映画のページ

壽 / Soo /
Art of Revenge /
Soo: Revenge for a Twisted Fate

崔洋一/Choi Yang-Il

2007 Korea 122 Min. 劇映画

出演者

Ji Jin-hee (Tae-su/Tae-Jin - 闇の片付け人壽/Soo/刑事、1人2役)

趙卿煥/Kyeong-hwan Jo (ソンイン - テスに仕事を周旋する親分、表向きは表具屋、テスの育ての親)

Seong-Yeon Kang/カン・ソンヨン (カン・ミナ - 刑事、テジンの恋人)

Seong-kun Mun/ムン・ソングン (ク・ヤウォン - やくざのボス、表向きはサムギョン物産の社長)

Gi-yeong Lee/イ・ギヨン (ナム・ダルグ - テジンの同僚刑事)

Man-seok Oh/オ・マンソク (狙撃屋)

キム・ジュンベ (キム・ジンマン)

イ・スチョル (アコーディオン弾き - ク・ヤンウォンの父)

見た時期:2007年12月

冬のファンタ参加作品

★ 監督のイメージ

普通監督を知るとそれまで以上に映画に興味が出たり、好きになったりするのですが、チョイ監督はちょっと例外的でした。偶然ビデオを見たのですが、何だか大阪の中学か高校の先生みたいなイメージで、映画監督という感じではありませんでした。なぜ大阪のとか先生とかいう言葉が浮かんで来たかもよく分かりませんし、私は特に大阪の先生を知っているわけでもないので妙です。自分が知らない者に似ていると言っているわけです。

イメージがずれてしまったのは芸術家とか創造の世界で生きているようなタイプの人ではなく、やたら実際的な感じがするためです。映画監督というのは1人でたくさんの事を同時に考え決定しなければ行けない職業ですから、実際的であるに越したことはありません。ですからイメージとずれたと言うのなら、私の方が芸術方面に重きを置き過ぎているのでしょう。

今まで直接会って口を利いたことのある監督に比べ(例えばイスラエルのダヤン監督、ドリフトを作った頃の香港映画のツイ・ハーク監督、メキシコのデル・トロ監督、ドイツのブック監督などはそれぞれ違うタイプですが、映画監督だと言われるとわりと素直に納得します)、ビデオに出て来るチョイ監督は教育者みたいなイメージで、相手にするのは大学生や大人ではなく、未成年者みたいな感じがするのです。ちょっとガミガミ言われそう。映画の性質上北野武のようななタイプを想像していたので意外でした。

ちょっと前聞くも涙の、妹を失うハンニバル・レクターの悲劇をお話ししませんでしたが、も上手く作れば人の涙を誘う悲しい兄弟の物語になり得ました。上手く作れば人の涙を誘う悲しい悲しい薄幸の双子の兄弟の話です。

★ 韓国の息切れ

これまでファンタに参加した韓国作品には歯切れのいいアクションや、アメリカに出しても行けそうな脚本のスリラーなどがあり、私の評価は上々でした。それがどうも雲がかかりそうな気配です。しかしどんな国でも同じテンションを5年以上キープするのは難しいでしょう。あのスペインも一時期おもしろいスリラーを次々持ち込んで来ていましたが、ついに息切れ。最近はとんと名前を聞きません。北欧も最近ちょっと勢いが削げたようです。

などという画数の多い漢字が、ドイツでは Soo などという単純な文字に化けています。日本ではスと読みます。戦後は寿と書く人の方が多いでしょう。同じ文字を使っても日本、中国、韓国で僅かに違う読み方をするので、言葉を勉強する人に取ってはドイツ語のように全く違う言語をゼロから勉強するよりはるかに難しいです。冬のファンタには双子の話が複数出たのですが、もその1つ。主人公が双子だったというところから話が始まります。

★ 子供の頃の出来事

小学生の頃貧しく、事情があって別れ別れになってしまった一卵性双生児テスとテジン。テジンは警察官になっており、テスは闇の世界の片付け人になっていました。話は闇のテスの側から語られます。

貧しさからかっぱらいをやったら相手がやくざで、麻薬がその場にばら撒かれてしまい、犯人にあたる少年がやくざに見つかり仕置きを受けるという間の悪い出来事が起きます。双子がまだ小学生ぐらいの頃です。ところがその時やくざにつかまった少年はかっぱらいをやらなかったテジンの方。それっきり生き別れになった兄弟はそれぞれ相手を懐かしく思っていました。

★ 大人になって対照的な職業につく双子はよくある

仕置きの時に顔に大きな傷をつけられてしまったテジンはどういう経緯か刑事になっており、やくざの世界に潜入していました。かっぱらいをやったテスはその後闇の世界で師匠 に拾われ、闇の世界の揉め事の片付け人に成長していました。彼を引き取り息子のように面倒を見たソンインから仕事が依頼されます。その男が客と取引をし、実働人がどういう男なのかは闇の世界にも知られていません。ただ、壽という名前で呼ばれていて凄いやり手だという評判だけは立っていました。

