JH2CLV's Topics & Memorandam / September 2008

Sep 28. 2008  ARRLとJARLの会費納付・・・その違いに苦笑?
JARLは開局前(SWL時代)の1970年春から数年間加入していたが、暫く空白がありDXにアクティブになった1985年より再び加入し現在に至っている。通算すると25年以上になるのではと思う。ARRLは1998年頃からなのでもう10年になる。丁度先週会費の納付案内が届き処理したところだ。毎年の事で面倒なので銀行振り込みか数年継続払いに変えようかと思ったりもするが、結局両者共に毎年払いが続いている。JARLの年会費は知らぬ間に\7200(≒67.9$)。ARRLは$62で毎月QSTがエアメイルで届き、隔月のJARL NEWSなど質量とも全く及びでない状態だ。国内で輸送コストも低い筈なのにJARLは会費が高い。ARRLの努力には感心する。またオーナーは$31追加で季刊誌QEXも購読しておりARRLから得る情報が非常に多い。難題かもしれないが、そこかしこに感じる不思議や矛盾は苦笑のレベルを超えて久しい。写真はしっかりと作られたカード形のARRL会員証。JARLの紙製とは大分違う。JARLには本質を追及して欲しいと願っている。

Sep 27. 2008  同僚と大長山へ登る・・・29年振り旧友と再会
大長山へ登る!と同僚のK君JH9TLQに木曜宣言。その日は雨で天気が心配だった。しかし起きると見事な日の出。カメラにその模様を収めると考える間も無く足は奥越に向いた。勝山街道を進み6時新保でK君を拾う。九頭竜川を勝山へ渡った処のコンビニで食料調達。R157をUターンし小原地区を進む。集落はずれのゲートで一人\300の通行料。更に約20分程登り7時過ぎ登山口着。装備を確認し7時15分登山開始。石川県境の小原峠までは赤兎山と同じコース。峠に出て右が赤兎山、左が大長山→取立山方向だ。ところが左へ進む道が薮で良く見えず直進してしまった。沢が見えたので変だと気付き峠まで引き返すとロス17分。K君が薮の裏手にしっかりと道を発見。途中苅安山(1504m)を経由、大小のアップダウンを繰り返し大長山(1671.4m)へ9時30分到着。気温が低くカッパを羽織るが天気は素晴らしい。白山を始めとする稜線が手に取る様だ。これだから山は楽しい。山頂では145MHzで移動局が聞こえJOFGの北信越野球中継も心地良い。食事を採り10時15分下山開始。登山口には11時40分着。福井へは13時頃戻った。早朝登山が功を奏した好天でラッキーだったとK君と納得。写真は山頂越しの白山と山頂手前の急斜面。
今日は嬉しい事がもう一つあった。1979年の8月(最初の異動内示日)以来逢っていなかった友人Y氏と29年振りの再会を果たした。福井の大学へ通う息子さんを夏休み明けで静岡から車で送って来られた。この機会に是非逢おうと言う事になった。居酒屋でどうかと打診したところ、どうも都合でアルコールはNGと分かり、アパート1Fにある喫茶店ヴェリイに落ち着いた。それから4Fの自宅にも立ち寄って頂く段取りになった。 早朝登山から帰ると早速部屋の掃除を開始。前回掃除をしたのは何時だったか?こう言う事が無いと掃除もしないだろう!・・・などと独り言をいいながらそれらしい状態にする。 16時半頃喫茶店に入る。暫くすると息子さんの運転でY氏が到着。既に数年前から写真や近況をメールで交換していたのでその風貌には驚かないつもりでいたが、髪の毛の白さにはやはり歳月、それにご苦労を感じてしまった。親しかった友人の他界の話、仕事や家族の話、それに趣味の音楽の話など、予定の2時間はあっという間に過ぎてしまった。 写真は喫茶店から場所を自宅へ移して1時間。一度外に出たが写真を撮っていない事に気付き、再び自宅で撮影したY氏とのツーショット。これから先も大らかにテイク・イッツ・イージーで行きたい。

