枕にするとちょうどいいぐらいの厚さで、640ページ。字の大きさ、紙質は普通なので、長編です。ドイツ語版のアウト・オブ・サイトファイト・クラブやコーンウェルの作品はこの半分ぐらいの厚さです。

冒頭の数章を読んだ限りでは映画の方がずっといい印象です。コンセプトはそのままですが、映画の方は短時間に凝縮して、退屈しないようにまとめてあります。

★ 人物の合併、時間の短縮、年齢引き下げ

映画ではジェイソンが消えてから再び姿を現すまでが約3週間。小説では数ヶ月。小説では船でジェイソンを助ける男と、ジェイソンを治療する医者は別人になっていますが、映画では船の船医ということで1人にまとめてあります。船医がちょっと不似合いなぐらいインテリな印象を与えたのですが、それは恐らく原作の医者が元ロンドンで成功した医者だったというのと、ジェイソンを助けた漁師の1人が1度大学に行ったという点をミックスしたためでしょう。日本では大学を出て漁師になる人もおり、学歴と職業の組み合わせはそれほど不思議ではありませんが、欧州にはいまだに大学に行く人はこれこれ、荒っぽい仕事をする人はあれと、活動範囲や態度に関して固定した考え方があります。

小説ではジェイソンは島の医者に記憶喪失に対処する方法をいろいろ教わりますが、その部分は映画では欠けています。映画の船医はジェイソンに金をやり、ジェイソンはその金ですぐチューリッヒに向かいます。小説では医者から金とパスポートを貰い、マルセイユでそれを自分に合わせて偽造させるために更に金を工面します。この辺は映画ではばっさりやっていますが、2時間で話を終えるのだとすれば、いい判断です。

★ スイス到着、マリー拉致

スイスではコンセプトはキープしたままですが、話は全然違っています。ジェイソンは映画では5歳から10歳ほど若く見え、パスポートによると30歳ちょっとということになっています。そのため途中で強引に助けさせるマリーも若いです。マット・デイモンとフランカ・ポテンテは少年少女という印象。小説ではジェイソンの年が上で、マリーはカナダ政府のキャリア・ウーマンです。映画のマリーはちょっとヒッピー風で、根無し草の生活をしています。銀行で金やパスポートをバッグに入れて・・・のくだりは小説には無く、ジェイソンは大金を一部医者に謝礼として送り、残りを自分用に送金し、一部は現金で持っています。領事館の騒動も小説には無く、銀行を出るところからすでに追跡騒動が始まり、マリーに出会うホテルでも大騒ぎになります。今読んでいる箇所はちょうどマリーを人質に取って、車を盗むところです。

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★ 変な当局者

少し読み進んだのですが、ジェイソンはまだスイスにいます。マリーと比較的すぐ仲良くなるのが映画でしたが、小説ではジェイソンがマリーを脅かし過ぎて、彼女は逃げ出し、現在チューリッヒ警察の秘密指令を受けた特別部隊の人に証言をしているところです。これがちょっと怪しそうな雰囲気なのですが、それは先を読まないと分からないでしょう。変だと思ったのは警官がマリーにお酒を差し出したから。勤務中の警官が酒に手をつけるとは思えず、まして証人にコーヒーや紅茶でなく酒を差し出すという話はドイツでは聞いたことがありません。なぜ聞かないかと言うと、そんな事をすると勤務規定違反で首が飛ぶからです。スイスは当時ドイツよりもっときちんとした国でしたから、もっと規則にはうるさいと想像しているところです。ま、これは小説だから現実から逸脱することもあるでしょうけれど。

