JH2CLV's Topics & Memorandam
February 2019

Feb 28 巣箱にシジュウカラ…恒例の寄り合い
写真は庭先の柿の木に取り付けた巣箱。昨年の正月だったか、孫の大芽と一緒に2つ作り、一つは名古屋へ持ち帰り、もう一つ残ったのがこれ。カミサンが、巣箱に鳥が来ていると騒いでいた。縁側から窓越しに観察すると間違いない。出入りの様子が写真でも分かるように若干の手を加え2枚を切り替えてみた。なかなか面白い。鳥はシジュウカラだった。住みついているのかどうかは不明だが、これはは孫が喜ぶだろと思い、その晩メールで送った。余談だが、不精して柿の木の剪定を失念しているため、枝がやたらと混雑している。今年の下記の生りが心配になる。
実は28日(水)の晩は、旧隣組の寄り合い。久し振りに部屋の掃除などにカミサンと奔走した。掃除したと言うより、不用品をただ見えないところへ移動した感が強い。19時半から三々五々旧隣組の皆さんが訪れる。お勤めの報徳訓の朗読のあと、恒例の懇親会(情報交換)が始まり盛り上がる。気付くと22時を回り解散となった。この寄り合いに何時も茶菓子やつまみ類を調達するのだが、年に2回しか回ってこないのでその量感覚を忘れてしまう。今回も大分買い過ぎ、しばらくはカミサンのオヤツになりそうだ。
そういえば本日午前中、確定申告を行い幾らか還付金があることが分かった。ズボラに物忘れが拍車をかけ、申告内容の精度が上がらない。

Feb 25〜27 はるみ最後の撰果と出荷
27日にはるみのJA出荷があるため、25〜26日最後のはるみ撰果を行った。今季は柑橘全般に早熟だったが、腐敗がこれ程出るとは想像もしなかった。2月後半になり気温が上昇するため腐敗は増長され苦慮する。また腐敗しなくてもヘタ枯れや軸枯れも進み、想定した出荷量を大分割り込むことになった。実はこの分がワケアリとして友人知人へ回っていくのだが、JA出荷して小売店に並ぶまでの時間を考えると、個配は翌日には茶の間に届く早さで、そのメリットはたいへん大きいと感じている。
オンマウスは27日、8時からのJA出荷に備え工房前に駐車した軽トラ。6時半過ぎに起床し昨日まで撰果したはるみを積み込んだ。前述の如く予定量が揃わず、24個のコンテナへまびき作業。幸か不幸かワケアリへ回る量が増え、何とか残すことなく処理でそうで、個配ユーザーの皆さんに感謝している。ミカンもいよいよ終盤。貯蔵中のスルガエレガントを3月末から出荷。施肥もせず放置状態の西奴の木生りスルガエレガントは4月以降に収穫できるだろうか…笹竹と葛が心配だ。それに少量だが、貯蔵中の寿太郎とセトカの頒布もある。いやいやそれより、恒例の剪定に農薬散布、そして屋敷畑を極早生に改植する作業が平行する。軽トラの後ろに見える工房に入る時間が極端に減っている今日この頃だ。

Feb 24 大騒ぎの藤の木移植
通称屋敷のポンカン畑の伐採と土起こしを行っている。親父の時代から30年近くにわたり大田ポンカンを栽培してきたが、度重なる台風で傾き、木の根がやられてきた。そして昨年の台風24号で決定的なダメージを受け、いよいよ伐採・改植を決することになった。ポンカン栽培は伊野の若木の生育が順調なこともあり、屋敷は極早生品種への転換をイメージしていた。昨年12月の収穫後、徐々に伐採を始め、現在は周辺に2〜3本程度残すのみとなった。また叔父がサンプルで置いて行ったセトカが2本ありこれは、苗木植付け時のランドマークにする。前置きが長くなったが、畑の北西角に藤の木がある。10年ほど前、家の前にあった鉢植えを移設したものだが、成長し地面に太い根を下している。ミカン栽培には邪魔なので、これを南西角へ移植することにした。周辺を掘り根を切断しても容易には動かず、結局3本の単管パイプでやぐらを作りチェーンブロックで引き上げ、底へコンパネを敷き1輪車を突っ込んだ。1輪車を押すとフレームが曲がるほどの重さでビックリ。移植先でも方向転換に四苦八苦するが、何とか形になった。写真は吊り上げ様としている藤の木。オンマウスは土起こしした屋敷の畑。後方に左に移植した藤に土をかけるカミサン。右には満開の河津桜。カミサン主宰の養蜂エリアは南側に集中させることにし、徐々に移動を始めている。

