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仏教講座

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31回のテーマは

輪廻の世界
A餓鬼の巻 その三
現代の餓鬼は、もちろん眼には見えないものなのですが、よくよく観察をしていると、その餓鬼にとり憑かれたのではないか、とわかりそうな餓鬼が多いようです。その餓鬼の真の姿は見えないのですが、
「ひょっとしてあの人、餓鬼にとり憑かれてる?」
というのは、わかるのではないか、そう思います。それは、現代の餓鬼の種類を見ていけば、納得していただけるのではないでしょうか?。

昔の餓鬼には、大きく分けて
@無財餓鬼(むざいがき)
A少財餓鬼(しょうざいがき)
B多財餓鬼(たざいがき)
という三種類の餓鬼がいましたが、現代の餓鬼には@の無財餓鬼はほとんど見受けられません。前回にもお話しましたように、お寺の極近くにしか存在していません。もちろん、人間に危害を加えるようなことはありません。ですので、無財餓鬼というのは、現代の餓鬼からは除外してもいいでしょう。

では、残りの二種類の餓鬼はどうでしょうか?。これは、存在しています。ただ、名称が少財餓鬼とか多財餓鬼とかではなくなっているようですね。まあ、強いて言えば、
*負け組み餓鬼
*勝ち組み餓鬼
でしょうか。その線引きも意外と曖昧なところはありますが・・・・。線引きするよりは、例をあげて見ていったほうがいいかもしれませんね。勝ち組にも負け組みにもまたがって存在する餓鬼もいますから。
ですので、現代の餓鬼では、種類分けしないで、その餓鬼名を列挙していきます。

*ゴミ収集餓鬼
「もったいない餓鬼」とも言われますが、「もったいない」と思うことはいいことも含んでいるので、「もったいない餓鬼」とは言いたくないですね。文字通り、「ゴミを集める」餓鬼です。
この餓鬼には、好き好んでゴミを集めている種と、本当はゴミを集めたくはないのだけれど、溜まってしまうという種があります。
何でも拾って来ては自分の家に溜め込んでしまうのが、好き好んでゴミ収集をしている餓鬼ですね。知らないうちにゴミが溜まっていってしまう、もしくは捨てられない、整理できない、掃除できないというのは、本当はゴミが嫌いなんだけれど集まってしまう、という餓鬼です。ゴミに対して積極的収集なのか、消極的収集なのか、の違いがあるわけです。この餓鬼は、最近増えているようです。特に消極的ゴミ収集餓鬼は、急増中のようですね。
みなさんの周りに、捨てられない、整理できない、掃除できないと言う人はいませんか。もしいたら、その人の背中をよ〜く観察してみてください。昔は少財餓鬼と言われた餓鬼が乗っかってませんか?。その人の背中の上でゴミにがっついていませんか?。昔は、ガリガリに痩せ細っていたのに、今では丸々と太った姿をしているからわかりませんかねぇ・・・。


*色餓鬼
エロ餓鬼、不倫餓鬼、風俗餓鬼、求異性餓鬼・・・・とも言われていますね。いくつになっても、結婚していても、彼氏彼女がいても、他の異性を求めて止まらない餓鬼のことです。
そもそもこの餓鬼は、浮気心を持っている人間や一人の異性で満足できない者にとり憑き、その浮気心や異性を求める心を刺激し、出会い系サイトや風俗、ホストクラブなどを利用し、異性を際限なく求める餓鬼です。異性と楽しんでいるとき発するエロティックなエネルギーを食事としています。
この餓鬼の最も顕著な特徴は、エスカレートすると、変態性が出てくる、ことです。たとえば、出会い系サイトを利用し、変態行為や犯罪行為に走ってしまうようになります。つまり、未成年に手を出したり、ノゾキをしたり、レイプをしたり、撮影をしたり・・・・ですね。
ですので、この餓鬼にとり憑かれた男性は、自覚症状があったのなら、早めにお祓いや餓鬼供養をすることですね。でないと、身を滅ぼすまでエスカレートする可能性が高いですから。
女性の場合、ホストに入れあげ、財産をなくすとか、借金を重ねるとか、そうした特徴が現れます。金銭的行き詰まりをもたらすのです。やはり、早めに対処した方がいいでしょう。
また、不倫を重ねるうちに家庭崩壊や病気に陥る場合もあります。
この色餓鬼は、どこにでもいて、ちょっと浮気心があるものなら、すぐにとり憑かれてしまいますので、用心してください。浮気や不倫、変態行為には深入りしないように。身を滅ぼしますよ。


*負け犬餓鬼
別名「愚痴餓鬼」とも言います。「俺なんか・・・」、「私なんて・・・」といつも愚痴っている餓鬼です。自分に自信がなく、なにをやってもダメなんだと思い込んでしまった者や、愚痴ばかり言っている者にとり憑く餓鬼です。愚痴愚痴いっているその時の負のエネルギーが、彼らの食事になります。
これにとり憑かれると、すべてにおいて自信がなくなり、やる気がなくなり、世間の目が冷たく感じられ、最終的には世間に出て行く気力がなくなってしまいます。
その果ては、引き篭もりか自殺です。
ですので、大変危険な餓鬼なのです。これにとり憑かれたら大変です。早めに対処してください。もともと自信がないものや積極的に出られない引っ込み思案の方や、愚痴の多い方は気をつけましょう。特に、愚痴の多い方、これは要注意ですよ。
この餓鬼は、急増中ですから、気をつけてくださいね。予防法は、何事にも「やってやるぞ!」という気力を出すことです。その気力を最も嫌うのが、この餓鬼なのですから。


*生活苦餓鬼
日々の生活に追われ、周りが見えなくなってしまい、挙句の果てには家庭崩壊を招いてしまうという、恐ろしい餓鬼です。現代にはよく見られる餓鬼で、餓鬼の中の餓鬼、餓鬼の典型です。この餓鬼は、他の餓鬼が持っている特徴を吸収してしまい、同時に発症させるという猛毒を持っています。
普通の生活で満足すればいいのに、我慢ができず高みを望み、それに固執するする者がとり憑かれます。この餓鬼は、このときの心情「もっともっと・・・」という思いや、「あぁ、我慢できない」という欲求を食事としています。
この餓鬼にとり憑かれたら、普段の収入以上にものを買い込んでしまい、その支払いに追われるという苦しみを味わうようになります。それでも、ものを買うことが止められません。注意したいのは、対象はものだけではないということです。賭け事であったりもします。
たとえば、そんなに裕福でもないのに、ブランド物を持ちたがったり、高級レストランに行きたがったり、エステに通いつめたり、海外旅行に行きたがったりします。また、パチンコなどの賭け事に夢中になったり、家事を忘れ芸能人の追っかけになったりするものもいます。
この餓鬼にとり憑かれた者の特徴としては、自分や家庭内の収入以上にお金を使ってしまう、というところにあります。最終的には、ローン会社に駆け込むこととなり、やがては返済不能に陥り、破産へと流れていってしまいます。
この餓鬼にとり憑かれないようにするには、自分の家庭の収入内で生活をするということを心掛けることです。また、住宅ローンを組む場合などは、返済能力をよく考えて、分相応を忘れないことですね。


*ガキ餓鬼
いつまでも大人になりきれない、我が侭ばかりの餓鬼です。社会のルールや他人の迷惑を考えられないような、自分勝手な人間にとり憑きます。この餓鬼は、自分勝手な行動をして得る「自分は特別だ」という快感を食事としています。
ですから、この餓鬼にとり憑かれると社会のルールは無視し、自分勝手なことを言ったり、したりするようになるのです。また、大人でも子供のようになります。口では偉そうなことを言っているけど、行動が伴わないのです。理屈ばかりで行動が伴わない、自分の間違った行動を理屈で正当化しようとする、それが無理なときは、威圧や暴力で正当化しようとします。つまり、大人としての考え方ができなくなったり、社会常識に欠けた行動をとるようになるのです。
たとえば、初期症状の場合ですが、スーパーなどの駐車場で身体障害者用駐車場に平気で車を止めたりするようになったら要注意です。この餓鬼にとり憑かれた者のよくいうセリフに
「私だけじゃないわ。」、「俺だけじゃない。」
というものがあります。こういう言い訳をして、社会常識を破るような行為をするようになったら注意してください。社会のルールやマナー、エチケットを守らないと、どんどんエスカレートして、自分がやりたいことが社会のルールだ、になってしまいます。最近では、ネットの中にこの餓鬼にとり憑かれている者の特徴が見受けられます。
この餓鬼を甘く見ていると、挙句の果てには、自分が正しく社会が間違っている・・・という思いにとり憑かれます。こうなると、困ったことに犯罪者への道をたどることとなります。面倒でも、社会の常識やルール、マナー、エチケットを守るようにしてください。


