ここの背景画像は「Yellow House素材館」さんからお借りしました。

資料 ま行


マリア・アントニアの少女時代 (H13.4.14.UP)
「小部屋/マリー・アントワネット/人に歴史あり/オーストリアで」
これはオーストリア公女マリア・アントニアの家庭教師をやっていたオルレアン司教のヴェルモン神父がヴェルサイユに出した手紙です。物事を考えるのが苦手で、肝腎な話になるといつも退屈して逃げ出してしまうマリー・アントワネットの原型がここにあります。

「公女は人を恍惚させるようなお顔立ちの持ち主で、考えれる限りの優美な物腰を身につけていらっしゃいます。もう少し成人なさったら、やんごとなき姫君に望みうる全ての魅惑を持たれることでしょう。その性格や心根も優れていらっしゃいます。…

公女は他の人が予想していたよりも利発な方ですが、残念なことに、12歳になるまで集中力は養われませんでした。少しばかり怠慢でお調子者が過ぎるため、公女の教育は私には手にあまるところがありました。初めの六週間、文学の大綱を手始めにやりましたが、公女はよく理解され、大体において正確な判断を下すことはできます。しかし、ひとつの問題にじっくり取り組ませようとしてもそれができないのです。本来はできる子だとわかってはいますが…。

とうとう私は、公女のご教育は同時に遊ばせながらでなくてはできないということがわかりました。」

マリア・アントニアは逃げ回りながらも、誠実で機知に富んだヴェルモン神父を信頼し、後に王妃となってからもその信頼は揺らぎませんでした。

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