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The Four Tops and The Temps ♪

ダーウィンは時間がかかったが、テンプは進化が速い

見た時期:2007年11月

最初文章で書こうと思ったのですが、とても手に負えないと思い、表にしました。インターネットの記事とコンサートのプログラムなどをを参考に以下の年表を作ってみました。完全に正確ではないと思いますが、ざっとテンプのメンバー・チェンジの印象がつかめるかと思います。ザ・フォー・トップスはほとんど場所を取らないので1番下に付け足しておきました。

★ 対称的なテンプザ・フォー・トップス

当時はモータウンから似たようなグループが2つ出たという印象でしたが、30年、40年経つとごらんのように出入りの激しさ、出入りの無さという点で全く対照的な経過をたどっています。1人はテンプからザ・フォー・トップスに移動したのですが、その人も入った切りザ・フォー・トップスに居ついています。それだけではなくザ・フォー・トップスの略歴を当たってみるとスキャンダルとか犯罪の匂いがしません。

テンプの方は事件に巻き込まれて負傷した人、ドラッグのトラブルを抱えた人など荒々しい人生という印象が強いです。もっともドラッグのトラブルが明確になるとリーダーのウィリアムズはメンバーの首を切っていますし、練習に出て来ないので首になった人もいますから、テンプの中では規律をしっかりしてくれという催促があったものと思えます。

★ 身内を呼んで来ても実力はある

グループに欠員ができた時に元のグループの時の友人関係、親戚関係から交代要員を呼んで来たりしているので、新メンバーはオーディション形式ではなかったようです が、モータウンというのは一定の実力を持った人がたむろしていた会社なので、そこにうろついていたということは、メンバーとして採用可能な前提をすでに 満たしていたのでしょう。

★ こぼれテンプの受け皿

22人が関係し、5人が正式メンバー。7人死亡、15人生存。素行不良で追い出された人もいますが、その人たちの中にはテンプもどき、亜流テンプのグループを作って世界ツアーに出る人もいます。あれこれ様子を見ているとレコード会社などの意向も入っているようです。うたむらさんが出会ったという地方で公演をしていたテンプというのが本家本元の親テンプなのかは分かりません。ザ・テンプテーションズと言い、名前に付録がついていない場合は本物テンプではないかと思います。亜流テンプには〇〇のザ・テンプテーションズとか、ザ・テンプテーションズ・レビューとかおまけがついているらしいです(Dennis Edwards and the Temptations Review、Damon Harris and the Temptations Review など)。

★ 健康第一

病死した人が多く、死の寸前まで歌っていた人が多いです。まだタバコの害がはっきり言われていない時代にヘビー・スモーカーだった人が肺癌で亡くなっていますが、歌手なのにタバコを吸うこと自体に驚きます。ソウルは変な発声をすると喉への負担が大きい職種ですが、喉の癌で死んだ人もいます。満身創痍の劇的な人生という印象がテンプ、高校時代の友達がずっと支え合って長く持たせたというのがザ・フォー・トップスの印象です。

11月のコンサートで見た両グループではザ・フォー・トップスのうち3人が1930年代の生まれ(70歳代のじっさま)とはとても信じ難く、皆スムーズな身のこなしで踊り、しっかり聞いていられる声でした。逆に1番年寄りでも1940年の生まれというテンプは「おいおい、健康大丈夫なんかい」と思ってしまう出で立ち。最近は技術が発達し、プレイバックで歌ったりする若い有名歌手の噂も出ますからトリックもあるのかも知れません。すでに60年代テンプのメンバーの1人が病気だった時には口パクをやり、舞台裏で別な歌手が彼のパートを歌ったりしています。

全体にはザ・フォー・トップスの方が健康的な印象を与えてくれます。私はザ・フォー・トップスを目当てに行ったので満足ですが、テンプも嫌いではないので、ちょっと心配してしまいます。

(誕生-死亡)、[在籍期間]

Wiley Waller
[1955-1957]
Eddie Kendricks
[1955-1960]
40年代より教会の合唱隊でウィリアムズの友人
Paul Williams
[1955-1960]
40年代より教会の合唱隊でケンドリックスの友人
Kel Osbourne
[1955-1960]
The Cavaliers
1955年頃

1957年3人の引越しについて行かず脱退 The Primes
(スピンオフした女性ボーカル・グループ、The Primettes が後のシュープリームス)

