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ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男 /
Stoned /
The wild and wicked world of Brian Jones /
The wild and wycked world of Brian Jones

Stephen Woolley

2005 UK 102 Min. 劇映画

出演者

Monet Mazur
(Anita Pallenberg - 元ブライアンのガールフレンド、後キースの内縁の妻)

Tuva Novotny
(Anna Wohlin - ブライアンの最後のガールフレンド)

Amelia Warner
(Janet - 看護婦)

Paddy Considine
(Frank Thorogood - ブライアンの家の改装業者)

Will Adamsdale
(Andrew Loog Oldham - マネージャー)

David Morrissey
(Tom Keylock)

Leo Gregory
(Brian Jones - 元ローリング・ストーンズのリーダー、創立メンバー、在籍1963-1969、R&B系)

Ben Whishaw
(Keith Richards - ローリング・ストーンズのメンバー、創立メンバー、ブルース系、ジャック・スパローの父親)

Josef Altin
(Bill Wyman - ローリング・ストーンズのメンバー、在籍1963-1993)

Luke de Woolfson
(Mick Jagger - ローリング・ストーンズのメンバー、創立メンバー、ポップスもOK派)

James D. White
(Charlie Watts - ローリング・ストーンズのメンバー)

見た時期:2007年3月

音楽物が並びましたが、ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男ドリームガールズのように映画の中でコンサートを楽しむようなタイプの作品ではありません。また、ラブソングができるまでのような明るいフィクションでもありません。 音楽はあまり中心に置かれておらず、本格的なコンサート・シーンはありません。

英語のタイトルですが、The wild and wicked world of Brian Jones というのと The wild and wycked world of Brian Jones というのを見かけました。どちらの書き方が正しいのかは分かりません。普段使われているのは wicked の方で、ちょっと前までは「ひどい」とか「悪い」という意味で使われていました。ところがその後英国のラジオでスポーツなどを聞いていると、「ベッカムがまたゴールを決めた!」などと言って大喜びする時に "Wicked!" とアナウンサーが絶叫するのを耳にするようになり、最近では「すばらしい」という意味に変わってしまったようです。ですからこのタイトルは『ブライアン・ジョーンズのワイルドですばらしい世界』なのかも知れません。辞書通り正攻法で行くと『ブライアン・ジョーンズのワイルドで最悪の世界』となります。実はその方が実情に近いかも知れません。皆さんの個人的な解釈によります。

ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男で中心に置かれているのは、実在した、ブライアン・ジョーンズという27歳で死んだ青年。このジャンルに詳しい人ならすぐローリング・ストーンズだとお分かりでしょう。有名な音楽関係者の死亡リストには必ず載る人です。伝記に近い作品ですが、描かれている内容はそのまま真実とは取らない方がいいようです。監督が参考にした本というのがあり、それには各著者がそれぞれの立場から自分が真実だと信じている内容が書かれています。裁判所がどうの、真実証明書付きの話とは違います。著者の1人、アンナ・ウォーリンの協力を得て作られたとのことです。

若いローリング・ストーンズが活発に活動していた時期にストーンズから首を言い渡されたメンバーが、直後にドラッグの事故、失意の自殺、怨恨他殺のいずれとも解釈できる死に方をし、今日に至るまで説明の決定打が無いという事件を劇映画にしたものです。

世に知られ影響力のあるバンドのメンバー、マネージャー、プロデューサーが妙な事件に巻き込まれたり、自然死でなく死ぬ場合、よく裏に商売の話が絡みます。それも単に1つのレコード会社の利益や利権にとどまらず、政治すら関わる場合もあります。ブライアン・ジョーンズの死はそこまで大掛かりな話ではないと思いますが、単純でもありません。それを描ける範囲で推測し、描いてみた結果できた映画だったのかも知れません。

