皇帝の正しくないチェス

史上初(?)のチェス漫画「ギャンビット オン ガール」を読んだ。


 平成25年6月6日発売の月刊少年マガジンに、読み切りのチェス漫画、「ギャンビット オン ガール」が掲載されました。
 「チェス漫画が世に出る」という話は、5月の全日本選手権およびゴールデンオープンの最終日に、JCAスタッフから話がありました。
 過去に、「ハリー・ポッターと賢者の石」「世にも奇妙な物語−チェス」について記事を書いた私としては、やはり使命感に燃えて、今回も記事を書かねばと思うわけです(最初は「余りにバカバカし過ぎて、レビューなんて書かねーよ」とか言ってた・笑)。

 「誰かチェス漫画を書いてくれないかなぁ」という話は、日本のチェスプレイヤーの中でも、ずいぶん昔から話のネタになっていました。
 理由は勿論、「ヒカルの碁」の成功によるものです。
 一般に、「ジジィの趣味」的に扱われがちであった囲碁が、あの漫画ひとつで若年層を一気に開拓したそうですから、日本チェス会も(他力本願ではありますが)同様のムーブメントを夢見るのも当然のことでしょう。

 私自身も、「ヒカルの碁」は全巻読破しました(買いはしませんでしたが)。画のキレイさがまず目を引きますし、勿論、物語そのものもとても面白いものでした。
 特に、前半における「もうひとりの主役」である藤原佐為を、物語から退場させてもなお、新たな展開で読者を惹きつけるその原作は素晴らしかったと思っています。

 そんなこともあり、どうしても「チェス漫画」となると、同じ「漫画」なのですから、どうしても「ヒカルの碁」との対比をしてしまうのはやむを得ないところでしょうか。

 

 まずはあらすじを簡単に。

 主人公はガリ勉の高校生男子。幼い頃に祖父に教えられ、祖父とのチェスを楽しんできたが、祖父の死去とともにチェスからは離れてしまう。
 そんな主人公が、高校の旧校舎で一人チェスに興じる同級生の女の子(アホ毛、メガネ、ついでに巨乳)と偶然出会い、チェスをすることになる。
 ただ、その女の子はずーっと一人でチェスをしていたためか、駒の一つ一つに中世騎士風のキャラクターを設定してむふむふしている妄想腐女子だった、とまぁ、そんな話です。

 「そんなキャラ設定で萌えるのかよ!」と個人的には思いましたが、ここで私の萌えのポイントを力説しても、読者の皆様からドン引きされるだけなので、「意見には個人差があります」ということで先に進みましょう。

 原作は木口糧、漫画は漫画は若松卓宏。
 ネット上で転がっていた情報によると、二人とも福岡デザインコミュニケーション専門学校を卒業し、この作品が雑誌デビューの模様。
 また、この「ギャンビット オン ガール」は、2011年11月発売の月刊少年マガジンプラスに一度掲載され、今回は月刊少年マガジン(プラスではない)への掲載にあたって再構成したようです(あらすじは変更なし)。

 ところでこの「アホ毛」なんですが、最近はよほど流行っているようですね。
 「宇宙戦艦ヤマト2199」においても、女性キャラクターの何人かはこの「アホ毛」で(一例)、リメイクされたストーリーに萌え燃えまくっている私も、ちょっとこれだけは理解できません。

 さて、チェスという題材は、見た目シャレオツ感満点ですから、この日本でも、漫画以外で様々な小道具として使われてきました。それは主にインテリアとしての役割を担っているものがほとんどでした。
 あるいは上述した「世にも奇妙な物語−チェス」以外にも、「月下の棋士」においても、対局中に棋士が失禁したり、欲情したりと忙しい中、チェスの元世界チャンピオンが登場して「獲ったコマを使わないままA級を維持する」という、これは登場人物中で一番強いのではないかと思わせてくれます。

 まぁ、小道具としていろいろ使われているチェスですが、とにかく使われ方が間違っているものが多いです。
 maroさんも書いている(2013/06/07の記事)ように、「駒の初期配置はあっているか(特にキングとクイーン)」「盤の方向はあっているか(a8,h1が白マスになっているか)」が、やはり重要なチェックポイントになってしまいます。

 結論をあっさり言いますが、上記いずれも間違いが、少なくとも計3つありました。(以降、記載したページ数は、月刊少年マガジンでのものです)

 物語の中で、主人公の男の子と女の子によるチェスの対局は2局あるのですが、1局目の最終局面で盤の方向が間違い(P.355)、2局目の初手の局面で白黒いずれもキングとクイーンが逆に配置されていました(P.369)。
 また主人公(男子)の回想シーンの中でも盤の方向間違いがありました(P.363の右下)。

 とはいえ、この間違いはそれぞれ1回ずつですので、知らずに書いているわけではなく、単にうっかりのようです。にしても、主人公の対局における初手や最終の局面という、非常に重要なところ(コマ割りも大きいので目立つ)でやらかしてしまうというのは、非常に残念です。
 チェスをネタに使おうと思っているクリエイターの方は、本当にこの2点だけには気をつけていただきたい。

 前述したとおり、物語中で対局は2局行われます。2局とも女の子が白番、男の子が黒番となっています。
 オープニングはきちんと設定があり、1局目はキングズ・ギャンビット(!)、2局目はルイ・ロペスとなっていて、ここは素直に賞賛しておきましょう。

