某建築会社が清水区蒲原で行っている民家のリフォーム見学会を覗こうと、10時過ぎに家を出てR1バイパスに乗ろうとした。すると、沼津港の魚河岸で昼食したいねとカミサン。又かよと毎度の思い付き発言に内心苦笑。高速道路と言う手もあったが、R1バイパスを東走し沼津と目指した。沼津港は幾度も通いお手のモノ。高速道路だと沼津駅の北側から南側へ抜ける道路が時間により混むので当然の選択だ。R1バイパスは富士市内で地上を走行する際に信号待ちで若干時間をとられるが、まずまずのドライブで11時過ぎには沼津港の魚河岸着。この時間だと未だそんなには混んでいない。暫くブラブラして食事場所を「丸天」に決めて店に入ると、若干の待ち時間で席に案内された。海鮮丼ものを注文し、12時までに昼食を済ませたが、店の入り口を見ると大変。12時に合わせて来店したお客さんの行列と人の山。早めに来て良かったとねぇとカミサンと顔を見合わせる。ところで海鮮丼は質量共にグッドだった。 オンマウスは昨日の記録で紹介できなかった「はるみ」のクローズアップ。サイズはやや小振りでLサイズ程度だが、これ位の大きさが食べやすくて美味しい。大きいものは直径15cm程度になるものもあるが、ジューシーなので生食でもジュースでの楽しめる。 |
昨年12月中旬に収穫し、低温の暗室に貯蔵したままになっていた特産はるみの荒撰果。樹脂製コンテナに収穫し、1ヶ月半経過しているので状態が心配だったが、それなりの出来だろうか。この後今月中旬のJA初出荷に向け更に貯蔵する。写真は、カミサンがコンテナから木箱へサイズ毎に仕分けている様子。新聞紙は湿度や温度を適度に保つのに便利なツールで我が家の秘伝。木箱も同様で、人で言う木造の家って感じだろうか。この木箱、親父の依頼で1965年(小学5年)頃、大人顔負けのペースと完成度で作り上げた年代物。釘打ちを日常的にやっていたから御安い御用だった。箱を見ると当時を思い出し感慨深い…木目を読み節を嫌った釘打ち等。この日は凡そ1.2tのはるみを動かした。格外品はそれなりの量だが、腐りは少なく収穫前に散布した防腐剤が聞いている。JA出荷の前後から格外(ワケアリ)の戸配を予定している。 ところでオンマウスは、前日29日の所用で住基カードが必要となり、その前夜急きょ作成した申請用紙。区役所サイトから落し写真まで貼って29日朝持参したが、マイナンバー化で発行中止だって。だったらサイトを訂正して欲しいと言うもの。総合案内担当も知らず、マイナンバー通知で代替可と担当窓口でようやく判明。お役所だなぁ…。 |
24日19時、ちょっと寒いと思い玄関の温度計を見ると0℃でビックリ。こりゃ明日は相当冷え込むぞ…。既に暗かったが、昨日かけた寒冷紗が気になり舞台へ向かう。案の定、一部風で外れていて懐中電灯片手に応急処理。一方カミサンは古い毛布を切り出しミツバチ箱を覆い暖房対策。そして24時頃、玄関の温度計が-3℃まで落ちていることを確認して床に就く。 25日6時半に起床すると何時になく寒い。早々に温度計を見に行くと-5.5℃で今季最低。と思っていると7時半には更に下がり-6℃まで達していた。物心ついてからの記憶では-6℃ってのは初めてではないか。昭和38年の極東大寒波では-13℃付近まで下がり、元旦の出初放水で消防のホースが凍り、巻き込みが出来なかったことをおぼろげながら覚えているが…。 昨夜は空に満月が煌々と輝き翌朝の寒さを予感させた。7時半過ぎに-6℃を記録した後は徐々に上昇し何事もなかった様な陽気になった。しかしこの低温、一時であっても動植物にどの様な影響を与えたか心配だ。 恒例のバスタブの氷は厚さは2cm近くあった。足元の石は凍りついて蹴飛ばせない。転がっていたダイダイは凍っていて硬い。寒冷紗をかけたスルガエレガントやミツバチの状況が気になっている。 |
