JH2CLV's Topics & Memorandam
August 2014

Aug 30-31 慰霊祭にトラ技9月号を求め・・・その他諸々
8月30〜31日でカミサンは東京・群馬方面へ1泊で旅立った。これ幸いでもないが、90の親父のケアをしながら無線関係と家事に励む。30日は静岡護国神社で恒例の殉国者の慰霊祭が行われ参列。カミサンを清水駅まで送った後、R1で護国神社を目指すが1時間も時間がある。沓谷のENEOSで給油後、上足洗の吉見書店へ赴くと開店の9時50分まで30分もある。ここでフルデジタル無線機特集のトラ技9月号を買う予定でいた。ところが、ようやく開店した店内に入るとそれが無い。店員氏に探して貰ったがダメ。トラ技を買って、おつりで神社の玉串料を作る予定だったのに、と呟いていると懐かしいPC雑誌DOS/Vが視界に。時間もなくトラ技より高かったがつり銭目当てで購入し玉串料を確保。慌てて谷津山の向う側にある護国神社へ走ると10時15分着、開式の15分前だった。護国神社は先の大戦のほか明治以降の戦争で殉職された方が祀られている。慰霊祭参列は我が家の年中行事だ。今年は8月10日以降複数日に案内があったが、諸般の事情で最後の30日になってしまった。写真は護国神社の参列状況、オンマウスは翌31日午前、清水戸田書店でようやくゲットしたトラ技と前日購入のDOS/V誌のツーショット。
JG2CMJが何やら30日に投棄に来ると連絡があった。慰霊祭から戻り親父と昼食を済ませて無線三昧していると16時頃怪しい軽トラで現れた。HONDA/800W発電機は想像がついたが、1.5馬力のエアコンプレッサは想定外だった。これらは旧式のためやたらと重く、うかつに作業し腰をやや痛めてしまった。工房で歓談後17時頃帰路に就かれた。試しに少量のガソリンを注ぎ始動ロープを引くと容易に始動。コンプレッサはAC100Vを供給すると動き出し圧力が上昇。両者とも何かの役に立ちそうだ…Tks JG2CMJ。 31日午後、訪れた義兄がワンコと散歩中、南側の梨畑のネットに絡みついたニホンアナグマを発見。ワンコが吠えるので分かったらしい。興味本位で見に行くと確かにいる。左の前足がネットに絡みガチガチだ。皮膚がえぐれ、そこにハエがたかる状況だ。梨畑の地主殿へ一報すると、害獣なのでそのままにしてあるらしい。野生動物と作物、そして人間との関係は複雑だが誰でも一度は経験する話だ。つい「小鹿物語」を思い出してしまうのだが、動物が可愛いだけでは人の生活が貧窮してしまうことを思い起こした。子供達への格好の教育材料だったが生憎孫たちは居ない。ちと可哀そうな話しだが、生産者は生活がかかり必死なのだ。

Aug 24 4年振りにGPSロック-SGとRb-SGの突合せ
昨晩はハムフェアでゲットしたアンリツのMF-1603Aを無事持ち帰った。日付が変わる真夜中なのに電源を入れ基本的な動作確認をするなど、完璧にラジオ少年だった。
今朝も6時半には工房に入りシコシコと作業が始まった。4年前の福井単身赴任時代に実験・製作したGPSロックSG3台とメーカー製Rb(ルビジウム)SGを倉庫から運び工房に積み上げた。周波数は全て10MHzである。
MF-1603Aの内臓OCXOの精度は2E-8と説明資料にある。これだと1E-11以上を誇るRbやCs(セシウム)のGPSを見るには心持たない。昨日の測定写真を見ると52.8mHzのズレを確認できるが、この辺りが限界なのかもしれない。 そこで工房の神様と称しているThunderbolt(OCXO+GPSロック)でRbを校正、そのRbをリファレンスにしてMF-1603AをEXTトリガ。測定入力に各GPS(Jupiter10KHzロック・VE2ZAZ方式・Thunderbolt)を放り込んで様子を見た
Rbをリファレンスにした理由は、GPSロックは衛星補足数でドリフトが発生するからだ。結果は、GPS3台はほぼ同じ状態を示し、10MHz±0.3mHz(5E-11程度)の範囲内に収まっていることが分かった。