*ダイエット餓鬼と多食餓鬼
まずは、ダイエット餓鬼です。これはよくわかりますよね。女性に多いようです。「私は太っている、みっともない体型だ」という思いにとり憑かれ、すでに十分なのに「まだ痩せていない、まだ太っている」といって、ダイエットし続けます。このダイエット餓鬼は、このときに抱く思い、「まだまだよ・・・・」という思いを食事にしているのです。
この餓鬼にとり憑かれると、ガリガリになってもダイエットをし続けようとします。過食症を起こしたりします。
世の男性は、多くは「ポッチャリ系」が好きなのです。ですから、無理なダイエットはやめましょう。

多食餓鬼は、食べることが好きで好きで、病気であっても、かなり太っていても食べることが止まらない者がとり憑かれます。ダイエット餓鬼と逆ですね。「太っているのはしっているけど、おいしいものは止まらない」といって、次から次へと食べ物に手を出してしまう、食べることが大好き、というものがとり憑かれやすいです。この餓鬼は、「あ〜、おいしい、もっと食べた〜い」という満足感及び食べ物への飽くなき欲求を食事としています。
この餓鬼にとり憑かれると、成人病予備軍といわれようと、太りすぎといわれようと、他人から白い目で見られようと、満員電車で嫌われようと、病気を発症していようと、食べることを止めません。食って食って食いまくる、という言葉通りの行動をします。
しかし、やがては身体が耐えられなくなり、病気を多発し、死に至ってしまいます。この餓鬼も恐ろしいのですよ。

このダイエット餓鬼と多食餓鬼は、表裏一体なのです。多食餓鬼からダイエット餓鬼へ変化したりするパターンがよく見られます。ダイエット餓鬼に変化したと思ったら多食餓鬼に戻ってしまった、という場合もあります。
一匹の餓鬼で二役をこなす餓鬼であり、現代では、大変多く見られます。


*教育餓鬼
これは親にとり憑く餓鬼です。自分の子供が嫌がっているにもかかわらず、過度な教育を押し付けてしまうという症状を表します。教育熱心すぎる親にとり憑きます。
この餓鬼にとり憑かれると、子供が遊びたくても「勉強するのよ」、「もっと、勉強しないか」という言葉で、子供の権利を奪います。で、子供の成績がいいことが自慢であり、その自慢の心と「もっといい成績を」という欲の心を食事とします。
この餓鬼にとり憑かれた者の特徴としては、ともかく勉強のことしか口にしなくなります。成績アップだけが喜びであって、それ以外は目に入りません。子供が勉強をするためならば、なんでもします。子供には勉強以外のことはさせません。そのために子供が心身ともに疲労しきっていても気付きません。もし、成績が上がらず希望校の受験に失敗なんてしたら、大変なことが起きます。家庭崩壊は間違いないでしょう。
子供が自ら勉強したいと思うのなら構わないのですが、親が子供に勉強ばかり押し付けるのは、子供の権利を奪うことになります。勉強も程ほど、遊びも程ほどというバランスを保つことが、この餓鬼から逃れる方法です。


*現代版自子食餓鬼
文字通り、子供を食い物にする餓鬼です。働かない、動かない、ダラダラしている、ぐうたらな親にとり憑きます。この餓鬼は、自分は楽をして、子供に働かせ、そして生きていくという餓鬼です。もともと、働くことが嫌いなものにとり憑きやすい餓鬼です。
この餓鬼にとり憑かれると、働かなくなります。自分の好き勝手なことばかりするようになり、自分の子供に働かせるようになります。子供は、自分を養うべき存在である、という認識しか持てません。子供に対する愛情が欠けています。ですので、子供に働かせ、自分はダラダラと過ごしているのです。子供は、なぜか逃げ出しもせず、懸命に働く場合が多いようです。

この自子食餓鬼の亜種として、近年恐ろしい餓鬼が発見されました。それは、子供を暴力で死に追いやってしまうという餓鬼です。この餓鬼は、もともと働くことが嫌い、子供が嫌い、ぐうたらな生活を送りたい、という大人にとり憑きます。働かず、ダラダラ過ごし、子供を虐待することに喜びを感じる、その快感を食事としている恐ろしい餓鬼です。
この餓鬼にとり憑かれると、本来は、子供を育て親である自分を養ってもらうようにするのですが、そこまで我慢ができず、子供を育てることが面倒になったり、疎ましくなったりして、挙句の果てには、子供を虐待するようになるのです。
自分の子供を食い物にするだけでなく、死へ追い込んでしまう、恐ろしい餓鬼です。これにとり憑かれたら、かなり面倒なことになります。一回や二回のお祓いでは、なかなか取り除けません。とり憑かれた本人の「働く」という自覚が生まれないことには、取り除くのが難しい餓鬼なのです。
まずは、とり憑かれないように、「自分で働く、家族を養う」という気持ちを持つことが大切です。


*名誉餓鬼
文字通り、名誉を求めて必死になる餓鬼です。威張りたい人にとり憑きやすいですね。この餓鬼は、「あんたは偉い、立派だ」と言われるときの快感を食事としています。ですので、この餓鬼にとり憑かれた者は、おだてられると天まで昇ってしまいます。ちょっと間抜けな餓鬼ですね。
この餓鬼にとり憑かれると、何よりも名誉を重んじるようになります。役職や家柄に異常にこだわるようになります。自分が就任した役職をなかなか他に譲ろうとしません。周りがうんざりしている状況であっても、
「わしがいなきゃな、あっはっは〜。」
と意に介しません。自分がその役職に居座っていることが迷惑であることに、気付かないのです。そういう者に限って、実力はありません。実力があれば、迷惑な存在になりませんし、自分の立場や去るべきときはわりますからね。ただただ、名誉が欲しいだけなのです。
また、この現代において、妙に家柄を重んじるものもいます。
「うちは名誉ある家柄だから」
「うちは名家だから。」
などと、家の名誉を重んじます。実際は、地に落ちているんですけどね。それに気付かないんですよ。平等で身分制度のない現代においても、やたら家柄を強調してしまうのが、この餓鬼にとり憑かれたものの特徴なのです。
頑固なじい様によく見られる餓鬼です。そういうじい様がいたら、肩のあたりをよく見てください。髭を生やして、偉そうな態度をしている口の大きな生き物が見えてきます。それが、この餓鬼の正体です。この餓鬼は、とり憑いたものの死と共に死ぬ場合が多いようですが、たまに子孫に引き継ぐ場合もありますので、ご注意ください。
名誉なんて、家柄なんて、何の役にも立たないよ、という気持ちを持っていれば、とり憑かれることはないでしょう。


*株餓鬼
株餓鬼は、外出などほとんどしないで、一日中パソコンの前に座って株の取引を行っている者や、株の買占めなどをして、企業を乗っ取ろうとするものにとり憑きます。最近発見された新種の餓鬼です。株で大金を儲けたとき、企業の筆頭株主になったときの快感を食事にしています。
この餓鬼にとり憑かれると、他人がどう思おうとも、お構いなしに株の買占めを行うようになります。法の穴をついたり、違法すれすれのことをしたり、情のない買占めをしたりします。とり憑かれた本人は、他企業から嫌われようが、世間から叩かれようが、全く気にしません。儲かればいいのですから。
また、一日中引き篭もって、パソコンの前で座ってトレードをしていることも苦になりません。自分の予想通りに株価が動き、儲かればいいのですから、他人がどう批判しようとも平気なのです。運動不足であろうと、他人と接触できなかろうと、構わないのです。株価がすべてなのですから。
この餓鬼にとり憑かれた者の行く末は、結構惨めな場合が多いようです。たった一人で引き篭もっていたものは、淋しい人生を送るでしょうし、買占め買占めを行っていったものは、いずれ自分も同じ目にあうでしょう。また、世間から疎んじられてしまうでしょう。最終的には孤独が待っている、そういう淋しい餓鬼なのです。


