音楽のページ

ファンクなど

2011年9月

行けたら聞きに行くと書きましたが、行ってきました。

なぜか私には不思議な運があって、音楽家でも小説家でも一部の映画関係者でもこちらが特に会いに行こうと思っていない時に、なぜか先方の方が話し掛けて来たり、座ってふと見たら隣にいたりするのですが、今回3バンドのうち2バンドでそういうことが起きました。親しげな人たちで色々話ができたので、それも加えながらお話します。

★ 普通の通りで行われるお祭り

ベルリンには春祭り、秋祭りがあって、どの区でもメイン・ストリートに当たる通りを封鎖し、そこに遊園地のような乗り物を持ち込んだり、舞台を作ってコンサートをやったりします。そういう路上コンサートは無料で、プログラムが事前に発表され、ライブのチェックをしている時に出くわす時があります。その1つがうちからさほど遠くない所で開催されるというので、見に行きました。

かつては1曲だけ世界ヒットしたレインボウズが出演したこともある所で、規模、質はともかくプロが来るようです。壁が開く前はそういう所の出演者はいかにも夢破れ、落ちぶれた場末のバンドという感じだったのですが、壁が開いた後は東ドイツから大勢のこんな所に出すにはもったいないような元官製バンドが出演するようになり、質が驚くほど上がりました。

その後暫くあまり身を入れて聞いていなかったのですが、ライブを毎月チェックしているうちに変化が見られました。時が経ち、西、東と区別する時代は去りました。そして通りで開かれるコンサートの中で毎年固定したプログラムが見られるようになり、もっと良く見ていると、そういう場所が新人バンドの登竜門になっているのかと思える時もあります。この点はどこにも確認しておらず、私見です。しかし今回見た3つのバンドのうち2つは非常に若い人たちで、雰囲気からすると西の人のようですが、登竜門組かという感じがしました。落ちぶれバンドはほぼ絶滅し、この場所は売れないけれど腕の確かなベテランバンドか、若手に出演の機会を与える場に変身したような感じがしました。

変化の中で特に目立つのはアルコールの香りがしないこと。以前は飲んだくれバンド的な傾向があったのですが、壁が開いた後たまたま見たバンドはアルコールやドラッグ漬けの雰囲気ではなく、職人的に仕事をこなすベテランか、飲むとすれば水だけという感じの健康バンド。観客の殆どがビールを飲んで見る中、バンドがお酒に縁の無いイメージを振りまいています。

★ Dancible Decibles

編成: ドラム、ベース、ギター + ボーカルの3人組。

☆ 人手不足ではないか

お金の都合でしょうか、最近はバンドのメンバーを最低限に切り詰める傾向があります。このバンドも60年代、70年代なら最低でも4人だったと思います。

ファンクとロックという触れ込みだったので見に行ったのですが、殆どロック・バンドと言える感じです。ファンク・バンドを3人でやるのはいくらなんでも無理。ロックでも本当は安定を欠きますが、ポリスなどがどうにかやって見せたので、3人組でロックはぎりぎりやれると言いましょうか。私にはそれも余裕を欠くと思えます。

この人たちは3人組なのでやはりファンクの曲は無いに等しく、どれもアップ・テンポのロックに聞こえました。ブルースは最後の1曲のみ。

後で話を聞いたら時にはキーボードも参加して4人の時もあるそうです。「3人でファンクやロックは大変ではないか」と言ったら、「まあ、何とかなる、有名な3人組のバンドもある」とのことでした。このバンドは少なくともプレーバックなどは使っておらず、その場で持っている楽器と声のみで勝負しています。

☆ 見目麗しい人魚のような乙女

リード・ボーカルの女性はまだ20歳台の前半という感じで、非常に健康的な出で立ち。後で本人に聞いたら23歳とか。観客の中に知り合いか親戚が数人いて、おじいさん、おばあさん、おじさんなどが見に来ている感じでした。もしこの人たちが身内だとするとかなり健康的な家族です。

腰に至る長い髪で、そのまま海に入れば人魚姫を演じることができそうな感じの人です。体は丈夫そうなので何千マイル泳いでも大丈夫そう。それでいて比較的ほっそりした感じです。髪はドイツ人には珍しく特に染めていない様子。人魚姫の方が合いそうですが、ラプンツェルも演じられそう。