映画と違い小説のジェイソンは現金は持っていますが書類の類は持っておらず、運転免許証もありません。それでマリーを道連れにして運転させチューリッヒからパリに向かおうと考えていました。時々記憶の断片がよみがえり、あるレストランの事を思い出します。そこに行ってマリーと座っていると、ジェイソンには覚えがないのですが、ジェイソンを覚えているという人物に出会い、そこから情報を得ます。そしてあるアパートに行き、そこでも新たな情報を得ます。ここでテロリストのカルロスという名前が出ます。この名前はまえがきにも新聞記事として載っており、事件がカルロスに関わっているのだろうということになります。ここで撃ち合いがあり、ジェイソンはまた撃たれて怪我をし、マリーには逃げられ、ジェイソンの所には今ちょうどヒットマンか警官か分からない男が近づいているところです。

映画とはかなり違う展開です。

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★ まだスイス、ありゃ、ヒットマンだった

第9章まで読んだら Book 1 が終わり、第10章が始まりました。そこから Book 2 です。厚さを見ると4分の1をちょっと越えた程度。驚いたことにジェイソンは第9章の終わり頃までまだチューリッヒにいて、何回か弾に当たって大怪我をしています。

なぜそんな目に遭っているかと言うと・・・。ドクター・サン・ジャック(小説ではあまり軽々しくマリーと言わず、サン・ジャックという言い方がよく出て来ます)が抵抗するので、ジェイソンはちょっときつめに脅します。ドクターもだてに教養があるわけでなく、《脅すような悪漢に従う必要はない》とばかり、逃げ出します。その彼女を迎えたのが、上に書いたチューリッヒ警察の秘密指令を受けた特別部隊の男。ところがやっぱり署に戻らず被害者に酒を振舞うのは変でした。警察のフリをしたヒットマンとヒットマンに指令を出すボスだったのです。

そんな事とは知らず彼女はジェイソンについて供述をします。ジェイソンは発見され、1人目のヒットマンと対決、2人目、3人目などと回を重ねていくうちに、傷を集めて回る羽目になります。次から次からヒットマンが現われるところは映画も原作の意図を生かしています。その頃にはサン・ジャックも間違った相手にまずい情報を与えてしまったことに気付きますが、命は風前のともし火。殺されて湖に捨てられることに決まります。どうせ死ぬのだからと殺し屋の1人が彼女を暴行しているところへ、怪我をしたジェイソンがやって来て救出。これでやっと誰が誰を助け、誰が誰を殺そうとしたかが少し整理されてきました。でも彼の記憶が戻らないためまだまだ事件は続きます。

後記: ここからサン・ジャックはジェイソン側について逃げ回るので、ストックホルム・シンドロームのように思えないこともありませんが、ここまでの彼女はジェイソンから逃げ回っており、当局に訴える気もあります。そしてここでジェイソンには暴行魔から救ってもらうので、雰囲気はストックホルム・シンドローム的ですが、実際には彼女は自分を助ける者につきます。雰囲気と事実が相反するイメージが生まれます。

★ 暴行からすぐ回復、ご都合主義か

小説だからいいと思ったのか、簡単に主人公の1人の女性を暴行してしまい、その後ショックを受けたはずの彼女がまた意外とけろっと回復してしまうのには、あっけに取られます。今こういう小説を書いたら、トラウマだとか、一時的錯乱だとか色々トラブルも一緒に描写するんでしょうが、当時はこう簡単に済ませてしまえたんですね。アレックスに比べなんと安易な表現でしょう。ま、サン・ジャックがジェイソンを命の恩人だと認識したのはいいのですが、その後ちょっと感謝の押し売りをして、不自然な形で仲良くなります。この作者、あまり女性心理に造詣が深くないようです。

サン・ジャックはジェイソンが口走った事を聞いて、口の固い医者に怪我の手当てを頼み、ジェイソンが持っていた大金の中から金を払います。自分もジェイソンも衣服は破かれ、物凄い格好をしていたのですが、ホテルに泊まっている友人に頼んでトランクに着替えと化粧品を入れて持って来てもらうなど、不自然としか思えない事をします。この辺をばっさり切った映画監督の嗅覚はすばらしいです。