Sep 23. 2008  諸々の作業・・・修理にメンテナンスetc
休日の今日は自宅で雑務に明け暮れた。雑務は昨日のプリンター修理依頼から始った。数年前に長男がアルバイト先から貰ってきたPM-890Cで印刷が出来なくなり福井に持ち込んでいた。EPSONサービスに聞くと標準修理で\10.5Kかかるらしい。この金額なら新品が買えるじゃん!と苦言を呈してもらちがあかない。結局インクカートリッジを手持ちしているのを理由にして松本のサービスへ修理依頼。機構的にはOKだがインクが放出されない感じ。さてどうなるか。メインPCにつないだUSB-HUBが可笑しく、生きたり死んだりでPCがポコンポコンと叫んでいる。やっぱり安物買いの銭失いか。それでPCI型のUSB-HUBを\890で買って来た。今までのはMBのUSB-1コネクタからの分配だが、これはPCIスロットに差込みUSB-2と高速になる。HUB自信を固定したりの作業が要らずスッキリした配線が実現。写真は購入したUSB-HUB。相前後して屋上のANTを整備する。傾斜型DPの下部エレメントを屋上にラジアルとして展開させGP形式に変更した。更に20mと10mのラジアルを追加した。この際ATUの位置を釣竿エレメント直下に移動、エレメントは13m程度に短くなった。飛びは未だハッキリしないが、17時頃10MHzでZLとFOと交信出来た。

Sep 21. 2008  帰省後半・・・彼岸花とマキノミ
昨日は台風一過だったはずだが夕方には曇りだし、未明には雨が降り家の周辺は湿っていた。天気予報も悪化の方向を伝えている。6時40分から朝食をとり7時前にHanaを連れ散歩に出た。既に季節は彼岸、裏山へ上る小道脇に彼岸花が咲いている。未だつぼみもあるのでこれからが最盛期だろう。季節を忘れないで、毎年同じ時期に花を咲かせる植物たちの能力には感心させられる。写真は小道を歩くHanaを彼岸花越しに撮影したもの。Hanaは役者じゃないので中々首を上げてくれず、地べたばかりに興味があるようだ。オンマウスは知る人ぞ知るマキノミ。マキノキの実がこの季節になると大きくなり色を着ける。一気に赤くならず赤や黄色の他、未だ色が来ないモノまであって面白い。散歩の途中にあった生垣で発見、Hanaをほかって、しばし写真撮影に興じた。子供の頃はこの赤い実をとって食べたものだ。ちょうどゼリーの様な食感で甘味がある。今となっては口にする元気も無いが、子供の頃はこのマキノミの他に、クワノミそれにノイチゴ・キイチゴにグミやクリなど自然から頂くオヤツが本当に多かった。彼岸花もマキノミも雨上がりにしっとりと映え綺麗だ。ここに陽の光が差し込むと更に違った顔を見せるのだが、今日は期待できそうに無い。

Sep 20. 2008  再び帰省・・・甲州往復
カミサンが伊豆で研修があり家を空けるため親父の面倒見で帰省。19日の20時20分福井ICに入り24時半に実に家帰る。台風13号が伊豆沖にあり天候が危ぶまれたが、名古屋辺りまでは月や星が見えるほどの好天。しかし静岡県に近付くとポツポツし出し、県境を過ぎると本格的雨。そして掛川辺りではバケツをひっくり返したような雨。東名清水より先は50Km/h制限。ノロノロのエコ運転でも眠くなる事はなかった。20日朝、親父に温泉行きの話を持ちかけると即決。友人H氏を誘い山梨県増穂町のまほらの湯を目指す。R52は、良く整備され昔に比べて随分と走りやすい。清水から約1時間50分を要した。ここをにした理由は甲府の同僚O君の勧めがあったから。町営だが温泉と休養に徹したシンプルな作りで、突然カラオケが始まるような事が無く親父たちには好評だ。入浴後は皆で食事をして横になり、3時間コースを満喫した。ただ親父だけ冷酒付き・・・体重78Kgで食欲旺盛は下半身に響くんだけど・・・気にするのは回りだけ。16時半頃清水着。楽しい一日だった。写真は台風一過の実家界隈。オンマウスは帰路に立ち寄った身延山久遠寺の本堂前でくつろぐ親父たち。後日O君にこの話をすると、みたまの湯の誤りだって・・・また行こう。