しかしメルヘンのプリンセスと言うにはあまりにも元気溌剌なので、音に陰を出すなどというのは無理。非常に健康的なサウンドのステージでした。ドラムとベースは男性で、3人とも非常に普通な感じ。所謂芸能界的なタッチはありません。喧嘩をしているようでもなければ張り合っているようでもなく、たたき出すサウンドも健康そのもの。ギターの彼女はピックを使っていますが、ベーシストは素手。彼も彼女に合わせて非常に乾いた音を出します。

後で聞いたのですが、彼女とベースの人が組んで2年。彼女はギターを始めて7年。5歳の頃からピアノもやっていたそうです。

一応 CD も作っていてプロ活動をしているようですが、時たま見られるようなすさんだバンドではなく、元気はつらつ健康バンド。いい意味でセミプロです。なので選曲をもう少し考えた方が良かったと思います。もっと《楽しいロックンロール》に絞ってはどうかと思います。後で入った情報によるとライブハウスの出演歴は結構あります。活動拠点はベルリン。

注目が集まるべき健康美人、ギターの腕は特に上手いということはありませんが、どこかのバンドの男性と同じレベル。これまでにドイツで見た女性バンドは体力不足、音楽の才能不足で、重いギターに振り回される印象を与える人が多いのですが、彼女はがっしりとした体でギターの重さに振り回されること無く、演奏する曲は一応ちゃんとこなし、演奏の時にネックを見たりもせず、ギターに弾かれるのではなく、ギターを弾いています。恐らくはフェンダーだと思いますが、ドライなサウンドをピックを使ってたたき出します。

声を聞いているとコールド・ブラッドのリディア・ペンス風なのですが、明るい家庭に育ったのか、健康過ぎて、ブルースやバラードには向きません。コールド・ブラッドは知っていると言っていました。長期的にはペンスの方向に行くと成功するかも知れませんが、人生の苦労が無いとそこまで行かないかも知れません。だからと言って、こんな幸せそうな女の子を不幸に陥れるのはかわいそう。歌のためにわざわざ災いに飛び込んで行く必要はありません。楽しい人生を謳歌して、明るい曲を作って下さい。

恐らくはまだプロとしてのキャリアは短いのでしょうが、体力、容姿、声などを鑑みるに将来も音楽でやって行けるとは思います。現在の難点は個性が無いため覚えてもらえないこと。ドイツ語で話していましたが、曲は殆ど英語。フランス語で歌った曲が1つありました。イタリア語も多少分かるようで、欧州では外国にも出るのかも知れません。

ドイツでは未曾有の成功を収めたサラ・コナーに比べこの女性の方が歌い方は開放的です。彼女なりにきっちり練習はしたでしょうが、ステージのこちら側に《隅々までシナリオ通りにやっているだけ》という印象は伝わりません。打ち合わせから1ミリもはみ出ないのでしたら、わざわざライブを聞きに行く必要はありません。その点この女性はまだ檻に入っていません。

ギターのソロ部分はまだちょっと弱いです。リズム感はまあまあ。ファンクで行くならもう少し鋭くしたら受けるかも知れません。現在は健康的な雰囲気で持ちますが、中長期的には人に覚えてもらえるようなサウンドを作り出さないと行けないかも。

音に関する感想はまだ彼女たちと知り合う前のものです。このバンドが終わり1時間強間があり、次のバンドを見ようと戻って来たら、座った場所に男性のメンバーがいて、横に彼女が立っていました。最初はバンドの正式名を聞きたくて話したのですが、その後話が発展して行きました。なので彼女の年齢や音楽歴をちょっと聞くことができたわけです。

★ 次のバンドは入れ替わった - Funky Moabit and friends → Session Fries

ファンク枠で Funky Moabit and friends が来ることになっていたのですが、そういう名前のバンドは来ず、Session Fries が出演しました。司会者が何かもぞもぞ言っていたので、何かしらの変更があるのか、あるいは Funky Moabit and friends は催しのタイトルなのかと思っていましたが、取り敢えず聞き始めました。

