JH2CLV's Topics & Memorandam
January 2010

Jan 30-31. 2010  42年前の思い出・・・続く稼業の支援
30日、未明5時に福井を出て9時過ぎに帰宅。家業支援に明け暮れる予定が睡眠不足で昼食後2時間は夢の中だった。31日朝、ふと覗いた道具箱の片隅に1本の古びたドライバー。付着した埃や油に年代を感じる。手にすると一瞬にして中学2年の技術科授業にタイムスリップ。忘れられないあの実習。赴任2年目の熱血漢、青木先生の授業。これからドライバーを作る!と先生から渡されたのは直径6mmの鉄棒。これを鍛造焼入れし、木の柄を取り付けてドライバーを作るのだ。教科書のどこを探しても載っていない。しかし工作の基本を知るには格好の題材だ。思い思いにコークスの火にヤットコで掴んだ鉄棒を突っ込み真っ赤に焼く。そしてハンマーで叩き形を整えていく。満足できる形になったら焼き入れだ。柄は雑木林から樫の木の枝を切り出し旋盤にかけて細工、6mmの貫通穴を開け鉄棒を打ち込む。回り止めに横から細いピンを貫通させ、最後に柄にニスを塗る。この製作の過程で少年たちは多くの技術を学んだ。写真を見ると42年前の思い出が鮮明に蘇って来る。家業支援は午前中のみで、12時半後ろめたさを感じながら福井への帰路に就き16時過ぎ帰還。オンマウスは30日東名高速三好IC付近で見るAM7頃の日の出。

Jan 26. 2010  Orange Villageサイト立ち上げ
先週末帰省した折、ちょいキズやちょい小振りのポンカンを15Kg程カミサンが持たせてくれた。擦れや霜当たりなどのキズのため、ハイレベルを求めるJA基準には叶わずはじかれたモノだ。味は全く問題はないのに見た目だけでこの様な状況になってしまう。こうした話は果物に多く、とりわけミカンはその筆頭だと思われる。はじかれたモノは友人知人にお裾分けしたり自家で食用になったりする。しかし長時間の保存は出来ないし、限られた時間の中で処理するのは中々難しく、最後は捨てる羽目になる。何とも勿体無い話だ。実は帰省時も100Kg以上を車で山中へ運び廃棄してきた。1年間丹精込めて作った作物がそのような形で最期を迎えるのは生産者にとっては耐え難い。廃棄しながら、いつまでもこんな調子で良いのだろうかと思い悩んだ。ミカンだって食料だと言う視点に立ち何とか使途がないものかと考えた結果、「訳あり品」として新たな販路を探ってみようとOrengeVillageと称するWebショップを実験的に立ち上げた。殆ど思いつきだが、一言では書き尽くせない思いや考えが頭の中を巡っている。廃棄される事は生産者はもとより消費者だって望んではいない筈。何とか隠された接点を見い出し販路の拡大を目指したい。

Jan 23-24. 2010  帰省と稼業の支援・・・久々に南米と交信
23日、夜中26時に床に就くが朝7時には起床。カミサンはもっと早く起き朝食の準備や洗濯に忙しい。毎日大したものだと頭が上がらない。親父はラジオ深夜便が好きで夜中からR1が鳴り、夜が明けるとマッサージ機にかかるのが日課だ。朝食を済ませHanaと散歩に出て戻ると早々に青島温州の撰果が始まる。カミサンの指示で本日出荷分の荷を作る。既に多くが撰果済みだが、時間経過で腐りや、重みで変形が無い事をコンテナを移し替えながら確認。昼までに青島温州800Kg、そして午後は場所を変え太田ポンカンを撰果し15時400Kgを出荷。撰果には人手が要るため姉の支援を受ける。出荷先のJA共同撰果場では1人で都合1.2tの荷を動かした。 翌24日、午前中ポンカンの撰果に追われる筈だったが、清水区今泉のクインビーガーデンへ親父の所要に同行。代表S氏は親父より3つお若いが相変わらずの迫力だ。その後個別販売している店舗2軒を回って帰るともう昼食時。撰果らしい作業は出来ず昼食に傾れ込み食後の12時15分福井への帰路に就く。順調なドライブで16時無事福井に帰還。写真は撰果した太田ポンカン・・・今年は格別な甘みだ。オンマウスは霜の土手にたたずむHana。好天続きだが当地の朝は氷点下に冷え込む。
24日帰宅後の18時過ぎ、10MHzバンドを覗くとスコープに強力な信号。ボリュームを上げると帰省中の同僚JA9LSZのCW。相手を探すと10.112MHzにフォークランドIsのVP9DMN。こりゃ10MHzでは初だ。しかしkWとDipoleの大砲LSZが何十回も呼んで応答が無いのなら、IC-756にZeppのピストルでは最初から無理と判断し途中から傍観に回った。実はそう決め込む前に幾度か読んでみたが箸にも棒にもかからない。それで18時45分、VP9DMNはQRX_15minuiteと打ってきた。内心しめしめと思い次の運用開始19時を待った。その間の18時50分、ウルグァイのCX2AQが直ぐ下でCQを打ってきた。すかさず呼ぶとこれが一発でゲット。VP9も同じ南米だから十分に可能性があると期待を持った。そして19時再び登場したVP9DMN。LSZも同様に構えていて彼は一番でゲット。コンディションが上がったのか…。続いて19時5分、当局のコールサインが歯抜け状態で帰ってきた。やった!。コールサインの修正を2度程促し無事交信成立となった。たまにはこう言う DXingも良いなとLSZと翌日談笑すると、よくその設備であそこまで飛んだと冷やかされた。でもアマチュア無線ってワールドワイドで楽しい。写真は転勤時に後輩から送られた電鍵。

