「ふむ、初めて見る顔だな」
砦に足を踏み入れた私たちに、兵士の一人が話しかけてきた。
「この砦まで来たからにはもうすでに知っておるであろうが、ニルダ皇女からの触れを伝える」
ニルダ皇女。滅びし帝国のたった一人の生き残り。
帝国が滅んだ際はまだ年若い少女だったが、今や生き残った貴族や騎士を率いて
魔族に奪われた王位継承の証「ジェルマの杖」を求め魔道を回っている、優れた指導者だ。
「『町から程近い、ゴータナスの穴の底に魔道が開いた。
魔界へ降り、ジェルマの杖を魔族の手から奪い返し、
魔道を封ぜし者には、勇者の称号と共に男爵位を与える』以上だ」
元々はノームたちの採掘場だったゴータナスの穴の底に、魔道が開いたのは比較的最近の話だ。
先の大戦時に魔道を開き続けた悪魔が滅びてから、新たな魔道が開いたという話は少ないため、
ジェルマの杖を奪った魔族が何か関与しているのではないか、というのが皇女の見解だった。
「すでにジェラルド卿、マイヤー卿の率いる探索隊がゴータナスに潜っている。
ここには彼らからの報告が逐次届けられているので、頻繁に足を運ぶとよいだろう。
また、冒険者からの報告も受け付けており、それらの情報が探索の手助けになったことも多い。
諸君らも何か気付いたことがあったら、どんどん報告してくれたまえ」
そして、兵士は笑みを浮かべた。
「良い知らせを待っているぞ、若人よ!」
ムンカラマの朝は、陰鬱な雲に覆われ決して気持ちのいいものではなかった。
加え、町唯一の宿「アリエスの宿」は冒険者で溢れかえっており、間に合わせに設置された簡易寝台にすら泊まれなかった私たちは
無料で開放されている「馬小屋」にて一晩を過ごさざるを得なかったのだ。
「あ〜、頭が痛い…飲みすぎたわぁ」
エルがおでこを抑えながらふらふらと私の後を歩いている。
「大体何よ、部屋が足りないから馬小屋に泊まれだなんて…臭くてロクに休めやしなかったわ」
「まだ屋根があるだけいいじゃないか…今までの野宿に比べれば、ずいぶんマシだと思うぜ」
「ガライは無神経でいいわね、馬の臭いなんか全然気になんないようで」
「な、何だと…!?」
調子が全く変わっていないのを見ると、エルの二日酔いは大したものではなさそうだ。
むしろ私の見るところ、ガライの方がお酒には弱いらしく、今もずいぶん顔色は悪い。
それでもエルの手前、ムリして頑張っているのだろうか。
「で、お姉、いよいよ魔道に?」
「えぇ。でも、まだ私たちは駆け出し。あまりムリは出来ないわ。
ひとまずお金を貯めて、もっといい装備を揃えることに力を入れましょう」
「そんな悠長なことをしていたら、先を越されるわ!」
エルが反射的に反論した。
「ジェラルド卿、マイヤー卿と言えば、先の大戦で大きな功績をあげた名将軍よ!
そんな人たちが杖を取り返そうと魔道に潜っているなんて、一刻を争う問題じゃない!」
「エル!」
ガライがエルを諭す。
「俺たちは冒険者になったばかりだ。そんなヤツらが、上級悪魔がうようよいるような場所へ行って、生きて帰れると思うのか?
確かにオマエの言いたいことは良くわかるし、目的を果たしたいのもよくわかる。
けど、死んじまったらどうにもならねぇんだぜ。それを良く考えろ。いいな?」
「…ガライが私を守ってくれるんじゃないの?」
「だからっ! そんな上級悪魔に勝てるような実力は俺にはまだねぇんだって!」
「…頼りないわねぇ」
「んなっ……うっ、うえぇ!!!」
ムリしすぎたらしい。ガライは道の隅に走り去り、壁に手をついて嘔吐し始めてしまった。
「…情けないわねぇ」
エルの呆れたような呟きを背に、私は町外れのゴータナスへ向かって歩みを速めた。
心なしか、だんだん風景が陰鬱なものになり、肌をつく風も気持ちの悪いものになってきた。
「魔道、ね…」
ぽつりと呟いたのは、セロカだ。
「軽々しく魔界の者を使役なんか出来るはずがなかったんだ…
けど、先の皇帝はそれを犯してしまった…その代償が、僕たちに回ってきた」
「あなたにとって、魔道を封じるということは、先代の皇帝の尻拭いなの?」
シャロルがセロカに訊ねた。
「これを出世のチャンスと取る者もいるし、自分に与えられた使命だと取る者もいる…
…僕の場合は、贖い…かな」
贖い。予期せぬ言葉だった。
「あがない…って?」
「いや、何でもないんだ。気にしないで。僕たちの目的は修行も兼ねて、ジェルマの杖を取り戻して魔道を封じる。たったそれだけだよ」
「…」
セロカが何かを振り切るように笑う。そのさらに後ろで、アイークがただでさえ暗い表情をさらに曇らせた。