★ パリのポテンテの方が・・・

フランカ・ポテンテはそれほどアホな女優ではなく、小説に忠実でない脚本は恐らく気に入ったでしょう。脚本はできるだけ現代に合うように変えたそうですし、ポテンテはできるだけ自分の状況に合った行動を取ろうとして、ジェイソンのアパートから逃げるシーンで、吐き気をもよおし吐いてしまうというシーンを提案したそうです。監督はこの提案に大賛成で、すぐ取り入れてもらえたそうですが、恐らくプロデューサーのところでカットされるだろうと思ったそうです。ところがドイツで公開された版にはそれも入っていました。普通の市民が大金を積まれて人を車で送るだけでも変なのに、その男のアパートでは滅茶苦茶な襲われ方をして、挙句に襲った男が窓から飛び降りて自殺してしまうなどと、まず普通の市民の間では起こらないような事を目の前で体験したのです。ショックを受けない方が変でしょう。ポテンテにはこういう一般人の常識の感覚があります。

マット・デイモンとフランカ・ポテンテのカップルの方が、小説のジェイソンとマリーより現在のところはよくマッチしています。私が本を買う気になったのもこの2人のロマンスとスリラーのバランスが気に入ったためでした。ですからちょっと出鼻をくじかれた形ですが、ジェイソンはこれから自分に関する謎を解き始めるようなので、そちらに期待しています。

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★ パリ到着

なかなかチューリッヒを出ないので心配していましたが、ようやく2人はパリに到着します。怪我をしてチューリッヒのはずれの小さな宿に行き、ジェイソンが口走った医者の名前を元にマリーが手配をし、傷を縫い合わせます。このホテルの様子は、映画のジェイソンとマリーが一時滞在した安ホテルとイメージが合います。休憩も入れて1週間。この間に2人は仲良くなるのですが、小説家の手際があまり良くなくて、もたもたした感じです。ここでジェイソンの大体の悩みがマリーにも分かり、行動を共にすると言い出します(ストックホルム・シンドロームの亜流!?)。

映画ではとっくにロードムービーに変わっているところです。

2人は別々のルートを使って飛行機でパリに出向きます。映画の方ではマリーがちょっとでも車を離れるとボーンはピリピリしていましたし、マリーはボーンがもう戻って来ないだろうなどと思っていたりするところですが、小説では別行動を取って落ち合うなどいう事をしています。80年代はまだそれほど監視体制が整っていなかったと見え、小説の方ではすぐにはばれません。ですから予約のコンピューターから足がつくのを恐れて、飛行機と電車を避け、小さな車で冬の道を自力でパリへ行くということはありません。スイスでジェイソンにしてやられた殺し屋などの情報源からジェイソンを狙う側もパリに向かいます。

パリにはジェイソンの金が送ってあるので取りに行きますが、ジェイソンもそうすんなりと金にありつけるとは思っていません。750万フラン。米ドルで本を書いた当時500万ドル。ユーロに換算しないとピンと来ませんが、大金らしいです。銀行にもどうやら手が回っている様子。それを確認し、一計を案じてジェイソンは追っ手を出し抜きます。このあたりの様子は映画ではホテルでマリーが情報を得るシーンに使われています。小説は二重、三重にもたついています。

★ 図書館

さてパリに何かありそうだと直感してやって来たジェイソン、一生に1度ぐらいバカをやってみようと決心して自ら危ない冒険に飛び込んで来るマリーですが、ジェイソンは資料集めのためにソルボンヌの図書館に行きます。これはなかなかいい考えだと思います。ベルリンにも国立図書館があるのですが、膨大な量の資料があって、たいていの事なら分かります。図書館の使い方に通じていないと幾日もかかりますが、ジェイソンは手際がいいです。このシーンは映画にはありませんでしたが、マット・デイモンなら大きな図書館で1人でじっと本や新聞を調べている姿というのが似合うかも知れません。彼が追っているのはカルロスです。