Jan 22. 2010  健康診断の再検査・・・帰省
昨年5月の人間ドックで肝機能低下の指摘があり再検査を勧められていた。ドックからその結果を求められたが、秋に健康診断があるからその結果を待ちたいとお茶を濁す返事。ところがその秋季診断で肝機能に要観察。さらに肺のレントゲンも怪しいと産業医から指摘。しかしレントゲン写真は無く何がどうなのか全く分からない。再検査をするにしても、せめて写真位い無いと…と申し出た結果ようやく届く。福井県立病院へ再検査の話を持ち掛けると予約は出来ないシステムらしい。それで本日、朝食抜きで8時に病院に赴き、1Fの総合内科で肝機能の再検査(血液検査・エコー検査)、そして3Fで肺の再検査(レントゲン・CT)を受ける。結果は全く問題なくホッとしている。それにしても2つの科を行ったり来たりはホトホト疲れ、しかも相互にリンクしていないから待ち時間が長く効率が悪い。全てが終わり病院を出るときは14時半だった。これだけの時間病院に滞在すると様々な人間模様が目や耳に入る…ここでは書けないが。人の振り見て我が振り直せ…いい勉強になった。ところで待ち時間は真空管アンプのしくみと基本がその長さを忘れさせてくれた。この日は21時に福井を発ち25時過ぎに帰宅。写真はアパートから見る福井県立病院。

Jan 17. 2010  気まぐれの空模様・・・マザーボード&CPU交換成功
7時半に起床すると窓外が明るい。窓を開けると好天を予想させる空。ラッキィと思い挽回戦とばかり布団を干そうとした。ところが気温が低い。陽が高くなるのを待ったが一向に温度が上がらない。ようやく暖かくなり干そうとしたら今度は天候急変。一気に曇天、そして雪が降り出す始末。何てこったぁ!。回復は望めないと方針変更。頓挫していたPCのマザーボード&CPU交換に再挑戦する。前回は余りにも準備不足で興味本位過ぎた。色々調べると譲り受けたマザーボードはCPUに12Vを供給する必要があるらしい。これ完璧に失念していた。マルツ電波でHDD電源からの変換コードを買い求め早々に作業に入る。HDDはそのままつなぎ電源を入れるとASUSのロゴ…そして懐かしいAmibiosのロゴ…やったぁ!。と思いきやソフトがボードに対応していなためかWindowsXPロゴで停止。結局WindowsXPのCDブートで修復インストールを行う。拡張スロットは必要最小限にしないとインストーラーが混乱し停止してしまう…カードが古いので。Videoカード以外は外してインストール成功。その後1枚ずつ追加する手法で無事全面入替え完了。写真は朝8時の東方、オンマウスは実装したASUS/P4P800SEマザーボードとCeleron2.8GHz。 メモリは1GB。