☆ 大いなる誤解

最初は前のバンドのメンバーと一緒に座っていたのですが、その人たちが去って暫くして横に座った見知らぬ美人が話し掛けて来ます。「知ってるかい、このバンド、Session Fries と言うんだ」とややアクセントのある話し方で言います。こちらはバンドの様子を見たり、サウンドに集中したかったので内心「君、いくら絶世の美女でも、邪魔しないでくれ」と思いましたが、あまりの美しさに見とれて、ついきつい言葉は忘れてしまいました。するとその後も何だかんだと話し掛けて来ます。変だなと思って片方の耳で聞いていると、「私はこのグループの友達だ」とのたまうではありませんか。

グループの正確な名前は知っておいた方がいいだろうと思ったので、ペンを渡して書いてもらいました。確かに当初聞いていた名前と全然違う。このバンドもファンクと言うよりウェザーリポートやチック・コリア系のジャズ・ロックの方向に行き始めたので、「何じゃ、わざわざファンクを聞きに来たのに」と内心むっとしようか、それもとジャズ・ロックの分野なら一応行けそうだと思い直そうか迷っていたところ。

この絶世の美女は私の関心をそらすまいと必死。ジャーナリストと勘違いされては行けないと思い、根掘り葉掘り聞かれた時、私は全く雑誌や何かの会社に関係ない、自分のために来ているだけだと明言。話の成り行きから何度かこの点をはっきりさせなければなりませんでした。恐らくは友達のプロモーションに寄与できると思ったのでしょう。友達が有名になるために力を尽くそうという気持ちには感心。当然私がジャーナリストか何かであれば手を貸すこともできたのかもしれませんが、私は全くの素人。それは最初から言わなければフェアではないと思ったので当初から言いましたが、彼女はなかなか納得しない・・・。

☆ バンドの方は・・・

どう見てもジャズ・ロックの方向に行ってしまうので、ファンク・バンドとは呼べません。前提になる枠を変更すれば、それなりに聞けます。

編成: ドラム、ベース(5弦)、ギター + ボーカル、キーボードの4人組。1曲だけテノール・サクソフォンが加わりました。

どうやら中心は3人のようですが、そこから外れているキーボードがやたら上手いです。ヘンリー王子とオリバー・カーンを足して2で割り、髪の色は王子と同じにしたような、少年としか見えないような男の子がプロとして通用する非常に達者な演奏ぶりなのでぶっ飛んでしまいました。暫く私の目は釘付け。手はピアニストとしては特に恵まれた感じではないのですが、次々とコードに合わせて頭から音がほとばしり出るようです。手はただただ頭から来る指令に従って動いているようでした。

ベースもバンドによく合っていて、背骨としてよく機能していました。ただソロのパートでアドリブがあまり上手ではありません。このバンドの弱みはギタリスト兼ボーカル。隣に座った絶世の美女が友達だと言ったのはこの人のことで、2、3度「彼はどうだ」という含みを持たせて感想を聞かれました。私は彼女のみならず、こういう話はすぐ本人に伝わるので、バンドを失望させては行けないと思い、発言を控えていました。と言うか、キーボードが並外れて上手いので、彼もややその波を被って不利とも言えます。しかし皆このお祭りに参加するレベルには達しています。

彼のこのバンドでの役割は別な所にありました。人柄。温和そうで陽気な人柄。このバンドもプロと言うより、セミプロ。お金は一応取るのかも知れませんが。人間的な繋がりが健康な感じで、曲の合間、その後近くで話したりして見ると、バンド内の醜い葛藤が無さそうでした。

私は人間関係の上手く行くバンドの方が、腕だけは超一流でいがみ合うバンドより好きです。1人、2人腕が多少怪しくても、皆が楽しそうに音楽をやっている雰囲気が観客に伝わる方がライブでは重要。個々のメンバーの才能が花開く時期は大抵ずれます。特に若いバンドの場合、経験を積んで行くうちに伸びる過渡期。ある日一日聴いただけで判断はつきません。

☆ 美女のもたらした情報

メンバーのうち2人は兄弟。確かに体型は違いますが、顔には似た所があります。彼女とこの兄弟は大学の友達。揃って薬学を勉強しているそうです。彼女はメキシコ人で、生まれる前から親が知り合いになったため、生まれたとたんにもう友達だったそうです。話の様子だと、バンドのメンバーと恋人ではなく、幼馴染風でした。

