JH2CLV's Topics & Memorandam / July 2008

Jul 26-27. 2008 一ヶ月振りの帰省
そう言えば7月に入ってから週末の仕事が多く、帰省していないなぁと気付く。カミサンとは毎日メールや電話のやり取りがあるので、そんな気はしていなかったのだが・・・所要もあるため思い切って帰省した。車にETCを付けてからと言うもの、長距離走行では深夜4割引が必須の状況となっている。すなわち0時〜4時の間に高速道路の料金所を通過すればその条件が成立する。26日は朝4時前に福井ICを通過するように家を出た。前の晩床に就いたのは23時半頃。さすがに眠くなり、6時頃朝食のため立ち寄った東名上郷SAで1時間半ほど仮眠。かなりのスローペースで静岡へ向かう。所要とは大した話じゃなくて、友人の床屋で散髪したり、3-500Z/50MHzアンプの搬送、家の電気・・・。27日は帰省中の次男と親父を誘い興津側上流西里黒川の食事処「いなか」を訪れる。名物のとろろソバとおでんを食べる。この地は家族で何度もキャンプに来ているので懐かしい。このおでんのタレは青海苔が絡み独特の味で絶品だ。ソバも地元のオバサン達の手打ちで、おでんとセットでお勧めしたい。写真はそのとろろソバとオンマウスはおでん。帰路は福井ICを出るとき僅かに24時を回る様に手前のSAで時間調整。これで往復\6Kも浮くのは嬉しい。

Jul 23. 2008 54回目の誕生日・・・思い掛けない来客
7月23日、54回目の誕生日を迎えた。カミサンからも早々のメールが届く。この日は金沢である会の総会がありJRで赴いた。ところが連日の不摂生の疲れか総会の途中に目まい。帰路の金沢駅で、電車の待ち時間にギネスビールをあおって誤魔化そうと試みるとこれが意外に良く効く。
無事福井へ辿り着くと、応援で福井に来ていた後輩U君が誕生日の噂を嗅ぎつけ怪しいケーキを買い込んで来た。体調はイマイチだったがその意気込みに押され、U君を誘い、近所のスーパーでアルコールと食材を買って帰宅。日中は35℃を超えたこの日、窓を開け放って出たが部屋はさすがにムンムンのサウナ状態。最初は我慢していたが途中から今年初のエアコン投入となった。その後さらに後輩H・I・Oの3君がピザを持って参上し写真の如きメンバーが揃った。ケーキに差したローソクの火を消すのは一体何年振りのことだろう。単身赴任の身でまさかこんな事をしてもらえるとは・・・本当に嬉しい事だと後輩たちに感謝。おまけに流し台にほぼ放置状態だった皿や茶碗を、若い二人がクスクス言いながらも全部洗ってくれた。妙な噂が広まらなければと思いながらも楽しい時間を過ごさせてもらった。

Jul 21. 2008 高校野球の季節
世の中3連休らしいが毎年この季節になると忙しい。特に今年は北京五輪があるためスポーツ関係のスケジュールが前倒しになっている。福井でも、例年なら7月30日辺りが高校野球の決勝戦となるのだが、今年は1週間早く24日に設定されている。今日はベスト16が出揃う日、県営球場と敦賀球場で熱戦が繰り広げられた。朝から30℃超のド・ピーカンの中、選手も応援団も、それに高野連をはじめとする関係の皆さんも本当にご苦労様!だ。オーナーは最も暑い13時半頃県営球場を訪れた。写真は15時のもので「丸岡-敦賀」戦9回表の一場面。一瞬日陰になったところがオアシスの様に見える。
オンマウスはナス。四国出身の後輩M君が田舎から多種多量のナスが送られてきたと職場に持ち込んだ。ナスは今が旬。元々ナス好きだったのでこれ幸いと何本か貰ってきた。既に食して写真には無いが、名前を忘れてしまった長さ30cmもあるナスもあり驚いた。色々な食べ方があるが、今回は楕円に切りフライパンに油を敷き振りかざして焼き上げた。醤油をかけご飯と一緒に食べたが、ナスは何故かご飯を近寄せてくれ、食欲のなくなるこの季節に貴重な食材だと思う。これが連休中、単身赴任者の食事を支えてくれた。M君有難う!。

