映画のページ

その男、凶暴につき /
Violent Cop /
Polícia Violento /
Policía violento /
Warning, This Man Is Wild

北野武

1989 J 103 Min. 劇映画

出演者

ビートたけし (我妻諒介 - 暴力刑事)

川上麻衣子 (灯 - 我妻の妹)

芦川誠 (菊地 - 新人刑事)

岸部一徳 (仁藤 - 実業家)

佐野史郎 (吉成 - 署長)

遠藤憲一
(柄本 - 覚せい剤のディーラー)

白竜 (清弘 - ヒットマン)

寺島進 (織田 - 清弘の子分)

小沢一義 (植田 - 清弘の子分)

佐久間哲 (片平 - 清弘の子分)

平泉征 (岩城 - 刑事、我妻の友人)

音無美紀子 (岩城の妻)

見た時期:2009年2月

★ ビートたけしの話ではない

偶然監督することになった作品が1989年のその男、凶暴につきで、これがデビュー作品になってしまいました。あまり偶然が重なると、偶然だとは信じなくなってしまうものですが、北野氏の場合はどうだったんでしょう。クリント・イーストウッドも初期の頃予定されていた監督の代わりに急遽飛び込んでということがあったそうです。その後偉大な監督になりました。

本人の言によるとその男、凶暴につきの初期の頃の評判は良くなかったそうです。20年前となると、まだ暴力描写もそれほど過激でない作品が一般的。特に過激な作品は特定ジャンルのように思われていた時代から、徐々に一般的な犯罪物やアクション映画にも以前より過激なシーンが出始める過渡期。ドイツでもファンタのような催しに行けばバイオレンス映画が見られ、普通の映画館では穏やかな作品を上映するのが普通でした。

私が北野作品に触れるきっかけになったのは井上さん。北野がまだ一般的に監督として知られていない時にあの夏、いちばん静かな海。を見せてもらいました。作品ができたのは1991年で、あの頃私は時々日本に帰る機会があり、井上さんが作品を知っていて、見に行きました。その後北野作品は6本ほど見たと思います。

私の北野評価は自分の中で割れます。何かしらの才能は伺え、本人が色々な実験をやり、工夫をしていることは見て取れます。こういう形で作品を次々に発表でき、世の中でそれなりの評価をもらえている監督は少なく、貴重な存在です。ドイツでは黒澤、大島の次と見なされていて、作品の良し悪しでなく、北野だからということで最初からボーナス点がつきます。

私は映画は評論家のような評価をせず、観客的な視点のみ。《客観的》の書き間違いではありません。これまで書いて来た物は全部主観です。それがプロと違うところ。ですから私が好きになれなかっただけで、世間では評判がいい作品も多いです。逆もあり、痘痕も笑窪式に、何かが気に入って、他の人がけちょんけちょんにけなしているのに、私は好きだという主張もあります。

北野は「無理に客観的になればいい作品だろうけれど・・・」という迷いの出る作品が多いです。新たな実験をしたなとか、彼の感情がこもっているなと思える場面があったり、絵画的だったり、北野独特のカラーが出ていたりする点には目が行きます。「ああ、やっているな・・・」と気付くことはできます。

しかし観客としての私はザ・コアジャングル・ジョージを見てけらけら笑ったり、ラッキーナンバー 7 を見てすっかり騙されたり、サンシャイン 2057 の宇宙船に乗って宇宙の静けさを味わってみたりしたいのです。そういう中で北野の作品をどこに配置したらいいのかが分からず、どうも自分にはしっくり来ません。

ただ私は自分に合わない作品でも見る機会があるとできるだけ見る主義。これだけ見たからしっくり来ないということが分かったので、見ていなければそんな言葉を吐くこともできません。違和感を抱くのは北野に反対しているからではなく、批評家の過剰なのめり込みのためだと思います。

例えば画家がアトリエで何十枚、何百枚も絵を描き、実験を繰り返して行く事に私は反対しません。その画家は自分で絵の具や紙を買い、せっせと描いているのです。発表するかもしれず、しないかもしれず。受けるかもしれず、受けないかもしれず。私がその画家を知っていれば時たまアトリエに顔を出して絵を見るかも知れません。それほど好きでなくても、何百枚も描いたら1つぐらい気に入る物があるかも知れません。デジタル時代に入る前の写真家は3000枚ぐらい撮って1枚気に入ったのがあれば成功だと考えている人が多かったことを考えると、画家も同じでしょう。

