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トランスアメリカ / Transamerica

Duncan Tucker

2005 USA 103 Min. 劇映画

出演者

Felicity Huffman
(Stanley Osbourne、別名ブリー - レストランで働く男)

Kevin Zegers
(Toby - スタンリーの息子)

Burt Young
(Murray Osbourne - スタンリーの父親)

Fionnula Flanagan
(Elizabeth Osbourne - スタンリーの母親)

Carrie Preston
(Sydney Osbourne - スタンリーの妹)

Graham Greene
(Calvin Manygoats - 田舎のカウボーイ)

Elizabeth Peña
(Margaret - スタンリーのセラピスト)

Grant Monohon
(ヒッチハイカー)

Jon Budinoff
(Alex - トビーの仲間)

見た時期:2006年3月

前回ご紹介したパリ、テキサスは父親と息子の関係を描いたロードムービーでしたが、もう1本そういうロードムービーをご紹介します。

演技の方法にはいくつか種類があるようですが、この作品の主演は技術的な演技ではゴールデン・グローブに値するかも知れません。女優が女性になりたいと願っている男性を演じます。それもはっきりした女性から始まるのではなく、女性になる過程を歩み始めた途中の段階から入ります。タイトルのトランスアメリカというのは交通の意味で使ってありますが、その他に元男性だった人が女性に変わるという意味も引っ掛けてあります。

主人公は元スタンリー、現在ブリーという名前の人物。中年です。大都会に1人で住んでいて、やや孤独。周囲の人から疎外されているわけではなく、職場に行けば同僚がいますし、クリニックに行けば心を開いて話ができる先生もいます。それでも寒々とした孤独感が漂います。特に美人でもイケメンでもなく、ごく普通の容姿。小市民的なきっちりおばさんに向かっている小市民的なきっちりおじさんです。服装はスマートなヤッピースタイルの正反対。しかしその分一般市民には受け入れられやすい容姿です。

性転換手術を控えている彼は、秘密を抱えて暮していると自覚しています。ベルリンではこの程度の問題ではさほど社会生活に支障は来たさず、本人はどちらかと言えば自分の健康問題を中心に考えていればいいですが、ドイツでも他の町ではやや問題が複雑になり(小さい町になればなるほど住みにくそうです)、アメリカではこの作品を見る限り色々周囲と摩擦を起こすようです。

スタンリーは十数年前男性として暫く女性と付き合ったものの、男性としてはすっきりせず、自分は女性に向いているのではと思い始めていました。長い間せっせとお金を貯め、ホルモン剤を飲み続け、医者や精神分析医の許可を取る長い道のりを歩き続け、いよいよ待望の手術まであと1週間足らずというところまで来ます。しかし担当の医師の1人はスタンリーの中でまだはっきりしていない部分があるからと手術を躊躇っています。

手術直前のある日突然未成年の息子がニューヨークで拘留されていると電話があり、スタンリーは初めて自分に子供がいた事実を知ります。医師の1人はこの問題をきっちりさせてからでないと手術は薦められないと言います。

スタンリーは渋々住んでいるロサンジェルスからニューヨークに向かい、息子のトビーを請け出しに行きます。保釈金は僅かで、問題なく子供の身元引き受け人になれ、さて、これからどうしようかということになります。自分で育てる気はありません。で、思いついたのが、死んだと言われている子供の母親が再婚していた相手の所へつれて行く事です。息子は嫌がりますが、育ての親が1番だと思い、強引にその町に向かいます。近所のおばさんに歓迎されたので、やれやれこれで問題は解決だと思っていたところ、息子は義理の父親に会うことは固く拒みます。この土地から飛び出し、ニューヨークで捕まったのです。

