第9章
人類史における混血の問題
ユーラシア東部での混血の可能性
第4章で述べたように、現在ではホモ=サピエンス(現生人類)のアフリカ単一起源説が通説としてほぼ認められている。現在の焦点は、アフリカで誕生したサピエンスが世界各地に拡散したさい、ホモ=ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)や東南アジアのエレクトスのような各地の先住人類との間に混血があったのか、あったとしてどの程度だったのかということである。
同じく第4章で述べたように、現代人の最終共通母系・父系祖先のおおよその存在年代が20万年前以降であることが明らかになり、サピエンスとはもっとも近縁な生物集団だと思われるネアンデルターレンシスのミトコンドリアDNAの塩基配列が、サピエンスのそれとはかなり異なっていたため、サピエンスとユーラシアの先住人類との間に混血はなかったとの見解が有力である。ただ、母系・父系由来の遺伝子は失われやすいので、現時点で混血がなかったと判断するのは危険である。
たとえば、男性の先住人類甲がサピエンスの女性と結婚して娘乙しか生まれなかったり、息子丙が生まれても、丙とサピエンスの妻との間に娘しか生まれなかったりしたら、たとえ甲の子息丙と娘乙に由来する遺伝子が現在まで伝わっていたとしても、甲のY染色体のDNAは、現代人には見つからないことになってしまう。逆に、女性の先住人類とサピエンスの男性とが結婚した場合も、ミトコンドリアDNAに同様のことが容易に起き得る(偶発系統損失)。
侵入してきたサピエンスの数が圧倒的に優勢な状況で先住人類との混血があった場合、先住人類の母系・父系継承のDNAは、わりと短期間で失われることだろう。混血があったかどうかは核内のDNAを分析しないと分からないということは、ミトコンドリアDNAの分析が始まった頃から言われていたことで(Shreeve.,1996,P154)、じっさいに挑んだ研究者もいる。その中にはアラン=テンプルトンの研究(Templeton.,2002、関連記事)のように、200〜180万年前頃の第一次出アフリカ以降の人類の複雑な移動と混血とを主張する見解もあるが、多数の研究者はこれに否定的である。
しかし、低頻度の混血という見解も含めると、サピエンスとネアンデルターレンシスのような他の先住人類との混血の可能性を指摘した研究は、けっして少なくない。たとえば、アタマジラミの分岐年代の研究は、混血を示唆するものとの解釈も可能である(Reed et al.,2004)。この研究によると世界中のアタマジラミは二つの集団に大別され、両者の分岐年代は118万年前頃だと推測されるが、二つの集団のうちの一方はアメリカ大陸の先住民からしか発見されなかった。このことから、東南・東アジアでエレクトスと接触した(混血したとは限らないが)サピエンス集団が、エレクトスからシラミを移された後にアメリカ大陸へ移住した、と解釈することも可能だろう。
ジャワの後期エレクトスとされるソロ人は、53000〜27000年前頃まで生存していた可能性が指摘されているので(Swisher et al.,1996)、東南アジアでのサピエンスとエレクトス(の子孫)との接触という想定があり得ないとは言えないだろう。ただ、アメリカ大陸以外ではほとんど発見されていないというのが気になるところである。東南・東アジアでも同類のアタマジラミが発見されていれば説得力が増したのだが、現時点では、このアタマジラミがエレクトスに由来するのか、またサピエンスとエレクトスとの間に接触があったのかという点について、断定するのは難しい。
東アジアについては不明な点が多く、形態学的観点から先住人類とサピエンスとの混血を指摘した見解もあるが、広く支持されているとは言いがたいだろう(Shang et al.,2007、関連記事)。しかし、RRM2P4偽遺伝子の研究(Garrigan et al.,2005)は、東アジアでも先住人類との間で混血が生じた可能性を示唆している。この研究によると、200万年前近くに分岐したと推定される対立遺伝子の一方が、サハラ砂漠以南のアフリカ集団ではほとんど見られなかったのにたいして、ユーラシア東部では高頻度で見られたのである。
ネアンデルタール人と現生人類との混血の可能性