*富裕餓鬼(セレブ餓鬼)
本当にセレブならば、餓鬼にはなりません。セレブまがいだから餓鬼なのです。つまり、虚飾のセレブですね。この餓鬼は、本当はセレブでもないのに、セレブの振りをしたい、セレブでありたいと思っているものにとり憑きます。中途半端な裕福層の人間が狙われやすいようです。この餓鬼は、世間から羨ましがられる、その快感を食事としています。
この餓鬼にとり憑かれると、やたら金持ちの振りをしたくなります。実際、金持ちであっても、さらに金持ちの振りをしたくなるのです。このような富裕層は、会社経営者の場合が多いのですが、その会社がうまくいっている場合はよいのですが、実際は火の車であっても、金持ちの振りをしなくては気が納まらないのです。
粉飾決算などをして、実際の経営は自転車操業であっても、会社経営者ですから、セレブの振りをしなくてはなりません。どんなに内情が火の車であっても、セレブであり続けたいでしょうし、セレブの振りを続けなくては、ならないのです。いや、すでに贅沢がしみこんでいますから、いまさら節約などできなくなっているのです。
が、やがては会社を追われたり、倒産ということになったりして、豪邸も贅沢な暮らしも追われる羽目になるのです。この餓鬼は、いわば貧乏神のような餓鬼なのです。
そうそう、あの人もこの餓鬼にとり憑かれた方なのですよ。この餓鬼にとり憑かれると、惨めな人生になってしまいます。少しくらい大金を手にしたからといって、すぐにセレブにならないことです。贅沢は敵だと思って、分相応の生活をすれば、この餓鬼にとり憑かれることはないでしょう。


とまあ、私が現代において発見した餓鬼は、このような種類があるようですが、まだまだ新種の餓鬼がいるかもしれません。もし、「こんな餓鬼を見つけた」という方がいらっしゃいましたら、ぜひお知らせください。
あなたの周りにも、紹介した餓鬼や新種の餓鬼がいるかもしれません。気をつけて観察してみてください。合掌。



32回のテーマは

輪廻の世界
A餓鬼の巻 その四
前回お話した現代の餓鬼の種類、皆さんはいくつか見つけられたでしょうか?。あなたのすぐそばにいました?。もしや、ご自分が餓鬼に・・・・ということは、なかったでしょうか?。気をつけてくださいね、餓鬼はすぐそばにいるし、いつの間にか自分がなっている・・・・ということもありますからね。

そうなんです。餓鬼は、目に見えないだけで、意外とすぐそばに存在しているし、いつの間にかとり憑かれていたりするものなのです。
たとえば、妙に自分が太っているような気がしてきて、とにかくダイエットしなきゃ、もうダイエットしかない、無理でもなんでもとにかく痩せるのよ・・・・と、ダイエットのことばかり気になりだしたら、それはダイエット餓鬼にとり憑かれてしまったのです。
たとえば、とにかく買い物がしたい、特にブランド物が買いたい、買わないとイライラしてくる、我慢なんかしてられない、とにかく買いたいのだ〜!!!、と思うようになったら、生活苦餓鬼がとり憑いたに違いありません。やがて、買い物しまくったために生活苦になっていくことでしょう。
こういうことは、世の中いっぱいあります。ゴミ屋敷に住まう人は、ゴミ収集餓鬼にとり憑かれた者。夜の街を徘徊する者や出会い系サイトで遊ぶものは、男性女性に限らず、色餓鬼にとり憑かれた者。やる気がなく、愚痴ばかり言って、ちっとも進歩しない者や引篭ってしまった者は、負け犬餓鬼にとり憑かれた者。マナーや社会常識を守らず、威張ってばかりいる者は、ガキ餓鬼にとり憑かれた者。勉強しなさい、勉強しなさいと朝から晩までキーキー言ってる者は、教育餓鬼にとり憑かれた者。名誉ばかり追い求め中身のない者は、名誉餓鬼にとり憑かれた者・・・・。

このように、餓鬼にとり憑かれた者は、あちこちで見かけられます。餓鬼は、ちょっとした心の隙を狙っています。その隙とは、
「まあ、これくらいはいいだろう。」
「もっと、もっと上をめざしたい。」
「もっと欲しいな。もう少しあるといいな。」
「もうちょっと、もうあとちょっとなんだけど・・・。」
といった些細なことなのです。初めは、本当に小さなことから始まるのです。しかし、それがいつの間にか、嵌ってしまうんですね。そのときには、あなたの背中には、餓鬼が乗っているのですよ・・・・。

では、餓鬼に乗られない、狙われないようにするにはどうすればいいのでしょうか?。答えは簡単です。欲を出さないことです。
「何をバカな、欲をだすな、なんて、難しいじゃないか・・・・。」
その通り、そう思った方は正直な方です。そういう方は、今もし、餓鬼にとり憑かれているのなら、その餓鬼を自分の力で排除することができるでしょう。
「なるほど、欲を出さなきゃいいのだな」
などと軽く考えた方、餓鬼にとり憑かれたとき、自分で排除するのは難しいですね。お祓いをしてもらってください。

「欲をだすな」・・・・これは大変難しいことです。どの程度が欲になるのか、わからないからです。自己判断は怪我の元。どこからが欲で、どこまでがいいのか、あるいは全部いけないのか・・・。欲を全部排除したら、それは覚ったことと同じだから無理だし・・・、と迷うところですよね。
じゃあ、どうすればいいのか。
それは、「分相応を知る」ことです。そして、「満足を知る」ことです。
「もうこんな程度でいいや」
「このくらいでやめておこう」
「自分だけ優位に立とうとしないでおこう」
「自分は特別じゃないんだ」
このようなことを知ることです。

たとえば、いつも威張りたい名誉餓鬼でも、
「いや、もうそろそろわしの出番は終わりじゃ。隠居し、好きなことをして、静かに生きよう」
と思えば、自然に名誉餓鬼は消えていくでしょう。
「こんな程度まで痩せれたならいいや。ちょっと不服だけど、まあこの程度が無難だよね。」
と納得すれば、ダイエット餓鬼には狙われないでしょう。
「いやいや、女房だけでいいんだ。下手によその女性に手をだしちゃあいけない。女房と子供たちだけでいいんだ。」
と満足すれば、色餓鬼が入り込む余地はないのです。
「ブランド物ばかりあっても、使わなければ意味がないわ。それにそんなに私は裕福じゃないし・・・。」
と冷静になれば、餓鬼は逃げていくのです。
「あぁ、いろんな人がいる場所で、自分のマナーは悪かったな。みんな平等だからな。」
と気付けば、ガキ餓鬼なんかにとり憑かれないのです。

おわかりでしょうか?。簡単に言えば、
「自分はこんなものだ。立派でもなければ、たいした能力もない。金持ちでもなければ、見栄えがいいわけでもない。ごくごく一般的で、特別でもなんでもない。下手なことに手を出して、面倒に巻き込まれるより、そこそこの人生でいいじゃないか。」
と納得してしまうことです。そう、普段、皆さんが思っていること、納得してしまっていることですよね、これって。
ところが、ふとした気の緩みとか、とつぜん、妙な夢を見たりすることがあるのです。分不相応なのは、頭の隅にあるのですが、ブレーキがかからない・・・。そういう時ってあるモノなのです。
たとえば、こんな方がありました。
この方、ある中年男性です。何の変哲もない、ごくごく平凡な男性でした。奥さんとお子さんが二人あって、小さいながらもマイホームがあり、まあ、その男性、満足していました。ところが、ほんのちょっとしたことで歯車が狂ったのです。
初めは、間違ってきてしまった若い女性からの、デートの誘いのメールでした。男性は、
「俺なんかにこんなメール・・・。間違いだよな。」
とわかっているのですが、無視できず(ここがポイント。ひょっとしたらという淡い期待があったんですね)、待ち合わせ場所にいってしまいます。もちろん、待っていた女性はがっかりです。想った人が来ないで、ダサいオジサンがやってきたのですから。でも、
「間違えでした」・・・・「あぁ、やっぱり、そうだよな」・・・・「ごめんんさい」・・・「いや、いいんだよ」
などと話しているうちに、お茶でも飲もうか、になってしまったのです。女性の方も、お茶くらいならいいか、ということになったのです。ところが・・・。
その女性から、思わぬ話を聞きました。
「若い女性とデートしたいのなら、出会い系サイトにつないだら?。」
悪魔の誘惑です。初めから、罠だったのかもしれません。いや、むしろそう思ったほうがすっきりしますよね。でも、当事者は、そうは思わないんですよ。こうして真面目な男性の頭には、出会い系がインプットされてしまったのです。
今までにないキーワード、「出会い系」。男性は、俄然興味がわいてきてしまいました。そういう雑誌を見てみる。体験話を載せた雑誌を手に取る・・・・。その男性は、次第に罠に絡まっていくのです。
そして、メールをつないでしまい・・・・。

