ここの背景画像は「Yellow House素材館」さんからお借りしました。
バスチーユ陥落を見た外国人の見解(H12.11.16.UP) 「概要/バスティーユ襲撃/バスティーユ襲撃の意味」 |
イギリス大使ドルセット公からイギリス国王への書簡 「この瞬間から、我々はフランスを自由な国として、国王を王権の制限された国王として、また貴族を国民の水準まで引き下げられたものとして認めることができます」
オーストリアの大臣宛の報告 |
バスチーユ守備兵の日記 「概要/バスティーユ襲撃/7月14日」 |
私達が歩いた道や家々(部屋の上さえも)は私を罵倒する人で溢れかえっていました。私は絶えず、剣や銃剣やピストルにさらされていました。どのようにして殺されるのか、想像さえつきませんでしたが、もう死ぬのだと思いました。武器を持たない人は石を投げました。女性は歯をむき出し、こぶしで私を脅しました。
|
ブリュメール18日のクーデター 「概要/革命は終わった/プレリアル30日のクーデター」 |
ナポレオンの思惑 国民に人気がある「偉大なナポレオン」を誰もが利用しようとしていました。そのことを知っているナポレオンはパリに帰ってきてからは、時期と利用できる人間を密かに探していました。 皆がナポレオンを利用しているようで、実は利用されていたのです。この時点で彼は何を考えていたのでしょうか。
結果はともかく、とりあえずブリュメールのクーデターの首謀者はシエイエスでした。彼がナポレオンを利用した理由とはなんでしょうか。 Q1.何をしたいのか。 Q2.なぜ独裁の一歩手前まで推し進めるのか。 Q3.軍隊に頼るのはなぜか。 Q4.なぜナポレオンに白羽の矢を当てたのか。 しかしながら、結果はナポレオンにしてやられたのは誠に気の毒と言うより他はありません…。 |
ベルヴェデーレ宮殿での祝宴(マリー・アントワネット) (H12.7.11.UP) 「小部屋/マリー・アントワネット/オーストリアで」 |
4000人も招いたというベルヴェデーレ宮殿での祝宴のお料理リストです。字の羅列になりますが、とにかくすごいです。
文化出版局「デュバリー伯爵夫人と王妃マリー・アントワネット」から それにしても、いくら4000人も招待したからと言って、これだけのものを食べたのでしょうか。それに、数える人も細かく数えました。天晴れです。 |
封建的特権の廃止決議の時の発言 (H12.12.22.UP) 「概要/封建的特権の廃止/8月4日の決議」 |
1789年8月4日の晩に熱狂的に行われた封建的特権の廃止決議の時の発言です。
|