トビーが義理の父親に会いたがらないので、スタンリーがその男を呼び出して来て、近所のおばさんの家でご対面。ところがその場で分かったのは、この男がトビーを虐待していたこと。家出の原因でもありました。その上この男は母親を自殺に追いやったような立場で、さらに悪いことにはトビーが母親の死体の第1発見者だったという事実。これでは家出するのも当然だと分かったスタンリーと近所のおばさんはトビーと格闘する義理の父親を殴り倒し、トビーをつれて再び旅に。

養父にバトンタッチすれば一件落着と楽観していたスタンリーはまだトビーに自分が父親だと打ち明けていなかったのですが、渋々自分の実家へ向かいます。これまでトビーには、自分はキリスト教の団体のボランティアのような事を言ってあり、スタンリーの両親は死んだと嘘をついていました。

道中ヒッチハイクの若者を拾い、3人で旅を続けていましたが、景色のいい水辺で泳いだりしている最中にそのハイカーに車ごと身包み取られてしまいます。ここに至るまでにアメリカで性転換をする人物がどういう風に見られているかが分かり易く説明されています。その辺の人から軽い口調でフリークという言葉が連発されます。それを聞かされるスタンリーに取ってはその1回1回がナイフで刺されるような効果を持ち、傷つきます。なぜ彼ができるだけ人に言わないようにしているかの理由も観客は納得します。

身包みはがれた2人を救ったのは地方のカウボーイ。2人を泊めてあげ、翌日2人をスタンリーの両親の家の近くまで車で送ってくれます。この人物はトビーがスタンリーの秘密を告げ口しそうになってもスタンリーをレディーとして扱い、別れる直前にはまた付き合いたいと言い、その上トビーに大事なカウボーイ・ハットまでプレゼント。誰にでも秘密の1つぐらいはあるものさ、と言い、自分も以前は刑務所に入っていたと打ち明けます。

こういう例外はありますが、たいていはひどい扱いを受けるのがスタンリーの日常。それがクライマックスに達するのは自分の肉親との体面シーン。手術の日が迫った人なのになぜ飛行機に乗らないのかという不自然な面があるのですが、それは道中色々な人に出会わないとドラマが成立しないからです。その辺はお目こぼしにしましょう。死んだと言っていた実の両親の所へスタンリーはトビーを連れて行きます。親子断絶状態だったのに寄らざるを得ないのは、お金も車もなくしてしまったため。飛行機を使わないのは重要な伏線。

女装して戻って来た息子に家族はパニック、ヒステリー状態。近所の手前渋々家に入れます。大反対で最悪の恥だと考えるのが母親。おもしろがってバカにするのが妹。あまり動じないのが父親。3人の応はちょっとずつ違っています。しかし母親の声がこの家では1番大きいので、他の2人の声はかすんでしまいます。ところがガラっと立場が変わるのはスタンリーがつれているのが未成年の恋人でなく、実の息子、つまり母親にとっては初孫だと分かってから。

スタンリーの問題などは無視という感じで、母親はトビーを猫っかわいがりし始めます。まだトビーに父親だと名乗り出ていないスタンリーは家族に緘口令。それでも母親はこらえきれず、トビーの後を追い掛けまわし、甘やかしてまわります。周囲の様子がちょっと変だとは思っても真相には気付かないトビー。

次の日は家族でレストランへ繰り出すことになり、スタンリーはピンクのドレスを来て、ヒッチハイク事件以後久しぶりにきちんとお化粧をし、母親の飲んでいるホルモン剤をこっそり頂戴して、小奇麗ななり。その上トビーが思っているよりずっとインテリだと分かり、トビーはスタンリーを今までと違った目で見るようになります。母親はスタンリーをないがしろにし、トビーを自分の側に座らせようとしたりしますが、スタンリーは文句を言わず受け入れます。トビーはカウボーイに出会った頃から少しずつスタンリーに対する眼が変わりつつあるところで、スタンリーが母親に差別されていることも理解し始めています。その夜トビーは相手が実の父親だと知らず、スタンリーを誘惑にかかります。トビーはこれまでにもお金が必要になると男性に体を売るということをしていて、将来の夢はハリウッドでポルノ・スターになることでした。未成年の少年が持つ夢としてはとんでもない事のように思えますが、自己破壊に向かうのではなく、一応彼には職業につく意思があるわけです。息子と自分が関係するわけには行かないとしっかり分かっているスタンリーは必死でトビーを拒みます。