Aug 23 ハムフェア2014とアイボール
6時45分の新幹線で静岡を発ち東京に着くと8時。8時10分過ぎ、八重洲南口10番バス停からビッグサイト行きのバスに乗ると9時45分着。キョロキョロしながら会場前に出るとJA9BOHとばったり。昨年・一昨年は会っていないので、福井以来の再会だ。近況を交換するが、JARL執行部側に立たれ課題は山積のご様子。2Fカフェで時間を潰しているとJH1SEJご夫妻と遭遇。そして約束のJA2BNVと合流。そこへ初対面のJG1FFXがいきなりBKしてきて、FL-2100+ロシア球改修とPWM-AM変調談義。今年のハムフェアはこんな調子で始まり、殆どの時間がアイボールに費やされた(全てを紹介出来ず恐縮)。
写真はJA1IIV窪寺氏が主宰する「TL-922愛好会」のブース。同氏が頒布品の説明をされている。固定ファンが多く、ここを尋ねると毎年同じ顔に会えて楽しい。それにしても氏のロシア球やソケット、そしてオリジナルバンドSWの、ワールドワイドな頒布活動には頭が下がる。 オンマウスはYNDXC(山梨DXクラブ)のメンバーとJA2BNV。左からJA1KAW・JE1CCD・JA2BNV・JJ1RDX。50MHz運用や設備で共通の話題があり盛り上がった。先日JA1KAWに送った50MHz/LPFの動作は良好らしく、低SWRで3-500Zx2本を駆動できたようだ。
写真は17時頃から八重洲口近くの「むろらん」(旧駒八)で行われた恒例の懇親会に集った老若男女。 同行したJA2BNVと19時過ぎの新幹線に乗ろうと話をしていたが、盛り上がってしまい21時半を回ってしまった。真空管式KWリニアアンプ製作の勘所について議論伯仲で、時間の経つのを忘れてしまった。一体最後は何時に終わったのだろうか・・・明日は日曜日だし。幹事殿ご苦労様でした。
オンマウスはEMEのブースでJA0TJUと歓談中に発見した左隣のブースにあったアンリツの0.1mHz〜3GHz周波数カウンタMF1603A。2度にわたる交渉の結果\15Kでゲット。内心は\10Kだったがまずまずだろう。帰宅して日が変わる頃の深夜、工房にこもりGPSロックのOCXO(Trimble Thunderbolt)を上に載せて10MHz出力の周波数を測っている様子。この数字は10MHzより0.0528Hz高い周波数を表している。カウンタ内臓Refがずれているのか、OCXOがずれているのか・・・気にしだすと止まらない。何れにせよ本当の神様を決めEXT-Ref駆動にしないとmHzカウンタが生かせない。
余談だがガラス窓外のネットに朝顔のツルが伸びている。これカミサンの仕業だ。ネットの目が細かいんだけど、これ誰が片付けるの?。

Aug 17-19 夜行便で伊豆大島へ渡航
18日午前の熱海発大島便の予約がとれず苦肉の策。前日17日晩東京へ移動し、竹芝桟橋23時発の大型船で船内泊して翌朝5時大島着する。8月も後半に入り、多少は人出が減るだろうと目論んでいたが状況は予想に反した。22時半(三宅島他)と23時(大島他)の大型船を待つお客さんで竹芝は溢れた。様々なスタイルが目に飛び込んでくる・・・親子連れ、子供達の団体、学生のグループ、アベック、個人・・・etc。所持品や衣服にそれぞれの生活観が伺え面白い。
予約は空きの都合で1等の10人部屋だった。そこでも3人の子供連れの母親、アベックが2組、そして私。不思議な取り合わせに苦笑したが、皆口数少なく床に就いた。
写真は17日22時30分頃の東京竹芝桟橋。写っているのは23時発大島行きの大型船「さるびあ丸」。この時季でも出向時には「満席」と船内アナウンスがあった。
オンマウスは19日8時過ぎ、現在も通り抜け出来ない御神火スカイライン途中(佐渡の尾地区)から望む伊豆半島遠笠山方面。昨年10月16日の土石流痕が生々しい。森だったところが流され海が見えるようになってしまったと地元の御仁が呟いた。

Aug 16-17 諸作業で休日出勤と懸案処理
18日(月)から1泊で伊豆大島へ渡航する予定のため、16日はちょっとだけその手続きで出勤した。ところが18日朝の熱海発大島行きジェット便は既に満席。船会社に相談した結果、8日23時に東京竹芝から出る大型船を予約することになった。もうこの時期は開いてい筈と、冬場と同じ感覚で居たのが大間違いだった。18日直接熱海へ赴いたら大変なことになっていたに違いない。この手続きと関係者への連絡で午前中時間が流れたが、メールを覗くとそれ以外に片付けなければいけない案件が複数。結局その処理に時間を要し、帰路に就いたのは16時半を回っていた。休み明けの18〜19日が不在になるので、気をもんでいたが出勤して本当に良かった。
その結果17日は夕刻から新幹線で東京へ向かい、23時竹芝発の大島行き大型船に乗船することになった。
ところで写真はJA1KAWより要請があった3-500x2/50MHzアンプ(SB-200改/Heath)のドライブ用LPF。もう数ヶ月経ってしまったが、調整・測定の上ようやく発送となった。またJA2BNVからはTL-922のBias用7.5V/Zenner(1S265)の要請があり、手持ち品を調べたところ6.5Vの1S264が見つかり発送。皆元気で働いてくれ・・・!。

