福井大学(遠赤外線領域開発研究センター5F)で電子回路研究会が行なわれた。実は今月6日、JA1BLV関根OMから突然メールが届き、この研究会を紹介して頂いた。興味半分と挨拶を目的に尋ねてみた。半日休暇をとりプライベートの筈だったが、入場時の署名には勤め先も記してしまう。会場は48席あったが満席の盛況だった。大学やメーカーの研究者が夫々の研究成果を発表していく。休憩時間に最後列に座っていたOMを尋ね10分程度歓談。この研究会は「回路」が出てくる。しかし最近はどの学会でも回路を見る事が無い。いくらソフト時代でも必ず回路がありハードがある事を忘れてはいけない。それがこの研究会の目的で魅力だと熱弁された。全く同感。世の中がソフトにシフトしてもそれはハードや回路の上で動いている。勤め先で毎年行なわれる技術フォーラムも回路図が消えて久しい。写真は休憩時間に撮影したOMとのツーショット。1975年頃、秋原の信越電気で初めて拝見した頃を思うと時代の流れを感じる。ある事が原因でハム熱-40dBとメールに記されてあった。これは充電中と理解していますと返事を差し上げたが・・・復活を熱望して止まない。何しろ自宅にはOM監修・執筆のハム関係図書が数多く並んでいるのだから。 |
昨日、何十年振りにJA2BHV/沢OMと交信(3.5MHz)した。驚きと感激だった。1970年代、自作TRCVで鼻息の荒い青年を相手に、独特の語り口で何度も交信頂いた。当時OMは岐阜県神岡町に居られ、読売一万局賞を受賞する等、7MHzに大変アクティブだった。また7MHzでは知らない人は居ない程有名人だった。神岡町や神岡鉱山を知ったのはOMとお逢いたから。その後仕事で訪れた時はOMは転出されていたが、何時もOMの名前とコールサインが頭に浮かんだ。その後各務原市に移られてもアクティブだったが、こちらは移動運用の弱小局の身、オンエアで幾度かOMの声を聴いていたが中々電波は届かなかった。そんな思い出があり今日の交信は格別だった。そして襟を正す良い機会になった。QSLカード交換の約束したが、何年も発行していない事に気付いた。それからが大変、HamLogの印刷メニューを開くと、苦労した作った原版が無い。2年程前にHDを誤フォーマットした事を思い出した。意を決してカードを作成、コールや住所、RigにAnt、JCCやGLデータなど、束事が多くて面倒だが何とか印刷にこぎ着けプリントアウト。その数は100枚以上に達した・・・皆さんゴメン。写真はその様子で、オンマウスは移動運用で得た内外QSLカード。 |
この日の福井市内も寒かったが、空模様は昨日とは打って変わり写真の様に快晴だった。昨日の写真とほぼ同じ方向のショットで、その違いが良く分かるようにした。昨日は山脈が全く見えない。僅か一日の違いでこうした違う世界を味わえるのが当地の特徴である。ただ朝の路面はカリカリに凍っていて滑るので通勤には要注意だ。 オンマウスは隣の鯖江市にある工業高等専門学校。所用があり専攻科棟の教授を訪ねた。学校を訪ねると妙に自分が学生時代だった頃を思い出し、既に亡くなられた恩師に思いが馳せる。将来の事など何も考えられずオロオロしていた時、あの就職案内の一言が無かったら今の自分も仕事もなかったなぁと。それからあの頃の友人達、今どうしているのだろうか。ふと統合を控えた母校にも思いが及ぶ・・・。 |
今朝はちょっと冷えた感じがした。7時半頃になっても窓が明るくならないので開けてみると写真の如く雪国。福井市内は2週間振り、今年2度目の雪化粧となった。積雪は7cmとニュースが伝えていた。室温は8℃で何時もより2〜3℃ほど低い。雪のため通勤に革靴は不向きと判断、実家から持ち帰った農作業にも使う愛用の長靴に傘をさして出勤。革靴はレジ袋に入れ手に下げた。東海筋だとこの程度の雪でも大雪だ!とTVや新聞が大騒ぎするのだが、さすが北陸福井、何の慌てた様子も無く静かそのもの。この写真はアパートから北東方面を覗いたもの。遠方に見えるのは開発のNTT鉄塔。時間は7時45分頃だがまだ雪が降っていた。雪は午後には上がり一時は陽が差す程になった。帰りも完全に溶けていないため長靴を着用。 |
昨年のハムフェアでトップガンのブースを尋ねた折、JH2AMN川上氏からJA2QXY川村氏設計による制限増幅器の基板を頂戴した。何時かモノにしなければと考えていたが、頒布基板を完成させた友人知人が続々と出没するようになった。名古屋の友JA2BNV山形氏からは主要デバイスである松下AN5285Kまで届いた。こりゃ何とかしなければと思ったが諸般の事情で遂に年を越してしまった。正月休みが明けて暫く過ぎた今週、重い腰が上がり基板を完成させた。制限増幅器を業界ではLBと呼ぶが、四半世紀以上も前はOPアンプにフォトセルの帰還回路を付け良く自作した。1980年頃になると各社から気の利いたAGCアンプデバイスが出回り世の中は一変した。講釈はどうでもいいから早く完成さなければいけない。写真は完成した基板。 |
