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2005 D 127 Min. 劇映画
出演者
Wotan Wilke Möhring
(Michael Martens - 村の駐在兼農夫)
Ulrike Krumbiegel
(Rosa Martens - ミヒャエルの妻)
Hauke Diekamp
(Christan - ミヒャエルの息子)
André Hennicke
(Gabriel Engel - 逮捕された連続少年殺人鬼)
Heinz Hoenig
(Seiler - ベルリンの警部)
Nina Proll
(Lucy - ベルリンの売り子)
Isabel Bongard
(Lucia Flieder - 村で殺された少女、クリスタンの友達)
Bruno Grass
(Frank Flieder - 少女の父親)
Hans Diehl
(司祭)
見た時期:2005年7月
★ タイトル
この作品に関する批評で大方の一致するところは、タイトルのつけ方がまずいのではないかという点。Antikörper は抗体とか免疫という意味です。必ずしも映画のテーマをまとめたとは言えない命名です。 ついでに参考になる情報としては、ガブリエルというのはキリスト教の天使の名前でキアヌ・キーブス主演のコンスタンティンにも登場していますし、クリストファー・ウォーケンがコメディー・タッチで演じてもいます。ドイツ語の《エンゲル》というのは英語の《エンジェル》と同じ語源で意味も同じ。普通の苗字で、ドイツにはよくありますが、この作品ではキリスト教が重要な意味を持っているので、こういう名前の男を連続殺人犯にしたのは脚本を書いた人にそれなりの意図があったものと思われます。カソリックでは人間と神の間を仲介する役を担っています。
★ 「またか」という冒頭
変態風の男が全裸で、非常にきれいに片付いた寒々とした部屋で、妙な儀式を行っているようなシーンから始まります。ああ、またドイツの形式ばった映画なのかと一瞬失望。アナトミーでもおなじみですが、ドイツ人は映画の中で異常な人間をこういう雰囲気で料理してしまうのが大好き。
ただ券だから仕方ないと思いながら見続けていると、次はハンニバル・レクターのシーン。レクターの入っていた刑務所に比べずっと明るく清潔そうですが、寒々とした金属的な雰囲気はドイツ風。この変態男を逮捕した刑事たちがよってたかって取調べをしようとしても、相手は天才的な頭脳の持ち主。自分が言いたい事を言ってしまうと、後はガンとして口を開きません。15人の少年を残酷に殺したと認めているので、裁判で有罪に持ち込むことはできるでしょうが、事件全体の解明には至らないまま、死刑の無いドイツでは税金で一生食べさせてやるという結果になるのでしょう。しかも最近はアメリカの影響か、カンニバーレにファンレターを書くアホも出るような世の中ですから、司法や行政の意図は無視して英雄扱いになってしまう可能性もあります。刑事たちはお手上げ。
★ 意外な展開
いつもの図式か、パクリかとがっかりするのはこの辺りまで。冒頭だけです。ここからストーリーは意外な展開を見せ、見終わってみると新人が凄い力作を引っさげて出て来たと思えて来ます。ストーリー展開が《これだ》と思わせておいて、全然違う展開になるので、真似をしたという濡れ衣が晴れるだけではありません。主演俳優、村の住民を演じる俳優の演技、かもし出される雰囲気には1つ1つ必然性があり、この人たちの演技は完璧に近いです。特に重要なのは主演の2人。私は最初1人2役かと疑ったぐらいで、顔の形、体型などがそっくりな人を使っています。1人がぽっちゃりして丸顔、もう1人がガリガリに痩せていたりしたらコンセプトが崩れてしまいます。
ベルリンで事情聴取が頓挫している頃、恐らく東南ドイツ、テューリンゲンと思われる田舎ですが、村人と駐在が不安な面持ちでニュースを見つめていました。ここではちょっと前に少女が残酷に殺されています。犯人はつかまっていません。家業の農業と兼業の駐在がガブリエルが犯人ではないかという疑いを抱いてベルリンへ旅立ちます。田舎の一駐在の分際でと、最初は首都の刑事から無視されかかりますが、駐在はガブリエルの口を開かせることに成功します。それでベルリンの刑事たちは駐在を介してさらに自供を引き出そうと首都に引き止めます。
★ 田舎の駐在の意外な才能
急にプロファイラーの才能に目覚めてしまった駐在は是非事件を解明したいという欲求と、初めて大都市の同僚に認められる快さも手伝って暫く町に残ります。ガブリエルと駐在はレクター vs. ウィル・グレアムに似た論戦を始めます。いつもの普通の捜査に慣れ切っているベルリンの刑事を尻目に、駐在は苦しい論戦を戦いながら刑事たちが見つけられなかった細かい点に気付き、証拠品を探し当てたりします。
しかし駐在にとって重要な少女殺しについてはガブリエルはなかなか口を割りません。それどころかガブリエルは駐在の深層心理に入り込み「もしかしたら自分が・・・、もしかしたら身近な人が・・・」と足元が崩れるような疑いを抱かせてしまいます。少女が死んだ場所にガブリエルがいたらしいことまでは証拠が発見されたために証明されます。しかし少女に直接手をかけて命を奪ったのは誰か。もしかしたらガブリエルは死んでいる少女に突き当たったのかもしれないのです。