Sep 14-15. 2008  帰省後半・・・敬老の日他
昨13日午後、中学校の同窓会でカミサンが1泊で出かけた。ゆっくりして来いよと見送ると、夕食と朝食の仕込みを済ませてあり流石と感謝。いつもはお盆にやるらしいが、今回は時期外れのため普段参加しないメンバーと交友が出来たらしい。夜中まで随分と盛り上がった様だ。14日は地区の「敬老の日」。式典・催物がナショナルトレーニングセンター(JSTEP)で行なわれた。自治会が送迎バスを走らすので、親父に遅れない様に準備を促した。今でも現役ファーマーで車も運転するから、ゲートボール等体育文化活動にうつつをぬかす連中とは一緒にならないが口癖だったが、参加してみるとそれなりに楽しかったようだ。84歳にもなると友達も亡くなり、話相手が少なくなくなるのは必然だから、昔に拘らないで新しい展開を勧めるがガンコで中々難しい。しかし心身共に健康であって欲しいと願っている。15日は4時前に高速に乗り福井を目指した。朝早くから起きて見送ってくれたカミサンに感謝だ。写真は東京の友人I氏から届いた測定機のフレーム(左)と入手済みの前面トリムにカバー(右)のジャンク。試みにGU-74B用1KVAトランスを乗せてみた。これでショートリング・バリLの超小型50MHz/KWアンプを狙っているのだが今は構想だけに留めている。

Sep 13. 2008  一ヶ月ぶりの帰省
丁度一ヶ月ぶりに帰省。4時前に福井ICから北陸自動車道に入り、ETC深夜4割引の権利を得る。東名赤塚PA手前で6時半。PAに立ち寄り、恥を忍んでラジオ体操。目の前に吉野家、懐かしい牛丼並で朝食。福井嶺南は雨だったが琵琶湖辺りまで来ると気にならなくなった。清水には8時半頃到着。4時間半以上要したが、これは90Km/h前後のエコ運転のため。100km/h以上は出さない決意があると相当な燃費が実現して驚く。昨夜床に就いたの23時頃。4時間程の睡眠のせいか時折軽い睡魔。ノロノロのエコ運転が拍車をかけるため、好きな歌を大声で口ずさみ追いやる・・・ちと危ないか。写真は親父を手伝いながら行った大根の種撒き。ミカン畑の空きスペースに低いウネを作り、種3粒を約15cm感覚で人差し指の第一間接程度に埋める。最後は水をたっぷり掛ける。ところが夕方近くになると急に雨がやってきて大雨洪水警報が出た。大粒の雨に種が心配になり、うねにビニールシートを掛けに走った。種が流されてしまうからだ。傘は要らないだろうと作業を始めるとバケツをひっくり返したような雨に。帰省中の次男が傘を持って駆けつけてくれたが、救援は傘のみ。自然を相手にするのは大変だけど、これ以上の教材は無いと何時も思う。

Sep 11. 2008  文豪ミニ7RXの巻取りボビンを修復させる
昨年12月、愛用の文豪ミニ7RXで年賀状の宛名書きをした。宛名書きとは聞こえがイィが、実はタックシールにプリントアウト。シールを剥がし気持ちを込めハガキに貼る。直接印刷するより手を煩わす分、相手に気持ちが伝わるなどと妙な言い訳。しかし巻取りボビンが空回りして途中から印刷NG。リボンはケースからはみ出し紙に張り付いた。ソフトは印刷範囲指定が出来ずやり直す分のファイルを作り直す。リボンは分解修理。そして手でボビンを抑え何とか急場を凌ぐ。こんな事毎年やってられないよなぁとボヤキながら、昔文豪SIGメンバーが作ったCVS変換ツールを探す。すると文豪MS-DOSの自作メニューで発見。15年も前の事でその存在を忘れていた。ダメモトで起動してみるとグッド。CVS変換されたファイルはEXCELで読めWindows機のデータベースとなった。これでもう文豪ともオサラバかと思った。ところがこのリボン式プリンタはスグレモノだった。自作機器製作のレタリングに欠かせないのだ。何とか復旧出来ないかと真面目に覗き込むと、実は簡単にその目的を果たす事に。些細な事だがこう言うのって嬉しくなってくる。CQ出版某編集子の友人O氏も同じ理由で昔のワープロが手放せないと飲み屋で盛り上がった事を思い出している。