こういった話は外側に大きくはみ出る場合もありますが、その反対に内側に深く入って行くこともあります。私もごくごく限られた範囲でバンド活動に関わったことがあるのですが、名も知られず、まだ結成したばかりのアマチュア・バンドでも人間関係は往々にして複雑になります。1番頻繁に聞くのは女や仕事を取った取らないという話。その次によく聞くのは腕がいいか悪いかで起きるやっかみ。どんなバンドにも溢れるばかりに才能のある人とそれほどでない人がおり、プロですと才能の少ない人はどんどんはずされて行きます。それが友情の亀裂にもつながります。友情を大切にしてメンバーを守ろうとすると今度は外からその人が責められ、守り切れなくなります。両方を立てるにはかなり大人で人間関係をマネージする力が必要ですが、バンドのメンバーとなるとティーンから20歳代の前半が多く、まだそんなベテラン外交官のような人間関係の操縦法を知っている人はいません。それであっという間に醜い争いに巻き込まれてしまいます。

私が関わっていた頃はロックやブルース・バンドにいてもジャズができると言うとレベルが上だと見られてしまう傾向があり、ロックやブルースに徹底すればいいバンドになり切れたのに、中の1人か2人が方針を混乱させ、結果としてまとまりの悪いバンドになってしまうということもありました。なんとそれは私が知っていた、規模の小さいローカル・アマチュア・バンドにとどまらず、BST のような世界的に有名なバンドでもあったのだそうです。

さらに複雑になるのは、バンドに関わる人の中には音楽以外に悩みを抱えた人もいて、その苦しみを音楽で表現する人、その横にこれと言った悩みは持たず、音楽を楽しむ方針の人がいて、そのバランスが音にも影響するからです。人の内面に関わる問題、性格もバンドの存在に多大な影響を与えるものです。

ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男を見ているとその辺が織り込まれており、バンドの多数派はマネージャーと一緒に商売の方に関心を示し、売れるならポップスにも関わろうとしているのに対し、ジョーンズはストーンズの個性にもなるようなガチガチのブルース、R&B サウンドに関心を示していた様子です。ジョーンズは曲作りより、アメリカのブラック・ミュージック紹介と独特のサウンド作りに関心が強かったのです。自分たちで曲を作るというのは、クリエーターとしての欲求を生かせる上、作曲家として世に認められるので、ミュージッシャンとしては大喜びでしょうが、それだけにとどまらず、名曲を作った過去の人に曲の使用料を払わずに済み、逆に自分たちで版権を管理し、他の人がその曲を演奏したらがっぽがっぽとお金が入って来るので、有名なバンドを管理している会社の側にとっても喜ばしい話となり、両者の利害関係が一致します。

ブライアン・ジョーンズの周囲でも、お金の心配をしてくれるマネージャー、曲を作れるメンバー、サウンドの心配をしてくれるメンバーと揃っており、ジャズも行ける人材もおり、その巾の広さはプラスにこそなれ、マイナスにはならなかったと思います。ところがそれに誰がリーダーか、誰に最後の言葉を吐く権利があるかが絡んだ様子。ジョーンズは自分が作ったバンドだという気持ちがあったのでしょう。時代を自分が作るのか、自分が時代に合わせるのか、ミュージッシャンが時代を作るのか、マネージャーやプロデューサーが時代を作るのかという意味ではこれまた結果に大きな差の出るテーマです。いずれにしろ全部が絡んでしまって非常に複雑な問題が起き、それは小さなアマチュア・バンドでも、世界を動かす大バンドでも同じように災厄をもたらします。

一般論はこの辺にして、映画の中のブライアン・ジョーンズに話を戻しましょう。彼はかつて推理小説家のミルンが所有していた家を買い取り、改装中でした。(などと言いましたがミルンが書いた推理小説はたったの1つ。しかし世界的に有名です。ミルンはクマのプーさんの生みの親として有名で、この家には挿絵家のシェパード氏もよく訪れていました。)その工事を請け負ったのがバンドのマネージャーの知り合いで、その男とジョーンズの間に起きた摩擦が原因で、ジョーンズは殺されたのだろうというのが映画上の解釈です。