週末は慢性的な睡眠不足を解消しようと思うが、23日朝5時過ぎに業務連絡で起床し中々願いは果たせない。ついでに富士のJA2FTLのところへ太田ポンカンの大量配達で、未明より軽トラを走らせるなど結局はいつもと変わらない朝だ。 写真は24日、軽トラ越しに見る葵区と清水区の境に位置する真富士他の連峰。奥は山梨県だ。家の温度計は7時で-0.5℃を示していたが、山間部は相当冷え込んだ模様で雪を被っている。伊野のポンカン畑の角で朽ちさせたハッサクの根株を、大峰のヒノキ林に廃棄するために上ったところ。廃棄後、懸案のタワーの基礎部分にする灌漑用コンクリートタンクの掘り起こしを実施。日陰だったこともあるが、雪混じりの風は冷たく手とつま先は凍る様だった。 この寒さを恐れて前日23日、舞台のスルガエレガントに菰を被せた。適当なモノが無く、巻き込んだ数10mの農耕用寒冷紗を木に巻きつけた。そんなに寒くはならんよと口にすると、カミサンはもう思い込んでいるから止まらない。雨が本降りになる17時頃までに全てに被せた。オンマウスはその様子。まるでカラスかコウモリだ。 ただ一つだけラッキィだったのは、24日はカミサンが「読み聞かせ」の集まりで熱海へ出掛けたため、多少は時間が自由に使えたこと。 |
1月20日、全国的に気温が下がり当地は朝の気温が-1℃。もしやと貯蔵庫前のバスタブへ様子を見に行くと1cm程度の初氷。今季既に-1℃は体験していたが、氷が張るまでには至らなかった。例年より1ヶ月以上遅い初氷だ。もっともこれは我が家の場合で、既に今週になって初氷を体験したご近所もあると聞く。 昨夏、三男帰省の折りHPのノートPCを放置していった。見るとCPUファンが停止状態で直ぐに温度異常。デスクトップ画面になって間もなくフリーズ状態に陥る。何を思ったか急に取り出してきて電源を入れてみた。一番寒いこの時季に復活を期待したのだろうか。寒さでアプリも暫らくは動いたが、温まるとやはりダメ。それでようやく重い腰が上がり覗いてみることに。裏蓋取り外しのために全てのビスを外してみたがチンプンカンプン。蓋の噛み合わせが分からないのだ。三男も挑戦した痕跡もある。諦めるのはシャクと次にファン穴から直接ファンを突いてみた。奇しくもコタツの上にカミサンの針仕事用の待ち針。それで0.5mm×10mm程の穴からファンを突く。軽く回ったかと思うと途中から重くなる。幾度もシゴイて重みのある位置を通り越す操作を繰り返す。その内に全体が軽くなった。軸受目指してシリコンスプレーも吹き付ける。普通のファンの感覚になった。電源投入すると今までは聞こえなかった回転音…やったぁ!。 |
16日、L〜S玉の太田ポンカンを終日撰果。JA出荷用だが、はじかれたモノを70Kgばかり戸配希望者用に梱包。オンマウスは5Kg箱に詰めた太田ポンカン。大小混在だが、それぞれの味が楽しめて面白い。自分はこの大小の違いを楽しむのが好きだ。おとぎ話じゃないが、それぞれの顔が見える様な気がするのだ。屁理屈みたいで恐縮だが、同じサイズで統一管理されたミカンより、混在の方が得られる情報が絶対に多い…と自分勝手に思っている。 17日、伊豆遠笠山に所用があり6時に家を立ち赴く。ここ1週間で3回も新東名で夜明けを見た。東の稜線に陽の光でエッジが付き、徐々に浮き上がる富士山は裾まで見え雄大だ。遠笠山は登山口ゲート辺りは下界と余り変わらないが、山頂に近付くと様相が一気に変わる。9時過ぎに山頂に着くと、足元には10cmはあろうかと思われる霜柱が溶けないでゴロゴロ。見上げると樹木の枝葉は樹氷状態で真っ白。13時半までに所用は済ませ、雪のちらつく中下山し帰路に就いた。その晩から翌朝にかけ伊豆や静岡東部の山岳地帯は雪となり、車での入山や通行もままならない状況になった。実にラッキィな一日だったと胸をなで下ろす。写真は山頂の樹木に付着した氷。風で同じ方向を向いているのが面白い。東側から陽があたり綺麗だ。 |
