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ウェイク・ウッド 蘇りの森 /
Wake Wood

David Keating

2011 Irland/UK 90 Min. 劇映画

出演者

Eva Birthistle
(Louise - 薬剤師)

Aidan Gillen
(Patrick - 獣医)

Ella Connolly
(Alice - ルイーズとパトリックの娘)

Amelia Crowley
(Mary Brogan - 村人)

Brian Gleeson
(Martin O'Shea - 村人)

Dan Gordon
(Mick O'Shea - 村人)

Ruth McCabe
(Peggy O'Shea - 村人)

Timothy Spall
(Arthur - 村のまとめ役)

見た時期:2011年3月

2011年春のファンタ参加作品

実は今年のファンタは初日の朝まで、行くべきか迷っていました。諸般の事情を鑑みということだったのですが、ニュースを見る限り、状況が良い方向へ向かっているようだったので、行くことに決めました。何かあった時のためにラジオ持参でしたが、幸い開催中に状況が悪化することはありませんでした。また、その後も徐々に良い方向に向かっているような報道ばかりだったので、私も落ち着き始めています。

後記: ・・・と書いている間に、状況は本当はどんどん悪化していたそうです。何で早く言ってくれなかったのか・・・。

古代史まで含めても記録を更新するかと言うような大きな出来事だったので、ファンタ初日に至る1週間殆ど睡眠を取っておらず、上映中に眠るのではないかと覚悟を決めていました。意外なことに逆に目が冴えてしまい、両日とも1本ずつブラックアウト状態の作品がありましたが、他は全部普通に理解することができました。ブラックアウトを起こしたのがよりによってその日のハイライト的な作品だったのが残念ですが、しかしどの映画も絵空事、与太話だと改めて認識するような厳しい現実があったので、それに比べれば大した問題ではありません。

後記: ・・・と書いている間に早1ヶ月。状況は今も悪い方向に進んでいて、被災者には1000億も寄付が集まったのにまだ1銭も届いておらず、どこかにたまったまま。業を煮やした人の一部は、自分で都内で衣料品などを買い集め、知り合いのトラックを出して、支援の物資を現地まで運んだそうです。上は国の象徴でおられる方から、下は一般の国民まで、間は自衛隊、警察、消防、海保、地方の市長さん、町長さん、村長さんや市、町、村の職員、学校の校長さん、そして本人が被災したというボランティアに至るまで、できる限りの事をしているのに、上と中の間が飛んでいます。このページをアップするまでに上と中の間の方が考え直して行動してくれるといいと、先日偉い方が立場もわきまえず、わざわざ記者会見をしていました。普段なら、こういう立場の人は中立を保ち、あまりはっきりした事は言わないのが正解と思うところですが、今回ばかりは見ていられずに口を出したとのことです。何となくその人の気持ち分かるような気がします。

・・・という SF 映画をはるかに越える危険な状態の中、春のファンタ初日の1本目です。

★ あらすじ

若夫婦と一人娘の3人が、田舎に住んでいます。(減らず口: 解説によるとアイルランドの田舎なのだそうですが、アクセントはかなり標準語的でした。)農業が主の小さな村で、住民は何世代もこの地に住んでいる人たち。それに比べれば若い夫婦は新参者。しかし夫は獣医、妻は薬剤師なので、農業の村に取ってはとても助かる人材。村八分に遭っている様子も無く、皆地味に暮らしています。

余談: 全くの都会っ子がこの作品を見ると、時々納屋などで気味悪いシーンがありますが、田舎の生活を知っていると、全然普通。1度大きな牛が出て来て人が死んでしまうシーンがあり、その人が死んでしまうという点でホラー的な雰囲気を出していますが、前後のシーンはいかにも田舎の日常生活という感じです。こういう風景は田舎に暫くいて、しかも牛を育てている農家を訪ねたりしないと分からないので、都会の人には普段の生活と違い、映画全体に恐さのエッセンスを加えるかも知れません。ちょっと前に日本で口蹄疫が大エスカレートして、テレビ・カメラが農場に入りましたが、それを見て、日本の牛農家も北ドイツの牛農家と似ているところがあると分かりました。この作品のアイルランドは牛の色と種類がちょっと違います。ところで牛も長い間育て、可愛がってしまうと、屠殺するのも辛いだろうなと思います。