間もなくロサンジェルスに向かうスタンリーは現在無一文。妹にお金を工面してもらおうと思ったところ、現在断酒中のアル中娘には一銭もありません。それで母親にお金を借りようとしたら、孫を置いていけと条件をつけられてしまいます。なぜか分かりませんが、母親という人たちは子供の問題には理解を示さず、孫がいると分かるとその孫に一気に飛びついてしまいます。あたかも自分が子供の教育でした間違いを認めず、まだ色に染まっていない孫を自分の側に確保してしまいたいかのような剣幕です。この展開はドイツでも十分考えられます。孫がかわいいという人は日本にも多いですが、実力行使をここまで強引にする例は日本には少ないのではないかと思います。トビーを置いて行くという話はスタンリーにとっては両親の家に到着する前だったらうれしい申し出でしょう。しかし今ではトビーの後見人として責任を取る気になり始めているスタンリー。難しい決断を迫られることになります。

前半厄介払いのチャンスを狙っていたスタンリーですが、養父に虐待された挙句家出、その結果の盗み、売春、ドラッグとトビーの悪い面を見てしまったスタンリーは、この子をまともにするのが自分の責任と感じ始めています。普通の親とちょっと違うのは、スタンリーが子供の独立心、自立などを認めている点。両親の家にトビーを置いておくと金銭的には裕福で、学校に行きたいと言えばお金も出してくれるでしょう。しかし妹がアル中になってしまったり、スタンリーが10年大学に行っても結局物にならなかった事を考えると、社会に受け入れられている立派な家庭に見えてもこの家にも何か問題があるわけです。スタンリーにはトビーにありのままの自分を受け入れさせ、トビーもありのままに受け入れる姿勢ができ始めていました。ですからここで子供を置いて行けと言われるのは苦しいのです。

結局家族の争いは三者をばらばらにしてしまいます。トビーは飛び出し、スタンリーは予定通りロサンジェルスに戻って手術。

後日談が出ます。手術の動揺を乗り切ったスタンリーは放り出してあった学業を再び始め、いずれ教師にでもなろうかと考えています。トビーは希望通りポルノ業界に入りますが、まだ駆け出しで、ブギーナイツのスター街道はそう簡単ではないと悟ったばかり。そしてある日、トビーはスタンリーを訪ねます。ようやく彼の写真が宣伝のビラに載るようになったところ。2人はあれこれあった結果、お互いを認め合い、これからは離れ離れにならないように暮そうということになります。最後のシーンではスタンリーは今までのおどおどした様子が無く、自分なりの心の平和を見出したことが見て取れます。

とまあ、100分ちょっとの中にうまくまとめたと思います。主演女優は本当に男性に見え、どうやってああいうメイクをしたのかと関心してしまいます。特別にボイス・トレーニングを受けたそうで、努力の跡が見えます。制作に名前が挙がっているのが主演女優のご主人、ブギーナイツで自殺をしたウィリアム・H・マーシーです。これまでテレビで活躍していた夫人がゴールデン・グローブを貰ったのでさぞかし喜んでいることでしょう。男性役で取ったからと言ってこだわるような人ではありません。

この作品の地味さはサイドウェイに勝るとも劣らぬという感じです。そういう作品なのにしっかりゴールデン・グローブオスカーにノミネートされ、グローブの最優秀女優賞が来ています。数年前マーシーがミステリー・メンで「インディペンデンス映画に是非お金を」と必死で呼びかけていましたが、いよいよ地味な映画も有名な賞で大きく取り上げてもらえるようになったようです。

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