「日比野ぁー?書けたか」
熊のような男が、担任の岡林が、のっそりと現れた。
さて本気の戦いを挑むかべきか。
選択が迫られていたが、一輝はまだしばらく無視していることにした。
窓の向こうへ視線を外さずにいると、岡林のほうから近づいてきて、一輝の目下の敵をひょいと指でつまみ上げ渋い顔を作った。
一輝は見ないふりを続ける。 胃の底からの深い溜め息を、上からかぶせられた。昨晩の酒気が髪の毛一本一本に移されそうだった。
もう一度吐きかけられそうになって、一輝は仕方なく頬を机から引きはがした。
きちんと背筋を伸ばして椅子に深く腰掛けなおす。気をつけをした。
岡林は一輝の前の席に腰掛けて、薄っぺらい紙をもう一度きちんと机上に置きなおした。
「……この時期にこれはあかんだろう」
「うーん」
「おいおい、一生のことだぞ。高校も行かんのか?お前は」
「うーん」
明らかに怒気が一瞬担任の顔に浮かんだが、またまた見ないふりでやり過ごした。
「お前やればできるんだから。そこらへんの高校ならなんとかなるんだし、な?」
な?って決め付けられてもな。これからや、その先を。
選択の余地はないみたいに。
リストから高校の名前を選ぶだけで。
はあー……と岡林は深い深い溜め息をついた。
鼻につくような、いつものアルコール臭はしなかった。どうやら昨晩は飲んでいないらしかった。
(すんません、問題児で)
急に懺悔したくなって、せめて、と心の中で呟く。
大好きな酒と切り離しているのはオレですか。それとも奥さんですか。その他ですか。
自意識過剰で決め付けるのはよくないんだけれど、その一因であるのは間違ってないんだろう。
それくらいは自信持ったっていいんだろう。
それに、たぶん知っているのだ。
目の前の人が、おいしく酒を飲むためにはどうすればいいのか。
問題児から優等生になるためにはどうすればいいのか。
(でも先生、それでもオレはサンタクロースになりたいんです)
本気の目で言ったらどうなるのか。
ものすごく後ろ髪をひっぱられる気持ちになった。
じゃあ、サンタクロースになるためにはどうすればいいのか。
どうして、サンタクロースになりたいのか。
そもそも、サンタクロースってなんなのか。
思考を一人で三段変化させて、それからもう一度、薄っぺらい紙との戦いに挑んだ。
そこには幾つかの選択肢が用意されていた。
真っ白で何も書いてない薄っぺらい紙じゃあなかった。
枠線が引いてあって、次の指示が書いてあって、はみ出したらやり直しがきく紙だった。何枚でも。
そこには勝ち負けなんかなかった。
(……サンタクロースは、みんなに幸せを届けることが幸せです)
一輝は少し笑った。
クセのある字で、殴り書きみたいにして、結構前に岡林に薦められた高校の名前を書いた。プレゼントー、と笑顔で手渡した。
それを見て、岡林が満足そうに笑った。今夜はおいしく好きな酒が飲める、みたいな笑い方。
教室のドアが音を立てて閉められた。
もう帰ってもよし、と言う合図だったが、一輝はしばらくそのままでいた。
空はついにその重みに耐え切れなくなったのか、はらはらとかけらを振り落とし始めた。
真っ白な空から雪が、降り始めた。
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