12日(土)、家業支援(ミカン撰果・出荷)・・・それにPiggの墓参りのため帰省。朝5時半雨の福井を出発。ノンストップで9時過ぎ清水着。走行距離373Km、所用時間は4時間弱。渋滞も無く天気以外は快適そのもの。休む間もなくこの日出荷予定の青島温州の撰果。午後トラックと軽トラに1tの荷を積み農協撰果場へ。重さや品質チェックが自動化され生産者に後日評価が届く仕組。人の判断に依存しないのが嬉しい。他の生産者の出来が気になり、隣のホッパーを覗き比べたりする。味は全く変わらないのに、見た目の良し悪しで落とされていくミカン、一体農業って何なんだろうと思ったりする。1年間丹精込めて育ててきた果物が、ちょっとした大きさの違いやキズで評価が落とされて行く。生産者のやる気を喪失させる原因になっている様に思えてならない。消費者はそこまで求めていないと思うと、何とかならないものだろうかと悩む。13日(日)は朝から翌日出荷用の青島温州を1tと17日出荷予定の太田ポンカンの撰果に明け暮れる。14日(月)はカミサンが作った小豆粥で朝食・・・美味い。午前中に青島温州を出荷、12時半福井への帰路に就く。あっという間の連休だった。皆さん(親父・カミサン・姉夫婦)ご苦労様。オンマウスは13日、黄昏時のHana。 |
昨日8日21時半頃、カミサンから携帯電話にメールが入った。「21時Piggが息を引き取った」の内容に一瞬絶句だった。成犬で実家にやって来てから10年は経つから12〜13歳位だろうか。高齢だし、にわかに調べたネット情報を見て、もうダメかなと内心は覚悟していた。しかし、やっぱり来る時が来てしまったかと言う気持ちでいっぱいだった。大食いと力ばかりが取り得の単純な犬の様に見えたが、実は車の音や足音で誰かが分かる繊細さを持ち、帰省する度に嬉しそうに飛び掛ってくる姿が懐かしく思い出される。 今週末の帰省時までは頑張って欲しいと思っていたが残念だ。本日早朝、親父とカミサンの手で実家のお墓の横に埋葬された。その様子をカミサンが撮影し携帯メールに添付して来た。わんぱくだっただけに安らかな表情が余計に涙を誘う。 たかが犬と思うかも知れないが、多くの思い出がありこのページのキーボードを叩く手にも涙だった。 写真は元気だった頃のPiggで、丁度1年前の1月3日大嶺で撮影したもの。左がPiggで右がHana。あの荒っぽいPiggだらかHanaとの初対面は非常に心配だったが、なにくわぬ顔をしてHanaと遊んでくれた事が嬉しい。我家に来た事をどう思っていたのだろうか・・・我々は楽しかったよPigg!。 |
実家の愛犬Piggの様子おかしい。年末約1ヶ月半振りに帰省すると、やせ細って腹部がまるで洗濯板だった。歯肉炎を患い痛くて食事がとれず、また体内に腫瘍もあると言う事だった。食事の内容を変えたり獣医さんから貰った薬で対応していた。薬は息子が厚手の皮手袋を付けて口を開き、カミサンが放り込む荒業で飲ませていた。それでもこの正月は近くまで散歩に出る元気があった(1月2日の写真参照)。11月中旬に帰省した時は私を引っ張り倒す元気があり、家の前で転び膝を擦り剥くハプニングを起こす程だった。ところ状況が急変したと今朝カミサンから連絡があった。昨夜もう1匹の愛犬Hanaが鳴くので見に行くと、Piggが起き上がる力も無く思うように排尿も出来なかったらしい。家の中に入れ一晩中様子を見ていたが容態は変わらなかったらしい・・・電話なので聞くだけでなす術がない。話を聞くうち昔の事が思い浮かんできた。放すと猛烈な勢いで走りまくったこと。散歩中に紐が切れご近所に迷惑をかけ家族中で探し回ったこと。短時間の散歩でも帰る時は驚く程おとなしくなること。子供達と全身シャンプーをしたこと。山で行方不明になり自分で帰ってきたここと。名古屋から来たHanaと仲良くしてくれたこと。・・・回復を願っている。 |