Feb 22 中学時代の思い出の品
ひょんなことから、机の中や部品箱の奥に紛れ込んでいた懐かしいグッズを探し出した。写真はフィリピンのFEBC極東放送(DZF2)とラジオ・オーストラリアのピンバッジ。前者はリスナーズ・フェローシップと称する会があり、メンバーになったとき会員証と一緒に送られて来たもの。会員証はベージュ色の台紙に書かれていたが、何処かに紛れ込んでしまった。後者は御存知ラジオオーストラリアのリスナーズ・クラブのもの。何れも1969年〜1970年頃にかけて手にしたもの。短波ラジオの自作とその受信を、何も分からないまま月刊誌「初歩のラジオ」や「ラジオの製作」を参考に、手探りでやっていた頃だ。5球スーパーに毛が生えた様なラジオで、周波数もまともに読めず、待ち受け受信など夢のまた夢の中、良くやっていたものだと思う。いわゆるBCLブームが始まるずーっと前の話だ。
オンマウスは、1967年〜1968年頃に何台も製作したトランシーバのお手本になったもの。科学教材社のKitスカイトランシーバ(ニュースカイトランシーバ)KAT-271。最近ネットオークションに出展されたことを、Facebookの真空管無線機のサイトで知り、オークションにUpされていたカタログ写真をトリミングさせて頂いたもの。もう懐かしいの一言だ。今考えると、アンテナとの間に整合・共振の配慮が無く、それをやっていたらもっと飛んだだろうなと…もう一度やってみたくなっている。何方かお相手いただける方、いらっしゃらないだろうか。

Feb 20 リモートシャック発電機・充電器交換
朝リモートシャックの発電機(EG-2600)を起動するとアンサーが来ない。昨晩は良かったのに…。16日に燃料交換をしているが、ひょっとした外部タンクから発電機内臓タンクを結ぶサイフォンが途切れたか・・・などと推測しながら緊急出向すると、何と発動機は回っている。発電機AC出力ブレーカも正常だが、過負荷LEDが点灯し電気的に出力を遮断していた。一旦停止させ再起動すれば発電するのだが、発電誘起すると瞬間に遮断されてしまう。負荷を外しながら確認すると、リニアアンプ(IC-PW1)を外すと遮断しない。送信している訳じゃ無く、大した負荷でもないのに何故?力率?。現場での原因究明には限界があるので、早々に昨年同時購入した予備発電機を投入。予備発電機へつなぎかえると何事も無かったように発電する。また、現用機と同様に起動はすこぶる良く、ほぼ100%で1発起動。これで暫く様子を見ながら取り外した発電機を調査する予定。
写真は久し振りに見る、リモートシャックでの発電機ツーショット。昨年5月20日より、新バージョンに変わってから殆ど1発起動するため、起動用外部バッテリは今回から外すことにした。オンマウスは、発電機交換に併せ、充電器(安定化電源)をDAIWA/SS-330Wに変更。近日中にもう1台追加し、ダイオード混合して並列運転(60A)する予定。バッテリ容量が300Aに増加しているため、それに備えるとこにした。