Sep 7. 2008  能郷白山に登る
5日は徹夜で6日は23時半帰宅。ややクタクタだったが、以前から考えていた能郷白山(1617m)に登るを決心して24時半床に就く。5時間の睡眠をとり家を出たのは6時45分頃。24H営業の新保ENEOSで給油、勝山→大野経由(R157)で岐阜県境の温見(ぬくみ)峠を目指す。このルートは平安の時代から美濃と越前を結ぶ重要ルートで、かつて峠には関所もあったらしい。R157界隈には平家平など史跡が点在し歴史の故郷の様相だ。流れ行く車窓に、柄にもなく平安や戦国の時代へ思いを馳せる。巷ではR157を酷道と呼ぶ人が居るらしいが私には十分すぎる国道だ。 温見峠には7時半着、7時40分登山開始。写真を撮りながら9時30分山頂着。更に白山権現社へは9時40分に辿り着く。天気予報は良くなかった。途中霧がわき雨を覚悟したが、山頂は写真の様に好天だった。石川白山方面には多数の山並みが織り重なり、陽がかげると墨絵さながらであった。 権現社から福井のJH9TLQと145MHzでスケジュール交信。後から登って来た方はJR9DRR吉田氏で、思い掛けない出会いで楽しい登山だった。実はJH9TLQとは私のTH-F7&ホイップANTではNGで、吉田氏のTRCVをお借りして交信が実現した。オンマウスは山頂手前に咲くリンドウ。

Sep 4. 2008  音信普通だった旧友からメール
1985年5月27日、仕事で南アルプス聖岳登山道にいた。荷揚げ計画の遅れから予定していた場所に電池のデポが無い。電池は一山超え往復で2時間はかかる登山口にしかない。困っているとアシスタントのG君が「私が行って来ます」と言い残し下山。我々は電池の続く限りと目的地を目指した。幸いその日の予定は事無く終了するのだが問題はG君の帰り。暗くなり聖沢で野営が始っているのに未だ来ない。探しに戻ろうかと思った矢先、ヘッドランプを点けた人影が向こう岸に現れた。G君だっ!。おまけに25Kg程の電池を背負って!。駆け寄って彼の肩を抱きしめた。その後、暫くして我々の周辺から消え、名古屋の自宅へ送る年賀状も宛先不明で戻っていた。 そして本日。まさかと思ったが紛れも無いG君からメール。そしてBBSへも書き込み。驚きと感激だった。「クリアカム」で検索中当サイトに辿り着き、穴が開く程見ていたとG君。最近プロフィルを見て私に気付いた様子。早々にあの時の思いを返信に綴った。23年も前の話だが、本当に救われたあの一コマは、これからもずっと記憶に残るに違いない。手を煩わすプロセスは非常に大切で、人の心をも動かすと思っている。それをG君の行動が教えてくれた。写真は当時の聖岳登山口。

