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なんでそんなに勉強するの? そんなの、どんな問題を答えるのよりもむつかしい。 将来のため、と無難な答えを出すと、露骨に不満顔をされる。 そもそも個性ってなんだろう。個人の性格?性質?性癖? もっとほかに楽しいこと、やりたいことがあるんじゃないの? でも律は、広い広い地球の中でも、日本の、自分の家の、自分の部屋の、自分の椅子の上が一番気に入っていた。 世界なんてこれ以上広がっていかなくていい。 幸い、うちの両親は、これも個性の一つだと認めてくれるぐらいの個性はある大人だった。 だから律は満面の笑みを浮かべて、学校帰りに買って来たばかりの新しい問題集を開き、丁重に1ページ目をめくった。 まだ帰宅したばかりの部屋の温度は氷点下だ。 律はまずカバンから問題集、それから筆記用具を取り出して、スタンドのスイッチ、そして最後に電気ストーブのスイッチを入れた。 |
ぴんぽーん。 あ、チャイムが鳴っている、と気づいたのは、ちょうど問題集の第一章が終わったぐらいのときだった。 「すいませーん、ご注文のピザ、お届けにきました」 そんなもの頼んだ覚えはない。 「どっからのご注文?」 その変てこな会社名には思い当たりがあった。母親だ。 母親は、世間の基準を採用すると、仕事人間で、家事はちっともしないしできない、ダメ主婦だ。 (つまり今夜は帰りが遅くなるってことか) 裏のメッセージまでちゃんと受け取って、確か父親のほうも、今夜は帰れないとか言ってたな、と思い出す。 (……そっか、今日が世間で噂のクリスマスイヴだったのか) 律は髪についた赤と白のテープを取り除きながら、さっそく、ピザを1ピースもぎとって、口に運んだ。 なんでそんなに勉強するの? なんて、聞かないでほしかった。 |
たたたんたんたん、たんたたたたたん〜 あ、携帯電話が鳴っている、と気づいたのはちょうど問題集の第三章半ば、一問だけどうしても解説に納得できなくて。 カバンに入れたままにしていた携帯に手を伸ばそうとしたら、軽快なメロディーが途切れた。 『ハリーアップで、ベランダにカモンよ!』 そんなにあわてなくても。 英語に苦手意識はないつもりだったけれど、解読するまで少し時間がかかった。 律の家は5階建てマンションの5階で、高台に建てられているので、遠い山の稜線までくっきりと見ることができる。 どれを楽しむにしても夜が更けすぎている。 ざく。 聞き慣れない、不信な音がした。足元から。 幸い、メガネはかけていたものの。 律は念のため、とメガネのレンズをマフラーでこすったが、幻ではないようだった。 たたたんたんたん〜、夜にはまったく相応しくない、近状迷惑な音がポケットで鳴っている。 「こんばんは、別にあわてんぼうでもないサンタクロースさん」 聞き慣れた声がびっくりしている。 「今のはりっちゃんにしてはなかなかナイスなジョークだったね。まさしく今年のまとめにふさわしいかも! そんな誉められ方をしてもちっとも嬉しくなかったけど、いちおうありがとうと言っておく。 「で、そこから私は見えてますかな?」 大の字の一のあたりをばたばたとさせて、サンタは道路に積もった雪の中で溺れているみたいだった。水泳部のエースにあるまじき。 「で、なんでサンタさんがそんなとこで寝てるわけ?」 確かに、積もったばかりの雪に一番乗りで足跡をつけるのは爽快だ。 「ちなみにこの大の字は、りっちゃん大好き!の大だからね」 内心の動揺を悟られないようそっけなく。その言い方が、気に障ったのか、むしろ障らなかったのか。 「……明美、何時間前からそこにいたの?」 いや明らかにそれは嘘っぱちだろう。 「なーんてね。本当はサンタ、あわてたんですよ。きっとりっちゃんは雪降ってても気づいてないだろうなって思ったから」 えへへという笑い声に、強制的に世界を広げられる。 でも不思議と嫌な気持ちにならない。 「……オレんち、あがってく?」 律は部屋に戻り、窓をきっちり閉め、濡れたスリッパを脱いだ。 数秒考えてから、なんとなく手にとって、ポケットへとしまった。 (メリークリスマス、か) ぴんぽーん。 チャイムが鳴った。 |
ぱーん!とはじけたクラッカーの先から、煙がもくもくとむなしく、立ちのぼっている。 「…………」 ゆるやかにウェーブのかかった髪に、赤と白のテープが絡んでいる。 「たー、ただいま?」 「…………おかえり」 頭を抱えなかったのは、日頃の努力のたまものだ、と信じたかった。 後ろからひょっこり顔を出した明美が、固まってる二人の横をすり抜けて行った。 「あわてん、ぼう、のー、サンタクロースー」 栓を抜いたごとく、母親が狂ったような大笑いを始めた。 |
慌てず騒がず、メリークリスマス。
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