 キングズ・ギャンビットは、主人公(男の子)から「駒を犠牲にして激しく攻めたてる超攻撃型スタイル」と、正しい紹介がなされています。
 しかし以降、女の子は攻めてこず、守りに専念します。この状況から、男の子が逆に攻め始めてゲームは進行するわけですが、途中の状況は紙面から読み取ることができません。
 この対局は放課後に行われるわけですが、閉門の放送がなされることで、途中で終了、ということになります。この「途中で終了」の直前の局面を誌面から再現してみました(この最終局面の盤が、白と黒のマスが逆になっているのです)。

   
Be5+(図−1)
図−1
【図−1】

 キングズ・ギャンビットで、どこをどうすればこんな局面になるかは置いといて、黒番の男の子はこの?.Be5+の手を見て、「え・・・っ、チェックっ!?コレは、いつの間にか・・・追い詰められてる!?気を抜いて指しすぎたのか!?」と急に慌てた様子を見せます。
 では、これをフリッツ君(FRITZ 11)に解析してもらいましょう。で、コマの損得は白のワンポーンアップですが、出てきた答えは「+−(5.17)」と、白の圧倒的優勢です。チェックされて驚いて、気を抜いてたかどうかとかいうレベルではありません。

 物語ではこの後、黒番の男の子が?. ...Nxe5と指したところで閉校の放送が流れ、この男の子は慌てて帰ってしまいます。
 この...Nxe5の手に女の子は感心し、翌朝に男の子を待ち伏せし、「昨日の対局、私は完全にアナタを追い詰めたと思ったんです!でもアナタは最後の一手で息を吹き返した」とか何とか言って、再び男の子に対局を迫るわけですが、?.Be5+ Nxe5 ?+1.Qe5+で黒の優勢は動きません。
 こういうところは、「所詮漫画なんだからー」と適当な設定はして欲しくないですね。私のように性格の悪い人間に揚げ足を取られるだけですから(笑)。

 そして、女の子に対局を迫られた主人公男子は、その日の放課後に再び旧校舎を訪れ、2局目を指すということになります。

 2局目のオープニングは、先述したようにルイ・ロペス。1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 Nf6 4.0-0 Nxe4までは確認できます(P.375まで)。これはベルリン・ディフェンスです。素晴らしい(但し、私は専門外)。
 そしてP.377に、6.Bxc6 bxc6と、これまたベルリン・ディフェンスの続き(オープン・バリエーション?)の手が確認できるわけですが、問題は5手目です。P.376の右下のコマ、白の女の子は 5.d4と指しています。オープン・バリエーションでは5.Re1です。
 物語では、5.d5に対しても、黒は定跡どおりに 5. ...Nd6と指しているようです。
 おそらくこの5手目の応酬は、正しくない応手ではないか(5.d4で定跡から外れ、この手に対する正しい応手は 5. ...exd4ではないかと)と思いますが、私にはルイ・ロペスはわかりません(苦笑)。

 以降、詳細な局面は不明のままですが、白からビショップ・サクリファイスが飛び出し、果てに黒のキングが前線に特攻をかけ、何故か白のキングが黒のキングを獲ったかのような描写(そんなん、あるわけねーだろ)で対局は終わります。

 と、どうしてもあら探しに終始してしまうわけですが、やはり漫画においても、取り上げる題材に対する一定の理解や、場合によっては詳しい人に監修してもらうことの重要性を感じます。

 特に最近はインターネットが発達しているわけですから、盤やコマの配置、あるいはオープニングの局面程度ならば簡単に調べがつくわけですから、ここらへんのミスは正直、作者側の手抜き(怠慢)を感じます。
 また、漫画的に見栄えのする表現を重視するあまりに、本来はありえそうにない局面・場面を作ってしまうと、これまたその題材のファンにツッコミを受けるのも必然のことになります。

 「ヒカルの碁」の成功の要因のひとつは、女流棋士の梅沢由香里の監修を受けたことであり、物語中の棋譜も元ネタがあったりするわけなので、「囲碁そのものが破綻していない」ということが、囲碁ファンからも大きく支持されたのではないかと考えられます。

 画のレベルについては、新人さんの作品ということで、多くは語りません。ですが、チェスそのものがやはりビジュアル的に美しい(だからこそ、CMとかの小道具に使われる)ものですから、如何に美しくチェスのピースを描くか、ということは重要なことだと思います。しかし、盤の遠近感も含めて、大きさとデザインの異なるコマを精巧に描くことは難しいのかもしれません。
 「ヒカルの碁」では、小畑健が作画を担当しているのですが、この方は本当にとんでもなく画が上手ですから、囲碁という地味な題材をとても美しく(登場人物を含めて)描いていますね。

 ストーリーは、キャラ設定も含めてオタクっぽさが満載で、そこは個人的には好きではありません。ただ、読み切りですから、下手に登場人物を増やすのも得策ではないですし、もし仮に連載ともなれば、いろいろと決めるべき設定が増え、物語に厚みが生まれてくるというものなのではないでしょうか。

 ということで、史上初(?)のチェス漫画「ギャンビット オン ガール」でした。アンケートで好評ならば、連載ということもあるかもしれません。
 はがきが挟まっているかと思いきや、アンケートのページを切り取って、はがきに貼って送付するというシステムのようです。なんて面倒くさい。
 今まで、この手のアンケートはがきを出したことのない私ですが、渋々はがきを出すこととします。

 ところで、著作権っていろいろ規制が厳しいようですね。「間違い描写」の箇所は、撮影して掲載しようかと思いましたが、いろいろややこしいことになる可能性があるため、今回はやめておきました。
 なお、小島くんによると、どうやらチェスセンターには当該の月刊少年マガジンがあるようです。