私は数千本の世界中の映画を見ましたが、こんな美人には映画ではお目にかかったことがありません。インドの一般人では見たことがあります。ハリウッドと言えどもこんな美人を発掘したことはないでしょう。年齢が来ると崩れる美しさもありますが、彼女はあのまま行くと思います。

ちなみにその前のバンドのボーカルの女性もかなりの美人です。2人とも化粧は殆どしておらず、整形もしていない様子。かつてトルコ人でも物凄い美人を知っていたのですが、ドイツに住めば住むほど、美人はスクリーンではなく町を歩いていると見つかる、しかも本人はそのことに気づいていないと思います。しかしあれほどの数映画を見た私が言うのですから、この点は正確です。しかも私がこれまで知り合った美人はみな性格が明るく、感じのいい人ばかり。

ちなみに男性の方は私の発言は世界に通用しないかも知れません(笑)。私なりの美学があり、私の絶世の美男世界一に選ばれたのはロン・パールマン。

☆ 私が聞いた情報

天才キーボードは若干18歳。韓国人と思われるサクソフォニスとが使ったのはセルマーのテノール・サクソフォン。「高いんでしょう」と言うと「・・・(無言)」でにっこり。

☆ バンドから聞いた情報

今月末にジャンクション・バーに出演するそうです。その日の店のスケジュールには載っていませんが、その日は空いていました。もしかして誰かの代わりに飛び込むのかも知れません。ジャンクション・バーと言えばライブでは目の離せない店。あちらこちらに出演しているようです。

☆ バンドの将来

このバンドもセミプロと言う理由はやはり人に覚えてもらえる何かがまだできていない点です。ウェザーリポートなどと勝負して、技術的にはやって行けると思います。あのキーボードがバンドに留まればかなりの武器になります。残りのメンバーもお互いをよく理解しあっている感じなので、今後一緒に発展していけると思います。誰か技術的に弱い人がいても、長い目で見るとその人がブレークする番が回って来ることもあるので、ただ単に楽器が上手い、下手という理由だけで人を取り替えない方がいいでしょう。

☆ 演奏

3曲目にストーミー・マンデー風のブルースが出ました。なかなか上手かったです。他の曲は殆どジャズ風のロックで、アドリブのパートが長いです。なのでロックやポップスのファンには曲を覚えてもらえないでしょう。逆にジャズ系の曲の好きなファンがつくかも知れません。

6曲目はシンコペが重要な曲で、その部分はきっちり決まっていました。ところが他の部分で多少リズムにズレが生じます。なんでやねん。

★ 最後のダメ・バンド - Ruperts Kitchen Orchestra

オーケストラとはよく大口を叩いたもので、メンバーは4人。ま、それはベルリンの冗談として・・・。

編成: リード・ボーカル兼アルト・サックス、ドラム + バック・コーラス、ベース + バック・コーラス、ギター。ベースは女性です。

後で入った情報によると時たま2人目のギターなどゲストが入るそうです。多少異色なのは女性がバシストという点。しかし最近は全く珍しいというほどでもありません。彼女も割と美人で、安定した体系。楽器に振り回される感じはありません。バンドの腕は皆平均していて誰かが特に抜きん出ていることはありません。バランスはいいです。

☆ 誰が男で誰が女

リード・ボーカルだけやたら派手な服装で出て来たので、女性かと思いました。小麦色のブロンドは60年代のポップ・グループ程度の長髪。赤いジャケットに、緑の合繊のシャツ、ややベルボトムっぽい黒のズボン。そして取るポーズは明らかにジョン・トラボルタ以下のディスコ時代を意識。最初かつて沖縄で有名だった家族バンド、ジャクソン・ファイブもどき《5本の指》の歌手の子供を思い出したぐらい女性っぽかったです。当時流行りだったグラデーション・レンズのサングラスもかけていました。他のバンドは皆平服で来るため、第一印象は「ケバい!」

よく見るとやたら足が大きく、数分後に男性と判明しました。前のバンドのサクソフォニストは燻しのサックスでしたが、こちらは服装に似合ってキンキラキン。次に先入観で男性だと思っていたバシストが女性。すらっとして地味な感じの人で、最初は女性だとは思いませんでしたが、髪型で判明。よく見るとあっさりした顔の美人。今日は美人がよく出没する日だなあと思いました。

