JH2CLV's Topics & Memorandam
January 2012

Jan 31. 2012  -4.5℃・・・又しても最低気温更新
このところ毎朝氷点下を記録し分厚い氷が張っている。27日に-4℃を記録し、これが今期の最低気温かと思っていた今朝、何と-4.5℃を記録した。乾燥しているから車のフロントガラスは一見何もないように見えるが、よく見ると氷の結晶が花柄模様状に張り付いている。これに水を掛け流そうとすると、今度は水が凍ってしまい始末が悪い。だから最近はそのまま走り出して出勤することにしている。少しでも湿気があるとフロントガラスは全く見通せない程に氷がこびり付いてしまう。一体それって何処よ?と声が掛かりそうだが、清水港から僅か3Km程北へ上った所に間違いは無い。
さて紹介が遅くなったが、写真は27日に届いたCQ出版のSSBハンドブック初版(1969年12月15日発行)。B5版だが、タイトル部分をトリミングした。この本と出遭ったのは高校入学と同時だった。表紙を飾る米SWAN社のトランシーバが印象的だ。その後表紙デザインが変更されて増版が行われた。SSBのバイブルとして君臨したが今は絶版。当時は僅か\650だった。この本欲しさにアルバイトをするなどハングリーだった頃が思い出される。今ではネット上で当時の10倍程の値段で取引される超人気古書となっている。

Jan 28-29. 2012  相変わらずの週末
青島の撰果とJA出荷に明け暮れる。この週末も相変わらずの忙しさで無線どころではなかった。 写真は29日朝、Hanaの散歩で久しぶりに上った寺山からの眺望。向こう側の山では、東名と新東名を結ぶ連絡路に看板や電光板が付き、今年5月の開通に向け作業が急ピッチ。連絡路ごしにナショナルトレーニングセンターや庵原町、そして清水・静岡市街方面が臨める。当地は昭和38年頃まで平地は田んぼで、ミカン山との間に集落が点在する独特の田園風景が見られた。その後米よりミカンだ!と言う大号令の下、田んぼはミカン園に転用された。しかし、昭和50年代以降ミカン価格の暴落やオレンジ輸入自由化等があり農地を手放す人が増えた。市街化調整区域外と言うことも手伝い、今では宅地が中心を占めるようになった。80戸程しか無かった農村が、現在は500戸を超える地区になった。これも時代と言うことだろうか。ミカン栽培と報徳の教えで村がまとまっていた往事を知る年配者も減ってきた。頂上に僅かばかりの平地がある。何も耕していないが、たまに草を刈る程度ではいけないと毎度の反省。何とかしなければと思うが、なかなか手が着かない…。オンマウスは29日に行われた庵原駅伝の様子。撰果の手を休めカミサンと応援。

Jan 27. 2012  拙作HPのTopPageアクセス20万件到達・・・寒い-4℃の朝
27日の朝6時半、自宅の温度計は-4℃を示していた。今季最高の冷えだ。何時ものポリバケツを見に走ると何と3cm近い氷。そこは自宅より気温が低く、期待に違わず今期最大の厚さだった。車のフロントガラスにもびっしりと氷(オンマウス)で、多量の水道水を掛けても直ぐ凍ってしまう。友人知人にこの事実を知らせても「静岡は暖かい!」とする誤解が蔓延し全く話にならなかった。しかし最近は、拙作サイトで氷の写真を紹介したことで、ようやく理解されるに至っている。
さて手前味噌情報だが写真は拙作HPのTopPageのコピー。小さくて良く分らないがカウンタが丁度20万回を示している。1月24日晩にアクセスすると幸運にも丁度20万回だった。この数字はTopPageのみなので、以前は全体のアクセス数が分からなかった。数年前にGoogleAnalyticsを導入してからは各ページのアクセスデータが数字で取得できるようになった。それによるとMainMenuのアクセス件数はTopPageの約5倍の数字になる。MainMenuにはカウンタが無いので、それを基に単純換算すると「100万回になる!」と勝手に想像している。開設から10年5ヶ月経、独断に満ちた怪しいサイトへお立ち寄り頂き感謝に耐えない。これからも宜しくお願いしたい。