Jan 16. 2010  何でも屋の週末
今週は色々なモノが届いた。BJ-F900を修理した折に参照したサイトのオーナーから、買い替えたからとBJ-F900が11日届いた。箱に隙間があるからと2GHzCPU搭載のマザーボードやビデオカードが同梱されビックリ。未だに10年前のPentiumV/933MHzを使う者にしたらまさにお宝。また昨夜帰宅すると何とDDRメモリ1GBも届いていた。組み替えろ!と言うサインに違いない。早々にボード交換が始まった。しかし電源を投入してもBIOSが走らない。例のピポ音が出ないのだ。なんてこったぁ。やり出すと時間が掛かると判断、早々に元のボードに復元。すると今度はシャットダウンが完了しない珍現象。PCIカードのロケーションを変えながら何とか復旧させるが、当初は理由が分からずOSの再インストールなど随分と回り道。その作業を溜った洗濯や掃除とゴミ整理、布団干しや裁縫に調理等の合間にこなす一日になった。写真は10年も付き合うEPOX/EP-6VBA(左)と届いたASUS/P4P800SE。どうして起動できないんだろうか・・・。この作業で昨夜の就寝は26時だった。サクサク動くPCになる筈だったのに。オンマウスはアンリツMS8604A。スペアナ内臓のデジタルモバイル送信テスタで13日届いた。それから今日はカミサンからポンカンも。

Jan 14-15. 2010  所用で神戸・岡山そして徳島へ・・・
14日朝、窓外がほんのりと明るい。もしやと窓を開けると一面の雪。30cmの積雪とニュース。さすが雪国、この程度では普通に朝が始まる。太平洋側だと間違いなくニュースだ。本日の所用は長靴はお呼びじゃないから革靴で駅まで歩く。除雪する近所の小父さんに挨拶をするがやや後ろめたい。歩道の雪は未だ踏まれていない。車道の端を歩いて駅に出る大変な状況。北陸線は30分程遅れホームや待合室に人が溢れる。既に予定の電車は眼中になく、最初に到着の特急サンダーバードで大阪を目指す。新大阪で在来線に乗換え三宮で降りる。神戸は2006年9月3日以来。所用を済ませ新神戸まで地下鉄で移動し新幹線に乗換え岡山に向かう。岡山駅を降りるのは1991年の秋以来で懐かしい。所用後は同僚と居酒屋で鰆料理に舌鼓を打ち岡山泊。翌15日はJRで四国に渡り高松から特急うずしおで徳島を目指した。15時過ぎには所用が終る。高速バスで淡路島経由で神戸に戻り福井への帰路に就いた。旅先は何処も快晴だったが、北陸線は期せずして曇天となり湖北からは雪が舞う状況。どうしてこんなに違うのだろうかと思いながらも、これだからそれぞれに文化がり面白いのだと妙に納得。写真は岡山の夕暮れと朝のJR福井西口。

Jan 9-11. 2010  急遽帰省・・・オールドPCとの闘い
正月休みの直後だし週末は福井に留まる予定でいたが、8日カミサンから予定変更メールが届いた。ヘルプメールだ。土曜の夜に帰る旨の返事をしたが、どうも気になり金曜の21時帰路に就いた。高速道路はETC\1000効果で24時を回っても昼と変わらない混み様だ。25時半頃帰宅し床に就くと26時。8時には起床し9時から家業の支援。この季節の必須作業と葬式や諸作業が重なったためのヘルプだった。植え付けから30年にもなり勢力の落ちたミカンや太田ポンカンの伐採とその処理に2日半明け暮れた。30年は「歳月」で親父には色々な思い出があるに違いない。しかし勿体無いとか収量が減るとか言っていると世代交代が進まず品質に影響してくる。30年モノもチェンソーで10分程度でバラバラになる。実にあっけない。一抹の寂しさがこみ上げてくる。切り倒した木はカミサンと軽トラ2台に積み大嶺のヒノキ林へ運ぶ。自然に朽ちさせるのだ。昔なら薪にして燃料にしたが今はそんな時代じゃない。それでも親父は勿体無いと言う。世代が違うと様々な価値観が見え隠れてして面白い。写真はチェンソーと伐採したミカンの樹。オンマウスは9日16時15分、大嶺から見る富士山。11日は12時20分帰路に就き4時間で福井へ戻った。
先週メインPC(オンマウス)が起動しなくなった。ISAカードのPC-VFOをどうしても使いたいため、10年も前のPentiumV/933MHzの自作PCが現役だ。前の晩まで問題なかったのに、翌朝電源を入れると起動が出来ない。WindowsXPのロゴが表示された直後に再スタートが始まり、最後は無限ループに陥る。HDDを取り出し別のPCにUSB接続して得意のMS-DOSコマンドを使って修復を試みた。その様子はTest&Dataコーナーにまとめている。
また相前後して急にネットワークにつながらなくなった。LAN接続しているルーター・ハブポートのLEDが点いていない。他のポートに変えても点かないのでLANカードの不良と思われる。この帰省時に実家のPC部品箱を探し有りったけのLANカードをかき集め持ち帰った。写真はそのスナップだが、いざ実装すると完全に死に体が2枚、ドライバー非対応が1枚、正常動作が2枚と判明。最終的にCOREGAのFEther PCI-BLKと称するカードを実装しネットワークの復活を見た。こんなもの壊れるのかと思うが、不具合の原因は分からないままだ。それにしても相変わらずの物持ちの良さに我ながら呆れる。部品箱にはLANカードの他にモデムやビデオカードがギッシリだった。