映画人となると費用や人材が絡むので、画家や写真家のようにぽんぽん作品を作っては破り捨てというわけには行きません。しかし自分が稼いだお金で自分が費用を負担して自分がやりたい作品を作るのなら、原則は同じです。北野は日本の映画人の中で珍しくそういう作り方をしている人で、スポンサーやスタジオの意向を気にする必要があまり無い人。

★ 私小説っぽい映画人

そういう作り方が許されたらしい監督をもう1人知っています。ドン・コスカレリという監督で、長い間1つのテーマを押し通して来ています。出演者と一緒に年を取り、自作のみならず他の監督の作品でも一緒に仕事をすることがあります。武軍団に似てコスカレリ軍団があるようです。以前ファンタに Bubba Ho-tep という作品を持ち込んで来ており、最近 Bubba Nosferatu: Curse of the She-Vampires を作るぞと宣言しているのでシリーズにするつもりなのでしょう。以前は少年から大人になるというテーマを扱っていましたが、Bubba Ho-tep では老人パワーを強調しています。

コスカレリはあまり資金の心配の要らない人だったらしく、小規模な作品なら自分で何とか資金を集められたようです。ファンタズム・ファンのグループがあって長く付き合っているようです。その人たちにはメッセージが届きます。彼の強みはストーリー・テラー性で、以前ファンタに来た時も映写機が故障して上映が出来なくなったら舞台でドンドン映画の話をしてくれ、退屈しませんでした。

北野の場合はストリーではなく、描写に強みがあるのだと思います。凄みを利かせる部分と、子供のような内面を見せる部分を適度な間隔で出し、その落差に観客がドキッとするという手法。色彩、風景にも気を配り、本人が好きらしい海岸のシーンもよく使われます。北野ファンには毎回出るシーンがうれしいはず。それはボールドウィンやバニスターの顔を見て我が家に帰ったような気持ちになるのと同じです。

★ ついに見たぞ

とまあそんな前提で見たのがその男、凶暴につき。随分前からこの作品の事は知っていたのですが、うちにテレビが無いため(ビデオも使えない)見ることが出来ず、あれほど北野ファンの多いベルリンでなぜかその男、凶暴につきは上映されず、なかなか見る機会がありませんでした。ようやく念願かなって見ることができ、びっくり。

★ ばれちゃった金太郎飴

その男、凶暴につきは脚本が先にあり、書いたのは野沢尚。深作欣二が監督と決まっていました。ごたごたがあって深作が降り、北野が急遽代わり。生まれて初めて作ったのにいきなり完成品です。ジャンルをよく理解していると言う点では満点をつけます。「ハードボイルドなのだからここまでやるぞ」と張り切った感じがします。北野が「お茶の間向きでない、ハードボイルドを見に来る人はここまで見たいんだ」と心得ているような印象を受けました。

私に知ることができないのは、野沢の脚本をどの程度北野が書き直しているか、あるいは書き加えているか。もう出来上がっていた脚本を北野がその通り撮影したのか、あるいは北野がエピソードを加えているのか。

他の監督と全く違うキャリアの北野がいきなり監督に就任してしまったので、その男、凶暴につきのスタッフからはバカにされ、初仕事は大変だったと本人が語っていました。そんな中で自分を通さなければならず、普通のキャリアの監督ですとめげてしまったのではないかと思います。全く別の経験をしていたから全く別な形で我を通せたのでしょう。

野沢の脚本を貰った段階と出来上がった作品にどの程度の差があるのかは興味深々。

なぜかと言うと、その男、凶暴につきに北野要素が網羅されているからです。海岸が話題に入って来る、精神的に障害を持った女性が身近にいる、やくざや裏取引をする警察がからむ、北野ブルーと言われる色調が出る、ハードな部分の間にチラッと繊細な心情が混ざる等など。これはその後の北野スタイルではありませんか。