半年振りにRS-BA1でIC-7600をリモート。ところが「無線機と通信できない」と警告。幾度も挑戦し2時間程を費やすが解決せず。一旦諦めて430MHz/FMでローカルQSO。その最中CI-Vの話になりひらめいた。IC-7600のCI-VはIC-PW1と汎用PCのRS-232C変換がつながっている。PCデータとUSB接続のRS-BA1データが輻輳しているのでは…。早速試すと一発的中。久し振りにリモート操作を味わったが、翌朝電源を入れると再び「無線機と通信できない」。可笑しいと色々トライするも変化なし。それで思い起こすと、サーバーPCのRS-BA1リモートユーティリティはVer1.7。しかしクライアントPCはVer1.8であることに気付く。まさかと思ったが、サーバーPCもVer1.8にすると、これがまた見事に的中。これって仕様なのかどうか良く分からない。奇しくもIC-7600はタイマー起動/停止機能で、停止の際電源が落ちる。その時サーバーPCはデバイス異常アラームを出すが、再び起動した時アラームは元の状態に戻らない模様。そこへクライアント側から通信を試みてもPC間はつながるがIC-7600まではつながらない状況になってしまう様だ。悩ましい。トランシーバ電源のON/OFF機能のあるIC-7700やIC-7850はどうなっているのだろうか。 ところで11日は所用で出勤し12日未明の作業に備えた。 |
9日朝は1℃で10日は0.5℃だった。写真は10日、青空駐車していた車のフロントガラスに付着した氷。昨年12月より、稀にこうした状況になってはいたが、水が凍るまでには至っていない。朝、樹脂製プレートでガラスから氷を削り落すシーンがこの時期の風物詩だが、今年はワイパーで簡単に取れる場合が殆どで、削ったのは1度だけ。しかし寒の入り、さすがに全体に冷え込んでいるのは確かな様だ。 オンマウスは屋敷のポンカン畑に栄養剤を散布する様子。南からの太陽を背に受けて散布すると、目の前に虹が発生して面白い。9日と10日は柑橘に栄養剤(尿素・窒素)を葉面散布。凡そ800リットルを、田んぼ・屋敷・伊野・寺山に散布。ところが何を間違ったか、最初の500リットルの薬調で500倍で薄めるところを、100倍で作ってしまった。気付いたのは次の薬調する時。後の祭りかと思ったが、まぁ栄養剤だからと言い訳し気を休めた。雨も降りそうになく苦慮しているが、葉が落ちても木が枯れることはないらしいと聞き一安心。でもこれも経験だ。 そういや工房のPC(HP/ML115)をSSD化したが流石に早い。WindowsXPのままだが、このところの忙しさでwindows7化するには時間不足。何年も前のPC群を操って現用に供しているが、PCその物を楽しむ時代は終わったなぁと実感。 |