☆ 男女混成、世代混成バンド

残る2人のメンバーは40歳か50歳ぐらいに見え、ボーカルとベースは30歳の前半ぐらいに見えました。何となく嫌な予感がしたのですが、当たってしまいました。最初の2つのバンドのような瑞々しさが無く、舞台はプロとしてこなすけれど、先の展開が無いバンドでした。やたらケバく、顔全体で笑って見せ、明るく振舞っているのですが、体から湧き出るような明るさではなく、作り笑いっぽかったです。

☆ ドイツ人に分かりやすいバンド

他の2つのバンドと違い、殆どの曲をドイツ語で歌っていました。英語で歌うより観客にテキストの意味が伝わり易く、その点は評価します。最近のドイツ語のポップスやロックは過去の枠を打ち破り、メロディーに合った曲も増えています。

☆ 一応の腕

楽器の腕はまあまあ。名を成したアメリカのオールマイティーのスターに比べると落ちますが、一応舞台に出られる程度の腕は持っています。このバンドがどこの出身かは分かりませんが、元東ドイツの国家に養成されたバンドなどですと、腕はかなり行ける人もいます。この日出たバンドのうち最初の2つのバンドは年齢から言って、どこの出身にしろ東ドイツの影響の無い世代。3つ目のバンドの年寄り組2人は東かも知れません。残りの2人は東の人だとしても壁が開いた時はまだ小学生ぐらいのはず。なので音楽環境は東西同じ。

年寄り組2人はちょっと前ビールの CM に出ていた東のロックバンドと似たイメージです。ギタリストは冗談でサンタナの真似をしていましたが、カルロス・サンタナのフレーズを簡単にこなしていました。若い2人は観客の注目を集める役目を担っていますが、音楽の実力はこの先があまり期待できません。伸び悩んでいるのか、限界に達してしまったのか、この日のレパートリー選択を誤ったのか。

それを補うためか分かりませんが、舞台でやたら動き回ります。ディスコ時代の古いポーズを取ってみたりしますが、見る側は白けます。踊りはどうせやるならかまやつひろし風にやればいいのにと思いました。脚をあちらこちらに振り回す踊り方は見ていて痛々しく感じます。ベルリンで1番のファンク・バンドだと名乗るのなら、音で勝負してください。

☆ 観客

ところが観客はこのバンドに1番喜び、前に出て踊り出す人もいました。他の2つの方がセミプロ風ではあっても上手だったので、「なんでやねん」と思いましたが、後で家に帰って考えてみると、観客はコンサートを聞きに来ているわけではなく、たまの週末を外でビールを飲みながら過ごそうと思っていて、たまたま舞台に行き当たったので、そこのベンチに座っただけ。このバンドを聞いてやろうと来るのは私ぐらい。

半日考えた末に思いついたのは、夜に入っていて、あたりが暗くなったので舞台がその前より栄えた、歌詞がドイツ語だったので観客が歌を理解したなどの理由かと思います。音楽を聴きたいのではなく、舞台を中心に普段失業手当や生活保護を貰って孤立して暮らしている人たちが、見知らぬ人も踊っているので自分もと思ったのかも知れません。

☆ バンドの過去

私の音楽情報には少なくとも2006年から登場しています

☆ 演奏

1曲目からプロ的な印象を与えますが、あまり感じが良くありません。セミプロ的な前の2つのバンドの方が見ていて親しみを感じます。

2曲目でサックスの切れがいいのが分かりました。この曲はファンク的なリズムで、一応ファンク・バンドの名に恥じない面を見せました。しかし演奏中に変なポーズを取ったりするので感じが良くありません。ファンク・バンドがブラス・セクションうち揃って踊るのを見るのは大好きなのですが、そういうのではなく、ディスコ系のポーズで、見ていて気恥ずかしくなってしまいました。

3曲目でいよいよコミック・バンドに変身。ギタリストがカルロス・サンタナのフレーズを混ぜました。全員でおどけ過ぎ、見る方は白けてしまいます。しかし4曲目でギタリストがアドリブに耐える腕を見せました。そして内心反発しながらも感心したのは、サックスを吹くメインの男性が、驚くほど飛び跳ねながらそれでもサックスの演奏は怠り無い点。あんなにジャンプしてどうやって音をキープするんだろうと唖然。ここで確信したのは、どうせステージでおどけるなら、かまやつひろしを見習った方がいいという点。