第7章で述べたように、ネアンデルターレンシスのミトコンドリアDNA分析の結果、現代人や更新世欧州のサピエンスとネアンデルターレンシスとの遺伝的違いが大きいことが判明し、種レベルの違いかどうかはともかくとして、ネアンデルターレンシスとサピエンスとは少なくとも遺伝子レベルで異なる集団であることが確実となった。またミトコンドリアDNAの研究では、両者の混血の痕跡も発見されていない(河合.,2007,P113-120)。これにより、ネアンデルターレンシスが欧州でサピエンスに進化したとの説は否定され、またしても遺伝学の分野でアフリカ単一起源説が支持される結果となった。そのため第7章で述べたように、ネアンデルターレンシスは流入してきたサピエンスに吸収され消滅した、と多地域進化説論者も見解を変えた。
2006年になると、ネアンデルターレンシスの核DNAの抽出が成功してゲノム解読が始まり、その途中までの成果が『ネイチャー』と『サイエンス』にて報告されている。ネアンデルターレンシスとサピエンスとの混血問題について、前者はその可能性を指摘したが、後者は否定的だった(Green et al., 2006、Noonan et al., 2006、関連記事)。しかし、ネアンデルターレンシスのゲノム解読にあたっては試料汚染の可能性も考慮に入れねばならず、混血の可能性を指摘した『ネイチャー』論文は汚染された試料を使用したのではないか、と指摘されている(Wall et al., 2007、関連記事)。
おそらく今後も、ミトコンドリアDNAの分析からはネアンデルターレンシスとサピエンスとの混血の痕跡は見つからないだろうし、それはY染色体DNAについても同様であろう。では、核内の染色体のDNAではどうかというと、混血の可能性の有無について結論が出ていないというのが現状であろう。ミトコンドリアやY染色体のDNAの分析から、ネアンデルターレンシスとサピエンスとの混血が遺伝学的に否定されたと考えている人が少なからずいるように思われるのだが、否定されたと結論を下すのは時期尚早である。
混血に否定的な見解としては、ネアンデルターレンシスの髪や肌の色の研究がある(Lalueza-Fox et al.,
2007、関連記事)。ネアンデルターレンシスについては、肌の色が薄く金髪だった可能性が高いことが以前から指摘されているが(馬場.,2000,P115-117)、この研究では、ネアンデルターレンシスにも色素形成機能を減少させるような異形があったことが確認されている。しかし、その異形が現代人には見られないことから、サピエンスとネアンデルターレンシスには混血がなかったのではないか、と示唆されている。
肯定的な見解としては、上述したように、ネアンデルターレンシスにかぎらず、人類の出アフリカ以降の世界規模での混血の可能性を指摘したテンプルトンの研究がある(Templeton.,2002、関連記事)。その他には、アフリカ西部と欧州系の現代人の核DNAの分析から、ネアンデルターレンシスとサピエンスとの混血の可能性を指摘した研究と(Plagnol et al., 2006、関連記事)、脳の大きさを調節する遺伝子から、サピエンスとおそらくはネアンデルターレンシスであろう古代型ホモ属との混血を指摘した研究がある(Evans et al., 2006、関連記事)。
この二つの研究や、上述したRRM2P4偽遺伝子の研究(Garrigan et al.,2005)により提示された仮説を説明するには、「孤立・交雑モデル」が適している。これは、二つの生物集団がある年代(たとえば150万年前)に分岐し、その後ある年代(たとえば10万年前)までそれぞれ孤立して進化した後に再会し、ある頻度で混血(交雑)が生じた、とする説明である(Garrigan et al.,2007、関連記事)。上記のシラミについての研究も、人間のDNAではないが、孤立・交雑モデルで説明可能な事象と言えよう。
もっとも、現代人における核内染色体座の深い系統は、サピエンスと古代型ホモ属との混血を示しているのではないとの指摘もある(Fagundes et al.,