図書館の資料で事情を調べるという手はボディスナッチでも使われました。この時は元踊り子、その後売春婦になった女と、踊りから足を洗って金持ちの夫人に収まった2人が警察の助けを借りることができず、思いついたのが図書館という設定。図書館は知識の宝庫。その上、司書は聞いてくれる人がいると喜んで手を貸してくれるので、およそ図書館と縁が無いような人でも本当は行けば何とかなります。インターネットが今ほど普及する前の話としては良い設定です。

★ 問題のカルロス

まだ物語は半分にも達していないのでどのカルロスか分かりませんが、もしあのカルロスだとすれば私たちでも1度ぐらいは報道で名前を聞いたことがある人物で、小説が書かれた頃には世界中の警察から追われていました。今はパリに居を構えて悠々自適の刑務所生活を送っています。ジェイソンは記憶喪失なのでその辺のことが分からずソルボンヌだけではあまり先に進みません。それで町の古本屋に行こうということになります。私はパリについてはあまり知らないのですが、古い雑誌や新聞をきれいに整理してある本屋なのだそうです。そこで仕入れて来た資料の中にはばっちりカルロスの事が出ています。ベネズエラ人でソビエトでスパイ教育を受けた後、自分で勝手に組織を作って、大金を払うスポンサーをみつけて殺し屋稼業を始めた云々という履歴が紹介されます。そのカルロスとジェイソンがどういう関係にあるのかはまだ分かりません。

★ いよいよ出ましたトレッドストーン

ジェイソンの身元のほかにニューヨークにあるトレッドストーンという組織、それに関して大金が動いているという謎もあり、それを解明するためにマリーは自分の勤めているカナダの財務省に連絡します。彼女自身が結構高い地位におり、彼女のために秘密裏に調査して資料を提供してくれるピーターがいます。ところがピーターが答の電話をくれる直前に暗殺されてしまいます。どうやらワシントン、ニューヨークなどに電話を入れていたようですが、答は分かりません。同僚の死を知り、マリーはショックを受けます。

現在640ページ中大体220ページあたり。小説は圧倒的にもたついて、中間報告では軍配は映画の方に。ただ、最後に書いたカナダでの暗殺のシーンは非常に早く、驚きました。彼女が電話をして、数時間以内に海の向こうでオフィスから数カ所に電話をしているだけの無関係者が首に弾を打ち込まれて死んでいます。そしてこの手口がカルロス独特のものだということになっています。

お後がよろしいようで・・・ではなく、また週末にでも少し読み進んだら続きを書きます。

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ちょっとスピードを上げて読んでいたのですが、2人はまだパリにいます。カルロスとトレッドストーンいう名前が出始め、マリーのカナダのオフィスで働く高級官吏がマリーに情報を渡す直前に暗殺されたところでした。

マリーとジェイソンの間には相変わらずあれこれと会話があり、もたついた感じになります。映画ではジェイソンは無口で、マリーが車の中で他愛のない話をするだけでした。その方がスパイらしくていいです。

★ まだパリの2人

パリには何度も来たことがあり、住んでいたこともあるような気がするというジェイソンですが、追われるだけでなく自分の方からも手がかりを追い、パリの高級ファッションの店がカルロスの連絡センターに使われているということをつきとめます。そこへ堂々と乗り込んで行き、高価な買い物をするフリをして探りを入れます。それだけでなく、その店の持ち主の女性、カルロスのために重要な仕事をしているらしい女性ラヴィエールを夕食に誘い出します。このあたりの不自然さはだんだん我慢の限界を越えて来ます。

★ 突然アメリカへ 重要な登場人物

今本の大体3分の1あたりに来ているのですが、ここでがらっと場面が変わり、CIA のオフィスになります。この頃からケインという名前が出始めます。この名前は映画ではパスポートの偽名の1つでジョン・マイケル・ケインとして登場しています。映画では確か K で書いていましたが、本では C で始まります。欧米の小説や映画でこの名前が出たら注意。聖書に関係していたりして、もうネタがばれていたりすることがあります。