午前中、所用で足羽山の茶屋を尋ねた。足羽山は年末年始に降った雪が残り、道路から外れると長靴が要るほどの積雪だった。朝10時頃のお天気は快晴で、見下ろす福井市内も未だ白っぽく雪国の様相だった。 さて、福井に来てから一度お尋ねしなければいけないと思っていたOMがいる。11時半頃、足羽山から戻るとたまたま7MHzで声が聞こえた。新年の挨拶に併せ、本日お邪魔したい旨を伝えると快い返事。午後一番、田舎のポンカンを手土産にOM宅を尋ねた。OMとは越前太郎ことI氏。早くから軍用無線機に魅せられ、世界中から探し求めた無線機を修理し、更にインターフェイスしてシステムに組込み無線を楽しんでいる。そこにはアマチュア無線機と言うモノが存在しない。ルビジウムOSCにロックした無線機群、徹底したAF/RFのエンベロープ管理、AF部の平衡伝送、自動チューンのプリセレとHPA、整備された測定機、マニュアルを始めとする膨大な書籍・・・脱帽である。何か凄いものを見てしまい金縛りにあったようだった。色々なお話を伺い、やや興奮気味というより自戒の念に駆られながらOM宅を後にした。写真は軍用無線機や測定機が整然と並ぶI氏のシャック。オンマウスは足羽山から臨む北西方向の眺望。 |
年末から本の話ばかりで恐縮だがここでもう一冊。この本はアマチュアとの馴染は少ないのだが、唯一VHF帯HPAで共通点がある。あの4-1000AをVHF/TV-TXのエキサイタにB級プッシュプルで使用した実例があるのだ。また終段管と共振箱との結合方法等が細かく説明され自作派にはたまらない資料。Fundamental of TELEVISION ENGINEERING(G M.GLASFORD著)の翻訳版「テレビジョン原論」(青柳健次著)がそれ。実は1978年に職場の先輩から譲り受けたモノ。1958年出版で購入は1959年4月と裏表紙にメモがある。価格は\1400で当時の給料からすると破格だったに違いない。時代の先端を行くTV技術の習得のために大枚を叩いたと想像する。TV信号や色信号等の原理、制作設備から送信設備まで網羅する数少ない技術図書。原版は1955年初版でオーナーが生まれた時代で感慨深い。以上はMyFaboriteBooksにも追記した。さて正月休みも最終日。午前9時に清水を出発し福井に向ったが音羽ICから先が大渋滞。岡崎IC付近で事故があったらしい。福井到着は1時間オーバーの14時過ぎだった。木之本ICから先は完璧な雪国だったが、幸い雪の影響は無かった。オンマウスは北陸道で撮った除雪ご苦労様スナップ。 |
2日の朝は実家でもかなり冷え込んだ。7時半に起床して玄関外に掛けてある温度計を見ると氷点下1.5℃だった。寒いわけだぁ。目の高さを変え氷点下2℃と読んでも良い位の寒さだ。気象台は街の中にあるから同じ静岡市の気温と言っても数℃の違いがある。屋外には愛犬Piggの犬小屋があり水を張ったボールが置いてある。様子を見に行ったらボールの水がカチンカチンに凍っていた。写真は手でボールを暖め氷を取り外し、Piggをすかして見た様子。暑さは5mm以上あって、こうして端を摘んでも割れることなく持ち上げる事が出来驚く。 オンマウスは初仕事の太田ポンカンの撰果。昨年家族で切った太田ポンカンを出荷するために決められたサイズの物を撰ぶ。味が違う訳でもなく、やや傷があったり、サイズが不揃いだったりすると評価が下がるので農協からお叱りを受ける。この作業のために相当な時間が費やされるが、その労力と価格は全く無関係。生産者も消費者も食する事が目的であるなら、もう少しこの作業が省力化出来るのではと思う。こんな状態だと、高齢化や後継ぎに悩む農家は次々に生産停止に追い込まれる。生産を維持し生産者と消費者を満足させる体制を考えないと、当地の名産の継続は危ういと呟いている。 |
2008年の元旦は快晴だった。清水区山切の実家では、朝の気温が0度付近まで下がった。例年だと屋外に駐車した車のガラスが凍りつくのだが、年末29日の帰省以降そこまでは冷え込んでいない。この地区では元旦の朝7時から東久佐奈岐神社で恒例の年頭会がある。大晦日の晩、親父の運転手として行ってみようと言う話しになった。6時半に起床すると親父は既に準備を済ませ何時でも出発できる体制だった。時間を守るのは良いが、5分も掛からない場所なのにって言う感じになる。やっぱり年を取ったせいなのかと自分に言い聞かせ黙っている。おかげで慌てて諸々の準備をするハメになった。6時50分頃に神社に着くと地区のオヤジさん達が境内で焚き火を囲んでいた。新年の挨拶を夫々に行う。時間が来ると社の前に集合し自治会長から念頭の挨拶があった。その後五穀豊穣と安全を願い参列者全員で柏手を打った。さらにお神酒が配られ、焚き火を囲んで約1時間程地区の皆さんと歓談し流れ解散となった。地域の住民が念頭に気持ちを新たに集い団結を誓う、なんとも古臭い習慣のように見えるが、その果たしている役割は大きい。写真は10時頃の正月恒例定点ショット。オンマウスは大嶺から見る11時頃の富士。 |