一昨年の11月27日、無理を承知でPWM-AFアンプ出力をトランスでステップアップして5T31アンプのプレート回路に挿入しハイパワーAM変調実験を行った。よせばいいのに変調レベルをどんどん上げ、気づくと5T31のプレート電圧は瞬時値だが規格を遥かに超える状況になった。こんな事が長く続く筈がないと思っていると案の定、複数箇所でバーンとスパーク。PWMアンプ内部をはじめ、変調トランス内部、そして5T31アンプ内でも閃光が走った。 5T31アンプはメーター切替SWの故障だけと思っていたら、交換しても回復しない。調べるとBIAS回路が地絡状態でBIAS電圧確立リレーが動かない。小出しに調査してきたが、本日夜、遂に重い腰が上がり復旧作業を実施。原因はスパーク痕か金属埃による地絡だった。 写真はその様子で、フロントパネルを外し、BIAS-VRや105Vツェナー(1S1542/VR105)、そして整流基板等を取り出した様子。 オンマウスは復旧を終え屋根裏シャックの棚に収納した様子。奥は1972年製作の自作SSB/CWオールバンドトランシーバー。 ハイパワーAM変調実験はその後停滞しているが、SW用パワーMOS-FETの終段+PWM-AFアンプ方式と、RF用パワーMOS-FET(4KWpep)リニアアンプの二刀流でAM/1KWを目指す予定だ。 |
仕事始の4日午後、職場の同僚たちと安全祈願で静岡浅間神社を訪ねた。午前中は年始挨拶で浜松往復と静岡市内を奔走。さて浅間神社。通勤途上にあるため毎日のごとく車から外壁や山門は見るのであるが、中へ入るのは本当に久しぶり。指折り数えてみると小学5年の春の遠足に辿り着く。まだ10歳の頃だから51年振りになる。その時の展望台からの眺望は、静岡高校や城北高校など、学校の校舎や運動場が目に飛び込み、周りは田んぼや農地が多かった様な記憶がある。しかし今は写真の如くで、田んぼや農地は皆無に近い。工場がある訳でもなく、住宅がその中心と思われるが、人口はそんなに増えていないと聞くから面白い。さて、記憶を辿ると朱色に塗った建物の前で友達と記念撮影したことや、池の中島に数え切れないほどのカメが日向ぼっこをしていた光景が思い浮かぶ。そしてリフトがあって賎機山の展望台まで人を運んでいたことが懐かし。そのリフトは、昭和49年の七夕豪雨で山が崩れてから廃止になった。眼下の丸山地区の住宅を押しつぶして訴訟になり、久しく裁判が続いていた記憶がある。今も昔も職場の近くなのに一度も尋ねることが無かったのが不思議だ。写真は展望台からの眺望。オンマウスは浅間神社境内の賑わい。 |
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。 1日8時より恒例の自治会年頭会が東久佐奈岐神社で行われ、自転車で赴く。親父の他界で昨年は喪中のため不参加だったから2年振りの参加だ。1昨年から、消防団の行事と重なるため、開始時間が7時から8時になった。夜更かしをした身には大変有り難い。7時直前に目が覚め、殆ど寝間着姿の親父を車に乗せ赴いたことがあったが懐かしい。年頭会と言っても大したことをするわけではない。自治会長の音頭でお参り(本堂で2礼2拍手1礼)をした後、地元の顔役の挨拶があり、最後は境内の焚火にあたりながら世間話をするだけ。しかし、元旦の決められた時間に集まる風習が、年始のけじめのとなっている。 御神酒を頂き火でスルメイカを焼いて肴にする。凡そ1時間で解散し帰宅するのだが、今年は向山の撮影ポイントへ自転車で上ってみた。オンマウスがその様子。撮影ポイント付近に置いた自転車越しに、山切地区の奥平と伊野川原方面を撮影した。1日9時過ぎのもの。過去写真が別ページにあるが、山切地区は随分と変わったものだ。 写真は2日7時頃、日の出を見ようと上った大峰山頂からの富士山。 |