ブレーキをかけるチャンスは多々ありました。だいたい、初めに間違いメールなどと言う古い手に引っ掛かるのも馬鹿げてますけどね。でもね、罠と知っていて引っ掛かりたいと思うときもあるのでしょう。
それはなぜか?。
それは、心が淋しいからです。心のどこかに、小さな穴があいているからです。人はその穴を何か別のもの、モノや異性や名誉や強さの誇示や、目立つことなどで埋め合わせしようとするのですよ。そんなことでは決して埋め合わせなんてできない穴なのに・・・・。
餓鬼は、この穴めがけて誘惑してくるのです。あなたの心の穴、弱点をよく知っているのです。で、そこを狙ってくるんですね。
誰だって、大なり小なり心に穴をもっています。ぽっかりあいた穴を持っているのです。それを無視できるか、気にしないでいられるか、「そんな心の穴、誰でもあるさ」と、流してしまえるか、それだけなのです。
その穴にこだわってしまえば、何かで埋め合わせようとして、何かにとり憑かれ、やがて餓鬼へと変貌してしまいます。あるいは、普段意識していなかった心の穴に気付かされ、意識させられてしまい、こだわるようになってしまった場合も、その穴を埋め合わせようとして間違った行為に及ぶのです。

そう、みなさん、みなさんの心にも、大なり小なり必ずぽっかりあいた穴があります。それを認識してください。そして、できればその穴の性質を知ってください。どうしてその穴ができたのか、ただ淋しいだけの穴なのか、何かを求めている穴なのか・・・・。
それを知れば、餓鬼の罠にはまることはありません。また、穴は埋めようとしても埋まらない、ということがわかれば、満足・納得と言うことも知ることができます。さらに、心の穴の存在がわかっていれば、冷静な判断ができます。

餓鬼に狙われない、餓鬼にとり憑かれないためには、まず自分自身の心の穴、弱点を知ることです。そうすれば、餓鬼はあなたを罠に嵌めることも、とり憑くこともできないでしょう。これが、餓鬼にとり憑かれない唯一の方法なのです。

でも、もし餓鬼にとり憑かれてしまったら・・・?。自分でブレーキがかけられないくらいになってしまったら・・・・。
その時は、お祓いをしてもらってください。それと、餓鬼の供養・・・施餓鬼をしてください。



33回のテーマは

輪廻の世界
A餓鬼の巻 その五
もし、あなたが餓鬼に取り憑かれてしまったら、あるいは餓鬼の影響を受けている、とわかったらどうすればいいのでしょうか?。
それには、お祓いと供養が必要です。この併用ですね。
餓鬼に取り憑かれたら、まずはお祓いをします。そして、餓鬼の供養と先祖供養を併用します。そもそも餓鬼にとり憑かれる方は、餓鬼に縁がある、ということです。となれば、これは先祖も餓鬼に縁がある、ということになります。もっと言うならば、先祖が餓鬼の世界にいっているかもしれない、先祖が餓鬼に生まれ変わっている可能性がある、と思われるのです。なので、餓鬼になっているかもしれない先祖の供養が必要となってくるのです。
つまり、まずは餓鬼を、それにとり憑かれた人からはずします。そして、その餓鬼そのものに供養をします。これは施餓鬼供養です。それから、先祖の供養をする、というのがベストですね。そうすれば、餓鬼の苦しみから解放されることでしょう。
尤も、普段から先祖供養や施餓鬼供養をしていれば、餓鬼に縁ができるようなことはありませんけどね。
「そんなことをいったって、施餓鬼なんてどこの寺もやってないじゃないか」
と文句をいわれる方もいらっしゃることでしょう。しかし、それは間違っています。施餓鬼供養はちゃんと行われていますよ。まあ、やっていない宗派もありますけどね。施餓鬼供養・・・これは、お盆にあわせて行われているのです。

「お施餓鬼」という言葉を聞いたことはありませんか?。お盆のころになると、「お施餓鬼」の案内が、所縁のお寺からあるのではないでしょうか?。あるいは、お盆のお参りに行きますよ、という連絡があるのではないでしょうか?。
「そんなのない」
という家もあることでしょう。でも、お盆のころ、田舎や実家へ帰れば、お坊さんがやってきてお経をあげていくのではないですか?。日本の風物詩でもある、昔ながらのお盆の風景・・・・。家族が集まり、おじいちゃんおばちゃんがいて、息子や嫁がいて、あるいは娘や婿がいて、孫がいる。仏壇の前にはお供え物があり、中にはキュウリやナスで馬や牛を作ったりして供え、蓮の花で飾る・・・・。これが、お盆ですよね。お盆お休みは、海外へでかけるためにあるんじゃないですよ。先祖と触れ合うためにあるのです。そして、先祖が餓鬼にならないよう、また生きているものが餓鬼にならないよう、餓鬼に施しをして供養したことが始まりなのです。つまり、お盆の元は、餓鬼の供養から始まったのですよ。
そもそもは、お盆の供養と施餓鬼は別のものでした。ところが、お盆の供養も施餓鬼も共に餓鬼に絡んだ故事から始まっています。ですので、それはやがて同一視され、お盆に施餓鬼の供養を行うようになったのです。お盆の供養と施餓鬼と一緒に行う、と言う形をとるようになったのですね。ですので、その起源を尋ねれば、お盆の供養と施餓鬼と両方あることになります。まずは、お盆の供養からお話いたしましょう。

お盆・・・。これは実は日本語ではありません。今や日本語になっていますが、元はインドの言葉です。しかも省略されています。お盆を正しく言えば、「盂蘭盆(うらぼん)」となります。もとは、「ウランバナ」といいます。これを音写したのですね。意味は、「人が逆さまに吊り下げられたときの苦しみ、その状態」です。
人は逆さまに吊り下げられると、当然血が頭に下がってきます。初めはそんなに苦しいことはないでしょう。しかし、やがて辛くなってきます。息苦しくなり、鼻血がでたりもするでしょう。そりゃあ苦しいものです。経験はないですが、きっと苦しいことでしょう。その苦しみ、苦しんでいる状態のことを「ウランバナ」というのです。つまり、「ウランバナ」は、「大変苦しんでいる」ことを表している言葉なのです。

しかし、なぜこんな言葉を使ったのでしょうか?。それは、餓鬼の苦しみを表現した言葉が「ウラバンナー」だからなのです。餓鬼の苦しみは、まるで「人が逆さまに吊り下げられたときに味わう苦しみ」のようだからなのです。つまり、「ウラバンナー」は、餓鬼の苦しみを表している言葉なのですね。餓鬼の苦しみを忘れないように、わざわざこのような不吉な言葉を使ったのでしょう。
それがなぜ、日本のお盆の供養になったのか・・・・?。その起源はお釈迦様がこの世にいらしたころに遡ります。

お釈迦様の弟子に目連と言う方がおりました。十大弟子の一人で、神通力第一と称されていました。神通力のエキスパートですね。その目連さん、とても母親思いの方でした。
ある日、目連さんは、亡くなった母親がどこに生まれ変わったか、神通力で探してみました。地獄には当然いません。じゃあ、天界かな・・・、いません。人間界には来ていないし・・・、まさか畜生?。いないなぁ・・・。修羅かな・・・いません。まさか・・・餓鬼の世界?。そう思って餓鬼界を見てみますと、なんと哀れな姿になった母親がいるではないですか。目連さんの母親は、食べるものもなく、ガリガリに痩せ細っていました。目連さんは、すぐに神通力で餓鬼界に飛んでいき、神通力で食料を出し、母親に手渡しました。
「お母さん、わかりますか、目連です。さぁ、これを食べてください。」
餓鬼になった母親は、それが目連であることをわかったのかどうか、それはわかりませんが、食べ物を目にして餓鬼がじっとしているわけはありません。あわてて食べ物を目連から受け取ると、口に入れました。ところが、その食べ物は熱でドロドロに熔けてしまった鉄に変じてしまったのです。
「ぎゃ〜」
あまりの熱さにのた打ち回る餓鬼になった母親を見て、目連さんは今度は水を与えました。ところが、水はやはり熱湯に変じてしまい、益々母親を苦しめたのです。
「私の力では、母親は助けられないのか・・・・。一体どうすればいいのだ・・・。そうだ、お釈迦様に相談しよう。」
母親を助けられなかった目連さんは、がっくりと肩を落とし、お釈迦様に助けを求めたのです。
目連さんの相談を受けたお釈迦様は、目連さんに告げました。
「母親を救う方法はただ一つしかない。それは、雨季明けの最初の15日に、各地に布教でかけている僧侶たちが反省会のために集まるのは知っているね。その日に、その僧侶たちに食事の用意をしなさい。ここに集う僧侶たちの食事をすべて、目連、汝が用意するのだ。ただし、神通力は使ってはならぬ。汝を信じてくれている人々に協力を願い、食を集めてくるのだ。その功徳により、母親は餓鬼の世界から救われるであろう。」
お釈迦様の教えに従い、目連さんは、雨季明けの15日に集まった僧侶たち・・・その数10万とも言われている・・・に、食事をふるまいました。目連さんは、一人で、神通力を使わず、目連さんを信じてくれる人々に頼み、多くの僧侶たちの食事を集めたのです。
その功徳により、目連さんの母親は餓鬼の世界から脱出することができ、天界へと昇っていったのです。その姿を目連さんは眺めていました。
「あぁ、よかった、お母さんが救われた。ありがたいありがたい・・・。こんな嬉しいことはない。」
と・・・。そして、お釈迦様は、いいました。
「これより毎年、雨季明けの15日の反省会には、餓鬼を救うため、餓鬼界に落ちた祖先を持つものは、僧侶に食事の用意をするがよい。必すや、その祖先は餓鬼の世界から救われ、天界へと昇るであろう。そして、今後この集まりのことをウランバナの会と呼ぶこととする。」
こうして、毎年雨季明けの15日に行われる全僧侶たちの反省会には、祖先に餓鬼がいる弟子が食事の用意をすることになったのです。
これが、お盆・・・盂蘭盆・・・の供養の起源なのです。