2007、関連記事)。しかし、この指摘にたいする反論もなされている(Garrigan et al.,2008、関連記事)。現時点では、高頻度ではないにしても、ネアンデルターレンシスとサピエンスとの間には混血があったと考えるのがよさそうである。ただ、地域ごとに違いがあり、西アジア>東欧>西欧の順で、両者の混血頻度が高かったのではないだろうか。
形態学的観点からも、サピエンスとネアンデルターレンシスとの混血を指摘する見解が提示されている。しかし、あまり支持されていない。とくに熱心に混血を主張しているのはエリック=トリンカウスで、ルーマニアの40000〜35000年前頃の人骨(Rougier et al., 2007、関連記事)や32500年前頃のサピエンス人骨(Soficaru et al.,
2007、関連記事)にネアンデルターレンシスとの混血の可能性を認め、欧州の初期サピエンスを包括的に論じた研究でも混血を指摘している(Trinkaus., 2007、関連記事)。
これらについてのトリンカウスの見解は、欧州の初期サピエンスは中期石器時代のアフリカのサピエンスに起源があると考えられるが、中期石器時代のアフリカのサピエンスには見られず、ネアンデルターレンシスに見られる特徴も有しているので、両者の欧州での混血(ネアンデルターレンシスのサピエンスへの同化)を示しているというものである。しかし、中期石器時代のアフリカのサピエンス人骨は少ないので、たんに初期サピエンスの多様性が見落とされているだけとの解釈も可能だろう。
じっさい、ルーマニアの32500年前頃のサピエンス人骨については、ネアンデルターレンシスとの混血の痕跡が認められない、と指摘されている(Harvatia et al., 2007、関連記事)。また、欧州ではなく西アジアで両者の混血があり、ネアンデルターレンシス的特徴を有したサピエンス集団が欧州へ進出した可能性も考えられる。
混血の可能性についてのまとめ
現在まで、膨大な数の現代人のDNAと、一部の古人類のDNAが分析されてきた。これまでのところ、ミトコンドリアとY染色体のDNA分析においては、サピエンスとネアンデルターレンシスのような絶滅した先住人類との間の混血の痕跡は、まったく見つかっていない。もっとも、膨大な数の現代人のミトコンドリア・Y染色体DNAとはいっても、具体的な標本数は現代人のごく一部にすぎず、古人類のDNAは現代人以下の割合でしか分析されていない。しかし、今後どれだけ現代人のミトコンドリア・Y染色体DNAを新たに分析したところで、混血の痕跡が見つかる可能性はきわめて低いだろう。
とはいっても、上述したように、だからといって混血がなかったと現時点で断定することはできない。現時点でも、核内DNAの分析により混血の可能性が指摘されている。しかし、原則として父系・母系の双方から継承される核内DNAの系統をたどるのは難しく、混血があったと現時点で断定することはできない。ただ、上述したような諸研究から考えると、ある程度は混血があったと考えるのが妥当であり、孤立・交雑モデルがもっとも整合的な説明であるように思える。
おそらくサピエンスが世界各地に進出していったときに、頻度は各地域により異なっていたとしても、在地の先住人類との混血があったのだろう。この考えは、ギュンター=ブラウアーのアフリカ交配代替モデル説(Shreeve.,1996,P136-138)にほぼ従ったものである。確たる根拠はないが、現時点で大胆に予測すれば、西アジア>南アジア=東欧>中央アジア>東アジア=西欧>東南アジアの順で混血頻度が高かったと思う。
ただ、これはあくまでも地域間の相対的な比較で、母系・父系ともに先住人類由来のDNAが見当たらないことから、西アジアにしても全体的に混血は例外的だったと推測される。しかし、サピエンスを特徴づける遺伝子とその表現型に生存上有利な点があれば、かなりの頻度で混血があったとしても、80世代(1世代30年としても2400年、1世代20年とすると1600年)という比較的短期間(あくまでも人類史において)に、サピエンスが先住人類とほぼ完全に置き換わってしまう、との指摘もある(Garrigan et al.,2007、関連記事)。
参考文献
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馬場悠男(2000)『ホモ・サピエンスはどこから来たか』(河出書房新社)