第4章
サピエンスの起源
現生人類アフリカ単一起源説の根拠
ホモ=サピエンス(現生人類)の解剖学的な派生的特徴としては、弱い眼窩上隆起・小さな歯・垂直な前頭骨・丸っこい後頭骨・はっきりとした頤などが挙げられる(Lewin.,2002,P150)。こうした解剖学的特徴はこれまでの人類とはかなり異なるものである。よく、ネアンデルターレンシスなど現代人の祖先とは考えられていない絶滅人類は人類進化史の側枝と言われるが、冷静に評価するとサピエンスのほうこそ異端であり、側枝と評価するに相応しい(Trinkaus.,2006、関連記事)。
サピエンスの起源をめぐっては1980〜1990年代に激論が展開されたが、現在ではアフリカを起源地とすることで見解(サピエンスのアフリカ単一起源説)が一致しつつある(河合.,2007,第3章に、最近までの研究成果が簡潔にまとめられている)。その根拠は(1)形質人類学と(2)分子遺伝学にある。まずはこの点を簡単に述べておく。
(1)やや原始的ではあるが、最古(160000〜154000年前頃)の確実なサピエンス人骨がエチオピアで発見されており(White et al.,2003、関連記事)、年代と復元に問題はあるが(Tattersall.,1999,P157)、同じくエチオピアにおいてサピエンスの出現が195000年前までさかのぼる可能性が指摘されている(McDougall et
al.,2005、関連記事)。アフリカにおいては、エレクトスからハイデルベルゲンシスを経由してサピエンスへと続く人骨の系統はたどれるが、他の地域では、ネアンデルターレンシスのような先住人類からサピエンスへとつながる解剖学的系統が、アフリカのように明確にたどれない(Lewin.,2002,P172-183)。また、多数の頭骨の分析によってもアフリカ単一起源説が支持されているが、この研究には批判もある(Manica et al.,2007、関連記事)。
(2)ミトコンドリアやY染色体のDNAについての諸研究が示しているのは、現代人の最終共通母系祖先は20〜10万年前頃アフリカに、現代人の最終共通父系祖先は11〜7万年前頃にアフリカに存在しただろう、ということである(篠田.,2007,P191、関連記事)。ユーラシア各地のサピエンス以前の先住人類のDNAについては、ネアンデルターレンシスのものしか調べられていないが、それでも複数分析されている。更新世に欧州にいたサピエンスであるクロマニヨン人のミトコンドリアDNAの塩基配列が、現代人、とくに欧州系と密接な関係が認められたのにたいして、ネアンデルタール人のそれは現代人やクロマニヨン人とも大きく異なっていた(河合.,2007,P113-120)。このように、分子遺伝学の諸研究はおおむねサピエンスのアフリカ単一起源説を支持している。またこうした諸研究においては、アフリカ起源のサピエンス集団がいつどこに進出したのかという拡散経路の詳細な復元も試みられている(Sykes.,2001、Oppenheimer.,2007、など)。
こうした研究成果が提示されているので、私も基本的にはサピエンスのアフリカ単一起源説を支持している。サピエンスの起源がアフリカのどこにあるかまでは確定していないが、現時点ではアフリカ東部が最有力だろう。現在の焦点は、アフリカで誕生したサピエンスが世界各地に拡散したさい、ネアンデルターレンシスや東南アジアのエレクトスのような各地の先住人類との間に混血があったのか、あったとしてどの程度だったのかということである。この問題については、第9章で述べることにする。
サピエンスの出現過程
アフリカでエレクトスとサピエンスとをつなぐのは、エチオピアのボド人骨(60万年前頃)や、70〜40万年前頃と推測されるタンザニアのンドゥトゥー湖人骨・南アフリカのエランズフォンテイン人骨・ザンビアのカブウェ人骨や、26万年前頃と推測される南アフリカのフロリスバッド人骨だと思われ、フロリスバッド人骨にはかなりのサピエンス的特徴が認められる(Klein
et al.,2004,P237-244)。
これらは古代型サピエンス(Lewin.,1998,P167-174)ともハイデルベルゲンシスともローデシエンシスとも呼ばれるが、ハイデルベルゲンシスの後期型がヘルメイと呼ばれることもある(諏訪.,2006)。ここではとりあえず、これらの人骨群を一括してハイデルベルゲンシスとしておくが、変異幅が大きいことには注意しておかねばならない。
これらの中の一部の集団がサピエンスへと進化したと思われるが、上述したように、年代・形態ともに確実な最古のサピエンスは、現在のところエチオピアの160000〜154000年前頃の人骨である。この人骨はアフリカの古人骨では珍しく年代がはっきりとしていて、眼窩上隆起がやや強い点などにハイデルベルゲンシス的特徴も残してはいるものの、初期のサピエンス(ホモ=サピエンス=イダルツ)とされている(White et al.,2003、関連記事)。