つまりはデビュー作でもう図柄が決まっていて、その後生まれた作品は金太郎飴。

★ 知らぬが仏かどうか

実は私は北野作品は事故がきっかけでできたのかと思っていました。どうやら違っているようです。その男、凶暴につきは事故の前に撮っています。と言うかソナチネまでは事故前です。事故後病院で目覚めた北野は最初事の重大さに気付いておらず、鏡を見て初めて悟ったと語っています。顔面の神経が切れてしまったらしく、麻痺が出ていますが、それに気付くより前、鏡に映る見知らぬ男の顔(滅茶苦茶腫れあがって自分だと気付くのに時間がかかったとか)に愕然としたそうです。

私はこれがきっかけで生きていることと死ぬことについて考え始めたのかと思っていましたが、どうやらその前から生と死については考えるところがあった様子。それを映画を作るという形でこなして行く気になっていたらしく、私はその姿勢には賛成。世の中がどんどん命を粗末にして行く中、「俺は違うよ」とのメッセージはちゃんと私にも届いています。

私と意見が合わないのはその表現方法。結局は普通の人の何百倍もシビアな人生経験をした人と、まあまあ人並みの生き方をしている人間の差でしょう。私にはついて行けないシビアさがあります。そういうシビアな面を知らずに生きて行ける私たちは幸せなのか、それともそこまで知らないと無防備なので私たちは大きなリスクを抱えているのか・・・。そんな事を考えさせてくれる人でもあります。

★ 適したタイトル

外国では《暴力警官》、《警告、その男はワイルドだ》のようなタイトルがついていることが多いです。日本語のタイトルのニュアンスが今一伝わりません。凶暴というのは乱暴者とは趣が違います。ワイルドでは良い場合を指すかも知れずぴんと来ません。誰が凶暴だと言っているのかも微妙なところ。最初はビートたけしを指しているのかと思っていましたが、後半になるにつれ、やくざのヒットマンを指しているのかも知れないなどと思い始めました。外国語のタイトルでは Cop をつけているところもあり、それですと白竜を指していません。日本語では曖昧さを残せ、得をするタイトルだと思います。

★ 素敵な音楽

特に説明する必要はないでしょう。画面に良くあった選曲がなされています。

★ ストーリー

冒頭に主人公我妻刑事の性格を説明するために、本題と関係の無いエピソードがあります。浮浪者に理屈の通らない狼藉を働いた若者を追い、自宅に乗り込み脅かし、自首のきっかけを作ります。法律は無視。乱暴極まりない、「そういうタイプの男が主人公なんだよ」と宣言して本題に入ります。

本題事件の発端は麻薬取引をするやくざの死体。売る方も買う方も違法ですが、我妻はそれなりに事件に身を入れ捜査にかかります。本庁と所轄の手柄争いの様子もちらり。新人はまだ仕事に慣れておらずタイミングが悪かったり、怯えたり、法律をきっちり守って犯人を取り逃がしたり。我妻には仕事経験があり、署内ではやり過ぎで鼻つまみ状態という様子も紹介されます。

とまあ彼の性格、署内での位置を紹介しておいて事件は先に進みます。我妻なりの善悪の感覚に基づき調査を進めて行き、出て来たのが実業家と自分の友人の課長。汚職の匂いがします。課長にはそれなりの理由があってのことですが、麻薬密売に関わっています。しかし足がつくことを恐れたやくざに消されてしまいます。

その先をたどって行くとビートたけしと同じぐらい怖い俳優岸部一徳。彼もたけしと同じく本業は俳優ではありませんでした。しかし2人とも俳優としてかなり才能があります。そして我妻が正面から対決することになるのが岸部氏の部下のヒットマンを演じる白竜。彼もまた本職はミュージシャン。なかなかの存在感で役を演じています。

ヒットマンと暴力刑事の対決は両方とも負け。2人が死に、当時の関係者のほとんどが死んだ後は、ナンバー2や部下が跡を継ぎビジネス・アズ・ユージュアル。虚しいですねえ。この虚しさが出ていれば成功。

★ この作品だけの評価は高め

監督の名前を知らずに見ても、ビートたけしの顔は見えてしまうので、誰が影響を及ぼしているかは分かってしまいます。そこを無理して無視して考えてみても、ギャング映画、フィルム・ノワール、刑事物、犯罪映画などのジャンルでは上の方のランクに入れようと思っています。ただ何かもう1つ頭に残るものが無く、そのため何かの引き合いに出す時にすぐ浮かぶタイトルではありません。北野という名前が邪魔になったのか、作品にもう1つ何かが欠けているのか、理由がまだはっきりしません。

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