初めて降りる地下二階は、アンデッド化したコボルドやゴブリン、
また、魔素に精神を蝕まれ、正気を無くした冒険者の成れの果ての棲家だった。
しかし、地下一階で鍛錬を重ねた私たちの敵ではなく、これといった怪我も負わずにこの階の探索を進めることが出来た。
「思いっきりつらくなるかと思ったけど、結構私たち戦えるんだねー」
「それだけ僕たちが強くなったってことだよ。でも、油断しちゃだめだよ」
「は〜い!」
後ろからシャロルとセロカの楽しげな会話が聞こえてくる。妹はムンカラマで知り合った仲間の中でも、特にセロカと親しくしていた。
もっとも、エルとガライはいつも二人でけんかばかり繰り広げ、アイークはとても妹と話が合いそうな人物ではないからだろうが。
「…!」
先頭を歩く私の前に、不意に明らかに今までの坑道とは違う、建築物が現れた。
石造りの壁はかなり古いものらしく、ところどころひび割れ崩れかけていたが、かろうじて入り口らしき扉は見受けられた。
「多分、元々は大地神ルフィアンの礼拝堂だったんじゃないかな」
セロカが建築物を見上げて言った。
大地神ルフィアンとは、ノームたちが信仰する神々のうちの一柱で、人間で言えばガルガンと同じ善の神に分類される。
生来ノームは信心深い種族であり、採掘場であったここゴータナスにも、工夫たちのための簡易礼拝堂が多く存在したと聞いた。
この荒れ果てた建物も、その礼拝堂のうちの一つの成れの果てなのだろうか。
「どうする、中に入ってみる?」
「面白そうじゃない! 入りましょうよ!!」
エルがまるで子供のようにはしゃぎながら応えた。
「きっと中にはノームのお宝が残されているに違いないわ!」
「バカか。とっくにそんなもん他の冒険者に見つけられてるさ」
「ふん、夢のない男ね」
「けっ!!」
仲良くそっぽを向き合ったエルとガライを横目に、私は礼拝堂の扉へ近づいた。
軽く扉を押してみるが、金属の擦れあうような鈍い音と感触が返ってくるだけだった。
「鍵がかかってるみたいね…ちょっと、エル! エルー!?」
しかし、我がパーティの女盗賊は、一度そっぽを向いたらそう簡単に機嫌を直してはくれないのだった。
ようやくエルの機嫌が直り、彼女に鍵を開けてもらって、私たちは元礼拝堂内部へと足を踏み入れることが出来た。
そこには翼の生えた、一見悪魔のように見える彫像が六体建ち、部屋の奥には祭壇のようなものが安置されていた。
元々は敬虔なノームの神聖なる礼拝堂だったとは、とても思えなかった。
「ひどい…礼拝堂がこんなに…」
シャロルが口を手で覆いながら呻くように呟いた。
「悪魔を信じる邪教徒たちの仕業か、はたまた悪魔自身の戯れか…どちらにしろいい気分はしないね」
シャロルと同じ聖職者であるセロカも、この礼拝堂の有様に我慢がならないようだ。
私やシャロル、セロカはルフィアンの信者ではないが、同じ善の神であるためだろう、その教えはさほど異なるものではないようだ。
「早く探すものを探して、見つけるものを見つけて、こんなところからはおさらばしましょう?」
私の言葉に、皆が頷いた。
「この彫像、まるで生きてるみたい…怖いわ」
エルが悪魔の彫像を調べながら呟いた。
「ただの像じゃねぇんじゃねぇか? 例えば、お宝を取ろうとしたらそれが動き出して…とか」
「やだ、ガライ冗談は…」
エルの言葉は途中で凍りついた。
ガライの言葉を聞くなり、セロカが表情を突然強張らせたからだ。
「ガーゴイル…!」
セロカの口からそんな名前が漏れる。
「みんな、彫像から離れて!!!!」
「えっ…きゃあああ!!!」
セロカの警告は遅かった。突然動き出した彫像の攻撃をかわしきれず、エルが床に叩きつけられる。
「この礼拝堂自体がワナだったってことか…!」
ガライが剣を鞘から抜く。私も反射的に、ローレライ商店で購入したばかりの槍を構えていた。
「シャロル、エルの回復をお願い!」
「わかった!」
体制はかなり悪かった。元々ガーゴイルは礼拝堂の祭壇を取り囲むように配置されており、
私たちがワナに気づいたときには、すでにガーゴイルに包囲されてしまった後だったのだ。
何とか囲いを解くには、一箇所の敵を集中して破るしかない。
「一点集中よ、いいわね!!」
私は槍を水平に構え、エルに襲い掛かったガーゴイルに突撃をかけた。
「えっ…!!!」
確かに私の槍はガーゴイルに突き刺さったはずだ。しかしそこには風を押すようなかすかな感触しか返ってこない。
「セティ! コイツ…武器が効かねぇっ!!」
私に続いてガーゴイルに斬りかかったガライが、信じられないように叫んだ。
「そ…そんなっ!!」
「! セティ、後ろ!!」
「!!」
武器が効かない、という事実に動転し、背後に迫っていたガーゴイルに気づくのに時間がかかってしまった。
慌てて盾を構えガーゴイルの一撃を凌ごうとする、が
「ヘーアー・ラーイ・ターザンメ、炎の矢よ、風と共に放たれよ!!」
ガーゴイルがその爪を振り下ろすより先に、セロカの唱えた「火矢」がガーゴイルを襲っていた。
燃え上がる炎に包まれ、ガーゴイルは動きを止め、ただの彫像に戻り床に崩れ落ちた。
「武器が効かない敵には、魔法で攻撃すればいい!
