合理主義の発達(其の四)
第1回で述べたように、ある時代までは、人間の認識や行為は、殆ど全て迷信・呪術・祭祀などに関わるものだったと思われる。現在では確固たる地位を築いてる学問や技能や芸能なども、迷信・呪術・祭祀などに関わる行為から独立して誕生したものであったが、独立した学問や技能や芸能の確立は、合理主義の発達を示すものである。尚、芸能には「芸術と技能」という意味があり、平安・鎌倉時期には、芸能といえば広く技芸・技術・学問などの才能と努力のことを指し、遊女・白拍子・紙漉・歌人・医師などが芸能人とされた。そして武士もまた、武という芸(技術)によって他と社会的に区別される芸能人とされていた。
現在使われるところの狭義の芸能は、元来は神事の一部であり、神を喜ばすための捧げものであったと思われる。詩や演奏や演劇は、そうした神事の一部の中から大変に長い時間をかけて徐々に独立した芸能として確立していったのだが、何と言っても長期に亘る変化だけに、かなり時代が下っても芸能に神事的というか聖的性格があるとの認識は存在しており、現在でもそうした観念が完全に消え去ったわけではない。
日本の場合は、独立した芸能が概ね成立するに至った転換期というのは、前回の引用文にあるように、戦国時代のことと思われるが、もう少し遡らせて南北朝時代から含めて南北朝戦国としたい。そうすると、南北朝戦国が日本史における一大転換期という雑文における私の一連の主張と合致するということもあるのだが、連歌の流行や能楽の成立は室町前期までに起きていることであり、能楽は神事芸能であった猿楽や田楽の中から発達したものであるから、という理由もある。まあ、盆踊りなど民衆芸能の成立は概ね戦国時代なので、芸能独立の転機は戦国時代とする方がすっきりするような気もするが・・・。
中国の場合、既に西周後期に吟遊詩人の如き人々が存在する可能性も充分認められ、彼らは市にて民衆に歌いかけたと思われるのだが、戦国時代には、各地の市で身振り手振りを時として伴った演劇または語り物が盛んに行なわれていて、戦国時代になると独立した芸能がかなりさかんになっていたことが窺える。恐らく春秋戦国が、中国においては芸能が神事から独立する一大転換期になったものと思われる。
こうした芸能が市において盛んに行なわれたというのは、それらが神事であった時代の名残だと思われる。この世と天とを結ぶ境界領域である市は、神事を行なうのに相応しい場所であり、人が多く集まる場所だからという理由だけで芸能が盛んに行なわれたわけではないのだろう。第4回で述べたように、中国においては戦国時代に市が囲壁集落・都市の中に取り込まれたが、その後も境界領域としての名残は認められ、芸能が盛んに行なわれたことも、処刑が執行されたことも、市が本来的に持つ境界領域性に一因を認められるように思われる。
学問もまた、迷信・呪術・祭祀などに関わる行為から長い時間をかけて独立したのだが、最も分かりやすい例は天文学であろうか。太陽や月などが諸現象に大きな影響を与え、その運行が規則的であるということを、人類は経験的に、或いは直感的に感じ取っていたのだろう。大体どこの地域でも天体観測は古くから非常に重視されており、無論その成果は、農耕開始の時期や増水の時期など実用的な分野にも生かされたが、人や国家の運命といったものを占う際にも大いに利用されてきた。後者の傾向を引き継いだものが現在の占星術であり、天文学の方は、観測技術の発達に伴って急速に発達して、そうした迷信と手を切って独立した学問として成立したが、占星術も天文学も同根から生じたのである。
その他の学問も似たようなものであり、神へ捧げるための青銅器や鉄器を造るという行為から冶金学などが派生し、神への捧げものであった祝詞(というか、世界各地にあった祝詞の原初的なもののことで、適切な用語が思い付かなかったので、祝詞という単語を使用した)から派生した語り物はやがて歴史を生み出し、歴史は文系諸学問の基礎となった(これは流石に苦しいかな・・・)。とはいえ、かなり時代が下っても学問と迷信・呪術・祭祀とは密接な繋がりがあり、現在でも完全には払拭できていない。ニュートンが錬金術に凝っていたのも、決して彼の個人的理由に還元されるものではなく、歴史的由来があったのである。
日本と中国それぞれの学問独立の一大転換期については、芸能程には自信を持って言えるわけではないが、中国の場合は春秋戦国と唐宋間、日本の場合は戦国時代に認められるように思う。春秋戦国というのは早すぎる設定のようにも思われるが、この時代に花開いた諸子百家は、確かに今日からするとまだ多分に迷信的ではあるものの、やはり従来の迷信・呪術・祭祀などとは一線を画し、学問の独立を一応は達成したのではないかと思う。