話を戻して、ある日、9歳の一人娘アリスが凶暴な犬が入っている檻を開けてしまい、かみ殺されてしまいます。言わば自分で招いた災厄ですが、2人目の子供を作ることができなくなっていた妻ルイーズとその夫パトリックの嘆きは大きいです。2人は男女別々の嘆き方ではありますが、イン・ザ・ベッドルームの2人ほどの亀裂は起こさず、相手の嘆きも理解しています。

ある時車が故障して近所の家に助けを求めに行った時、その家には電気がついているのに、誰も出て来ないということがありました。2人のうち、ルイーズが裏庭の方に回って見ると、そこに村人のかなりの人数が集まっていて、何やらウィッカーマンの儀式のような事をしています。それをしかと見たのはルイーズだけ。後から来たパトリックはちょっと怯えているルイーズを見ただけ。

別なある時にはルイーズが働いている薬局に妙な親子連れのような女性2人が訪ねて来ます。実は親子ではなくどうもおばと姪のようですが、素振りがちょっと変。

娘が生きていた時は3人なりに張りのある生活だったのが、娘を失って絶望感の漂う、鬱っぽい日々。そんなある時、2人に妙な提案をする人が現われます。娘が死んだのが1ヶ月以内だったら、3日間だけという条件で生き返らせることができると言うのです。話を持ち込んだのは村の長老的な役割を果たしているおじさん。突然子供を失ったショックも、改めて3日もらえれば癒されるだろう、改めて別れを告げればいい、と至極尤もな提案です。

荒唐無稽な話と笑い飛ばすパトリック、しかし「君の細君には話が分かっているよ」と言う長老。ルイーズがウィッカーマン儀式を見た時、長老もその場にいたのです。ははあ、あれは誰かを生き返らせていたのかと内心納得するルイーズ。結局夫婦の間で話がつき、まさかと思いながらトライして見ることに決まりました。

いくつかの規則があって、1つは期限。実は2人はちょっとだけいんちきをして1ヶ月以内という話を誤魔化します。もう1つは娘が生きていられる範囲が村の境界線までと限られていること。元気な娘を連れて村の外に出ることはできません。そして最後はたくさん質問があり、それ全部に正直に答えること。

交渉が成立し儀式に入る直前、年配のおばさんが「この話、胡散臭いから止めよう」と長老に提案します。女の勘で夫妻が期限を誤魔化していることを感じていたのか、アリスに問題があることを察していたのか・・・は分かりません。

ま、小さい行き違いはあったものの儀式は終わり、娘が元気な姿で戻って来ます。娘の帰還を楽しみにしていた夫婦はアリスを家に連れ帰り、以前の普通の日と同じ時を過ごします。ところが映画を見ている観客にはアリスがだんだんオーメンのダミアンかエスターのエスターに似て来るのが分かります。アリスは3日経てばまた死の世界に戻らなければならないことが分かっていて、それを避けたがっている様子。

アリスを戻したくないのは両親も同じ。しかしアリスが色々予想外の行動に出るので、徐々に問題が分かって来た夫婦は必死でアリスを死の世界に戻そうとします。最後は3つの規則を思い出した夫人の機転でアリスは気を失います。その間に再生をした家の裏庭に戻り、儀式をしながらアリスを元に戻そうとします。しかし転んでもただでは起きないアリス。何とルイーズを道連れに黄泉の国へ旅立ってしまいます。

1人この世に残されたパトリック。

ここで話が終わるかと思ったら、ここからもう一捻り。娘が戻って来たのなら、妻も戻って来るだろうというので、今度はパトリックの希望でウィッカーマン儀式。首尾良く彼女が戻って来ます。ここでさらにもう一捻り。

★ ちょっと捻ったつもりなのか

村の境界線がショーダウンで重要な意味を持つのですが、その場所に電力発電の風車が立っています。アリスをおびき寄せる母親がその風車の前に立ち、アリスを引き寄せます。するとアリスが気を失います。というのはアリスの立っていた場所は村の敷地内、母親が立っていた風車の前はほんの僅か敷地を出ています。つまり敷地内、風車の無い所にいれば、アリスは古い農家ばかりの地域で安泰、風車の所まで出てしまうと、村の魔法の限界の外に出てしまいます。

電力を集めるための風車は欧州ではちょっとタブー問題。クリーンな発電だろうということで大々的に拡がったのですが、意外と集まる電力は少なく、採算は度外視してクリーンという面を強調して拡がった感があります。発表されている数値では採算と需要に対する供給は十分カバーされているらしいのですが、なぜか近隣の国から原発で作った電気を買う国があり、また、ロシアから西側の欧州がガスを買っていることも知られています。どうやら思想的な電気と経済的な電気にはいくらか差がある様子。本当に採算が合っている のかという疑問に加えて、インフラシャルと呼ばれる耳に聞こえない低い周波数の音波が出るため、人によっては反応するという健康問題があります。