Jul 18. 2008 思いがけないネット上での出会い・・・SSPAバイブルの著者と
写真を見てピンと来る人は相当なRF-AMPマニアだ。これはトラ技1988年12月号の557ページに掲載された「パワーMOS FETによる2-50MHz、出力1kW広帯域パワー・アンプの製作」の一こま。当時私は、3-500Zパラレルアンプを操る500W免許の頃で1kWは認められていなかった。この記事は相当なカルチャーショックを自作派にもたらしたのだ。そして1993年5-9月号にかけて連載された「新時代にマッチする高周波パワー素子 RFパワーMOSFET活用宣言」も真空管に慣れ親しんだ我々には大きな衝撃だった。この著者は某デバイスメーカーにお勤めのO氏だった。その後これらの記事はSSPA製作の良き参考書となった。実は最近、拙作HPで実験中のSSPA用電力合成の資料をネット上で探していたら何処かで見たような記述を発見。もしやと思いサイト主宰者へ恐る恐るメールを送ると早々に返事。そこには拙作HPのグラフから読み取った数字を基に、別視点の分析や評価が克明に記されていた・・・これはスゴイ!。そうです、それは紛れも無くO氏のサイトでした。実は前述の記事の編集担当はTopics5月22日で紹介している別のO氏。世間は広そうで狭いなぁと・・・つくづくと思った。それにしてもO氏の記事は20年を経ても永遠のバイブルだ。

Jul 15. 2008 『ジェイムズ・B・ランシング物語』届く
昨日朝ペリカン便から電話。10時には家を出るからと伝えると早々に玄関のチャイム。「ジェイムズ・B・ランシング物語」が届いた。分かっていても嬉しい。まるで少年だ。早速開梱して手にするが時間が無い。アタッシュケースに放り込んでJR福井へ向かう。今日は所用があり名古屋で1泊の出張だ。特急しらさぎに乗る。普通はスヤスヤと眠ってしまうのだが今日は違う。本を取り出して読み続けた。名古屋に着くとようやく半分。所用が終わり宿に着くと既に24時。そのままベッドインだったが、今朝は6時に起床し再び読み続けた。その後、特急しらさぎで福井へ戻る車中で完読となる。最初は気付かなかったが、この本は筆者の佐京純子氏が1982年に書かれた「Why?JBL」に追記する形で編集されている。その後26年間のJBL社の製品や動向、JBL関係者とユーザーのインタビューや証言を加筆してまとめられている。米国の音響技術史としても、読み物としても大変面白い。ジェイムズ・B・ランシングが残した「技術とポリシー」は、現在のJBLに確実に受け継がれ世界をリードしている。忘れていたものを感じさせる一冊で一読をお勧めする。氏へ出版祝いのメールを送ったところ返事が届いた・・・拙作HPの「Why?JBL」の記述が後押しになったと。

Jul 11. 2008 『ジェイムズ・B・ランシング物語』
理由は忘れてしまったがネットで「Why?JBL」を検索した。「Why?JBL」とは1982年フリージャーナリストの佐京純子氏が書いた、James Bullough Lansingの生い立ちからをまとめた本だ。JBL社は創始者に敬意を表しその頭文字をとったものである。米国の音響業界の歴史や人間模様は、雑誌や人づてに聞く情報程度しか無い時代に、まとまった図書として「Why?JBL」の存在は貴重だった。2003年に佐京氏がオーナー宛にメールを送って来られた事があった。ネットで「Why?JBL」を検索としたところ、拙作HPのHandmadeAudioコーナーがヒットしたと・・・。そこには「Why?JBL」の写真と入手当時の様子を記述してあった。それに興味を寄せられメールに至ったとの事だった。実はその時、続編についてお尋ねしてみた。実現しそうな雰囲気はあるが、具体的にはこれからとする返事だった。話を元に戻そう。「Why?JBL」でヒットすると次に佐京氏の名前を発見する。そして閲覧して行くと見慣れない本、そして写真・・・新刊の『ジェイムズ・B・ランシング物語』だ。執筆はその左京純子氏。ついに続編が出たんだぁ!。早速注文したのは言うまでもない・・・到着が待ち遠しい。写真は『ジェイムズ・B・ランシング物語』と四半世紀を経た『Why?JBL』。

