気がつくと、私は曇り空の下に立っていた。
辺りに広がるのは、やや朽ちかけた石造りの粗末な家々。
ひび割れた畑に植えられた、半ば萎れた野菜。
牛などの家畜は痩せ衰え、弱々しく鳴き声を漂わせている。
「……」
遠くに目を遣ると、そんな風景の陰鬱さとは正反対に、子供が数人楽しそうに遊んでいるのが見えた。
いや違う。たった一人、地面にしゃがみ込んで泣いている子供がいる。
――他の子供たちに虐められているのだ。
一瞬、脳裏にシャロルの姿がよぎる。
私は矢のように子供たちのもとへ駆け寄った。私に気づいた子供たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
一人、虐められていた子供を除いて。
「大丈夫?」
私は地面にうずくまった子供に手を差し伸べた。
「…ひくっ……ありがと…おねえちゃん……っうぇっく…」
子供はうずくまったまま、震える声を出した。
顔は確認できないし、声もかろうじて聞き取れる程度に小さいものだったが、
私はその子供がシャロルであることを疑わなかった。
私のことを「お姉ちゃん」と呼ぶ人物は、私のたった一人の妹だけだったからだ。
「あなたは優しい子だから、人を傷つけることが怖くて、抗えないんでしょ?
でも、それでいいのよ……」
私は子供を優しく包み込むようにして抱き上げた。
「大丈夫。私が守ってあげるから」
馬の嘶きで目が覚めた。
どうやら私は夢を見ていたらしい。
「……」
子供のころの夢を見るなんて、滅多にないことだった。
そもそも私はあまり夢を見るタイプではないのに。
まだ半分霞がかかったような頭を軽く振ると、私は身支度を整え、朝食を摂るため「ローズの酒場」へ向かった。
「おはようお姉!」
シャロルが元気よく声をかけてくる。
相変わらず明るい子ね、と苦笑しかけてふと疑問が湧き上がった。
「おはようシャロル…ねぇ、一つ聞いてもいい?」
「何?」
「あなた……2、3歳くらいの頃って、虐めに遭ってたっけ?」
「えー? 何言ってんのお姉! 私は逆にお姉がみんなを虐めるのの仲裁に入ってばかりだったじゃん!」
「そう……そうよね。ごめんねヘンなこと聞いちゃって」
そう、シャロルは虐めに遭うような子供ではなかった。
では…あの子供は、私を「お姉ちゃん」と呼んだ子供は、一体何者だったのだろう?
ただの夢にしてはあまりにも鮮明すぎた、あの光景は……?
「……気にしすぎね」
いくら考えても答えの出ない謎はとりあえず忘れることにした。
私たちは毎日のように魔道へと赴き、無数に湧き出る魔物相手に鍛錬を積み重ねた。
当面の目的は、ミノタウロス打倒ではなくシャロルの「解毒」の習得だった。
もちろん、かなり余裕を持って毒消しを持ち込んではいたが
宝箱の毒ガスの罠に引っ掛かったときなど、手持ちの毒消しが切れ
攻撃魔法や回復魔法には余裕があるにも関わらず撤退を余儀なくされることが相次いだからだった。
私たちは地下4階層に点在する魔物が集まりやすい部屋を見つけては、そこに何度も襲撃をかけ、居合わせた哀れな魔物を屠っていった。
シャロルは納得出来ていないようだったが、魔物を倒すことは魔道の侵食を和らげることに繋がるとセロカに説得され、しぶしぶ同意した。
もちろん、まだ多少なりとも正気を保っていたり、私たちに敵意を見せない敵との闘いは避けた。
戦意のない相手を一方的に攻撃するのは、相手が魔物とはいえ良心が痛むからだ。
もっとも、エルはそんな私たちの行為を「矛盾している」と糾弾した。
魔物を倒すことで魔道の侵食が和らぐというなら、敵意のない魔物に関しても同じではないか。
むしろ戦意のない敵の不意をついて倒した方がこちらも安全に早い成長を見込める。
何より魔族の手下に真に友好的な者などいるはずがない……というのが彼女の言い分だった。
私はその意見に反論が出来なかった。彼女の意見は理的には筋の通った正しいものだったからだ。
セロカが「仮にも無抵抗の相手を殺すなんて魔物と同じじゃん。それともエルは魔物と同じようになりたいの?」と説得しなければ
今頃私たちのパーティは分裂してしまっていたかもしれない。
「ミームザンメ・ヌーン・ターイ・ヌーンザンメ! 空気よ止まれ、音に死を!」
魔道の瘴気に精神を侵された魔術師の一団に向け、シャロルが「静寂」を放った。
敵の魔術師のほとんどは突然声を奪われ立ち往生したが、一人だけ呪文に抵抗した魔術師が平然と呪文を唱え続けている。
「もういっちょ! ミームザンメ・ヌーン・ターイ・ヌーンザンメ!!」
シャロルに続き、セロカも「静寂」を放った。一発目の「静寂」に抵抗した魔術師も、二発目には抵抗し切れなかったようだ。
「魔法の使えない魔術師なんてザコよザコ!」
エルがそう嘲りながら、魔術師の一人に奇襲を仕掛けた。彼女の剣に急所を貫かれ、魔術師は絶命する。
確かにエルのいう通りなのだが……
「……ミームアリフ・ヘーアー・ラーイ・ターザンメ………」
背筋がゾッと凍るような、暗い詠唱が背後から響く。
「エル! 伏せろっ!!」
「えっ…!?」
「……炎よ、風と共に大きく放たれよ!」
「きゃあああ!!」
ガライの言葉がなければ、エルはアイークの放った「大炎」に魔術師ごと焼かれているところだった。
(もちろん、「大炎」の直撃を受けた魔術師は一人残らず焼け焦げ、無残な姿を晒していた)
恐る恐る後ろを振り返るが、やはりアイークはいつもと全く変わらない、無機質な表情で私を見返しただけだった。
しかし。
「……ゴメンナサイ。もうザコなんてイイマセン」
「……別に、気にしてないけど」
驚くべきことは、あの気が短いエルが、アイークに対しては突っかかっていくことをしなかったことだ。
アイークはそんなエルの様子にさえほとんど反応を見せないのだが、それが却って彼女の恐怖心を煽っているようだ。
…恐怖を与える存在という意味では、アイークはそこいらの魔物よりも強敵なのかもしれない。
「おいセロカ…よくあんなのと一緒に冒険者になるなんて決心ついたな…」
ガライがこっそりとセロカに訊ねている。
「だって僕、アイークとは10年以上の付き合いだもん。まだ彼がこのくらいの頃からずっと一緒だったんだよ」
そう言ってセロカは、手のひらを水平にして自分の腿辺りのところに置いた。これくらいの年齢という意味なら、2、3歳児といったところか。
「確かに最初は得体の知れない感じで怖かったけどさ、もう慣れっこだし、それに……」
言葉を一旦切ると、セロカは真剣な眼差しでアイークをちらりと見た。
「……正直、仕方がないよ。まだ小さかったのに、もうちょっとで殺されるところだったんだから」
「…それは……?」
ガライが疑問の声を上げる。
「ちょっとセロカー! この紐と鎧鑑定してちょうだい!!」
「は〜い! ……まぁ、続きは帰ったらってことで」
エルの呼ぶ声に、セロカは回答を打ち切った。