ジョーンズの場合ビジネス上の利権が彼を殺したというのではなく、そういうビジネスの思惑が彼を独自行動に走らせ、首という結果をうみました。首にした人たちは彼を殺す気など毛頭なかったものと思われます。ただそれが雪崩の最初の小さな雪の転がりをスタートさせてしまった様子です。ジョーンズはバンドと関わるスケジュールは首を機にゼロになり、少数の取り巻きと過ごすことが多くなります。

映画が始まってから終わるまで彼はほとんどこの自宅で過ごします。マネージャーなど関係者がたまに訪ねて来るか、電話で話をしますが、それは必ずしもジョーンズとの直接の話ではありません。そして暇な時間にはドラッグをやっていたということが暗示されたり画面に直接出たりします。

溺死についてですが、遺体にはアルコールやドラッグの痕跡があり、生前のジョーンズには喘息の病歴があったため、それが重なったための事故だという説と、そういう状態でプールの中で喧嘩があったという説があり、映画は喧嘩説を取っています。ジョーンズはあまり体の強い人ではなかったのと、映画の描き方を見ると食事もあまり健康を配慮して取ってはいなかった様子で、いくつもの要因が不幸な時期に重なったことは確かでしょう。一説にはドラッグやアルコールの量が溺死するほどではなかったとも言われています。メニー・クエスチョン、ノー・アンサー状態です。

精神的に落ち込んでいたかは私には分かりません。バンドから首を言い渡されたのはショックかも知れません。しかしそれは同時に自由な出発も意味しています。他のミュージッシャンとのつながりはいろいろあった様子で、誰かと組み直してもいいですし、有名なミュージッシャンとジョイント・コンサートを重ねて行ってもいいでしょう。ですからバンドの拘束を抜けられほっとしている可能性もあったわけです。結構自信家だったようなので、落ち込みの度合いは「これで何もかも終わりだ」と言うほどではなかったのではと私は思っています。映画の台詞をそのまま受け取ると、彼には退職金と退職年金が入ることになっています。

ローリング・ストーンズというのはビートルズを企画した人たちが、映画の《良い刑事、悪い刑事》式に、《優等生グループ、不良グループ》として組んだマーケティングの産物。当時それ以前には無いサウンドを引っさげて登場し、あっという間に世界を征服してしまった2つのバンドは、裏ではしっかり《ビートルズで掴み切れない人たちはローリング・ストーンズでキャッチ》という作戦でタッグを組んでいました。アメリカではモータウンがやはりがっちりしたマーケティング作戦で稼ぎまくっていましたが、イギリスでもしっかり作戦は進行していました。バンドの相関関係もおもしろいですが、マネージメントを見るのもまた意外な結びつきがあっておもしろいです。

私はそういう話をずっと後で知って、暫くは落ち込んでいました。「結局はお金なのか・・・」と凹んでしまいました。後にザ・コミットメンツの力強い歌声などを思い出して、「自分を楽しい気分にさせてくれる音楽はそれでも聞こう」という気になりましたが、そこまで来るのに暫く時間がかかりました。ま、世の中というのはそういうものなのでしょう。

皮肉なことにストーンズのマネージャーの兄貴分のような立場で裏で活躍し、ビートルズを仕切っていたマネージャーもある日、事故死か自殺か分かり難い死に方をしています。それがビートルズの解散を早めたとまで言われています。両方とも天寿を全うしたとは言い難い年齢でこの世を去っています。ま、世の中というのはそういうものなのでしょう、と上に書いた文をリサイクルしてもいいのですが、ちょっと「そういうもの」で納得するには不審死が多過ぎるようにも思います。

ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男を見ていて気になったのは映画に描かれていた工事責任者フランクとブライアンの関係。ここはフィクションが混ざっているかも知れませんし、似たような事実があったとしても、どこまで正確に描けているかは分かりません。脚本家の書いた通りに俳優が演じているシーンで、多分に主観的かと思います。