1日の昼に合わせて長男一家(名古屋)と三男夫婦(伊勢崎)が帰省、そして藤枝姉夫婦と姪夫婦が集まってきた。普段はカミサンとHanaの声しか聞こえない家が、一気に賑やかになる。押切姉親子は1日午前中、次男(東京)は2日晩の帰省でこのタイミングには揃わずやや残念だった。 時間はあっという間に過ぎ、2日午前中には三男夫婦が、3日昼に長男夫婦が、3日晩には次男が帰路に就いた。それでも、正月には帰省して家族と時間を共にしようとする文化がそれぞれにあり嬉しい。 入れ代り立ち代りの中でも、成人した子供たちの顔色を伺う親心が未だ残っていて、送り出した後にカミサンと苦笑する。 写真は1日の昼食の様子。カミサン自慢(?)の鍋料理が出てきて、不思議な味に皆さん大満足。中には嫌いなシイタケを「これなら食える!」と言った人も…。 オンマウスは3日、玄関前に残しておいたはるみ(亡父が接木したもの)をカミサンと孫たちが収穫している様子。それをHanaが不思議そうに眺めている。 全国的に暖冬で、当地でも例年なら12月初旬に初氷が張るのだが、年が明けた現在でも未だ気温が0℃を下回らない。一体どうなっているのかこの冬は。これじゃミカンが皆腐っちゃうよー。 |
孫の大芽は相変わらずNゲージ。童謡プレーヤーに「線路は続くよどこまでも」があり、Nゲージを走らせながら皆でこれを歌う妙な空間。そして何時しか「特急ふじかわ」の話になり、2日午前中に清見寺のJR東海道線まで見に行くことになった。清見寺へ赴く道中、横砂北交差点の信号待ちで、現れた新幹線に「N700だ!」と大声。そして清見寺前を行き交う電車にも一喜一憂。
ところが時間が合わず、肝心の「特急ふじかわ」が中々来ない。一旦帰宅して時刻表を確認し夕方16時半過ぎにリベンジ。来た!「本物のふじかわだ!」と言って目が点に。子供って素直で見ていて楽しくなる。 暮れに年賀状裏面の印刷は済ませていたが、宛名書きは全く手付かずだった。毎年膨大な量のハガキを出すことに最近疑問を持っていた。だから今年は、届いた人だけに返信しようとズボラを決め込んでいた。ところが元旦に届いた年賀状のチェックを始めると、色々な方の名前が目に入り、届いた人もそうでない人も皆同じに見えてくる。謙虚さを失っている自分に気づきハッとした。しかしそのままだと今年もまた変わらない。色々考えても上手い手が無い。実に悩ましいし、余程お人よしなんだろうと苦笑。オンマウスは1日と2日届いた年賀状の返信宛名印刷をしている様子。 |
昨日作ったお飾りは、カミサン曰く「29日は縁起が悪い」らしく据え付けは控えるらしい。今まで気にしたこともなかったが、お飾り講習会で入れ知恵されたのかも知れない。それで据え付けは30日に行う。年越準備で31日も含めあっという間に時間が過ぎた。神様やお墓の清掃と飾り付けに奔走する一方、年末の挨拶回りや買い物に時間が割かれるからだ。 家には複数の神様が祭ってあって面白い。歳神さん、おいべっさん、大黒さん、火の神さん、地の神さん、達磨さん、そして仏さん。それぞれにお飾りを付け、榊を立てお鏡餅とお神酒を供え、更に元旦には雑煮も捧げる。 写真は玄関に飾った三つ編みのお飾り…カミサン製作。意外とサマになっていて違和感がない。自作!と告げると驚かれる人も多く、殆どの人が出来合いで済ませていることが分かる。オンマウスは家の北側の地の神様。こちらには簡易なお飾りと榊に鏡餅を供える。 神様の多さに唖然とするが、昔からの事なので何の違和感もない。適材適所で神様を使い分ける農村文化の合理性も感じる。 ところでお神酒のお酒が余ったため、久し振りに日本酒で蕎麦を食い、紅白観戦し新年を迎えた。色々あった2015年も遂に終焉。 |