第六章 ―激闘―

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 いよいよ、ミノタウロスが暴れている地下5階層の探索を開始した私たち。
扉のひとつひとつを開いていくたびに、緊張が否応なしに高まっていく。

 正気を失った冒険者の成れの果てや、巨大芋虫と切り払いながら
一歩一歩マップ記録シートを埋めていく。
地盤の緩い箇所に足を踏み入れ落盤に見舞われてしまい、
警戒すべきは魔物だけではないと思い知らされることもあった。

 しかし。
牛頭の魔物は、いつまで経っても私たちの前には現れなかった。


「どういうこと? ミノタウロスなんてどこにもいないじゃない!」

 あらゆる壁という壁を探させられたエルが怒りの入り交ざった悲鳴を上げる。

「ひょっとしたら、もう誰かに退治されちまったんじゃねぇか?」

 ガライがどこか残念そうな、どこかほっとしたように応える。
戦士としては強敵と戦う闘争心を満たせなかったものの、
男として大切な人を危険に晒すことは避けられたといったところだろう。

「ううん、違うと思う」

 マップ記録シートを見ながら、セロカが言う。

「ミノタウロスは迷宮に封じられていた。
 しかし、この階層には今のところ迷宮と呼べるような地形はなかった。
 少なくとも、僕たちが今調べた限りでは。
 ……そして、この地図を見ると、中心部分だけ空白のままになっている。
 まるで、迷宮ひとつがぽっかりと入りそうな形で」

「でも、いくら壁を調べても隠し扉は見つからなかったわよ!」

「違うよエル。ミノタウロスは確かにこの階層の、この地図が埋まっていない場所にいる。
 ただ、今僕たちがいる場所から直接そこには辿り着けない、ってだけで」

「つまり?」

「下の階層から回りこんで行く必要があるんだよ。
 それくらい入り組んでいないと『迷宮』とは言えないでしょ?」

 セロカはシートに記載された下り階段を指し示す。

「問題は、予想より深い階層に下りなきゃいけなくなったってことで
 僕たち自身の実力が追いついているかってところだけど……
 どうする、セティ? 今日は一旦引いておく?」

「構わないわ。このまま行きましょう」

 私の言葉に仲間たちは頷いた。

 

 そのまま私たちは地下6階層の探索を開始した。
幸いにも、遭遇する魔物や正気を失った冒険者たちは、上の階層とそう違わないものであった。
シャロルやアイークには魔法を温存してもらい、私とガライが中心となって斬り進んでいく。

「見て、この床の仕掛け」

 エルが指し示したそこは、床が四角く区切られているようだ。

「滑り台の罠だね。僕たちは今『浮遊』の魔法がかかってるから大丈夫だけど
 もし普通に地面を歩いていたら、下の階層に放り出されてたところだったよ。
 アイークのおかげだね。偉い偉い!」

 セロカが笑いながらアイークの肩を叩く。
兄弟子と弟弟子だからだろう、セロカはアイークを本当の弟のように扱うことが多い。
エルフと人間の成長速度の違いのせいで、ぱっと見セロカの方が年下に見えてしまうのが難だが。
もっとも、それ以上にアイークがセロカのアクションに何のリアクションも示さないのが問題か。

「あれ、でも中にはわざと滑り台に落ちないと下に降りれないなんてこともあるんじゃない?」

「多分これから先、そういう場面も出てくるだろうね。
 そういう時は『解呪』で一旦補助魔法を解く必要が出てくる。
 シャロルには魔法を余分に使わせるハメになっちゃうけど
 少なくとも、今はその場面じゃないだろうから、安心していいと思うよ」

「はーい!」

「……アイークには謝らないのね」

「だって、アイークが魔法使うと僕が活躍出来ないんだもん」

 エルのツッコミに子供じみた言い訳を返すセロカ。
確かに彼の気持ちはわからなくもないが……。

 