Feb 14 バレンタインデーの贈り物ほか
写真は14日(水)名古屋の4歳になる孫娘から届いたプレゼント。前日長男の嫁さんから何か送ったとメールがあった。開けてみるまで今日がバレンタインデーだとは気付かないありさま。何と感度が低いことかとカミサンに笑われそうだ。プレゼントにはチョコレートとお菓子の他に、孫自筆のイラストやメッセージが同梱されていて嬉しくなる。もうこんなの書けるンだぁと…テーブルに並べてパチリ。孫からと言いながら、それを上手にフォローしている嫁さんに感謝だ。早々にチョコレートをツマミ出すが、カミサンも横からそれに加勢。ところでアンタからは?と訪ねると、しっかりと用意してあってそれにも感謝。
オンマウスは伊野の太田ポンカン畑に配置した堆肥。隣組の堆肥屋さん(M農産)から毎年購入している物。他の園地を含めて都合120袋を納品して貰った。土起こしをした上を一輪車で運ぶには骨が折れるため、軽トラで力丸クン(クローラ)を運び、これに積んで配置した。伊野の半分は気持ち傾斜地で水が下るため、樹の山側中心に撒いている。その作業は翌15日(木)カミサンと実施。今年は屋敷のポンカン畑を極早生種(由良早生)へ改埴する予定で、ポンカンは伊野だけになるためチョッと力が入っている。ここは、昨年の台風24号で、100本近く植わっている樹の大半が強風で傾いてしまった。竹のつっかえ棒がその復旧対策の名残。何とか収穫までこぎ着けたが、今年は収穫より樹勢回復に努めたい。

Feb 13 毘沙門天のダルマ市…marantz_M-CR611に驚く
13日(水)、富士市の毘沙門天のだるま市を訪ねる。毎年ここでだるまを買い、家の神棚の横に並べ押し出しで古い順に廃棄する。何時から始まったか分からないが家の習慣になっている。写真はお馴染みの杉山だるまで、値段交渉が成立し品物を受け取るカミサン。だいたい昨年は幾らだったか覚えていないアバウトさだ。オンマウスはこの日の午後届いたmarantzのネットワークCDチューナーM-CR611。これまでのPioneerのはAM/FMとCDの他にUSBメモリでMP3ファイルが再生できるので重宝していたのだが、ひょんなことでネットワーク機能のついたこのM-CR611の存在を知った。USBメモリが差さる程度で満足していてはいけない状況が見えて来たのだ。購入にはLine出力や前後にUSBコネクタがあること、Lan上のNASに格納するファイルが再生出来ること等を考慮。オンマウスは到着したM-CR611をセットし出力を300Bアンプへつないだ様子。真空管アンプの電源は背面USBの5V出力を利用。電源を入れるとこれまでとは全く異なる世界に仰天。いきなりファームウェアのアップデートが始まり、およそオーディオ機器の印象が無い。ネットワークラジオ、NASサーバー、USB、BlueTooth何でも御座れのリソース対応。CDやチューナー等は機能のほんの一部に過ぎない。ふと気が付くと、これってリソースのコントロールセンターじゃん。こう言う世界に浸ることも大切と感じ、連日その機能を楽しんでいる。とにかく驚きの装置だと言える。

Feb 11 襖張り替えに奮闘
この日はどうした訳か朝から襖の張替をやることになった。数年前、畳表の張替時、併せて襖の張替を行った。家の北側にある寝室の押し入れは、畳から板の間に作り替えたため、お客さんの目に触れることが無かったためか、昔のままだった模様。1963年12月に新築してから56年目になるが、当時からのモノかははっきりしない。ただ、写真に薄く出ている木のデザインは何となく記憶にある。てことはやっぱり今回は初めての張り替えか・・・。子供のころから見ていた記憶を頼りに襖の枠を分解する。杉の木を精密に加工してあり職人さんの技を感じる。バカ力を入れないで木づちでコツコツとやる。分解してからが大変。綺麗に元の貼りモノを取り除き、カミサンが大分前に買ってきた水性ノリ式のシートに水をふくませて貼り付ける。カミサンとアーでもない、コーでもないとやり気泡を追いやりながやる。後で分かったことだが、余り力まずにソッと置けば十分だった。1枚目は慎重にやったのでそれなりに、2枚目は慣れから手抜きをしたため下方にシワ。天袋をやろうとしたら紙が無くなりホームセンターを往復するが、水性ノリ式が無く、同じ柄も無いので、雰囲気の似たアイロン式を買って戻る。やってみるとアイロンで伸ばすこの方式の方がベタベタせずやり易い。半日で終わるつもりが結局1日仕事になってしまった。写真は張り替え後と張り替え前の比較。オンマウスは作業完了後の寝室の様子…まぁまぁの出来だ。