Sep 3. 2008  恩師からの手紙とパンク修理の結末・・・ 工作心をそそられる横浜のOMからのメール
自転車置場で自転車のタイヤを指で押したら柔らかい。何ぃ!と思いつつ4Fへ上ろうとすると郵便受けにハガキ。帰宅時のひとコマだ。見ると故郷清水の庵原小学校時代の恩師H先生からだった。夏休みの後、恒例の残暑お見舞をお送りしたその返信だった。実家に帰省した家族の近況や、自然の営みに一喜一憂する自分は田舎者、などと私的駄文を託した。先生からは相変わらずのテニス談義や、もう73になったとする近況が記されていた。他愛のない内容かも知れないが、42年を過ぎてもこうしたやり取りが出来る事を素直に喜んでいる。ちなみにカミサンの恩師でもあり、5年程前にそのグループと先生がアイボールした折、私が手紙を託した事からこのやり取りが始った。毎年夏が来ると先生を必ず思い出している。母校庵原小も新校舎に変わり時代はどんどん変っているけど、あの教室の想い出は不変だとつくづく思う。写真撮影してコメントを付ける習慣、実はこれ先生から教わったもの。HP製作はまさにその延長線上と思っている。
それでタイヤの件。可笑しいので虫ゴムを見るとゴムにキズがあり割れていた。変えたばかりなのにと言いながら、一度ゴムを抜き反対側から差し込んで修復。これで再び様子を見る事に・・・写真がそれ。
帰宅すると東京単身赴任時代に知り合いになったJA1HOU渡邊OMからメールが届いていた。氏は私より一回り以上も先輩で、仕事の関係でかつて何度もOMお勤めの会社を訪ねたことがあった。しかしそれを知ったのはずっと後の事だった。メールには新作のリニアアンプの写真が添付されていた。それはGU-74Bx2のモノだが、実はこれ前作の大型リニアアンプをリメイクしたとの事。この写真を初めて見た人は、コリンズにこんなアンプがあったっけ?と疑問を持たれるに違いない。渡邊氏は友人から譲り受けたトリムを元に、KWM-2Aと同寸のケースを作り、その中に部品を組み込んで行った。コリンズ好きのOMの心意気がフロントパネル中央のローラーインダクタ・ノブやカウンターに現れている。そしてローラーインダクタやカウンターの駆動ギアメカまで、全てが自作と来ているから恐れい居る。さすが電子立国を支えて来られた世代だと、その根性に圧倒される。電気工作より機械工作が作業の中心だったと渡邊氏はメールで振り返っている。
写真はコリンズトーンのフロントビュー。オンマウスでは背面越しの内部配置が確認できる。こう言う作品を見ていると、回路や図面では表現し難い知る人ぞ知るノウハウが見え隠れして楽しくなる。

Sep 1. 2008  懐かしいOMからの電話・・・QSL発行
昨日朝、懐かしいOMから電話が入った。1年半振り位いだろうか。OMはロシア球4CX800A(GU-74B)の国内頒布をボランティアでされ、ソケットやバンドスイッチにチムニィ等も含め自作派に供給してきた。大変熱心な方で、僅かながらの質問を手紙に託すと、膨大な手書き資料がコメントと共に必ず返送されてきた。その枚数は既に1冊の本が出来る程になっている。私はその恩恵に預かり、10年前からロシア球を使ったアンプ製作に挑戦し、既に幾つかの作品を発表している。その中で概要は紹介したものの回路や製作記が非公開のアンプがある。GU-74Bを使った1.8〜50MHz/1KWアンプがそれだ。
実はOMにはコピーをお送りしてあったのだが「友人からアンプの製作情報を求められ是非それを紹介したいので承諾を」と言うのが電話の内容だった。快く返事を差し上げた。OMは東京都内在住のJA1IIV窪寺氏である。私は氏がロシア球や関連部品をボランティアで収集し、それを適価でアマチュアに頒布する心意気に関心していた。またそれはRFアンプ好きのヒューマンネットワークへ発展し、ハムライフをより幅広く楽しませてくれる要因になった、と後から気付き感謝している次第である。
手前味噌で恐縮だが、写真は拙作GU-74B/50MHzアンプで飾られたCQ誌2001年5月号の表紙。あれから7年、時の過ぎるのは実に早い。今日は溜まり溜まったQSLカードの印刷・発行を行ったが、その中には当時の未発行モノもあり東京単身赴任時代を大いに偲ばせてくれた。