06年2月末頃のこと、昨年の10月、ぎっくり腰をやってしまった家内が再発、腰痛に悩まされるようになってしまった。
ご承知の様に、ぎっくり腰の処置には絶対安静が最大の治療法であり、他のいかなる処置も大して効き目がないのである。
そこで、ほぼ寝たきり老人よろしく、安静に保っていたわけである。
あまり痛がるので、近くの総合病院に連れて行き、整形外科で見てもらうことにした。
とはいっても、痛がる身体を無理してレントゲンをとったところで、頸椎とか椎間板の細部が映るわけのものではないことは、
私もぎっくり腰のベテランだけに、そのことはよく承知している。
しかしその結果、家内の腰は、腰椎の2番が圧迫骨折をしている状態だという。
だが、それも去年のときのものが、すでに固まっているものだという。
治療薬は、ただの湿布薬が2週間分、処方されたにすぎない。
小生、料理・洗濯は得意だから、家内は安心して寝ていられる。
そうして何週間か療養していたのだが、3月25日、突然、吐き気におそわれ、すこし戻したのだ。
そんなことが翌日もあり、私のすすめで、近くの総合病院の内科で見てもらうことにした。
ノー天気な家内は、『整形の湿布薬は強いから、それが胃にきてむかついた』のだという推測をしていた。
『湿布薬は、まぁいいところ皮膚下の筋肉まで・・、腹膜、腹水、胃壁を貫いて、胃を荒らすことなんか絶対にないはずだ』との
私の主張に、しぶしぶ病院までついていったのである。
早速、3月28日には胃の内視鏡検査の予約をとり、そのときはじめて潰瘍と、胃の上部に悪性の腫瘍ありと診断される。
私も家内も、いわばガン家系。
その種のテレビや新聞なんかを見ては、将来、もし、ガンになったらお互いに告知し合おうと、話し合っていた。
相手に隠すのも辛いし、嘘をいわれ続け、死んでいくのも嫌だからである。
だから、医師の診断結果もふたりで、ともに聴いたのである。
『胃の潰瘍もかなり進んでいるし、胃の上部、噴門周辺に少したちの悪い腫瘍がありますから、これは全摘出の必要があります』と、担当の外科部長O医師はいった。
それを聞いた家内は、『あぁ、私もお母さんといっしょだぁー』と、押しつぶす様につぶやいた。
じつは、家内の母は、彼女が19歳の時、胃の末期ガンで44歳の若さで他界していたのである。
高校卒業後、東京・町田にあったNデパートの女子寮に入っていた彼女は、すぐに退社し、母の看護をするために帰省、最後の1ヶ月間、病院に寝泊まりして看護し、母を看取ったのである。
その思いがよぎったのだ。
そのことを私から先生に告げたのだが、『40年前と今では、医療も薬も進歩しているから心配はいりませんよ』という。
その後、手術内容について右のイラストを使い、詳しい説明を受けた。
お腹のみぞおちからヘソの下4、5センチまで切り、リンパ節を含め、悪いところを切除するという。
胃の全摘出は、いろいろなやり方があるが今回は、食道の末端・胃の噴門近くで切り、それを小腸につなげる。
一方で、胃の下部は幽門で切り、そこは閉じ、十二指腸の先端を小腸の別のところに穴を空け、そこにつなぐのだという。
4、5時間もかかる大手術であるが、症例数や処置数も多いからあまり心配はないという。
家内は『まさか、わたしは母と同様の末期ではないですよね?』と聞く。『えぇ、そんなことはありませんよ』先生は答える。
また、『こうした病気の場合、他の病院でも見てもらうとか、県立ガンセンターの方がいいという方もいますが、どうしますか?』と聴いてきた。
その病院で手術までするか、他へ転院するかによって、以後の検査内容も異なるのだという。つまり、こちらでも、あちらでも、
同じような検査を続けて、患者の負担を大きくするか否かということなのである。
その質問には、家内は即断した。『こちらでお願いします』と。家から近いし、ときには家に帰ることもできるからだともいった。
帰宅後、家内には『でもガンなんだからガンセンターの方がよくはないか』と念を押したのだが、家内は、その病院でいいとはっきり決断していた。
その前の年、知人の付き添いで、家内は何度もガンセンターを訪れていたし、ガンセンターに関しては私はまったく知らない。
その様子をよく知った本人がいうのだし、患者自身が、医師と病院に信頼感をもって治療に当たることはなによりも大切なことだと承知してのことで、
私も承諾した。 ついでに、入院日と手術日も決めた。4月10日に入院、翌11日に手術と決定。
それから毎日が、検査、検査の連続。血液検査から心電図、胃のバリウム造影、CTスキャン、エコー(超音波)、点滴静注・腎盂造影などなど。