Feb 10 リモートシャック風力発電機タワー中段へ…
リモートシャックで太陽光発電を補完するために、昨年中華製風力発電機を購入して久しい。購入後は自宅でテストした後、リモートシャックタワーの下段に仮設し様子を見ていた。しかしヒノキ林にかかるため風向きによっては全く反応しない。その後、複数の台風とそれによる被害に遭遇しそれどころでは無くなっていた。それが本日、朝カミサンに休日宣言をして一日を自由時間にした。折りしもローカルのJA2JZ佐野先輩と交信中、午後からパラついていた雨が上がり薄日が差して来た。交信でこの風力発電機が話題になった。陽が伸びたし、日没までまだ時間があると、16時頃材料と工具を持ってリモートシャックへ向かった。凡そ1時間かけて、金物の腕木と当該風力発電機を富士山カメラとほぼ同じ高さの南側に移設。やはりヒノキ林の防風効果は大したもので、それを僅かに越えただけで快調にプロペラが回り出した。その後下山する17時過ぎ時間までずっと回り続けていた。写真は△タワーの南縁に取り付けた腕木と風力発電機。生憎の天気で雨は無いものの、背景にある清水港や駿河湾が映えない。なお発電機の垂直尾翼は水の滴りを嫌って下向きにし、回転軸での前後バランスをとるためにオリジナルより若干前に詰めている。また、この高さは鉄塔縁が斜めのため、腕木の固定には鉄板の詰め物(6mm)を行い水平・垂直を出している。

Feb 7-8 スルガエレガント収穫
2月2日朝、自宅の玄関外の温度計は0.5℃を示していた。しかし庭先のポンカン畑は霜で真っ白。工房の脇に留めてあった車もフロントガラスは氷でガチガチ。そう言えば、その前の晩に行われた旧隣組の寄り合いの後、車で帰宅する先輩がガラスが凍りついていると驚いていた。時間は22時過ぎ。確かに寒かった。だから朝は絶対に氷点下だろうと思ったが、玄関の温度計はそうならなかった。しかし、畑の霜や車の氷は普通じゃ無い。それで未だ暗い6時半頃デジタル温度計を持って舞台へ走った。すると見事に実ったスルガエレガントの一部に氷に付着していてビックリ。モノラックのレールもツルツルだ。何てこったぁ!。玄関の温度計ばかりを信用してはいけない。夜が明け気温が上がると氷は溶け何事も無かった様になるが、これただ事ではない。再び寒くなりそうな天気予報が流れ、7日午後から思い切ってスルガエレガントの収穫を開始。翌8日午後まで掛け、カミサンと2人で2トン弱を切り取った。写真は収獲中のカミサン…遠くに自宅とタワー。オンマウスは自宅までの約50mを運び出すモノラック。暖冬で今年こそは木生り収穫して出荷出来ると思っていたが、結局貯蔵になってしまった。複雑な地形で微妙に気温が変わる当地(伊野川原)では、甘夏やレモンの栽培は容易ではない。年間を通して測っている温度も、測定点の見直しが必要になった。

Feb 4 OneTubeCompe2019(Rx)始動!…春に向けた農作業
先月末、OneTubeCompe2019出展予定のRxの回路を書き出してニヤニヤしていた。単球のスーパーヘテロダイン&レフレックスラジオだ。この日、アンテナコイルとIFTの間に挿入するDBMのテストを行った。写真は昨年出展の12GN7A単球レフレックスラジオをIF周波数近く(500KHz辺り)に同調、アンテナ入力にDBMにIFポートをつなぎ、LoポートはSG、そしてRFポートへWindomアンテナをついだ様子。SG周波数を受信周波数+IF周波数に設定すると、ローカルラジオ放送が聞こえ出し、スーパーヘテロダインの面白さを体感…頭の中で考えるより容易に周波数変換の面白さが分かる。テストの主旨は、必要Loレベルの確認。過去の実験から概要は把握しているのだが、大型アンテナ時の必要最小限レベルを知りたかった。結果は低Loレベルで動作するMiniCircuit社のADE-1で、10dBm(10mW)あるとIMも良好になりベストだが、0dBmでもミキサー機能を果たしていることが判った。 後方に複数のミキサーが映っているが、13年程前に実験した事が懐かしい。あれ、良く見ると7360のミキサーを並べるのを失念しているが、OneTubeCompeではお呼びじゃない。
オンマウスは伊野ポンカン畑の土起こしとセルカ(苦土石灰)撒き。この後恒例の堆肥を入れる予定。春はもう時間の問題だ。作業が終わり、軽トラにはヤンマーのテイラーと残ったセルカ2袋、そして燃料のガソリンが積んである。