Aug 13-15 家族の帰省
群馬の三男は東京で次男を拾い未明の3時過ぎに帰宅した。カミサンは起きて対応したらしいが全く気付かなかった。名古屋の長男一家は朝早く出て昼前に食事を済ませて帰宅。 何時もは親父とカミサンと3人しか居ない家が、一気に9人にもなった。孫は畳の上を走り回りやたらと賑やかで、90になる親父はとてもついていけない様子だ。
写真は工房に入り部品箱を物色している孫の大芽。未だ電気・電子には程遠いが、引き出しが面白いようだ。子供ってやはり最初は機械的なことから興味を覚えるようだ。
オンマウスはから伊野沢の水が山切川に落ちる場所で楽しんだハヤ釣りのスナップ。大芽は生まれて初めて間近で見るハヤに目を白黒させていた。この日は長男と一緒にハヤとオイカワを30匹近く釣り上げ、そのままリリース。中にはオレンジ色で20cm程のオスのオイカワも居て大人でも興味津々だった。
釣りって子供達と始めても最後は大人が夢中になってしまうから面白い。その頃になると子供は他に興味が出て「帰ろ」となる。今年の山切川は河口近くの河川工事が終わり、鮎がかなり上ってきている。昔(昭和30年代)の様な賑わいになるのだろうか・・・。
写真は居間の畳で腹ばいの孫、大芽(3歳5ヶ月)といづみ(10ヶ月)。可愛い盛りだ。何故か大芽は長男の同じ頃の顔に酷似している。いづみは当家で誕生した61年振りの女の子だ。健やかな成長を願わずには居られない。
オンマウスは14日17時過ぎの工房前。東京経由で群馬まで帰る三男と東京で降りる次男を見送る長男夫婦一家。群馬太田市まで400Km程あるらしい。東京は、ほぼその中間か・・・。
400Kmは福井と同じ道のりで懐かしい。 毎度のことだが道中の安全と健康を願って止まない。カミサンが撮ったのだろうか、何時もは撮る側の自分が右端に写っている。
15日午前中は姪夫婦が孫2人を連れてやってきた。子供達が増え、まるで保育園と化した。しかし昼を境にそれぞれ岐路に就き、何時もの3人の生活に戻って行った。こうしたシーンをあと何回繰り返せるのかと、年柄もなくやや寂しい。カミサンも同じだろう。
余談だが、工房のマストに取り付けたMFJ-998RTが見える・・・あの焼損して基板に穴が開いた奴だが、今では工房のR7000専用チューナーとして働き、同アンテナの復活に貢献している。

Aug 11-12 R-390A用SSBアダプタ最終局面・・・スピーカー設置・電源24V化ほか
製作を継続しているR-390AのSSBアダプタが最終局面に入った。パネルの上下が折り曲げになっているので、40mm高スピーカーが綺麗に収まらないことに併せ、スピーカー音によるパネルの鳴きを考慮し木の塊によるバッフル板を製作。これをパネルとスピーカーの間に介在させる。木は40x40x80mmラワン材。スピーカーコーンに合わせ30mmの木工ホールソーで左右と中に穴を開けヤスリで均す。
スピーカーは1個は手持ちが有った、残りはコイズミ無線の通販で取り寄せ実装。中々のルックスになった。こんなスピーカーでどんな音がするのか疑問を持たれる向きもあろうが、薄い鉄パネルへ直付けしたシステムとは一味違う。収納するラックの箱効果も相まって中々の音を奏でる。
また、電源は13.8Vを供給していたが24Vに変更し、発振回路のみ12V_3端子Reg経由とした。電流は少ないので24Vからの変換でも発熱は問題ない。
なお、SSB以外でもX-talが発振してしまう傾向があったため、水晶切替に併せ電源切替をダイオードSWで行うことで解決。その制御はローターリーSW1回路のみで可能としている。

Aug 9-10 台風11号の影響・・・子供達の帰省に備える
台風11号の進路が心配であったが、10日午前中、四国から兵庫県を通過し日本海へ抜けていった。
台風の進路の東側にある地域には大量な雨をもたらした。特に三重県では大雨特別警戒が発せられ、非難勧告や非難指示の目白押しだった。幸い当地では程ほどの雨と風があったが、大事には至らなかった。カミサンは台風と言うと雨戸を閉め、ハンドホールの蓋を開け、飛びそうなモノを横に寝かす癖がある。今回も同様で、通過後あれこれと横に寝かせたモノを元に戻すのだが、その仕事は私に回ってくる場合が殆ど。
大雨の後処理、庭の芝・草刈、ゴミの焼却、植木の剪定・伐採・・・蜂との闘い、不用品の処理、部屋の掃除と時間が流れていく。
写真はタワー下にあるソテツの枝に巣を作り始めた蜂。こちらはそんなことはつゆ知らずで、枝払いの作業をしていたらいきなり右手中指の背中をチクッ!。最初は何が起きたのか分からず、枝のトゲが刺さったんだろうと早合点していたが様子が違う。慌てて刺されたと思われる部分に食い付き吸出しを行ったが大した効果は無い。時間の経過とともに膨らみ始めかゆみが出てきた。蜂は軒先に出没するアシナガバチではなく、この地に数10年住んでいて初めて見る種類だ。