本来は、この目連さんの故事のように、多くの僧侶に食事の接待をするということで功徳を積み、その功徳を餓鬼に廻すことが、餓鬼を救うための供養の始まりでした。これが形を変え、先祖にお経をあげ、その功徳をもって祖先に餓鬼がいる場合はその餓鬼を、いない場合は、他の餓鬼を救い、そしてその餓鬼を救ったと言う功徳を先祖へ廻す、という供養になっていったのです。こうして、お盆の供養ができあがっていったのです。
ちなみに、雨季明けの15日といえば、日本では梅雨明けの最初の15日なります。となれば、それはやはり8月15日でしょう。7月15日は、たいていの場合まだ梅雨の最中ですからね。
もう一つちなみに。盆踊りは、目連さんが、母親が天界に昇っていた姿を見たとき、あまりの嬉しさに踊りだした・・・という話が元になっているとか。先祖も生きているものも、みんなで踊って、救いの喜びを味わおう・・・という趣旨なんだそうです。本当かどうかは知りませんが。

さて、そのお盆の供養ができあがる過程で、もう一つの餓鬼の供養の方法、施餓鬼がこのお盆の供養に同時に行われるようになりました。その施餓鬼の起源についてお話いたしましょう。やはり、お釈迦様時代にまで遡ります。

ある夏の日の真夜中のこと、お釈迦様の弟子であるアーナンダの枕元に恐ろしい姿をした餓鬼がやってきました。
「アーナンダ、アーナンダ、よく聞け。お前は1週間後に死ぬ。ケケケケ。なぜかって?。俺がお前にとり憑くからだ。餓鬼である俺が、これより3日後にお前にとり憑くのだ。俺にとり憑かれたお前は、食事ができなくなる。飢えて飢えてどうしようもなくなり、高熱を出して死ぬのだ。ケケケケ。助かりたければ、俺にとり憑かれないようにするのだ。ケケケケ。わかったな・・・。」
「ゆ、夢か・・・・。それにしても恐ろしい夢だ。」
アーナンダは、餓鬼の知らせを夢だと思ってしまいました。しかし、その日の朝、アーナンダは不安になって、お釈迦様に餓鬼の知らせのことを尋ねました。
「アーナンダよ、餓鬼の言ったことは本当だ。」
「えぇぇぇ。で、では、私にもうすぐ餓鬼がとり憑くのですか?。」
「そうだ。その通りだ。そして、汝の寿命はあと1週間ということになる。」
「な、なんとか助からないのでしょうか?。そ、そういえば、餓鬼は、とり憑かれないようにすればいいようなことを言ってましたが・・・・。」
「そうだ、とり憑かれないようにすればいいのだ。そのためには、今夜、マガダ国中の餓鬼を集め、法を施した食事を与えるのだ。そして、同時にマガダ国中の貧しい人々を集め、食事を施すのだ。そうすれば汝に餓鬼がとり憑くことはなくなる。」
お釈迦様にそういわれ、アーナンダは早速、その日の夜にマガダ国中の貧しい人々が精舎に集まり、食事ができるように準備しました。
その日の夜、精舎の入り口からお釈迦様たちが修行をしている奥殿まで、道案内用の灯火がたかれました。その数は、何万というものでした。万灯の明かりに導かれ、マガダ国中の貧しい人々が精舎に集まってきました。また同時に、数多くの餓鬼も万灯の明かりに導かれて集まってきていました。
アーナンダは、多くの貧しい人々や餓鬼に、お釈迦様が特別の法を施した食事を与えました。貧しい人々は、その食事により、貧しくとも心が豊かになれるのだ、ということを知り、満足して帰って行きました。また、餓鬼たちも、その食事により、天界へと昇って行ったのです。
「ありがとうよ、アーナンダ。この功徳によりお前の寿命は120歳まで延びた。これからも、餓鬼を救ってやってくれ・・・。」
そういい残して、天へと昇っていったのは、アーナンダを脅した餓鬼でした。あの餓鬼も天へと昇って行ったのです。
お釈迦様は言いました。
「多くの餓鬼を救ったものは、その功徳により寿命を延ばすことができる。これが餓鬼への施しの功徳である。今後、この施餓鬼の法を続けるがよい。」
こうして、施餓鬼の法が生まれたのです。

これが施餓鬼の起源です。目連さんの話と同じように、これも餓鬼を救うということが、その目的となっています。しかも、時期も同じころのことです。こうしたことから、お盆の供養と施餓鬼と同時に行われるようになったり、混同されるようになったのです。いずれも、話の中心は餓鬼の救済ですからね。
お盆のとき、迎え火や送り火を焚くのは、アーナンダが施餓鬼をしたときに、精舎への道案内に灯した灯明が元である、とも言われています。ここから、お盆に万灯会(まんとうえ)の法要を行うお寺もあります(うちの寺もやってます)。灯火をたくさん灯し、多くの餓鬼を集め、施しをする。あるいは、先祖の魂一つ一つに灯火を与え、仏の元へと導き、お経を唱える。そして、その功徳で先祖への供養や、我々の寿命を延ばしたりするのです。
こうして、迎え火や送り火を灯し、様々なお供えをし、お経をあげてもらう・・・というお盆の供養ができていったのです。お盆の供養の中には、単なる先祖供養だけでなく、餓鬼への施し、その功徳による長寿のご利益、が含まれているのですよ。また、お盆の供養をしっかりしておけば、餓鬼とは縁がなくなっていくのです。これが、餓鬼から助かる方法案のですよ。

ちなみに、施餓鬼作法はいつでも行っていいものです。私たち真言僧は、修行中は毎晩、施餓鬼を行います。それは、修行中に餓鬼に修行を邪魔されないように、修行者が餓鬼にとり憑かれないように、というために行うのです。本来、施餓鬼はいつでも行っていいものなのですよ。なので、もし、あなたがお盆じゃないころに餓鬼にとり憑かれたりしたら、この施餓鬼作法を行えばいいのです。

さて、もうすぐお盆ですね。あなたの先祖が餓鬼に落ちていてもいなくても、お盆の供養にはぜひ参加してください。海外旅行なんていってる場合じゃないですよ。自分のためだけに休みを取ってはいけません。たまには、田舎へ帰って、実家へ戻って、先祖に手を合わせ、先祖あっての自分の存在、ということに心を遊ばせてみてもいいのではないでしょうか。あなた自身が餓鬼に落ちないように、餓鬼にならないようにするためにもね。
そして、「餓鬼」という存在についても、よく考えてみてください。求める心が強すぎ、執着しすぎれば、誰もが餓鬼になるのだ、ということをよく考えてみてください。餓鬼は、いつでもどこでもあなたを狙っているのだ、ということを・・・・。合掌



