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 痕とか残らないですから。
 先生、こんなのに責任感じる必要なんてないし。
 全然平気ですから。元気ですから。

 だから。

「…………だから?」

 先生の手が、強い力で手首をつかんでいて。離してくれなくて。
 なんとなく、いつもの、授業よりも何段階か、声が低いような。ぞくりとした。
 こんな先生、知らない。なんにも、知らない。
 怖くなって。
 気がついたら、先生の手、必死でふりほどいて逃げ出してた。

 

 

「じゃあ、この間のテストを返すな。名前呼ぶから順番に前に取りに来て。……市川」

 クラス委員長・市川さんが立ち上がって、ちらりと視線を寄越してきた。
 ごめんね。でも、報告しようがないんだよ。
 って、市川さんに向けてこっそりテレパシーを飛ばした。

 ナオは、教卓の前でパリッとした淡い色のスーツを着ている人を見つめた。
 先生は、いつもどおりだ。
 いつもどおり、ってどこを基準にすればいいのか難しいところだけれど。 

「河合、久野、野呂……」

 番号順に生徒の名前を読み上げる。
 同じ声で、ごめんって言って、好きだって言った。
 なんだかウソかマボロシか、の気がして、でも全身全霊が否定した。
 コーヒーで汚れた制服は、クリーニングに出して。
 手首、痛くて。
 ウソでもマボロシでもなかった。

(第一、ずっと知ってた) 

「平井、堀池……」

(ずっと知っていて、ずっと知らないフリしてた)

「町田」
「はい」

 ナオはゆっくりと、机と机の通路に一歩を踏み出した。クラス中が息をのみ込む音が聞こえた、気がした。
 順調に続いていた名前の読み上げが途中で切れてしまった。

 一人の生徒を特別扱いなんてダメで。ひいきする先生なんて生徒に嫌われるナンバーワン候補で。
 せっかく頑張って、先生をやっていたのに。
 ぱらぱらと仮面をはがして、簡単に素顔を見せたりして。
 ぜんぜん先生らしくない。
 きっと、みんなに慕われる理由ってそれなんだろうな。

(でも、先生だし)

 ナオは教卓の前に立って、手を差し出した。
 昨日の先生が心配してくれてたみたいに、ひどい点数が見えた。ほぼ、白紙の答案。
 体調が悪かったんじゃないです。先生気にしてたら時間がなくなったんです。
 なんて、昨日はとても言い出せなかった。

「ごめん、な」

 ナオはびっくりして顔を上げた。
 せっかく合わせないようにしていた視線が通った一瞬、先生が苦笑いをした。
 続けて、三浦、三井、とまた名前を呼び始める。
 まるで、先生みたいに。

 昨日のコーヒーのこととか。
 ムードも何もかもすっ飛ばして、突然好きって言ったこととか。
 わざわざクラスのみんなの目の前で、ごめんって。
 先生なのにいち教え子を、いい年して10コも年下の高校生を、好きだって。
 ごめんって。

 ナオはくるりと180度回転して、自分の席に戻ろうとした。
 戻ろうとして、足が止まった。
 ダメだった。

 なんだかすごくダメダメだった。

 いつも授業中、レーダーにひっかかるもの。
 それの、どんなに数が増えたって、そんなの自意識過剰だって何度も何度も言い聞かせた。
 ごまかして我慢して、知らないフリして。だって先生だし。
 いくら先生っぽく見えなくたって、先生だし。

 なのに、ごめんって。
 三浦、三井、って名前を呼ぶのと同じ声で、先生が言った。

 

 

「……ナオ?大丈夫?」

 気遣わしげな声は二種類。
 通路をナオに塞がれて先生までたどりつけない三井さんと、三浦さんから。

「ごめ……」
 ん、まで声にならない。
 その痛いのが伝わっちゃったのか、二人は、周りの視線から匿うようにしてくれる。
 涙出そう、と思った。ほんとはもう、ぜんぜん手遅れだったけど。
 でもぜんぜん平気って、元気だって言わないとダメだと思った。もっとダメになると思った。

「もうっ先生!!女の子泣かしちゃダメでしょう??!!」

 一際高い声が、教室中に鳴り響いた。
 いつもは囁く専用の可愛い声の持ち主なのに。
 張り上げると誰よりも通る声で、だから市川さんはクラス委員長なんだ。 

 市川さんの雷に撃たれて、教室は静まりかえった。
 何テンポも遅れて、ええっ?と、狼狽した感じで先生。

「……町田泣いてるの?」

 って優しげな、間の抜けた声で。
 あんまりデリカシーのない発言に、市川さん、三井さん、三浦さん、加えてクラス女子全員分の非難の視線が浴びせられた。
 先生は、ううっと声にならない声でうめいた。
 背中の後ろのほうで、ちょっとだけ、先生かわいそうだと思った。

「ありがと。ごめん、もう大丈夫だから」
 気遣う三井さんと三浦さんに、ぎこちなくお辞儀をして。
 これ以上迷惑かけらんない。ナオは自分の席に向かって歩き出した。
 ぼやけた視界の中で、隣の席から立ち上がる人を見た。
 彼は、か、だから、もうずいぶん前に名前を呼ばれたはずだ。やっぱり机の上には堂々と答案が広げて置いてある。
 はてな、と首をかしげたナオに、ちらりと視線が向けられる。
 目と鼻が赤くて、ひどい顔になってる自覚あったから、見られて恥ずかしいとか情けないとか色々、思った。

「敵討ちしてやる」
 って、サッカー部の河合くんはにやりと口の端を上げて笑った。
 すたすたと足を動かして、教卓を通り越して、河合?と不思議な顔する先生まで無視して。
 白いチョークを手に取った。

 黒板の大きさをフル活用して、カツカツカツ、と手を大きく動かしていく。
 見る見ると出現する文字に、おお、とクラス中がどよめいた。

 ナオは席に座るのも忘れて、口をぽかんと開けた。
 先生は顔を真っ青にして呆然と、口にした。

「……河合、これなに?」
「先生、日本語読めないの?」

 自習。3組は、今からグランドに出てサッカー。

「ええっ?だってこれから、テスト返し終わったら、解説して、授業もやるよ?」
「先生、サッカーは世界史の流れを知るのに役立つって言ったんじゃん」
「それは、確かに……言ったかもしれないけど」
「机の上で勉強するより、大事なことがたくさんあるって」
「……」
「いつも先生が、俺たちに教えてんだろ」

 先生は、何か言おうとして、やめた。
 下唇を噛んで、たぶん、少し、記憶をたどってた。

「私、職員室行ってグランドの使用許可とってくるわ」
 ええっ?と、三度狼狽する先生を、委員長ですからって黙らせた市川さんはカッコよくて。

 がたがた、と立ち上がる音が複数形でした。
 続けて、ぞろぞろと教室を出て行く音。
 突然授業が延期になったせいなのかなんなのか、みんなどこか嬉しそう。
 がんばれーとか、ファイトーとか、よく分からない声援を残して。
 最後に、河合くんが教室のドアを閉めた。

 

 気が付いたときには、二人きりだった。

 

 

 

 

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