Jan 8. 2010  IC-756の復活
先月、近傍スプリアス発生で修理出ししたIC-756を、暮れも押し迫った29日に名古屋の平丸ムセンで受け取った。帰省の途中に名古屋で所用がありタイミングが良かった。年末年始の忙しさでシャックへの戻しが今日8日になってしまった。修理報告によれば近傍スプリアスの原因は高安定水晶発信器の不良だったが、「高安定」品の在庫が既に底を突いているため標準品での交換となった。またこの他に、FM-VCOの特性劣化とANT-TUNERのモーターの経年劣化があり交換することになった。ANT-TUNERなど殆ど使っていないのにと呟きながら、もう15年近く使っているキカイだからこんなもんかなと思っている。ここまでは電話でも伺っていたのだが、修理報告を見ると更にTr等Tip部品の不良もあり、ビニール袋に取り替えた部品が幾つか入っていた。さぁこれで心機一転だ。ただ、この時代のキカイは最新の製品からみたらどんなもんだろうかと思ったりする。知らぬが仏かもしれないが・・・。最近友人がIC-7600を購入し年賀状の背景に印刷してきた。ちょっと気になるが、単身赴任で無線が出来る事だけでも幸せと思わなければいけない。屋上を開放して頂いた大家さんには感謝する次第である。写真はIC-756と交換で取り外された部品。

Jan 2-3. 2010  初仕事と帰福
飲み食いに飽きた2日、早くも家業が始まった。貧乏暇無しと言った方が良いのかも知れない。5日に出荷予定の大田ポンカンの撰果だ。LLサイズ以上を取り出すのだが、今年の出来はLサイズに集中していて中々荷が出来ない。何しろ剪定に摘果や消毒に肥料など1年かけて世話をしても、大半は自然の力が支配しているから中々思うようにならない。それでも夏の摘果が功を奏し粒が揃っているのを見るとカミサンに感謝で頭が上がらない。
ところでこの日は箱根駅伝の往路。ラジオ中継があり自作のストレートラジオを作業場に持ち込み鳴らすと中々の響き。しかし予期せぬ友の来客がありその対応で時間がとられ予定量の撰果が出来ず。このため翌3日は朝食直後から午前中撰果作業を行う。箱根駅伝の復路を聞きながら3時間、何とか予定の作業をこなし12時半福井への帰路に就いた。やや傷のある理由有りのポンカンと洋菓子、それにサンマの缶詰と自家製ハチミツをカミサンが持たせてくれた・・・有難う。
写真は秤の上に置いた自作ラジオが鳴る撰果場。オンマウスは雪が降り出した北陸自動車道小河トンネル付近。岡崎〜音羽で渋滞があったものの、17時過ぎには無事福井へ辿り着いた。

Jan 1. 2010  謹賀新年
2010年の元旦も静かに明けた。関係の皆様に今年もよろしくと願う。
昨夜は「紅白歌合戦」の終わりでウトウトしてしまい、気が付くと始まっていた「行く年くる年」を見て床に就いた。
朝6時半に起床、85になる親父を起こし7時から始まる東久佐奈岐神社の元旦恒例年頭会に参列。地元山切地区の皆さんと新年の挨拶を交わした。例年だと6時には出発準備を完了する親父だが、前夜の豪語とは裏腹に今年は起こされるまで寝ておりやや弱気を感じさせた。あのマイペースな親父に、何か気にする処があったのだろうかと思いを巡らせたりするから面白い。
この日は午後から家族が実家に集まり会食に盛り上がった。飲み過ぎでヘロヘロになり日没前に閉会となった。
写真は10時30分、静岡市清水区杉山地区にある通称大嶺山頂から臨む富士山。日本海側が大雪の場合、静岡ではこの様に好天に恵まれる。ただ今朝の当地は氷点下で氷が張り風も非常に強かった。静岡は暖かいと言われるが、山間を上ると実は相当に寒く、ミカンが凍るほどに冷える事は意外と知られていない。年が明けても長年の懸案を幾つも抱えており何とか果たしたいものだと願っている。