34回のテーマは

輪廻の世界
B畜生の巻 その一
今回から畜生の世界についてお話いたします。
畜生といえば、馬や牛などの動物の世界だろう、と思われることでしょう。確かにその通りです。しかし、動物だけではありません。昆虫も魚も鳥も含まれます。その他にも、実は「竜」も含まれるのです。
竜と言えば、竜神ですよね。ですから、竜は神様じゃないのか!、と思われることでしょう。古来より、竜は神として祀られてきました。「○○竜神」などとして祀ってある神社やお寺もあります。しかし、竜は、「神と言えど畜生」なのです。
畜生の世界の話をする前に、竜の扱いについてちょっと触れておきますね。

竜は、伝説の生き物、目に見えぬ存在です。本当にいるのかいないのか、よくわからない存在ですよね。でも、仏典では、竜の存在を説きます。
お釈迦様が悟りを開いたあと、雨が降り続けました。その様子を見た竜の王様が、
「仏陀が雨に濡れてしまっては申し訳がない」
といって、お釈迦様の頭上に現れ、傘代わりになり、お釈迦様が雨に濡れるのを防いだ、というお話が載っています。また、お釈迦様が悟りを得たのを知って、竜王夫妻がお釈迦様の元を訪れ、弟子にしてくれるように懇願した、と言う話も載っています。そのとき、お釈迦様は、
「竜と言えども畜生の身、そんなものでも悟ることはできよう。よく修行に励むが善い」
と言って、弟子にしたとか・・・。
そう、竜は、神扱いなのですが、畜生の身なのですよ。

竜が神になったのは、中国の思想の影響でしょう。インドでは、あくまでも畜生としての竜、という扱いです。神としては扱ってはいません。従って、仏教経典では、竜は神ではなく、遣いの者、とされています。ダキニ天の狐と同じですね。使役されるもの、なのです。
それが、中国の思想の影響により、日本に仏教と共に伝わったとき、竜は神へと昇格されたのでしょう。それは、竜が絶大な力を持っていると仏典にも説かれているし、お釈迦様に従っているし、仏典にも竜の文字は多く出てくるのですが、その存在は明らかではなく、不思議な存在であったため、他の天部と同じように神として祀ったのではないかと思われます。
実際、竜は畜生の身でありながら、雨を司り、空を飛び、身体の大きさを自在に変え、姿を隠し、人間に変身することもでき、竜宮と言う海底の中に楽園を持ち、願い事が何でも叶うと言う如意宝珠を持ち、絶大な神通力をもっていると、仏典では説かれています。ですから、神として祀られるようになったのでしょう。あるいは、竜の中には、悪い竜もいて、暴風雨をもたらしたりもしますから、人々が恐れを抱いて神として祀った、ということも考えられます。

とはいえ、あくまでも仏教では、竜は神としては扱いません。使役される生き物、です。お遣い役なのです。
たとえば、頭上に観音様を載せて観音様の手足となって働くとか(竜頭観音)、不動明王の剣に絡み不動明王の遣いとして働くとか(倶利伽羅竜王)、弁財天の周りにはべり弁財天の遣いとして働くとか(弁財天の周りには八大竜王がいます)・・・・。竜は、一応、日本では神扱いですが、それは菩薩や明王、天部の手足となって働くもの、乗り物でもあるのです。あくまでも畜生道に生きる存在です。いわば、竜は、畜生の世界のトップであり、畜生界のセレブである、と思っていただければ、わかりやすいでしょう。

さて、畜生の世界に生きる生き物は、多数存在します。仏典の中には、その種類34億種、と説いているお経もあるそうです。しかし、大きく分ければ、昆虫類、魚類、鳥類、爬虫類、哺乳類・・・となるのでしょう。これだけ多数存在すれば、自ずとランクができます。地獄や餓鬼と同じように畜生の世界にも、段階があるのです。
トップクラスは竜です。最低は・・・・ゴキブリ?、アリ?、ダニ?・・・・ミジンコ・・・かもしれませんね。いずれにせよ、小さくて嫌われるものが畜生の世界の最低ランクです。その段階の分かれ方は、最も多いかもしれませんね。

畜生の世界は、地獄や餓鬼のように眼に見えない存在ではありません(竜は別として。まあ、竜も、見える人には見えるのですが・・・)。ですから、その世界がわかりやすいと思います。身近な動物もいますからね。犬や猫のような。下は、ダニやノミのような存在から上は竜まで・・・。大変、幅広く存在しています。そうしたランクの仕組みはどうなっているのでしょうか?。

一般に、畜生の世界に埋まれ変わるのは、怠け者、愚痴ばかり言っている者、性欲に溺れる者、とされています。つまり、口ばかり達者で働かない者や、異性との性交渉にばかり耽る者や、いつもグチグチ言っている者が、畜生の世界に生まれ変わるということです。たとえば、
怠け者は、牛に生まれ変わることが多い
性交渉に耽るものは、豚や猫(猫好きの人には申し訳ないですが)に生まれ変わることが多い、
愚痴が多いものは、豚になることが多い、
のだそうです。これは、あくまで代表的なパターンであって、たとえば、職業には就いていたけどダラダラやっていたとか、働いていたけど異性が大好きで浮気ばかりしていたとか、職業が色を売る職業(売春)であったとか、その人の生きていたときの生き様によっても変化しますので、こうだからこれに生まれ変わる、とはいえませんのでご注意ください。一つ例をあげれば、「あの世のたび」(当HP)に登場しています覗き見教師などは、太陽の光に弱い生き物で、暗いところで生きるもの・・・ナメクジやミミズのような、あるいはよくてモグラとか・・・に生まれ変わっていくでしょう。ノゾキという行為に適した存在に生まれ変わるのですよ。

では、ダニやノミ、ゴキブリのようなものは、何をしたがために、あんなものになってしまったのでしょうか?。どういう理由で、畜生の世界の最低ランクにいるのでしょうか?。
それは、人間からその姿に直接なったのではなく、下から這い上がってきて、その姿になったのですよ。つまり、地獄から上がってきて、畜生へと生まれ変わってきたものなのです。人間が死んで、ダニやノミ、ゴキブリになったわけではないのですよ。いわば、地獄から這い上がってきて、その姿に生まれ変わっているのです。
で、人に駆除され、さらに一つランクの上の生き物になるのです。
たとえば、地獄で過ごした者がいて、餓鬼をへてダニになったとします。そのダニが、あなたの飼っているペットにくっついています。あなたは、ダニ駆除の薬を買ってきますよね。大事なペットが痒がっていますからね。で、その薬をペットにつけると、ダニはもだえ苦しみながら死んでいきます。哀れ、ダニの一生は終わりました。しばらくすると、その家で、ゴキブリの卵からゴキブリの子供が何匹も生まれてきました。その中には、あのペットについていたダニの生まれ変わりもいるのですよ。ゴキブリの幼虫は、すべてが育つわけではありません。途中で不慮の事故で死ぬものもいることでしょう。たまたま、バル○ンの被害を受けてしまうゴキもいるかもしれません。うまく育ったとしても、ホイホイの餌食になったり、新聞紙を丸めたもので叩き潰されるかもしれません。いずれ、忌み嫌われる存在ですから、寿命を全うせず殺されてしまう確率は高いでしょう。
しかし、いいのです。早く次の姿に生まれ変われますから。ゴキブリの一生を終えたら、次はなんでしょうか?。おそらく、昆虫類とは思いますが、それは人から嫌われるものには間違いないでしょう。クモとなって、害虫を取り、人間に貢献するのでしょうか?。あるいは、毛虫を経て蛾になるのでしょうか?。そして、蛾を終えたら、次はあまりきれいではない蝶なのでしょうか?。芋虫を経てね・・・。

このようにして、地獄の底から這い上がって畜生の世界に来たものは、小さくて嫌われるものからスタートし、次第に大きくて好かれるものへと生まれ変わりを続けるのです。人間に生まれ変わることを夢見ながらね・・・。早く人間になりた〜い、と願いながらね。先は、まだまだ長いのですが、それも仕方がないことなのですよ。自分で犯した罪の報いなのですから。

餓鬼から這い上がってきたものは、魚類や鳥類になることが多いようです。あるいは、爬虫類も多いようですね。たとえば、蛇は執着心の象徴とも言われていますから、餓鬼から蛇へ、というパターンは多いようです。とはいえ、蛇あたりになると、人間界から蛇へ、というパターンもありますからね。一概には言えません。

