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狼の死刑宣告 /
Death Sentence

James Wan

2007 USA 111 Min. 劇映画

出演者

Kevin Bacon
(Nicholas Hume - 一般家庭の父親)

Kelly Preston
(Helen Hume - 母親)

Stuart Lafferty
(Brendan Hume - 息子)
Zachary Dylan Smith
(Brendan Hume - 息子、子供時代)

Jordan Garrett
(Lucas Hume - 息子)

Aisha Tyler
(Wallis - 刑事)

Garrett Hedlund
(Billy Darly - 町の与太者)

Matt O'Leary
(Joe Darly - 町の与太者)

John Goodman
(Bones Darly - 武器の密売屋、ビリーとジョーの父親)

Hector Atreyu Ruiz (Heco)

Yorgo Constantine
(Michael Behring)

Edi Gathegi (Bodie)

Leigh Whannell (Spink)

見た時期:2007年8月

2007年ファンタ参加作品

★ 人相の悪いお兄さん

2007年のファンタでスニーク・プリビューに飛び込んで来た、でき立てほやほやの作品です。今年はプリビューでも荷物検査は無かったのですが、観客の間に目つきの悪いお兄さんが混ざっていたようです。直接全員の荷物を検査するのが良いのか、観客の間に妙な人が混ざるのかいいのかは分かりません。誰かが隠し撮りをしてインターネットに載せてしまうので主催者は配給会社から厳重抗議を受けるらしいです。携帯で撮った見難い画像を楽しむファンタ・ファンはいないと思いますが、ファンタに参加する人が必ずしも全員映画ファンというわけでもないのでしょう。

以前映画を見ながらノートを取ったことがあるのですが、その時使ったライト付きのペンが何かの機械と間違われ嫌な思いをしたこともあります。元々は真っ暗闇の中で手探りでメモを取っていたのですが、たまたま隣りに座っていたプロの批評家の女性に「こういうペンがある」と、暗闇で手元だけ光るペンを貸してもらったことがありました。その後自分でそういうペンを買って使っていたのですが、うっすらと緑色に見えるため、映画館の監視役が怪しんだのかも知れません。それで荷物検査の時にそれを検査係に見せ「使って欲しくないのなら止めるけれどどうだ」と聞いたら、「これならいい」と言うので使いました。すると後でもう1人の検査係に嫌な目に遭いました。「なんじゃ、1人がいいと正式に許可しておきながら」と思いましたが、目線の鋭いお兄さんだったので怖くなり、それ以来暗闇で映画のメモを取るのは止めました。

すると困る時があります。出演者の人間関係などをメモっておかないと、後で誰が何を演じていたのか分からず混乱する時があるのです。パンフに詳しく載っている場合もあるのですが、そうでないこともあり、後でチックショーと思う時もあります。何しろ8日間に40本以上見るのですからねえ。

★ 私的に殺してしまう

さて、本題の Death Sentence は今年の私刑特集の1つです。私刑と言うとリンチと誤解を受けそうなのでちょっと説明をしないと行けません。ドイツ語で Selbstjustiz という方が正しい表現なのですが、司法、行政に任せず、自分でオトシマエをつけてしまうことを言います。selbst は英語の self で Justiz は justice という意味です。自分で正義を通してしまうということになりますが、無論ルールを無視するので正義とは言えません。今年はこの種の作品が多かったです。私は一貫してこの方法には反対です。

そんなノーテンキな事を言っていられるかというのがアメリカ。最近日本でも法が加害者に親切過ぎるという議論が起きているようですが、アメリカはそういう点でも先進国。先にそういう風に進んでしまったという意味の先進国です。問題ありの弁護士でもアメリカの方が一足先に悪名が高くなってしまいましたが、通り魔的な殺人で、特別に計画を立てたので無い場合アメリカでは比較的短時間に釈放されるようです。運悪く自分がかわいがっていたできのいい息子がその被害に遭ってしまったら、それも自分の目の前で喉を掻っ切られて死んだら、父親としてどうするという話です。

★ あらすじ

ケビン・ベーコンが父親の4人家族。経済的に恵まれているだけではなく、良い子に育った2人の息子がおり、夫婦仲も良いです。長男はスポーツ選手として芽が出るかも知れず、将来の計画をそろそろ立て始めたところです。ちゃんと親父さんと相談もしています。

そんな時珍しく寄った下層階級の地区のガソリン・スタンドで事件が起きます。ドイツに来るまでは国民の8割が自分は中産階級だと信じているというまれに見る平等な国(当時)から来た私はこちらの階級意識に愕然としたことがあります。大学を出ているというだけで扱いが格段に良いのですが、逆に《こういう地区には住まない方がいい》とか《こういう人たちはあなたにふさわしくない》とあからさまに示されることがあり、自分が良い方に加えてもらっても《こんな事で喜んでいいんだろうか》と考え込んでしまったこともあります。アメリカはと言うと映画を見ているだけでも住宅街の様子で一目瞭然。かなりはっきり住んでいる地区によって格差があります。ケビン・ベーコンはそういう意味で普段と違う場所にいました。

