更新履歴と最新情報の履歴

1999.10.13(水)
 サイト体裁作成及び、総合目録のHTML化終了。

1999.10.15(金)
 いわき市在住の菊池康雄氏より「飯野神領代官大河原家文書(簿冊3冊・一紙130通)」の寄贈を受ける。
これは戦後、飯野家の代官であった大河原氏によって古書店に流出し
菊池氏と佐藤巌氏が購入して所有していたものであった。
高齢である菊池氏へ誠意を示すため、早期に史料撮影及び目録、
飯野家文書に準ずる分類を施すことにする。
内容は、天明年間より明治初年に及ぶ領主から領民への通達の文書の模様。
菊池氏の蔵書印や裏貼の跡が目立つ。

1999.10.29(金)

 菊池康雄氏より寄贈された「飯野神領代官大河原家文書(簿冊3冊・一紙130枚)」のうち、40枚まで撮影。
作業は、採寸/表題并干支記入/撮影/封筒詰め、という流れで行われた。
調査カードは飯野家文書に準ずるオリジナルを使用(詳細は後日)。
カメラはスチールカメラでフィルムは富士フィルムのAPS。
三脚を用いて上部から史料に対して平行に撮影。
ライティングは、レフライトを1つづつ左右からスタンドで斜めに傾けて使用。

11月2日に、福島県文化財保護審議会の方々が来社される予定。
本殿や絵馬、高月館跡、飯野家文書(小林氏の爲に特別に一部分のみ)などの
指定文化財を中心に視察するとのこと。

1999.10.30(土)

 「飯野神領代官大河原家文書」を95枚まで撮影。仮目録作成は終了。
本日整理した史料は市史に入っていないもので、書簡の類が殆どであった。
お産の際の禁止事項などが書かれている冊子が(個人的には)興味深かった。

1999.11.05(土)

 「飯野神領代官大河原家文書」釈文・カード・コピーのみで
原物がないものを除いて撮影終了。 市史編纂の際に紛失したか?
「飯野家文書」は、win95+Excel2000で活字化していたが、
今回の史料は、TRON(Bright/V)を試験的に並行利用してみることにした。

1999.11.16(火)

TRON(Bright/V)を並行利用してみたが、
あまり大きなメリットが望めないため、並行利用は中止。
飯野家文書の活字文校正と大河原家文書目録の入力に集中することにした。
今昔文字鏡標準搭載のBTRON OS、「超漢字」が出たらしいが、どうだろか?)

解説ページに機材紹介を追記。
大河原家文書 調査カードの詳細をアップ。

1999.12.02(木)

境内にある物置より史料が何通か見つかった。
新出のようであり、中世・近世合わせて計24通。「飯野家文書」に含まれる史料と思われる。
前宮司の代なのかはっきりとはしないが、裏打ちが施されている。
しかし、貼付け順序は滅茶苦茶、裏打ちも杜撰である。その場しのぎか?


嬉しいことも偶にはあるもので、学生時代に書いた報告書へのリンク依頼があったため、
報告書リンクを含めた管理者紹介ページを作成、表紙よりリンクする。

2000.02.24(木)

…あけおめ。ことよろ。<遅すぎ

飯野神領代官大河原家文書を寄贈された菊池康雄氏が2月某日死去された。
目録をお渡しする前に亡くなられてしまったのだが、出来ていなかったわけではなくて
ただ雑事に追われて訪問することが出来なかっただけなので、なんとも遣り切れない。

父の話である…墓前にて御子息に目録をお渡しすると「墓へ入れるのでしょうか?」と云われた。
菊池氏が史料を所有していて寄贈したという証拠だ、と説明したくなったが
深く伝えず「お持ちください」とだけ伝えた。
史料などを(含:古書)所持しているひとの日常環境というのは特に珍奇なものではなく
案外、こういった孤立したものに過ぎないのかも知れないな、と思った。

掲示板を設置してみた。電脳芳名帖なんて名に。
芳名帖ではありますが、質問広告誹謗中傷、内容は問いません。
書き込んでくださると、喜びます。勿論レス確実。

2000.02.29(火)〜2000.03.02(木)

宮武外骨書簡目録(明治新聞雑誌文庫:東大法学部)を知人より送って頂く。
と云うのも、外骨氏に史料を貸したまま亡くなられてしまい、史料をそのままコレクションに入れられてしまった
という話を祖父に聞いたことがあり、それ以来、少しづつ捜索しているわけなのである。
当事者が両者とも既に帰幽されてるので、ほんとの話かどうかはわからないが、念のため。
また、少し前より三猿文庫*に関する事柄を勉強中であったことも相俟って。
…勿論、個人的に外骨が好きな事も手伝って。

明治新聞雑誌文庫に問い合わせたところ、外骨氏と三猿文庫との付き合いは確認できるが
肝心な飯野盛男氏の名は見つからず不確かであるとのこと。
ただ、某温泉にて宴を催した記録があり、参加者名簿に三猿文庫の諸橋氏の名があることから
諸橋氏の親戚であり、同じく本の蟲だった飯野盛男氏が同席した可能性は低くはないと思われる。
引き続き手掛かりを探る予定。
ではあるが、祖父が在命中にしっかり顛末を訊いておくべきであった、と今更ながらに大後悔。
仮令それが高校時代のことで、面白半分で話を訊いていたとしても、失態である。

史料のタイトルも形態もわからないが、内容はスコブル面白げであったのでよく憶えている。
約束を破ったらバカだのチョンだの罵られても一切文句は云いません、という
コドモの喧嘩並にアホアホな誓約書(のようなもの)らしいのだ。
…もしコレが本当の話であるなら祖父は、外骨の怪傑振りと、史料を貸したまま返って来なかったことを
もしかしたら私に自慢したかったのではないか、と今になって思う。
憎らしいひとだ、死人のくせに。


三猿文庫*…「三猿文庫とは、これまた金にあかして長年収集された珍しい特殊文庫で
日本での雑誌類の創刊号をほとんど全部揃えていることなどは一異彩である。
宮武外骨の全著作物などもあり、美術関連図書の豊富なことも、この文庫の特色である 。
とうていありふれた公共図書館などのできるわざではない」
『世界名著大事典』月報8/福島県立図書館長 桑原善作/平凡社  より引用。

2000.03.15(水)

ここ数ヶ月、毎週日曜に草野心平記念文学館でボランティア講座を受講していたが
それも今週で終了し、目出度く(?)修了証書を頂戴した。
4月から愈愈(心平記念館に寄贈されている)三猿文庫の整理に入ることになる。
外骨追跡は着実に進みつつあるのだった。ニヤリニヤニヤ。

昨日は某印刷会社と、CD-ROMと書籍の販売について打ち合わせ。
16〜17日は上京し、漢字のシンポジウムに行ったり、教授に会いに行ったりする予定。
暫く飽きずにいられそうな予感がするなぁ、、。

超漢字は上記の某印刷会社さんが買うことになりそう。
同成社のデジタル古文書集も買って貰える可能性高し。
新人であるうえに薄給なので、本気で有難い<と、云うだけ云う。


飯野神領代官大河原家文書(簿冊3冊・一紙130通)目録をアップ。

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