Aug 8 34年振りに訪ねる水窪と3年ぶりの春野
水窪と春野で所用。台風11号が近付き西の方では雨模様だ。6時半前には家を出て清水いはらICより西走。浜松北ICを下りR152を北上して水窪を目指す。R152はスピードが上がらない。水窪橋を右へ折れK389に入る。飯田線を超えたら直ぐ左折して更に左折。暫く道なりに進むと右手に広場が見えその脇に水窪中継所がある。到着は8時20分頃。凡そ1時間半かけ所用を果たす。この地は名古屋時代の1980年、マイクロ波伝搬調査で訪れて以来34年振り。そのときは春野からK389で山住神社を超えて来た。酷いガタゴト道だったが懐かしい。さて来た道を戻りR152で自販機のコーラを買う。歩いて来た叔父さんに春野への道を尋ねると、山住超えは止めた方が無難、下の道を行った方が良いと教えてくれた。そのまま南下しご案内のK285/286で春野へ出てR362と合流。春野は15時頃まで滞在し森町経由で帰路に就いた。 写真は水窪中継所、オンマウスは水窪橋からのショット。この付近を訪ねると何時も思い出す友人がいる。水窪の西隣、佐久間町在住のY氏だ。1979年9月の公開番組でご一緒してから交友が今でも続いている。余りにも懐かしくmailを送るがアドレスが古くて届かない。それではとFAXを送ると同様の返信がmailで届いた。

Aug 5 訃報の週末・・・IC-7600がやってきた
2日早朝携帯に義兄の危篤と知らせる連絡があり姉と入院中の病院を訪ねる。しかし時既に遅く、必死に心臓マッサージする病院スタッフの努力の甲斐なく帰らぬ人となった。64歳だった。
ここ数年看病の連続だった姉や家族の努力は大変なものだった。2日と3日はその後の支援に回った。そし4日御通夜、5日葬式と慌しく時間が過ぎ去ったが、爽やかに義兄を見送ることができたのではないかと思う。義兄のご冥福を願うばかりだ。
その関係もあって、週明けに予定していた仕事の処理が難しくなり、3日の夕刻密かに6時間半程の休日出勤。4日の午後半休と5日の休暇をカバーする。
その最中工房のIC-756(自力修理中)の代替に急遽購入する事になったIC-7600が4日届いた。新品未使用品で富山の御仁からのQSYだ。IC-756は購入から20年近く経過し、新スプリアス基準の適応を控える中、潮時ではと考えた。写真左上は早々に工房にセットしたIC-7600の様子。指の太いオーナーにはチト扱い辛い感もあるが、これは慣れだろう。CI-VによるIC-780とのコンビも良く暫くはハマリそうだ。5日晩、お馴染み局のJA2KRVと7MHzでお相手頂いた。

Jul 31 嘆きのIC-756
R7000を工房ポールに仮設した晩夕立があった。夕立が上がり暫くしてシャックに座ると何か変。IC-780とIC-756の下に水。それがR7000の同軸を伝わってきた雨水であることは容易に理解できた。雨水はRigの中に浸入し下に流れた様だ。IC-780は釦LEDが操作に関係無く点灯していたが、乾燥で無事復活。IC-756は特段の影響が無くそのままにしておいた。ところが27日に運用を試みると可笑しい。受信音量が小さく、送信SWを押しても送信に移らず送信LEDも点灯しない。時間が無いため早々にicom送りなった。IC-756は既に補修部品が底を尽き100%修理を保障していないことは重々承知の上だ。しかも4月に別件で修理したばかりで、この人何やってんだろうと思われそうな勢いだ。一抹の不安を胸に28日に発送すると翌29日に衝撃の連絡。部品が無く修理不能!。31日、返送されてきたIC-756を箱から出すとどう見ても綺麗。何とかしてあげたいとアマチュア精神が沸いてくるが困った現象だ。それで週末に突いてみる予定。雨水で腐食した部分を回路から取り除けば復活が望めるのではと楽観視。原因は写真のPLLユニットのアンロックらしいが、果たしてどうなるか。オンマウスは伊野の早朝水撒き。ポンカンも大きくなった。