Jan 21-22. 2012  柑橘と戯れる週末…遂に復活のトランシーバで交信実現
週末は柑橘の撰果と出荷に明け暮れた。21日は10時より青島温州、15時から太田ポンカンの出荷があり、カミサンが撰果してあった1700Kg余りの荷を軽トラと軽ワゴンで運ぶ。その他の時間や翌22日は、23日出荷の太田ポンカンを撰果し900Kgの荷作り。また22日朝はOrangeVillage頒布の太田ポンカン初出荷。10数箱の戸別発送を行う。殆ど柑橘漬けの週末だった。1月も中旬を過ぎるとポンカンの糖度が上昇するのだが今次は昨夏の長雨が影響し例年より遅い。糖度計を片手に数ヶ所からサンプルを取り測定。平均で12%台に達しているがカミサンからは「早い!」。と言われながらも発送に踏み切る。戸別の場合はお客様の顔を特に感じるので、どうしても味を確認したくなる。そして「暫く置くとベター」とe-mailで弁解も。
ところで22日朝食後、前夜にバラモジDiの不良を発見し復旧させた自作トランシーバで復活第1号の交信。3.571MHz/SSBで何とも言えない興奮を味わう。相手は栃木のJR1SQH局。今後CW運用も試し、徐々に細部を追い込む。近い将来5T31/450THリニアアンプをつなぎ、完全自作の1KW運用を試みたい。写真は復旧中の自作トランシーバ、オンマウスは太田ポンカンの発送準備風景。

Jan 20. 2012  所用で久々の名古屋・・・帰路で無線仲間とアイボール
名古屋で所用があり日帰りした。朝から樹木には待望久しい雨。樹木は言葉を放たないがそう言っているに違いない。本当に嬉しいお湿りだ。所用は18時半頃までに終了、帰路の時間を考えていたら友人のJJ2NYTから携帯連絡。名古屋駅近くで飲む事になった。そして彼の友人JR2WLQも同席し21時半頃まで無線談義で盛り上がった。車だったので最後までノンアルコールビールとウーロン茶で通しきった。アルコールが入ればもっと盛り上がったに違いない。21時49分のこだまで静岡へ向かい車で清水に戻ると日が変る直前だった。
写真は所用前に立ち寄った栄地下街の丸善ブックメイツで購入したCQとMJの2月号。MJ購入の理由は、表紙に書かれた「6080完全差動パワーアンプ」の白文字が目に入ったから。拙作6080ステレオアンプも久しく鳴らしていないが、6080と聞くと何故か血が騒ぐ。著者は真空管アンプで有名な長真弓氏。どうやっているのか気になり衝動買い。しかしどうして皆さん6080の駆動でトランス結合に拘るのだろうか。MJは、自作の真空管やTrアンプの製作・実験記事が豊富で、かつ最近のデジタル技術とのバランスも良い。時々覗くと勉強になる。決して回顧主義に固まらない真空管の取り扱いも嬉しい。

Jan 19. 2012  秋葉原で下車
再び関東で所用があり上京した。この日東京方面の空模様は曇天で寒かった。所用が終わり東京駅に戻ると15時。まだ時間があるとばかり今回もアキバを訪ねた。
写真はアキバで一番好きだった通り。正面に富士無線、右手に秋月電子と千石電商、そして写真には写っていないが左後方に鈴商。通うたびに店が無くなりアキバとは思えない種類の店に変身する事が多い中、これらの店は健在で無線の自作派として本当に有り難い。ただ秋月電子の向かい側にあったアキバ王等のPC-JUNKショップが無くなり駐車場と化していた。
オンマウスはこの日の収穫。右はラジオストアの東邦無線で購入したRFC群(2.5mH/300mA/100mA)。左は同じく東洋計測器で購入したOkusawaの100μA電流計。箱にはTOYOとあったが中味はOkusawa製だった。実は同じ物が千石電商にあったが\2.6Kで諦めていたが、広瀬テクニカルを訪ねたら東洋計測器を案内され訪ねると\2.04Kだった。今時何に使うかって?・・・それは復旧中の自作トランシーバーの補修用。メーターは既にChina製を秋月電子から購入しているが、どうもしっくり来ないから・・・。

Jan 17. 2012  静岡市清水区と葵区山間部に積雪
今日は5時50分に起床。昨夜から未明にかけて降った小雨が地面に久々の潤いを与えている。昨日の晩飯後に行う予定だったが不精をしたため、早朝からポンカンの箱閉めと軽四への積み込みをカミサンと行う。 辺りが未だ暗かったので山に雪が降っていたとは思わなかった。家の温度計は3℃を示し氷も張っていない。夜が明けると空は曇り。何も知らぬまま車で山切川を下り出勤の途に就くとビックリ。背後の山々がかなり広い範囲で冠雪している。何時もの様に庵原交差点からR1バイパスに出て西へ向かって走る。北側に見える高山や山原無線中継所に竜爪、そして賤機山の稜線まで真っ白だ。
写真は通勤途中の7時58分、R1バイパス西久保交差点付近の車中から撮った高山方面。オンマウスは、私が掛けた電話で積雪を知ったカミサンが、畑総に上り茂畑方面の茶畑を撮影した8時45分のもの。 子供の頃は学校帰りにこの雪を求めて山を駆け回った。辿り着くと極薄い雪で、殆ど溶け雪合戦にもならなかった。山に雪が積もることはあっても、家の周辺に積雪するのは57年生きてきても2・3回しか記憶にない。気温は連日マイナスを記録し氷が張るほどに寒いのであるが、やはり当地は積雪には縁のない環境のようだ。