セティ、ガライ、守りに徹して! コイツらは僕たちが倒す!!」
セロカが強く言葉を発した。そして、残った5匹のガーゴイルに向き直り、再び「火矢」の詠唱を始める。
「よぉ〜し、私も!!」
エルの治療を終えたシャロルが、聞き慣れない詠唱を始める。
「ベーアリフ・ダールイ・ザンメシーン、生命よ、その力を失え!!」
一見回復呪文に似た柔らかい光がガーゴイルに吸い込まれる。しかしガーゴイルは苦悶の叫びを上げ、のけぞり倒れた。
「治癒」の逆呪文「傷害」だった。「治癒」に使われる魔力を全く逆に作用させ、対象に傷を負わせるといったものだ。
その威力は決して高くはなく、しかも「治癒」と同じ領域に属するため、ほとんど使用されることはないと聞く。
敢えてその魔法を使ったところを見ると、シャロルもかなり武器の効かない相手に警戒しているようだ。
「どうやら武器が効かない分、魔法はかなり効くみたいね…」
シャロルに「治療」をかけてもらったエルが、戦いの様子を伺いながら呟いた。
普通の武器が効かない以上、彼女は自ら攻撃に参加することを諦め、自分の身を守ることに徹しているようだ。
「ミームエイン・ラーイ・ターザンメ…」
微風のような詠唱が耳に届いた。同時に、パチパチと火花が弾けるような音と、微かな熱気が伝わってくる。
「…炎よ、風と共に弾け、電撃となりて放たれよ!」
アイークが「電撃」を使ったのだ。威力もさることながら、その利点は複数の敵をまとめて貫くことが出来る点にある。
現に、残った4匹のガーゴイルは、まさしく光の速さで襲い掛かった火花をかわすことが出来ず、黒焦げとなって崩れ去った。
「……あっけない…」
ガーゴイルが床に倒れ、塵と化していくのを見つめながら、アイークがそう吐き捨てた。
やや感情がこもったような調子だったが、彼の顔には、やはり何の色も浮かんでいなかった。
「どうも、この祭壇に近づくと襲い掛かってくるようになってたみたいだね」
セロカが、礼拝堂の一番奥に備え付けられた古びた祭壇を見ながら言った。
「そんなに重要なものには思えないけどなぁ…やっぱり、ただのワナだったのかな?」
「待って! ここ、何か書いてあるわ」
祭壇を調べていたエルが何かを見つけたようだ。手で軽く埃を落とし、下に刻まれた文字をあらわにする。
「えーと…何々?
『道を振り返りし見る者……最後の言葉知り………導きて………………最後の鍵……守護者となる……』?
ところどころ崩れてて読めないわ。何の意味があるのかしら??」
エルが首を捻る。私もその不完全な言葉の意味を把握すべく、あまり優れてはいない頭を必死に働かせてた。
道を振り返る…つまり、今まで歩いてきた道筋を辿る、ということだろうか?
「とりあえず、この言葉はメモに取っておこう。これだけじゃ解けない、何かの謎の一部かもしれないしね。
…ただ、一つだけ確実なことがある」
セロカが小さく切った羊皮紙に木炭のかけらを使って言葉を写しながら言った。
「ガーゴイルは、この言葉を守ってたんだ。この言葉には、きっと魔族にとって重要なものが暗示されてるんだよ。
ひょっとしたら、ジェルマの杖の在り処に関係してるかもしれない、何かが」
私を含む全員が、セロカの言葉に息を呑んだ。アイークさえも、大きく瞳を見開いてセロカに注目している。
「つまり、俺たちゃ魔族の謎の一部を知っちまったってことだな。もう、後戻りは出来ねぇ…ってワケか」
ガライがふっと息をついて笑った。
「ま、元からそんなつもりはさらさらねぇか。むしろ望むところってとこだな」
「もちろんよ! こうなったらこの言葉の謎が解けるまで…いいえ、ジェルマの杖を取り戻すまで、とことん戦ってやるわ!」
エルがガライの言葉を継ぎ、意気込んだ。
「お姉、お姉も? もうとことん魔道を進むの?」
シャロルがやや不安そうな面持ちで訊ねてきた。
「言うまでもないわ。ジェルマの杖を取り戻して、魔族の脅威から世界を救う。男爵位を得て、両親に楽をさせる。
その目的に何の変わりもないじゃない!」
「…そっか、そうだね! お姉、私も一緒だよ! お姉は絶対に私が守るからねっ!!」
それは逆じゃない、と笑いあう私とシャロル。
「どっちにしろ、僕たちには前に進むしか道はないんだ。ジェルマの杖のことだって、本当ならどうでもいいくらいにね…
ね、アイークだってそうでしょ?」
セロカに言われ、珍しくアイークが戸惑うような仕草を見せた。
「さて、お互いの意思確認が終わったところで、とっととこんな礼拝堂からはおさらばしましょ!」
「あ、待てよエル!!」
次々と礼拝堂から出て行く仲間たちを見ながら、私は、いい仲間を持ったと思った。
そして、ふと、今のこの団結が失われるようなことがあったら、と感じ恐怖を覚えていた…。