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 特大のため息は、教室の前のほうから。
 がらんとした教室を見渡してから、先生が一歩、踏み出した。

 机と机の間の通路を、ぺたんぺたんって近付いてくる気配に、レーダーが反応する。
 身体全部の細胞が、ドアに向かって逃げろって言ってる。

(どうしよう)

 ナオは椅子に座って、膝の上できゅっと拳を握った。

(どうしたらいいんだろう)

 答えが出ないうちに、隣の席、たぶん今ごろグランドでサッカーをしているはずで、不在の持ち主に律儀に断りを入れて、座った。
 瞬間我慢がきかなくなって、ナオは立ち上がった。勢いがよすぎて、椅子が後ろ向きに倒れた。

 その手を。腕のあたりを、伸びてきた先生の左手につかまれた。
 利き手のほうで、痛いくらいに。

「お願いだから、逃げないで」
 しぼり出すような声。
 顔を伏せたままで、先生が言った。
「生徒が一人もいない教師なんて、いる意味がないから」
 先生の後頭部を見ていたら、また泣きそうになった。
 なんだかもう条件反射で。自意識過剰なんかとっくに超えて。
 ぐっと涙腺に力を入れて、倒れてしまった椅子を起こして、ナオはおとなしく着席した。

 そして、レーダーのスイッチを、切った。

 

 とても長い沈黙。
 教室の一番見やすいところに壁時計があって、だからなおさらそう思った。
 授業時間は50分。あと残り30分。
 繋がったままの手が、熱い。鎖とかの代わりのつもりなのかな。
 単に離すの、忘れてるだけなのかな。

「先生」

 隣からびくっとした気配、手から直接伝染する。

「先生、何かしゃべって」

 机の上でさらに沈黙して、宙を見て言葉を探してた。
 ああでもない、こうでもないって。
 即答、できるようなことじゃなくて。

「ごめんな」

 また、謝られてしまった。
 ああもう嫌だなって。先生のごめんって好きじゃないな。

「何が、ですか」
「泣かせたから、町田を」
「そんなの自意識過剰です」
 はっきりとした言い切り口調に、先生が目をみはる。
 ナオは肩をすくめた。
「……ずっと自意識過剰だって思ってたんですけど、ね」

 たぶん、泣き笑いみたいになっていたんだと思う。
 先生の顔が歪む。痛そうに。正直で、まっすぐで、先生らしくなくて、でも先生で。
 先生だから、やっぱりオレが話さなきゃダメだよな、みたいなことを呟いた。
 こんな近くにいたら全部丸聞こえで、独り言になってなかった。

「オレ、馬鹿なんだよ。一緒にいられるだけでじゅうぶん、って納得してたはずだったのに」

 いきなり手の中に飛び込んできたからびっくりして。
 気付いたらもう口が、好きだって言ってたよ。

 あーあ、って言う先生が、本当にくやしそうに見えたから。
 ナオは少しだけ不思議になる。ずっと思ってた疑問に重なる。

「先生はどうして、あたしのこと好きなんですか?」
「え」
「ていうか、あの、あたしのこと好きだって言ってどうしたいんですか?」
 首をかしげるナオに、先生は難しい顔を向ける。
「一緒にいたいってだけですか?だったら何にもしなくても少なくともあと、2年ぐらいは一緒にいられたのに……」
 先生と生徒として、だけど。
 先生なのに好きって言うのは、たくさんのリスクがあって。
 リスク帳消しにしてまで、教師生命を賭けて、先生が好きっていう理由はなに?

「……それって、正直に答えていいの?」
「はい、どうぞ」
 という気持ちを込めて。ナオは前に手を差し出した。無防備に。
 こほん。って先生、咳払いを一つ。

「触って、抱きしめてキスしてセックスしたい、かな」

 それは、シンプルイズベスト、な模範解答だった。

 がたっとドアが不自然に鳴った。
 続けてきゃーっという悲鳴が廊下に複数形で鳴り響いて、だんだん遠ざかっていった。
 たぶん、グランドに向かって行ったんだと思う。サッカーはもう、やらなそうだけど。
 ああ、あんなうるさくして他の先生たちに叱られるよ。って先生が違う方向に心配した。

 先生とそういうことをするのってあんまり、想像しにくいことだった。経験値が足りないせいかもしれない。
 なんだか急に、申し訳ない気持ちになった。
 だって、自分がもう少し大人で、生徒じゃなかったら先生、悩む必要なんかないのに。

 ……って。あれ、なんでないんだろ。

「うん。それ以外のこともたくさんしたかったな。町田と、一緒に」

 繋いでないほうの手で、河合くんの机に頬杖ついて、幸せそうに目を細めてる。
 こんな先生が、存在してもいいんだ。
 ていうか、こんな人でも厳しいらしい現実世界、生きていけるんだ。周りの社会も、動いていけるんだ。
 無限に広がって収集つかなくなりそうになった想像が、あ、という先生の声でかき消えた。
「でもさっきみたいに言われるの、町田は嫌だよな。悪い、オレ、教師なのに」

 ……自覚あったんだ。と失礼なことを思う。
 さっきみたいの、ってさっきのシンプルイズベストのことで解釈間違ってないだろうか。
「ええっと、言われるだけならぜんぜん平気です」
 自分に確認をとるように、うん、とナオは力強く頷いて見せた。
 うわって先生、河合くんの机に覆いかぶさった。派手なリアクション。
 あーあ、好きだなぁもうって、肺の底から吐き出すみたいに言われた。

「…………」

 うわ、町田ウソつきました。ぜんぜん平気じゃなかったです。
 と、ナオは真っ赤になった顔で降参する。

 ダメダメで。決定的で。
 ずっと知っていて、ずっと知らないフリをしていただけ。
 先生の気持ちも。
 自分の気持ちも。

「好きだから、これ以上町田を困らせたくないし、泣かせたくない。だから、約束するよ」
 生徒が安心して学校生活を送れるように、教師としてあたりまえのことをするよ。
 したいより、したくないを優先して、先生は決心したみたいに笑みを浮かべた。
 安心していいよ、もう言わない。
 そう言って、先生が立ち上がる。
 離れていきそうになった手を、ナオはつかんだ。気付いたらつかんでた。

「え、なんで?」

 目を丸くして先生が固まる。浮かしかけた腰をもう一度椅子に戻しながら。

「直感、です」

 ナオは答えた。シンプルイズベスト。でも正解じゃなくてもいい。
 だって直感レーダーが、つかんで離すなって言ったから。

「先生はずっと好きって言ってていいよ。何でも、先生のしたいようにしていいよ」

 先生はいまいち分かってない顔。
 壁時計を見たら、授業終了まで残り、あと10分。
 一緒にいられる時間を計算する。
 2年間ぐらいって、どれくらいになるか分かんないけど。

「あたしが言わないから。先生が好きだなんて絶対、言わないから」

 だから。

「…………だから?」

「先生はずっと先生でいてください」

 平気です大丈夫です。ダメダメで決定的になっても。
 みんなにとんでもないこと知られてて、明日からさんざんからかわれるとしても。
 先生と、生徒でも。

 言わないから。
 繋がった手から伝染すればいいな。
 そう思って、きゅって痛いくらい握りしめたら、先生が、とびきりの、うわって感じの顔をした。

「……うん。じゃあオレは、ずっと町田のことを好きでいることにする」

 

 

 

 

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