★ 再会で再び悲劇が始まる

長い間探し続けた兄弟を先に見つけたのはテスの方。携帯で連絡を取り合い、ようやく再会がかなったその日目の前でテジンは射殺されてしまいます。

テジンの死体を家に持ち帰り氷で持たせられるだけ持たし、わずかな時間兄弟と過ごしたテスは泣く泣く死体を土に埋めます。その場にあった身分証明書などでテジンの住んでいたアパートを見つけ出掛けて行きます。生前どういう生活をしていたのかなどに考えをめぐらせながらアパートを探ると、警察の制服が出て来ます。

顔に同じような傷をつけ、制服を着て出勤してみます。違和感を覚えるのは初めて出勤したテスだけではなく、同僚も。特に中の2人が強い疑いを抱きます。1人は恋人カン・ミナ 刑事。恋人ですから妙に思うのは当然。あれこれありますが、結局テスが偽恋人だというのはばれます。事情の説明をした後、彼女はテスを助けようと思います。テジンを殺った奴を探し出して復讐というテスと恋人を殺った奴を探し出して復讐というミナの利害は一致します。

★ テジンは何をやっていたのか

なぜテジンがやられてしまったのかから考えなくてはなりません。彼はやくざの世界に潜入しており、ある人物の近くに出入りしていました。その目的は凄腕と言われる謎の人物壽を捕まえることでした。

私は映画に双子が出て来るとすぐ懐疑的になってしまうのですが、も話が上手過ぎます。アメリカには確かに双子で子供の時に引き離されて、正反対の職業についたという例もたくさんあります。しかし何もかもを図式的にしてしまうのはちょっとねえ。

テスの方はやくざの世界に最初からいたわけですが、彼の顔を知っているのは師匠1人。テジン刑事がやられたのは誰かが双子を取り違えたからなのでしょうか、潜入がばれてやくざにやられたのでしょうか。テスにもはっきり分からないまま暫くすると相手の方が尻尾を出し始めます。ターゲットをしとめたはずなのに、死なずに何食わぬ顔をして出勤している刑事がいるからです。ということは狙われたのはテスではなくテジンだったようです。

所々に話の展開で飛躍があり、それが字幕のせいなのか、脚本が荒かったのか分かりませんでした。テジンがどういう経緯で刑事になっているのかはさっぱり分かりませんでした。テスと同じく貧しかったはずです。学校すら満足に行けなかったのではと思いました。再会の日に狙われたのがテスだったのかテジンだったのかもその場でははっきりしませんでした。何しろ一卵性の双生児で、2人とも暗殺を命令したボスと関わりがあります。関わりというより因縁と言った方がいいでしょうが。

最初対立していたテジンの恋人とテスですが、途中からは他を全部裏切っても復讐をするぞという点で意見が一致していて、刑事などという職業はきれいさっぱり忘れ、拳銃携帯が許されるのをいいことに、彼女はバンバン撃ちます。韓国もまがりなりにも法治国家。こんな事が許されるのは映画の世界だけでしょう。

過ぎたるは及ばざるが如しとは良く言ったもので、は《過ぎたる》でした。オールドボーイを見たドイツのファンタの観客はこの種のストーリーに厳しい評価で、後半の果し合いを見て「またか」でした。私の感想はただ一言《えぐい》。

テスたち2人対やくざの一家の戦いもやり過ぎの感がありますが、過去との絡みが不自然で、作られた話という感覚がつきまといます。やり過ぎの極みは、やくざのボスのためにいつもアコーディオンを弾いていた男がたけしそっくりで、ボスの父親だったという落ち。ストーリーの路線は全然違うのに Gonin のイメージがチラッと浮かびます。

しつこく因縁をつけまくって撮った作品ですが、最後に不自然、アホらしいという感想を観客が持ってしまうと作品は失敗ということになります。1度は皆驚きます。それがオールドボーイでした。しかし柳の下に2度、3度鰌はいません。

★ 誰のために作った作品か

ハン・ソッキュが活躍していた頃は切れのいい、ミステリー性も十分なスリラー、アクションがありました。南北問題もチラッと重ねていましたが、別にそういうテーマに持ち込まなくてもこのスタッフならいい作品を作っただろうと思わせる出来でした。SFアクションもそれなりの成功を収めていました。あの頃は作品に勢いがありました。ところが深い恨みを映画のテーマにすると韓国は急に《徹底的》という個性が出てしまい、その濃度が外国人にはちょっときつ過ぎるのです。日本人は比較的淡白な方なので合わないのは分かりますが、ドイツ人でも音を上げるとすると、かなり濃いと思います。何だか濃縮ジュースを薄めないまま飲んだ気分です。韓国映画はまずは韓国人のために作られるのですから、観客受けがいいのでしたらそれでいいのだと思います。私たちは海外に輸出された韓国の国産映画を見ているわけです。輸出を狙って作った話ではありません。

と言うわけで国内でそれなりの成功を収めた作品なら私は別に日本人やドイツ人の趣味に合わせろとは言いません。輸出バージョンはそれとは別な枠で作ればいいのです。全然作らなくてもいい。最近は韓国のスターもアジアの外国作品に出ていたりして、ちょっと大味の大作が作られたりもしています。もしかすると韓国は今どの方向に力を入れたらいいのか決められないのかも知れません。一時期あんなにおもしろいスリラーを連発したのですから、私はそちらを応援したいです。潜在能力はストーリー、脚本、監督、俳優ともに揃っていると思います。あの怪獣映画でもおもしろかったです。

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