畜生の世界は、人間から落ちてくるもの、下の地獄や餓鬼から這い上がってくるものが、混在する世界でもあります。非常にまとまりがないんですね。まあ、大きく分ければ、
昆虫類は、地獄から這い上がってきたもので、小さく嫌われるものからスタートしている。
魚類・鳥類の一部は、餓鬼から這い上がってきたもので、魚類ならば海底の底に存在するものからスタートし、鳥類ならあまり大事に扱われない嫌われる鳥類からスタートしている。
魚類・鳥類の一部で人間に身近に存在し、人に好かれるもの・・・金魚や鯉、カナリヤ・インコ・ブンチョウ・・・などのなかには、人間から落ちたものも存在する。
犬や猫、牛や馬、などの人に身近に存在する動物類などは、人間界から落ちたものが多いが、下から這い上がってきたものもいる。たとえば、農耕馬がサラブレッドに、乳牛から高級牛へ、イノシシから豚へ、そして高級黒豚へ、などのように、下から順に上がってきたものもいる。
と分けられるでしょうか。

いずれにせよ、畜生の世界は、雑多です。地獄から這い上がってきたものや、餓鬼から生まれ変わってきたものや、人間界から落ちてきたものが、混在する世界です。種類も多く、生まれ変わる回数も大変多い世界です。ですので、一概にはどんなものが、どのような生き物になるかはいえません。しかし、それでは、理解しにくいでしょうから、次回は、例をあげてどんな動物に生まれ変わるのか、を少しお話しておきましょう。具体的にね。合掌。



35回のテーマは

輪廻の世界
B畜生の巻 その二
前回お話したように、畜生の世界は、地獄や餓鬼から這い上がってきたものや、人間界から落ちてきたもので構成されます。大まかではありますが、その分類を見てみましょう。

1、下から上がってきたもの
一度は地獄や餓鬼に落ちてしまったのですが、その後、子孫の供養の力などもありまして、地獄や餓鬼から畜生の世界に生まれ変わったものもいます。そうしたものは、主に昆虫類に生まれ変わってきます。
地獄や餓鬼から畜生の世界に来たものは、たいていは動物の糞の中に存在する生き物、あるいは、動物や人間の糞、腐った食べ物を食べて成長する生き物に生まれ変わってくることが多いようです。
たとえば、ハエの子供してまず生まれてくるわけです。

ハエの子供・・・蛆虫(うじむし)ですね。人間を最も蔑んだ呪いの言葉に「地獄の蛆虫になれ」と言う言葉があるようですが(確かにひどいですよね。地獄の蛆虫ですよ。これ以上のひどさはないように思いますよね。こんな言葉は使わないように。自分に返ってきますから)、蛆虫はやっぱり最低の生き物と理解されていたのでしょう。なんせ昔は、肥やし(人間や動物の糞を腐らせたもの)の中で生きていたものですからね。ハエの幼虫である蛆虫は、人間や動物の糞が腐ったものを食べて生きていくのですよ。そんな存在はイヤですよね。
地獄や餓鬼からやっと這い上がったと思ったら、蛆虫なんて・・・・最低ですよね。でも、地獄や餓鬼よりは快適な存在なんですよ。(ということは、如何に地獄や餓鬼が苦しいか、想像がつくでしょ。)

蛆虫からハエになります。蛆虫のままで死ぬヤツもいます。蛆虫の中でも、魚のえさとして使われる蛆虫は、蛆虫のエリートかもしれませんね。蛆虫でもピンからキリまで、です。
さて、蛆虫のままで死んでしまったヤツは、また蛆虫からやり直しです。そうして、蛆虫からハエになります。しかし、ハエは人間にとって悪です。なので、長生きをすると罪を多く犯します。ですから、ハエを見つけたら殺してあげましょう。で、もっといいものに生まれ変わってきなさい、とひとこと声を掛けてあげましょう。きっと、ハエよりもいいものに生まれ変わることでしょう。

ハエの人生じゃない、ハエ生を全うせず死を迎えた場合、罪が少ないのでハエよりマシなものに生まれ変わります。それは、蜂かもしれませんし、蛾かもしれません。もっと寿命の短い、カゲロウかもしれません。いずれにせよ、人間にあまりすかれる存在ではないでしょう。その中でも、ミツバチはエリートでしょうね。多いに役立っていますから、徳が積めます。
こうして、昆虫の中を生まれ変わりしながら、徐々に人間に貢献的なものに生まれ変わっていきます。例をあげれば、
うじ→ハエ→ゴキブリ→かげろう→蛾→蝶→トンボ→ホタル→せみ→カブトムシやクワガタなど・・・・。
これは一例であって、スタートが違ったり、途中が違ったりもします。アリでスタートするものや、クモでスタートするものもいることでしょう。ゴキブリという場合もあります。
いずれにせよ、できれば人に忌み嫌われる生き物や害をなす生き物は、寿命を全うさせず、退治した方が罪が少なくて済みます。ということは、早くに出世できますよね。逆に、ホタルなどは、長く生かしてあげたほうが徳が積めます。まあ、こうして、徳を積んだりしながら、また子孫の供養を頼りながら、より大きく人間に親しいものへと生まれ変わっていくのです。

これが下から這い上がってきたものたちの進む畜生の世界です。ですので、醜い虫を見たら、
「お前、どんな罪を犯して地獄へ落ちたんだ。まあいいけどさ、ようやく這い上がってきたんだから、あまり罪を犯すなよ。」
といって、退治してあげましょう。退治し終わったあと、「いいところへ生まれ変われよ」の一言をお忘れなく。あるいは、知っている人は光明真言を、あるいは、
「如是畜生発菩提心」(にょぜちくしょうほつぼだいしん)
という経文を唱えてあげましょう。2段抜きで出世するかもしれません。そうすれば、きっと感謝されますよ。


2、人間界から落ちたもの
人間であるときに罪を犯したがために畜生の世界に生まれ変わることがあります。例をあげて紹介してみましょう。とはいえ、必ずしもそれに生まれ変わるといえるものではありません。ひょっとしたら、畜生の世界にいかないかもしれませんし(そんなことはないでしょうけど)、もっと悪いもの、もっと下へ生まれ変わることもあります(こっちの方が可能性が高いですね)。なので、ショックを受けないようにしてください。また、今からでも修正がききますので、思い当たる節がある方は、今のうちに治しておきましょう。

*牛
怠け者は、牛に生まれ変わることが多いようです。ゴロゴロ、うだうだばかりしていると、将来は牛です。また、あまりにも理解力がないもの、人の話を聞こうとしないもの、理解しようとしないものも牛になりやすいですね。
(逆に、牛から人間に這い上がった者は、怠け者が多いですね。また、理解力に乏しいものも多いようです。そうやって周りを見ると・・・・、あの人の前世は牛か?、という見方をするのはやめましょうね。そうやって見ていると、あなたも牛になっちゃいますよ。)
愚痴が多い者も牛になりやすいようです。愚痴が多いがために、口をいつも動かしている牛になってしまうのだそうですよ。

*蛇
異常に執着心が強いものは、蛇に生まれ変わりやすいですね。お金や家、財産、絵画などの美術品、そうしたものに異常な執着をもったままあの世へ行くと、その家に住まう蛇になってしまうそうです。あくまでも、異常な執着心をもった場合ですからね。一般的な嗜好や趣味の範囲は大丈夫ですよ。
これは、財産や資産などを「誰にも渡したくない」という執着心が蛇の姿となり、その資産や財産を守ろうとするわけです。
なお、強い怨念をもって死んでいっても蛇に生まれ変わることが多いようです。蛇を見たら、
「強い執着心か怨念を持った人間だったんだなぁ、かわいそうに。」
と哀れんでやってください。
なお、蛇の仲間のトカゲ類は、蛇ほどの執着心を持たないもの・・・だそうです。

*猫
猫好きの方には申し訳ないのですが、猫は邪淫の罪を犯すと猫になるのだそうです。というよりも、基本的に性行為が好きな方が猫になるのだそうです。人間であったときに、性行為が何よりも好き、異性に甘えてばかりいるのが好き、というかたが猫になるのですよ。なので、猫に生まれ変わるのは女性が多いようです。特に、男性に甘え、自分勝手な行動ばかりしている女性は、猫になってしまう可能性は高いようですね。
ちなみに、
「猫なら生まれ変わりた〜い」
などと望むのは、あまり賛成できません。まあ、望むのは勝手なんですけどね。猫であっても、畜生であることには変わりはありませんし、猫は脳も小さく、考える能力も劣っています。記憶力もね。なので、猫から人間に戻るのは、難しくなります。それに、猫の人生じゃない、猫生もそれほど幸福なものではないでしょう。ダニやノミに悩まされなきゃいけないし、人間の勝手な行為に振り回されなきゃいけないし・・・・。自由なように見えますが、あれは考えがないだけのことですから。
それに、猫って祟りますからねぇ・・・・。成仏できませんよ。