この他の最初期のサピエンス人骨としては、オモ人骨が有名である。これは1967年にエチオピア南部のキビシュ川の土手で発見された13万年前頃の2個体分の頭蓋片(オモ1号・オモ2号とされた)で、オモ1号はほぼ完全なサピエンスとされるが、オモ2号は低い脳頭蓋や後頭骨の後方への突出などが認められ、かなり原始的とされている(Stringer et al.,2001,P10-14、Tattersall.,1999,P156-157)。
オモ1号については復元と年代に疑問が呈されていて(Tattersall.,1999,P157)、それは195000年前という新たに提示された年代により、ますます深まったと言えるかもしれない。モロッコのジェベル=イルードでは15万年前頃の人骨が出土しており、ハイデルベルゲンシスとサピエンスとの中間的形態を示しているとされる(Lewin.,2002,P182-183)。オモ人骨の復元と年代が妥当だとすれば、20〜15万年前頃のアフリカには、ハイデルベルゲンシス的な人類集団もサピエンス的な人類集団も存在しており、前者の代表がオモ2号で後者の代表がオモ1号、前者と後者の中間的な存在がジェベル=イルード人骨、後者よりも前者にかなり近い集団がイダルツだった、ということなのかもしれない。
こうした混沌とした状況は、アフリカでは10万年前頃まで続いた可能性もあるだろう。進化は連続的なので時間的・地理的にはっきりと種を区分することは難しく、これらの集団も相互に混血していたかもしれない。じっさい、ジェベル=イルード人骨の成長速度は現代人と変わらないとの見解もあり(Smith et al.,2007A、関連記事)、ジェベル=イルード人的な集団とイダルツやオモ1号的な人類集団とは、混血できるくらいの類似性を有していた可能性が高いだろうとは思う。
ハイデルベルゲンシス的な人類集団は、一部がサピエンスと混血しつつも10万年前頃まで存在し、多数が現代に遺伝子を残すことなく絶滅する一方で、一部がサピエンスに吸収されるという、10万年前以降のユーラシア大陸と同じようなことが起きていたのではないかと思われる。オモ1号の復元と推定年代が間違っている場合は、形態的にほぼ完全なサピエンス(解剖学的現代人)の出現は13〜12万年前頃になるだろう。
参考文献
Klein RG, and Edgar B.著(2004)、鈴木淑美訳『5万年前に人類に何が起きたか?(第2版第2刷)』(新書館、第1版1刷の刊行は2004年、原書の刊行は2002年)、関連記事
Lewin R.著(1998)、保志宏、楢崎修一郎訳『人類の起源と進化(第1版5刷)』(てらぺいあ、第1版1刷の刊行は1993年、原書の刊行は1989年)
Lewin R.著(2002)、保志宏訳『ここまでわかった人類の起源と進化』(てらぺいあ、原書の刊行は1999年)
Manica A.
et al.(2007): The effect of ancient population bottlenecks on human phenotypic
variation. Nature, 448, 346-348. 、関連記事
Oppenheimer S.著(2007)、仲村明子訳『人類の足跡10万年全史』(草思社、原書の刊行は2003年)、関連記事
Smith TM. et al.(2007A): Earliest
evidence of modern human life history in North African early Homo sapiens. PNAS, 104, 15,
6128-6133. 、関連記事
Stringer CB, and McKie R.著(2001)、河合信和訳『出アフリカ記 人類の起源』(岩波書店、原書の刊行は1996年)
Sykes B.著(2001)、大野晶子訳『イヴの七人の娘たち』(ソニー・マガジンズ社、原書の刊行は2001年)
Tattersall I.著(1999)、高山博訳『別冊日経サイエンス 最後のネアンデルタール』(日経サイエンス社、1999年、原書の刊行は1995年)
Trinkaus
E.(2006): Modern Human versus Neandertal Evolutionary
Distinctiveness. Current Anthropology, 47, 597-620. 、関連記事
White TD. et al.(2003): Pleistocene Homo
sapiens from Middle Awash,
河合信和(2007)『ホモ・サピエンスの誕生』(同成社)、関連記事
篠田謙一(2007)『日本人になった祖先たち』(日本放送出版協会)、関連記事
諏訪元(2006)「化石からみた人類の進化」『シリーズ進化学5 ヒトの進化』(岩波書店)、関連記事