6曲目になり結論。メインの男性は自己完結型のナルシスト。しかし声に張りがあるので、使い方を誤らなければ何がしかの歌手にはなれそう。現在は何かに行き詰まっている感じがします。現在は落ちぶれていないのに、《痛々しい》が感想になってしまいます。

★ レッテルに偽りあり

ライブはやはり聴きに行かないとだめですねえ。私は失業以来とてもコンサートなどに行ける身分ではなくなり、そこは諦めていましたが、ファンクだと言われて久しぶりに行って見ると、違うジャンルが多く、ファンク三昧と思ったのは甘かったです。

バンドの側としては1つを深く掘り下げていると、ファン層が狭くなり、出演依頼が減る危険があるのかも知れません。ずっと前に知っていたコミック・グループ(コメディアンとして全国的に活動していた)は、西ドイツの都市に1軒店を持っていて、バンドとしてはそこでソウルやファンクを演奏していたそうです。私はコメディアンとしてしか知らず、彼らの音楽のステージはコメディーに取り入れられた部分しか知らないのですが、コメディーの出演が無い時に自分の店で音楽バンドとして活動というのは、経済的に見ても、腕を落とさないためにもいい作戦だと思います。

ドイツは芸術を奨励する国で、長い間才能の無い画家も含め大勢の芸術家に生活の援助をしていました。1000人ぐらい育てて数人成功者が出るか出ないかですが、政府もそういうものだと思ってお金を出していたようです。不況になってからはそうは行きません。自分が食べて行く道を作った上で音楽活動をすれば、追い詰められることも無く、また嫌な曲を無理やりやる必要も無く、いいのかも知れません。バンドなど所謂芸能界に繋がる芸術は、1度成功しても浮き沈みがあるわけで、最悪の場合でも食べて行ける準備があるといいかも。

多くのジャンルをこなせるミュージッシャンがいいのか、1つの分野を極めるのがいいのか分かりませんが、ファンクを聴きに行って、別な物を聴かされた私はちょっと不満。

☆ ザ・レインボウズ

ドイツではオランダのバンドだという話もあるのでそう信じていましたが、実は西ベルリンのバンドだったようです。知らなかった!

結成、改名の後1965年にあの有名なバラ・バラが大ヒット。後にも先にもこの曲しか知らない人がほとんどです。当時典型的な4人編成バンド。コミック・バンドでしたが、一時期はビートルズとローリング・ストーンズの次に人気がありました。1968年一応解散。

その後再結成もあったようで、私が現在の所に住むようになって暫くして、町の通りのお祭りの舞台に出演していました。

☆ 元官製バンド

どこか他の場所でも触れたことがあるかも知れませんが、東ドイツには西に負けない立派な音楽教育システムがあったようです。

高校までどういう生活を送るのかは分からないのですが、恐らくは高校で正式に選ばれて東ドイツの芸大に入るのでしょう。私が話を聞いた人たちはクラシックからポップスまで一通りの学科をこなしていました。壁が開く前は敵であるはずの国のカントリー・アンド・ウェスタンまでこなす人を見たことがあります。その後才能に応じて振り分けがあり職業生活に入るようです。

私は中より下のレベルに配属されたらしい人と話したのですが、それでも西ベルリンのお祭りに来るようなレベルではなかったので、驚いていました。どうもこのレベルだと東ベルリンのコンサート会場には出してもらえず、東の地方のお祭りなどに出演したりしていたらしいです。

何しろ発声はいいし、安定した歌い方。何でも歌えてしまいそうな達者な感じでした。掃き溜めに鶴のように感じたので出演後話してみたのですが、ある人は煙草を吸い過ぎてロング・トーンなどに問題が出るので大成しなかったそうです。

というわけで壁が開いた後、西側のお祭りの舞台は大恐慌。西の場末ミュージッシャンは徐々に淘汰されて行きました。私は東の悪い面も知っているので、東をあまり誉めませんが、部分的に見ると国民が豊かな生活をしていたという面もあります。その1つが音楽環境。地方の一都市でも娯楽にこういう質のいいライブが聞けたのでしょう。恐らくは政党のパーティーなどにも借り出され、政治色が強い出演もあったのでしょうが、下々の人に届く音楽のレベルは高かったようです。

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