Jul 8. 2008 思いがけない訃報に接する
先月金沢で会議がありとある会社尋ねた。数年前その会社へ東京の系列会社から出向していたA氏の事を思い出した。出向を知ったのは、2004年頃名古屋のフォーラムでお逢いした時だ。氏とは2001年頃、ARIBに作られたマルチフォーマットカラーバーのタスクグループでお逢いしていた。氏はグループの座長をされていたのだ。大変温和な方だったが、このカラーバーにかける情熱は相当なもので、我々も相応の理論構築で臨んだ事が昨日の事の様だ。そんな回想をしていたら懐かしくなり氏へメールを送ってみた。しかし配信不可で直ぐ戻って来る。おかしい?。それではとネット上で色々と調べて行く内に、今年3月に66歳で他界されていた事が判った。そして氏はアマチュア無線家だった・・・思わず絶句だった。ご冥福をお祈りする。左は氏の遺産とも言える、今や世界標準に成長したマルチフォーマットカラーバー。そこかしこに想い出が見え隠れして懐かしい。

Jul 4. 2008 昭和5年製ラジオの修理依頼
昭和5年製ラジオの修理依頼。RFのコイルと球は立派な真鍮シールドに収っている。UX224>UY227>UX226>UX112A>SPのラインナップで整流はKX112B。1-V-2の再生ラジオだ。メインVCは2連でシャシ上の鉄箱に、RF微調用と再生用VCはシャシ内に。シャシは鉄でチリメン焼付け塗装。球名や端子名は彫込み文字で高級感。製造は山中電機、型名はテレビアンA-224。線材は綿巻が多く一部にカビ。ACコードを用意し電源投入。数十年振りに見るナス管フィラメント・・・しかし音が出ない。ドライバーの柄でコツコツ・・・得意の作業。EARTH端子が緩みシャシに接地していない。段間コイルのアースがまとめて落ちるので、浮くと再生動作も含め可笑しくなる。するとSPから微かな再生音。しめた!と思ったが余りにも音が小さい。UX112Aの負荷は10KΩ程度なのに8Ω-SPが直付け。試しに1.2KΩトランスを挿入、見事に聴ける音量に。UY227のGRID-LEAKの接触不良も・・・。保存状態が良いため以外にもこの程度の作業でJOFGを受信できる状態に。メインVCとコイルの位置関係、微調VCと再生VC等の位置取等オーディオを思わせる造りに苦笑。ANTを接続しないと絶対に受からないシールド思想に、ややバランスを欠いた中で興味を覚える。

Jul 3. 2008 今年も7月・・・ADSLが早くなった!?
今年も半分が終わってしまった。何もしていないのに本当に早い。このまま行くとあっという間に定年や人生の終わりを迎えてしまうのかとふと思ったりもする。だからやりたいことは今のうちにと思っているが、それがなかなか進まないから厄介。まぁ余り先の事は気にしないでやるのがベターなのか・・・。
ところで1日に何気なくPCのSpeedTestを行った。そしたらなんと30MBPSを示した。いつも最初のカウントは数十MBSを示して驚かされるが、2度目からは普通にカウントしてくれる。それで最初はまた何時ものヤツかと思っていたが、幾度トライしても様子が変わらない。平均して30MBSを示しているのだ。なーんてこったぁ!NTTさんがサービスを改善したのか?。PCの違いかと思いメインPC(Pentium3/933MHz)からサブPC(Pentium4/3.2GHz)に変更すると様子は変わらないばかりかPCの速度が反映されさらに良い数字。うっかり妙な質問をNTTさんにして、速度を落とされても困るので、ここだけの秘密にしておこう。6月中はこんな数字は出なかった。皆さんのところは如何だろうか?。図は3日朝に出した41MBPS・・・本当だろうか?契約は24MBPSだから。