この作品には特に電力風車が出て来る必然性が無いのになぜか出て来ます。監督か脚本家がここでチラッと揶揄したかったのかという気がしないでもありません。日本にこの風車が向いているかはちょっと考えもの。私はこれぞ絶対という方法が見つかるまでは各種の方法を併用という考え方で、1つが今回のようにブレークダウンしてしまった時に、他である程度補えるようにしておくのがいいと思います。もし今回のように1つの種類でリスクがはっきり見えたら、取り敢えずは徹底的にメンテや修理、改善をして、パーセンテージのバランスではリスクの大きい物を減らして行くのがいいと思います。日本は火力だと言うと、水力を放り出してバーっと皆火力になってしまい、原子炉だと言うとまたバーっとそちらに行ってしまう傾向があります。小型風車なら日本でも合うかも知れないとは思います。台風や落雷で壊れた時の交換、修理費が少なくて済むだろうし、景観もあまり損なわれません。日本は確かに風の多い国ですが、毎年台風という形で強風が来るので、風車発電が理想的な方法かと言うと、ちょっと疑問。

ドイツは今度の選挙で保守派の拠点が崩れしまい、国全体が反原発の方向に動き出しています。日本の事故の直後なので、反原発派が勢いづくのは政局としては良く分かりますが、ドイツには駄目と思い込むと後先を考えずに廃止してしまう傾向があり、廃止後長い間そのための弊害を受け入れざるを得なくなることがあります。何かを廃止という時、廃止の理由にはよく納得が行くのですが、その先代わりになるものを考えずに止めてしまいます。なのでその後何十年も混乱した状態が続いたりします。二酸化炭素を減らす運動にもドイツは熱心で、そうなると原発と火力発電がドイツから消えます。残るのは水力、風力、ソーラー・パネルですが、これだけですとコストがかなり高くつきます。電力が上がると、生産、普通の生活全てのコストが高くなるのですが、国民にそれを受け入れる準備ができているのかがこれからの問題。欧州の多くの国で同じ話が起きそうです。

日本人はこういう点、国民が納得すればきちんとやるので、これから少し多面的にエネルギー源の研究をし、今回の事件を教訓として1つにダーっと偏らないようにする道はむしろ日本の方に開けているのではと思います。

★ ドキドキ、ハラハラの映画ではないが

意図して地味な作りにしてあるので、大活劇とはなりません。物凄く衝撃的な真実と言うわけでもなく、大きな謎もありません。しかしこのジャンルとしては押さえの効いた匙加減のいい作品です。

表立って大々的に語られませんが、薬剤師と獣医という農業の村に取っては必要な2人をどうしても村にとどめておきたい村人側の立場、医学的な理由で子供が2度と作れなくなった女性の悲しみにもちょっと触れていて、ホラー映画に現実の味もつけています。

ちょっと説明不足だったのは謎のおばと姪の果たす役割。

ハマー映画と言うとホラーで、現実味を欠いたお遊び映画、ちょっと安っぽいというイメージを持っていましたが、久しぶりのハマー映画は自然な方針。現実の中にちょっとオカルトを混ぜた作風で、オカルトを除いてしまうと、本当に村の生活はこんな物だろうと思わせる描き方です。

欠けていたのはクリストファー・リー(貴族の出身、語学の天才、ピーター・カッシングの友人)、ボリス・カーロフ(スラブ系の人ではなく、英国人)、ビンセント・プライス(アメリカ人、マイケル・ジャクソンのスリラーのビデオ制作に参加、趣味の広い人)、ピーター・カッシング(人格者、愛妻家、紳士、クリストファー・リーの長年の友人)といった看板スター。一応目立つのはティモシー・スパル。善い人なのか悪い人なのか分からないところが良かったです。

★ 比べる時はウィッカーマン

この作品を見てウィッカーマンを思い浮かべたのは私だけではなく、他にもたくさんいます。似ている面があることは前提としての話ですが、私には Wake Wood の方が感じが良かったです。へんてこりんな思想を前面に出さず、夫婦の事情、村の事情などをやんわりと出す、劇的なシーンは作らない、主人公の非現実的な無謀行為が無いなど、オカルトだと言うことを別にすれば、何となく納得しそうなストーリーになっているところに好感が持てます。

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