Feb 1 山梨県境方面が真っ白だ!…確定申告準備
9時半に静岡で歯のメンテナンスがあるため、8時半頃家を出て南下しR1バイパスを西走。メンテナンスを済ませ11時頃、R1バイパスから北上するとビックリ。山梨県境の山脈から、真富士方面にかけての山々が真っ白。帰宅してからデジカメを取り出し、戸倉から大峰へ向かう農道を上った。確かに雪が積もっているが、11時を回るとやはり溶けた感じだ。一通り撮影して帰宅すると、カミサンが8時頃に車からスマホで撮った写真の存在を知った。レンズはワイドだがトリミングしてもそれなりの解像度があり、頂きます!となった。
写真は8時9分、R1バイパス南側の庵原川西岸からの撮影。右手の3つ山が山梨県側にある十枚山。不思議と近くに見える。オンマウスは大峰中腹から11時半頃撮ったもの。この日は、自宅玄関で7時に3.5℃だった。ちなみに翌2日は0.5℃だったが、やけに寒いので庭先のスルガエレガント畑へ赴くと-2℃でビックリ。モノラックのレールは凍ってツルツルで、収獲前の果実に一部氷が付着しビックリ…痛まなければ良いのだが。そう言えば1日夜の旧隣組の寄り合いが終わった22時過ぎ、車のフロントガラスに氷が付着していた。
ところで1日は確定申告を前に農業収支についての資料をJA担当者の指導のもと作成。保存してあった筈のレシート類や領収書が行方不明だったりと、日頃のズボラさが暴露されてしまう。28日に確定申告をすることになった。

Jan 31 青島温州ミカン最後のJA出荷…
1月31日(木)は我が家の青島温州ミカンJA出荷の最終日。朝から軽トラで2往復して今季最後の荷を運んだ。しかし、出荷落ちが多量に残りその処理が課題。OrangeVillageユーザーの皆さんや、家族の友人知人からの支援を頂いているが、どれだけはけるかそろそろ心配になってくる。写真は貯蔵庫での撰果風景。奥からローラー上を木箱を移動させながら、出荷品と腐敗果や痛み果を拾い出す。残ったモノは木箱に整理し手前奥に積み上げる。中々根気の要る作業だが、落とす落とさないの判断は目揃会を行っても、各戸判断のためバラつきが出る。我が家は伝統的に厳しい方なので、どうしても出荷落ち量が増えがちだ…後からFAXで来る評価がそれを物語っている。甘くして出荷量を上げる手もあるのだが…どうも。それとも2月に入って出荷基準が落とされれば幸いだが望みは殆ど無い。
オンマウスは先日紹介したOneTubeCompe2019のトランシーバ部門に出展する3A5トランシーバの基本回路図。中1の頃に製作したトランシーバのリメイクだが、この回路にFETの発振回路を付加し、法規制(発振回路と増幅断の独立)をクリアする予定。当時はアマチュアライセンス取得前で、初めて聞いた50MHzのラグチュウ(OMとYLの)に興奮したものだった。やっと入手したノーベルの67.5V積層電池は、あっという間に消耗してしまい、中1の少年には辛い出費となった。アマチュアのライセンスを取得しておれば、それなりの使い道があったのだろうが、その後惜しげも無く部品取りと化してしまった。