映画ではこの名前を使ったジェイソンが海に落ちる少し前何かの諜報活動をしていたことになっています。小説の方では この名前はジェイソンを殺そうと追って来る者の間で使われています。スイスからの追っ手でジェイソンの顔を見た者は、殺されています。ジェイソンは軽く変装しており、写真は残っておらず、顔を識別できる人間はほとんどいません。CIA は政治家も交えてケインの件について話し合っているのですが、論争になっています。後で意味を持つかと思われるので出席者を紹介。Jack Manning(軍)、Alfred Gillette(任務に適性のある人員を選ぶエキスパート)、Peter Knowlton(CIA)、David Abbott(CIA、政治の方面では委員会に属する。映画にもアボットという男が出て来る)、Efrem Walters(議会の委員)。

CIA の会議で、このところ続いている一連の暗殺はケインの仕業だとする説と、カルロスがケインのフリをして殺しまわっているのだという説が出ます。そして CIA ご用達のプロの殺し屋の組織があるということが分かります。ようやく映画ときっちり一致する話題が出て来ました。ならず者、職業軍人などさまざまな人間の集団で、高い報酬を得て仕事をしています。政治、思想などは関係なく、金が全てです。このプロジェクトはメドゥーサと呼ばれています。読者にはジェイソンが島で過ごしていた時期にも暗殺が起きているので、プロの間ではジェイソンの仕業だと思われていますが、ジェイソンが犯人でないことが分かります。カルロス、ジェイソン、ケイン。名前は3つ出ていますが、2人だということも考えられます。一連の暗殺の中で特に重要なのがマルセイユで起きたリーランド大使暗殺事件。映画では大使の暗殺事件はなく、代わりに船の上で某アフリカの独裁者暗殺未遂事件が起きています。

★ 正しい忠告を無視するのはホラー映画の路線

カナダ政府の重要な人物ピーターが殺されたのに、不思議なことにどこにも報道されていません。そのわけを聞こうとマリーはケインがファッションの店で動き回っている間に再びカナダに電話を入れます。電話口に出たデニスは「早くカナダに戻って来い、関わりになるな」と言うだけで、それ以外の事は何も言いません。デニスは誰かの指示に従って行動しているような雰囲気です。マリーはジェイソンにほれ込んでしまっているので、そのような忠告は無視。ジェイソンも「自分に関わると危ない」と言っているのにその忠告も無視。こういう事をやると、女性はバカだと言われても仕方ありません。しかし否定されると肯定的に考えてしまう女性というのは少なくともフィクションの世界には時々いるらしく、「自分は詐欺師だ、人を騙すのが商売だ、人を信じるな」と言っている詐欺師の罠にはまってしまうインテリの心理学者の例もあります。小説家や脚本家がそういう事を書くということは、女性にはそういう弱点があるのかも知れません。せっかく誰かがこういう風に指摘してくれているので、これからは信じているふりをして信じないことにしましょう。

マリーの性格はポテンテの役とかなり違っています。小説のマリーはインテリのキャリアウーマンにしては愚かな行動が多いです。理性的な人という描写があるのですが、チューリッヒ郊外からパリにかけての行動は私にも無謀に見えます。そうしないと小説にスリルが出ないからこういう風に書いたのでしょうか。80年代でもこれはちょっとと思われる軽率さも見られます。映画ではここはばっさり。ポテンテとデイモンの会話も極力削ってあります。それが正解だと思います。ポテンテは特にインテリという役ではありませんでしたが、彼女の行動の方が愚かな面が少なく、理にかなっています。

間もなくケインの正体が分かると思いますが、ではまた次回まで。まだかなり長くなりそうなので新しいページを作りました。続きはこちらです。

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