そういう制約の中での話ですが、俳優の演技はなかなかいいです。負け犬の工事責任者を演じているのはイン・アメリカ 三つの小さな願いごとで主演だった人で、人の神経を逆なでするような演技が上手です。イン・アメリカ 三つの小さな願いごとでは私は腹を立てそうになりましたが、それだけ迫真の演技だったということです。ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男でも何をやってもうまく行かない男を徹底して演じています。ブライアンを演じた俳優といいコンビで、いじめる者、いじめられる者、プラスとマイナス、磁石のNとSという関係を2人で上手に出しています。ビートルズとストーンズというプラスとマイナスのイメージを持ったバンドは実は仲が良かったのですが、ブライアン・ジョーンズとこの工事責任者はとんでもない依存関係で、それが死の直接原因だと言われれば、「はい、そうですか」と納得しそうになります。

夜中に呼び出されたりして、「私ならあそこまでエスカレートする前にノーと言うのに」と思うようなシーンでも、フランクはずるずると引きずられて行きます。欧州に来てからブライアンのような誘い方をする人に何度か出会いましたが、断ったからと言ってどうなるということはありません。「ただ言ってみただけさ」という返事が来るのがせいぜい。子供のようにどこまで行けるか試してみて、相手の「ノー」に遭遇すると引き返すのです。ところが「ノーと言うとそれでお終いだ」と思い込んでしまう人も多いらしく、その辺で引きずる、引きずられるの関係に入ってしまう人がいます。また、人に「すぐ来い」などと高飛車に命令しているのに、言った本人の方が弱い人間だったなどということもよくあります。人間関係を大切にし、長続きさせたいのでしたら、イエスとノーは適度に混ぜて言い、相手を縛り過ぎない、自分も縛られ過ぎないように注意するのが1番でしょう。そのバランスをこの2人は全然知らなかったようです。経験したことも試したことも無かったのでしょう。いずれにしろいい俳優を並べ、いい脚本で演じています。

色々な出来事があり、もう軽く40年以上が経ちましたが、バンドの実体が残っているのはローリング・ストーンズの方。プレイバックを使ったとか言われていても、とにかくコンサートをするだけの人材は残っています。ビートルズはもう半分になってしまいました。もし両方のバンドが本当にライバルだったとしたら、ビートルズの負けです。

バンドがなぜ人間関係のトラブルに弱いかと言うと、一定の数の人たちが一緒に過ごす時間が長過ぎるからです。私は断定してしまいます。別な意見の方は遠慮なく反対して下さい。これは私の思いついた結論です。時には 家族以上に行動を共にする時間が長く、都市から都市への移動、食事、打ち合わせ、時には自由時間までも一緒。利害関係で結びつくスタッフとも行動を共にする事が多く、上手く行けば一種のファミリーですが、こういう人たちの間に芸術的な目標にずれができたり、リーダー、他のメンバーという力関係ができたり、連れている恋人のトラブルが起きたりすると、ストレスを避ける場がなくなってしまうわけです。ドリーム・ガールズでも巡業中に妻帯者が未婚の女性を誘惑したりするシーンが出ました。痴話喧嘩の元でもあり、閉塞感から逃れるために自分のジャンルと違う音楽に興味を示すきっかけにもなり、それにのめり込んだりするのは簡単に想像できます。

もう1つ60年代から今日に至るまでまだバンド関係者からもスターのインタビューでも1度も聞いたことがないのですが、私には長年付きまとっていた疑問があります。いくらヒットした曲、自分が作った曲、自分が気に入っている曲だと言っても四六時中、どの国へ行っても、どのテレビ・スタジオに行っても、どのコンサートでも同じ曲を何百回、何千回も演奏したり歌ったりして嫌にならないんだろうかということです。歌手になるからには、歌を歌うということが好きでなければなりませんが、良く売れた曲は40年経ってもコンサートで歌われたりします。ヒュー・グラントが演じていたアレックスも人気が下降した後でもプレイバックを使ってその辺の遊園地で80年代のヒット曲を歌い、しかもそれが受けています。画家や小説家の作品は1回切りですが、歌手は下手をすると40年間歌い続けなければなりません。ソングライターとしてのクリエーティブな面と折り合いをつけるのは大変だろうなあと、変な所で感心しています。

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