*犬
人間のとき、自分より強いものや上司などに媚びへつらう者が犬になったりするそうです。まあ、犬は人に従順ですからね。なるほど、と思えます。やたらと、ゴマをする人間は、犬になりやすいんですね。特に、強いものに弱く、弱いものに強い者、ちょっとした事で大騒ぎしたり、ギャーギャー騒ぎ立てる者は、犬に生まれ変わる可能性が高いです。
おやおや、あなたの旦那さんは・・・へぇ〜、家の中では威張っているけど、会社ではペコペコですか。そちらの方は、部下には威張り散らすけど上司には・・・・媚びてばかりですか。
ほう、家の中で旦那には威張りまくっているけど、近所ではいい奥様。ははぁ、近所では威張っている仕切り屋の奥様も、自分よりお金持ちや名誉のある方にはペコペコ・・・。
あまりそういう差が激しいことをしていると、将来は犬ですな。お金持ちの家で飼われる犬ならいいかもしれませんが、その辺の雑種ってこともありますからね。あげくの果てにノラ・・・・じゃあ、浮かばれませんよ。

*鯉・金魚
人間であったとき、「色」を売っていた方がなりやすいようです。ですから、鯉といっても観賞用の色鯉のことですね。
色を売る、というのは、まあ、女性に多いことですが、男性でもないわけではありません。最近では、男女とも色を売る方がいますからね。
その中でも、人気のある色を売る方、高級な色を売る方などは、高級な観賞用の鯉になったります。高級な鯉だと、一匹ン百万ってこともありますからね。どうせ色を売るのなら、トップを目指しましょう。で、将来は高級な色鯉になるのもいいでしょう。
その辺の安い色を売る存在にはならない方がいいですよ。鯉になれず、金魚どまりですから。それも、お祭り用の安い金魚じゃ浮かばれません。
金魚すくいに出かけたおじいさん。ふと金魚を見ると、むか〜し買った女性を思い出しました。で声をかけてみました。
「お前、ワシが相手したことがる、あの遊女か?。」
するとその金魚、ぴちゃっと跳ねておじいさんの金魚すくいの「ポイ」に乗っかったのです。縁とは、恐ろしいものですよね。そんな話があったとかなかったとか・・・・。
いずれにせよ、色を売れば、色を売る存在に生まれ変わる可能性が高いようです。

*豚
邪淫の罪、大食の罪、文句の多い罪のいずれかが重なると豚になるそうです。ブーブー文句ばかり言って食べ物に意地汚い、あるいは、文句ばかり言って性的な行為に耽っている、性行為と食事にうるさい、という方は危ないですよ。
グルメと言われてもう何年たつでしょうか?。グルメなどといって、おいしいものばかり求めていると、来世だけでなくこの世でも豚のよう(失礼!)になってしまいますよ。メタボリックシンドロームもありますから、太りすぎにはご注意された方がいいかと思います。E原さんは「霊能力が高まる人は太る」などとノタマワッタそうですが、いい加減なことばかり言ってますよね。恥ずかしくないのでしょうか?。
ま、それはいいとしまして、この世で豚のようになってしまえば、あの世は確実に・・・・。あぁ恐ろしい。食べ物に贅沢をするのもほどほどにしたほうがいいですよ。あれがまずい、これがまずい、こんな食べ物食えるか、あれを出せ、これがいい、などとブーブー文句ばかり言っているグルメ気取りのあなた、ご注意された方がいいですよ。将来は、ブタ?かもしれません。
邪淫の罪もいけませんね。奥さんや旦那に不平不満を持ち、文句ばかり言っては不倫に走ると、来世はブタ・・・かもしれません。あんな姿になるの、嫌でしょ。お気をつけくださいね。

*鳥類
ピーチクパ−チクやかましい鳥類は、人の噂話に花盛りの小うるさい方々がなりやすいようです。噂好きの方は要注意ですね。特に、芸能スキャンダルを追いかけているマスコミの方は危ないかも。他人の感情などお構いなしで、芸能関係を追っかけている方や、事件被害者に心無いインタビューを試みる方、やばいかもしれませんよ。そういう関係の方は、鳥の中でもカラスなんじゃないでしょうかねぇ。街中にはびこり、ゴミをつつき、中身を出してしまう。やってることは、パパラッチに近いんじゃないかと・・・。
それとも、鳥だけじゃなく、人家や商店に傍若無人に出入りする野猿になったりして。
いずれにせよ、うるさい存在、うっとうしい存在と言われないように、注意しましょうね。

さて、例をあげてみましたが、どうですか?、なるほど、と納得できるんじゃないでしょうか?。とはいえ、必ずしもこうなるとは限りません。ひょっとしたらもっと悪い世界・・・餓鬼や地獄・・・に生まれ変わるかもしれません。あるいは、免除されて人間になるかもしれません。一概には言えませんが、まあ、上のような生活をしていると、畜生道に落ちやすいので、ご注意くださいね。
こうしてみますと、畜生になりやすい人は、社会のマナーや常識を守らず、傍若無人な振る舞いをしたものが多いようです。つまり、人間界のルールを守れないものが動物になってしまうのですね。
ほら、あなたのそばにも畜生候補がいますよ。あ、TVに出ている威張っている占い師、あの方もかな?。あぁ、あれは地獄ですか、なるほど・・・。

なお、畜生に生まれ変わるのを防ぐには、
怠けをやめる、愚痴を減らす、マナーを守る、執着を持たないようにする、性的に乱れない、自分勝手な振る舞いは避ける、色を売る仕事の方は先祖の供養をし、仏様菩薩様に救いを求める、ちょっとした親切をする、周りの人に喜ばれることをする・・・・、ということをしましょう。
これで安心です。

さて、特別な存在である竜になりたい、と思う方もあるかもしれませんので、竜に生まれ変わる方法を紹介しておきます。尤も、私はお勧めしませんけど。竜は竜で、苦労が多いんですよ。人間よりもね。

3、特別な存在である竜
竜の世界に生まれ変わるには、竜に好かれることです。これが第一条件ですね。竜に好かれるには、竜神にお参りすることです。竜神さんに従います、竜神さんに帰依します、と誓うことです。で、せっせと頻繁にお参りに行ってください。そうすれば、竜神さんもあなたのことを好いてくれるでしょう。
で、あなたが死を迎えると、竜神の世界へ誘ってくれることでしょう。めでたくあなたは竜神の世界へ誕生、となるのです。
なお、どうせなら、いい竜神にお参りしてくださいね。黒竜は避けましょうね。竜神の中でも最低のランクですから。
また、竜神も苦しみの存在なんですよ。あの身体ですから、維持するのが大変だし、鱗と鱗の間にゴミが詰まって痛いんだそうです。鱗の手入れが大変なんだそうですよ。はがれるとすごく痛いそうだし・・・。
それに、宝珠を他のものに盗られないように、いつも注意していないといけません。また、不動明王や弁天さんなどのお遣い役も果たさないといけません。結構忙しいようです。お釈迦様の教えも学ばないといけないしね。こうしたことをサボって不良化すると、色が黒くなり、黒竜として嫌われるようになります。
竜神の夫婦生活や家庭も大変なんだそうですよ。人間の方が身体が小さい分、楽なんだそうです。
さらに、年をとると、鱗がはがれてきて、みっともないし、激痛が走るのだそうです。竜神も楽じゃないのだそうです。いくら神通力を持っている、といっても、そんなに楽ではないようです。
それでも竜神になりたい、竜神の世界に生まれ変わりたい、と言う方は、せっせと竜神さんに願ってください。気に入られれば、来世は竜神・・・かもしれません。

さてはて、畜生の世界に生まれ変わるものを見てきましたが、あなたはどうでしょうか?。こうしてみると、愛らしい犬や猫でも、やっぱりイヤでしょ?。イヤじゃないですか?。世の中には、犬になりたい、猫になりたい、という方がいますが、目指すなら絶対天界のほうがいいですよ。人間から見ると、犬や猫がよさそうに見えるでしょうが、実際には苦しい世界なのです。人間よりも下の存在なのですから、そちらを目指すのは、どうかと思いますよねぇ。
決して、落ちることは望まないようにしてくださいね。天界に行けば、安楽なんですから。

ということで、畜生の世界はこれで終わりたいと思います。次回は、その上の「修羅」の世界へご案内いたします。合掌。



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