  The Elgins へ The Elgins へ 1961年引越し脱退 消滅
Otis Williams
[1958-1960]
リーダー
メルヴィン・フランクリンの友人
Elbridge Bryant
[1958-1960]
James Crawford
[1958-1959]
Vernard Plain
[1958-1959]
Arthur Walton
[1958-1959]
Otis Williams & the Siberians
1958年
Albert Harrell
[1959-1960]
Richard Street
[1959-1960]
フランクリンの従弟
Melvin Franklin
[1959-1960]
オーティス・ウィリアムの友人
The El Domingoes
The Distants
Otis Williams & the Distants
辞めて The Elginsへ 辞めて The Elginsへ     辞めて The Elginsへ 消滅
ケンドリックスとオーティス・ウィリアムズ談合の結果吸収合併しベリー・ゴー ルディーのオーディションへ
Otis Williams Elbridge Bryant Eddie Kendricks Paul Williams Melvin Franklin The Elgins
1960年
Otis Williams
(1941‐)
[1960‐]
リーダー
Elbridge Bryant
(1939-1975 肝硬変)
[1960‐1964]
1964年メンバーに対する暴力で首
Eddie Kendricks(1939-1992チェインスモーカーで肺癌)
[1960-1971]
Paul Williams
(1939-1973不審死)
[1960-1971]
60年代末体調不良、舞台裏に歌手 (Richard Street)を用意し、舞台では口パク、1971年ドクター・ストップで表舞台から降り、振り付け担当
Melvin Franklin
(1942-1995 病死)
[1961-1994]
病気治療で使う薬の副作用で各種の病気を併発
The Temptations
低迷
同じ名前のグループがあったので改名
David Ruffin
(1941生-1991 薬物中毒)
[1964-1968]
元はテンプのドラマー
1964年
マイ・ガール
クラシック5 と呼ばれるラインアップ
Dennis Edwards
(1943‐)
[1968‐1977 首]
[1971年ウィリアムズと同時期に脱退、ソロ活動] [1971年脱退]
(1973年自殺と言われているが CSI の出動が必要な奇妙な死に方)
1971年、ジャスト・マイ・イマジネイション
Ricky Owens
[1971 力量不足で首]
Richard Street
(1942-)
[1971-1993]
正式参加の前事実上機能しなかったウィリアムズのために舞台裏で彼のパートを歌っていた
 1971年

4人で活動
Damon Harris
(1950‐)
[1971‐1975]
90年代に癌になり、回復後2001年自分の名前を付けた癌センター設立
1972年
パパ・ワズ・ア・ローリン・ストーン
Louis Price
(1953-)
[1977‐1980]
Glenn Leonard
(1947-)
[1975‐1983]
 
Dennis Edwards
[1980‐1984]
1980年
David Ruffin
[1982]
リユニオン・ツアー参加
1985年ケンドリックと亜流テンプでツアー
Eddie Kendricks[1982]
リユニオン・ツアー参加
1985年ラフィンとツアー
(1991年肺癌発見、1992年夏まで音楽活動、10月死亡)
1982年
元のメンバーを集めてのリユニオン・プロジェクト (元のメンバーは本家テンプの横でいくつかの分家テンプを作って活動)
Ali-Ollie Woodson
(1951‐)
[1984‐1986]
Ron Tyson
(1948‐)
[1983-]
 
Dennis Edwards
[1987‐1989]
90年代 Dennis Edwards & the Temptations としてツアー、オーティス・ウィリアムズとトラブルになり、The Temptations Revue featuring Dennis Edwards と改名
 1987年
Ali-Ollie Woodson
[1988‐1996]


1988年
1993年入院したストリートとリーダーの連絡の行き違いからソロに転向 1993年
Theo Peoples
[1993-1998]
ザ・フォー・トップスに転出
Ray Davis
(1940‐2005)
[1994-1995]
喉の癌のため脱退、10年後呼吸器系の病気で死亡
 

4人で活動
Harry McGilberry
(1950‐2006 ドラッグ過剰摂取)
[1995-2003 首]
1995年
Terry Weeks
(1963‐)
[1998‐]
Barrington Henderson
(1956-)
[1998-2003]
1998年
George Curtis Cameron
[2003‐2007]
Joe Herndon
(1949‐)
[2003‐]
2003年
Bruce Williamson
[2007‐]
2007年
Otis Williams Terry Weeks Ron Tyson Bruce Williamson Joe Herndon
プログラムによると Walter Herndon
現在のメンバー
ライフ・ワークのザ・フォー・トップス

Abdul Fakir
(1935‐)
[1953‐1956]
Levi Stubbs
(1936-)
[1953‐1956]
Lawrence Payton
(1938-1997 心臓)
[1953‐1956]
Renaldo Benson
(1937-2005 癌)
[1953‐1956]
The Four Aims
1953年

Abdul Fakir
[1956‐]
Levi Stubbs
[1956‐2002、体調不良で引退]
Lawrence Payton
[1956‐1997]
Renaldo Benson
[1956‐2005]
The Four Tops
1956年

Ronnie McNeir
[1977年レコーディング参加、2002‐]
Theo Peoples
[1998年テンプから編入-現在]
Roquel Payton
[2005‐]
ローレンス・ペイトンの息子
現在のメンバー

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