ガブリエルはベルリンの刑事たちを煙に巻くだけでは足りず、村の男性の住民全員をも巻き込んで行きます。駐在の功績でガブリエルのアパートから発見された証拠品についている DNA と住民をつき合わせてみようということになってしまいます。実はちょっと前ドイツにそれに似た出来事があったのです。警察は自由意思で検査に参加を呼びかけていましたが、どんな理由で断るにしても断った人は周囲から疑いの目で見られてしまいます。そういったエピソードも安っぽくならずに取り入れての演出です。村のシーンは非常にリアリティーがあって、カメラ、演出、俳優の演技に功労賞をあげたくなってしまいます。
★ 意外な副産物
ユーモアもチラッと。DNA 検査の結果これまでに検査に参加した人は全員一致せず、犯人ではなさそうだということになりますが、思わぬ副産物が。過去100年以上近親相姦を繰り返していただろうという事実が分かってしまい、ベルリンの刑事に笑われてしまいます。犬神家ではありませんが、欧州の田舎では仕方のないことで、一部は地理的条件、地方の貴族制度にも由来します。村の農夫兼駐在の頭がいいのもそういう事の結果なのかも知れません。
ガブリエルにすっかり揺さぶられ近所の人、自分、家族などを疑い出した駐在は徐々に精神的に追い詰められて行きます。そしてある決断を。しかしまだその先が・・・。といった具合で1番最後まで見ないとダメな映画です。地味な演出、地味な演技ですが、ラストに向かって盛り上がって行きます。この時期の公開でなく、ファンタに出しても良かったかと思います。
ガブリエルを演じている俳優は取調べが始まってからどんどんウィレム・ダフォーに似て行きます。演技を参考にしたのかも知れません。英語版リメイクとなればダフォーを使ってもいいかも知れません。
★ なぜか出て来るノーマン・レーダス
私にさっぱり理解できなかったのはノーマン・レーダスがドイツ人の制服警官で冒頭に登場していること。顔を見て彼だと思ったのですが、完全にドイツ製でドイツ語しか出て来ない映画にドイツ人の警官の役で出て来るはずはないと思って、似ているだけなのだろうと頭の中で否定していました。ところがクレジットが始まると1番最初に彼の名前が出て来たのです。
彼の役は近所の住民の通報で出動した警官。アパートに踏み込もうとした時にショットガンで同僚が大きな風穴を空けられて目の前で死亡。ショックで金縛りにあった警官の役です。ですからドイツ語はしゃべりません。しかしなぜここに彼が出て来なければ行けなかったのかはこの映画最大の謎として残りました。ファンタにも顔を出す彼の登場はうれしかったですが。
★ 合格最低線よりずっと上
全体の評価を言うと、近年のドイツ映画の中では最高の水準に達しています。冒頭に言った、パクリかという話は間もなく話が違う方向に展開するので、無罪。無理にアラを探すとすれば、東南ドイツらしき地方を描いているのに、主人公たちが中部から北部的な雰囲気を持っていること、方言が全然それらしくなっていないこと(皆きちんとした標準語でしゃべっている)、カソリックの教会が根付いた土地に見えない雰囲気であることぐらいでしょう。この地方には社会主義政権の時代でもカソリックの人がいたようなのですが、バイエルンなどとはちょっと違った雰囲気です。ま、ドイツ語を話さない全世界の人にとってはどうでもいい細部です。
ドイツでの評価は極端で、10点満点で1から3をつけた人と9をつけた人(というか雑誌や団体)に分かれます。聖書や教会にいちゃもんをつけられて反発した人がいたのかも知れません。あるいはハリウッド系の有名な作品をパクったと感じた慌て者がいたのかも知れません。冒頭の15分だけ見て批評を書く人がいるという噂です。助走部分でパクったと思わせておいて、その後独自の路線を走ったと感じたら高い評価になるでしょうし、パクったままだと感じたら低い評価になるのかも知れません。批評家が監督にはめられたのかも知れません(笑)。長過ぎると言った人もいます。しかし私は駐在の家族関係、近所との関係などがじっくり表現されていたからこそ説得力を持ったと考えています。ここを端折ったらガブリエルがミヒャエルにつけ込み侵食しているという点が分かり難くなります。教会に凝り過ぎると危ないという話は、ファンタでも何度か取り上げられていますし、最近ではベニシオ・デル・トロが1度熱演しています。しかし教会が悪いという問題ではなく、何かにドーっと入れ込んでしまうことが危険なのです。デル・トロの場合は犯罪に比べれば教会の方がまだいいという究極の選択。しかし行き過ぎて、ほどほどの段階を越えてしまえば例えモラルを維持するための組織であっても本来の目的から外れてしまいます。その上2000年以上続いた組織ですと、内部に緩みも出ますから、批判が出るのも当然。するべき批判はして方向を正していくしかないでしょう。連続殺人犯とキリスト教に凝り過ぎた人との関係は時たま話題に上がっています。仏教でも神道でもいいといういい加減さが日本を救っていると考えている人もいるようです。宗教的な行事は1年に1度家族が再会するためにあるんだぐらいの考え方がいいのかも知れません。
ま、議論の種はいくらでも見付かりますが、そういう事抜きでもこの作品は1度見て損は無いでしょう。監督と一部の俳優はボランティアで参加。ついでですが、この監督は映画の大学や専門学校に行かずに、タランティーノ式の独学をやったそうです。型にはまらないとドイツ人でも才能が花開くようです。
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