 地下6階層の探索は順調に続いていった。
セロカの予想通り、自分たちが下ってきたもの以外の上り階段も発見した。

 先にミノタウロスを倒すか、それともこの階層の探索を続けるかでみんなの意見が分かれたが
そんな時、エルから意外な提案が出た。

「そういえば、5階層にはローレンスお坊ちゃんはいなかったわよね。
 それらしき遺体や灰も見つかってないし……
 ミノタウロスより先に、お坊ちゃんがこの階層にいるかどうかを
 確認するのはどうかしら?」

 ローレンス卿。滅びし帝国の貴族出身の騎士。
ミノタウロスを退治しようと勇んで魔道に挑み、しかし敵わず撤退したものの
今度は部下とはぐれ、結果行方不明になってしまった哀れな男。

「確かに、ミノタウロス退治とローレンス卿の保護は両立出来そうにないね。
 事実上僕たちは彼の護衛をしなければならなくなるんだから。
 遺体や灰になっていても、僕たちはそれを無事地上まで持ち帰らなきゃいけないんだし」

 セロカははぁ……とため息をついた。

「今日はこの階層の探索で終わりそうだね」

 

 闇が広がっていた。
少し耳を澄ますと、外から自分を今晩のディナーにせんと企む獣たちの呻き声が聞こえてくるようだ。

 何故、こんなことになってしまったのだろう。
やはり自分は未熟だったのだろうか。
何とかミノタウロスから逃げることは出来たが、頼りにしていた部下ともはぐれてしまった。
仲間の居場所を探す呪文を扱えるほど、自分に実力はない。
そもそも、恐怖に震えた今の己の口から漏れるのは嘆きの言葉のみ。

 ……どうやら命運尽きたらしい。何者かが自分が隠れている部屋の扉を開く音がした。

 ああ、父上。愚かな息子をお許しください。
 ああ、母上。最期にもう一度あなたの顔が見たかった。
 ローレンスは……魔道を己が墓場とし、先に天でお二方をお待ちしております……。

 そして、ローレンスは獣の牙が己の体を引き裂くのを待った。
しかし、彼を襲ったのは……どこかで聞いたことのある、甲高い女性の怒鳴り声だった。

「ローレンスお坊ちゃん!!! 何ロード様ともあろうものがまるで子供みたいに!!!」


 小さな部屋の隅に蹲っていた男性を見るなり、エルがそう叫びながら男性に駆け寄った。
確かに身なりは不釣合いなくらい立派だった。
魔道の探索に耐える程実用的なものにはとても見えなかった。

「エル、この人がローレンス卿なの?」

 私の疑問を無視し、エルは男性に罵声を浴びせ続ける。

「全く、相変わらずだわ! その女々しさ、なよなよしさ!!
 前から気に入らなかったのよ! 身分ばっかり高いからってそれに甘えっぱなしのあなたが!」

 エルの罵声に、男性は定まらなかった瞳の焦点を徐々にひとつにまとめていった。

「挙句の果てが部下にも見放されて、このザマよ!
 ふん、ボンクラ息子のあなたにはお似合いの結末ね!!
 誰があなたなんか助けてあげるものですか!! このまま魔物のエサになるがいいわ!!!」

 ぺっ……と小さな音がした。
エルが男性の顔に唾を吐き捨てたのだ。

「――――!!!」

 男性の瞳から怯えが消え、怒りの炎が点った。

「き、貴様!! この私をローレンスと知っての!!」

 ローレンス卿は腰の長剣を抜き、エルに向け斬りつけた。
しかしエルは軽い身のこなしでそれをかわす。

「あなたこそ、ちょっと見ないうちに随分偉そうになったものじゃないの。
 あのマザコンで有名なローレンスお坊ちゃん風情が!」

「っ……貴様は……いや、君は……」

 不敵な笑みを浮かべるエル。
対照的に、顔を恐怖に凍りつかせるローレンス卿。
その口が恐る恐るといった様子で、言葉を紡いだ。

「ヴァーテル卿息女……レナーテ嬢……」

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