Jan 14-15. 2012  ミカン撰果の週末・・・自作トランシーバの復活状況
週末は相変わらずの家業支援の日々。貯蔵ミカンの出荷が佳境になり、JA向けの青島温州と太田ポンカンの撰果に精を出した。カミサンと2人では能率が上がらないため姉夫婦の加勢を仰いだ。それから戸別発送の荷造りなどもあり、作業場は中々賑やかだった。
こんな状態だから先月思い付いた自作トランシーバの32年振りの復活作業は夜に追いやられる。まとまった時間が取れないが、復旧作戦をイメージするのは何時でも何処でも出来る。作業は短時間だが集中して取り組めたりするから皮肉だ。状況は掴め課題は明確なので、後は時間の問題かと思っている。それにしても懐かしい。
写真はLMサイズの撰果で出てきたSサイズ品とやや顔付きの良くない太田ポンカン。これらがOrangeVillageからご奉仕する太田ポンカンの中心となる予定。昨年の夏に雨が多かったため糖度がイマイチだったが、ここに来て12〜13%前後に上がっている。
オンマウスは15日深夜にトライした自作トランシーバの送信チェック風景。オシロはドライバ(6CL6)出力を見ているが、平衡変調入力へ直に放り込んだツートンがまずまずの波形で捉えられている。オンエアテストも間近いか・・・復活1stQSOが何方になるか楽しみだ。

Jan 7-9. 2012  急な発熱に翻弄
正月休みが明けて3日仕事をしただけなのに3連休。こりゃ古い人だと怠け者の世界と言ったに違いない。農業を営んでいた我が家では、雨が降らない限り休みは無かったから、のんびり休んでいる親の姿など見たことも無かった。そんな訳で7日は朝から太田ポンカンのLL以上の撰果。15時からJAへ出荷するための荷を作る。既にカミサンが相当量を撰果してあったから午前中で作業は完了。糖度を測ると12%を超えまずまず。15時からのJAへの出荷に備えた。昼食後ははるみの一次撰果を行う。年末に切ったままの物を大きさ別に選別。出荷は来月、その頃になると糖度が上がり独特の甘みを楽しめる。さてポンカンは軽トラに540Kg程積んで出荷。他の農家からは如何程のモノが出ているか興味津々だった。暮れに目揃え会をやったとは言え夫々に畑のコンディションは異なり解釈や価値観が違うから・・・。しかし他には1件しか出荷が無く余り参考にはならなかった。最近JAは指定ランクに至らないモノは受け取らないので、何とかスレスレでも荷受して欲しいと言う農家の苦渋の本音が見え隠れする筈だったのだが・・・。その後晩から熱が出て体調を崩し8〜9日は布団の中だった。写真は枕元のお友達ノートPCと自作スーパーラジオ

Jan 1. 2012  謹賀新年
2011年の暮れは、結局家周りの雑用をやり残して終わった。年末休みに連日深夜に及ぶ作業に励んだが慌てて始めてみても焼け石に水。切りが無く見切り発射で新年を迎える事になった。何時もと同じだ。しかし日本人て盆暮れには帰省の習慣があり、そのおかげで多少なりとも綺麗にしておこうと言うロジックが働く。 要するに真面目な民族なんだと妙に感心しつつも、本心は「面倒くさい」と思っている人も、自分を含めて少なくなかろう。 と・・・いつも都合良い言い訳や落ちで無理やりまとめてしまう悪い癖。 何しろ長男家族や次男・三男が一斉に帰省してくると寝床の確保から始まって色々な作業が発生するのだ。家族が揃うのは嬉しいことなのだが、普段の不精がここに来て大きなつけになって返ってくる。皆様のところは如何だろうか。さて元旦は親父と地区の東久佐奈岐阜社で行われる年頭会から始まった。御神酒と励ましの声を頂戴した親父はゴキゲンだった。
写真は恒例の定点撮影。2日8時頃、大峰の茶畑から臨んだ富士山。今年は例年になく雪が少ない。オンマウスも30年余り定点撮影を続ける向山からのショット。上屋敷・奥平・伊野川原方面を今年5月開通予定の第二東名連絡路ごしに臨んだ。1日10時40分撮影。