息子を目の前で惨殺され、当然ながら警察に届け、犯人はつかまり、裁判になります。ずっと前に見たヘミングウェイのリップスティックを思い出すようなシーンが出て来ます。理屈から言うとお父さんに分があるのですが、弁護士は「実際の裁判では多分あまり長期の判決は出ないだろう」と言うのです。「現実と言うのはそんなものさ」と言ってしまえばそれまでですが、これまで中産階級の上の方に属していて、正義とかモラルが額面通り通る世界に住んでいた親父さんは唖然とします。

上流階級や大金持ちの世界では地獄の沙汰も金次第が常識、下層階級では不条理が常識ですが、中産階級というのは普段は教科書に書いてある事がそのまま通ると思って生きている人が多いです。しかし一旦事件に巻き込まれるとこの作品が示すような矛盾に出くわします。

日本では22人ものベテラン弁護士がスクラムを組んで不思議な裁判を行って、兆度今1人が首になったところですが、最近は死刑廃止になっている国が増え、日本も非難を受けることがあるようです。アメリカでは州によって判断がまちまち。作品のタイトルが《死刑》なので、見る前はライフ・オブ・デビッド・ゲイルのような話かと思いましたが、それは大はずれでした。頭に来た親父さんが犯人に死刑を言い渡すのです。

死刑廃止には色々な論があって、私もまだどちらがいいか決めかねています。欧州には国民の意見とは無関係に国家元首(あるいは首相?)が持論を通して廃止した国があります。ドイツは戦後他の国と無関係に停止していました。私はこのテーマにまだうといのですが、古代のドイツは人口が非常に少なく、死刑などという贅沢は人口減少傾向の中でとても無理だったそうで、遠島申し付けに近い離れた土地への追放という形を取っていました。

死刑を廃止させるために不自然な運動方法を取る人もおり、映画ではケビン・スペーシーが1度そういう役を演じていました。日本では今ちょうどまか不思議な裁判が進行中。こういう出来事が時たまあるので、私にはこの人たちが何を考えて反対しているのかがよく見えて来ません。原則論を唱える人もおれば、冤罪の可能性など技術的なミス、人の起こす勘違いを挙げる人もいます。アメリカでもためらわず死刑の書類に知事がOKを出す州や、長年ストップしている州などさまざま。

あだ討ちを法制化してはなどという冗談のような話も耳にしましたが、ケビン・ベーコンの演じている役は彼があだを討ちたくなる過程を観客も同意できるような描写で示しています。被害者家族だったベーコンに「加害者になれ」と、背中を一押し。

弁護士から親父さんの主観では許し難いと思える話を聞かされ、ベーコン演じる父親はとっさの判断で自分の証言を変更します。それは犯人を釈放するために役立ってしまいます。どこかで聞いたような話だなと思いましたが、なんと Contre-enquête とそっくりの展開です。親父さんが目撃証言をすれば犯人は数年間務所入り。「よく分からない」と言えば証拠不充分で間もなく釈放です。復讐をするのに数年も待てなかった親父さんは釈放を選びます。そうすればすぐに手を出せます。もう捨て身を覚悟しています。

これまで背広が似合うビジネスマンだったのが、服装、髪型をがらっと変え、犯人の住む町に適応します。そして犯人を殺してしまいます。犯人は数人の愚連隊の1人だったので、これを機に親父さんと愚連隊一家の全面戦争が始まります。警察も手に負えないほど。ケビン・ベーコンは自分が演じている役をヒーロー視してはおらず、正義を信じていた甘さ、自分の私憤を晴らしたら他の人も巻き込んでしまったと後で気づく甘さをきちんと演じています。自分でオトシマエをつけるのに反対の私ですから、この作品の評価は低くなりますが、ベーコンが無節操に演じているのではないことは分かります。彼自身のけじめは見え隠れします。

ちょっと分かりにくかったのはジョン・グッドマンの役。闇で武器を売る男で、息子2人がベーコンの息子を殺した愚連隊の一味なのですが、その息子の側についているのではなく、ベーコンが武器を売れと言うと売ってしまいます。ベーコンは当然その武器を息子退治に使うのですから、断わるという方法もあったはずです。息子を殺された親父さんと、1人もう仕留められ、これからもう1人息子を失う親父さんは敵対するものと思っていたので、ショーダウンの直前のこのシーンには戸惑いました。

監督はジェームズ・ワン。今回はホラーではありません。社会派犯罪映画です。グッドマンのシーンが無ければ、矛盾無しで成功したと思います。グッドマンのシーンで目が点になってしまいます。ホラー監督が息切れしたのでしょうか。Contre-enquête とは違い、あっと驚く意外性はありません。その代わりにこういう手の込んだ驚かせ方をしたのでしょうか。それとも制作上の手違いで入り込んだ矛盾だったのでしょうか。

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