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大女優ソフィア・ローレン

Sophia Loren

1934 Pozzuoli, Italien

ローレンは大変な人生を送って来た女性ですが、その割にいつも陽気でからっとした性格に見えます。大きく宣伝された作品がそういうイメージだからでしょうが、暗い話にも出演しています。微笑みに出逢う街角もそういう作品の1つですが、本来は自由なのびのびした精神を持っている人が長年辛い思いをして暮らしているという設定です。

ローレンの人生を本にすると、パトリック・オブライエンの帆船シリーズとは言わないまでも、数冊分になるぐらい波乱に満ちていますが、ある程度彼女のバックグラウンドを知っていると、微笑みに出逢う街角を理解する助けになるかも知れません。

生まれた時から大変でした。1934年のイタリアという保守的な社会に私生児として生まれたのです。石を投げられたかどうかは知りませんが、60年代中頃まではドイツですら大変だったのですから、カソリックのイタリアではさぞかしと想像されます。それでも何とか生き延び、今から50年ほど前に後の夫、プロデューサー、カルロ・ポンティと知り合います。ここから彼女の人生は取り敢えず映画界では上昇。

しかしポンティは既婚者で、イタリアでは離婚ができないため、結婚取り消しという手続きが行われます。そのためには結婚無効の証拠を出さねばならず、すでに子供が生まれていたりすると大変。どうもこの件では10年以上あれこれもめた様子です。結局ローレンは60年代に2度ポンティと結婚にこぎつけ(途中取り消しがあった様子)、子供をもうけています。ポンティはローレンより2回りほど年が上で、ローレン作品の重要部分では常にプロデューサーをつとめ、1962年には彼女にオスカーをもたらしています。時たま「ポンティと離婚か」という記事が出ますが、結局2人の間で話がつくようで、現在も2人は一緒です。「夫は自分を大スターにしてくれた」ということを忘れない人なのでしょう。

ローレンがポンティの作品に出まくっていた60年代、彼女はエリザベス・テイラー、オードリー・ヘップバーンと並んで日本の映画雑誌の表紙の常連でした。ジーナ・ロロブリジータと並んでイタリア出身のセックス・シンボルにもなりましたが、長続きしたのはローレン1人。ロロはさすがスターの貫禄で、現在も容色衰えていませんが、現在は別な商売の方に励んでいます。マリリン・モンローは死亡、他のアメリカのセックス・シンボルは60年代が始まると消えて行きます。代わりに登場したブリジット・バルドーは狂信的に動物愛護と政治運動にのめりこみ、現在映画界は引退状態。ジェーン・フォンダも政治にのめりこんだ後、マスコミの代表のような人物と結婚。これまた芸能界からは引退状態で、現在はシングル・グランドマザーの生活を楽しんでいます。フランスからローレンの後継のように登場したカトリーヌ・ドヌーヴはまだ活躍中ですが、セックス・シンボルの役はとうに降り、知的になっています。

営業上の都合で色々な人とのロマンスが書かれたこともありますが、意外なのがケーリー・グラント。ゲイの噂まである人ですが、共演がきっかけで知り合ったローレンにグラントの方が夢中になったという話があります。ローレンはカソリックの国から来ていて、すでにカルロ・ポンティーとの関係でマスコミからは散々な目に遭っていました。そこへまた同じような問題を抱えたくなかったのか、ローレンがグラントを振ったという形で終わっています。陽気なイメージをふりまく人が2人だと合わないのかも知れません。ローレンはポンティーに対しては感謝の気持ちがあるらしく、あまり無茶苦茶な振舞いはしませんでした。

まだセックス・シンボル的な要素を残し、「若い頃は情熱的な女性だった」役が演じられるのはローレン(プレタ・ポルテ)ぐらいです。スクリーンの恋人、夫、愛人のマルチェロ・マストロヤンニはすでにこの世の人ではありません。微笑みに出逢う街角で庭師の役にジェラール・デパルデューが登場し、好演していますが、マストロヤンニが生きていれば、彼に演じさせたかも知れません。 長くなりましたが、彼女のような大女優を紹介する機会が少ないので、ここで少し場所を取らせていただきました。

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