+お隣さん+

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 担任の鈴木は、盛大に顔をしかめた。
 また遅刻か、と。

「理由は?」
「墓参りです」

 また墓参りか、と。
 今度は苦笑まじりのため息も添えた。

「父親思いなのは大変に、結構なことだがな。そのせいで息子が毎日遅刻してたら……お父さんも、悲しむと思うぞ」
 とは言っても、いつもなら朝のホームルームに間に合わない程度の遅刻だ。
 今朝は少し、派手になってしまったけど。
 学校に着いたときには一時間目の授業の半分以上が終わっていた。

「すいませんでした」
 しおらしく頭を下げると、鈴木はそれ以上の言葉を飲み込んで。
 気をつけなさい、との一言だけにまとめた。
 そう、人生は何が起こるか分からないのだから。

 父親が死んだのは、今から二年くらい前、穏やかに晴れた日で。
 午後の眠気に耐え切れず、机におでこを打ち付けているときだった。
 当時の担任が、ノックも煩わしげに国語の授業に乱入して来た。
 何事だ、とみなが耳をすませる中、頬によだれの跡を残すオレに、神妙な面持ちで告げた。

 交通事故だった。

 飲酒運転が原因だと聞いて。
 はじめ、あぁあの飲んべえはついにやっちゃったのか。と当時、中学二年生のオレは思った。
 もともと酒癖のひどく悪い父親だったから。
 そうしたら、逆だった。飲酒運転の車に轢かれて、死んだんだそうで。
 事故の責任はすべて向こうにあって、父親はまったく無害の被害者だということで。
 殺したんじゃなくて、殺されたんだそうで。
 オレは一瞬理解が遅れた。
 それをショックと誤解され、母親に泣かれてしまった。
 母さんは父さんを愛していたんだと、はじめて気付いた。

 死んだにせよ、殺されたにせよ、なんにせよ。
 それで、オレの父親へのイメージは、永遠に変わらないものになった。
 毎日仕事もせずに酒を飲み、気弱な母を責め、ゴミ出しさえも手伝わない。
 オレの鼻を低くし、足を短くした諸悪の根源。
 死んでも、毎日律儀に蹴飛ばしに行っているぐらいだ。
 ろくでもななでもはちでもない、父親だった。

 

 

「コメヤー、また遅刻かぁ?」

 どうやら一時間目は、すでに終わってしまったらしい。
 休み時間のざわざわとした教室の中に、オレはぺしゃんこ鞄を片手に入って行った。
 クラスメイトの一人が、おそよう、という挨拶をくれた。
 担任の鈴木は、オレの遅刻の理由をみんなに話さなかった。オレも話さなかった。
 よって、米屋は恐ろしい寝ぼすけだ、というのがクラスの共通の認識になっている。

 遅刻をからかうクラスメイトと適当にじゃれながら、自分の席にたどり着いた。すると、客がいた。
 見覚えのない顔が座っていて、一個前の席の久野と、楽しそうにおしゃべりしている。
 オレの存在に気が付くと、慌てて席を立った。ごめんなさい、と謝罪しながら。
 いいえ。と無愛想に返事をして、オレはぺしゃんこ鞄を開けた。
 特別に何が入っているわけでもない。当然、教科書類は机の中だ。必要なのは財布ぐらいだ。
 あと、ペンケース。
 取り出すのと一緒に、ひらひらと机の上に舞い落ちたものがあった。
 入れた覚えのないものだった。これ、なんだっけ。

「もしかして、コメヤって、お米屋さんって書いて、コメヤ?」

 聞き覚えのない声が、オレの名前を呼んだ。
 その通りだったので、頷いた。

「なに?アマガイって、米屋と知り合いなの?」

 一個前の席の久野が、意外そうに聞いた。アマガイに。
 アマガイ?
 頭の中で、久野の発音を漢字に変換してみる。

「雨の貝って書いて、アマガイ?」

 雨貝はその通りだと、頷いた。
 満面の笑みを浮かべながら、黄緑色の葉っぱをオレの手のひらに乗せた。
 黄緑色の葉っぱ?

 チャイムが鳴った。二時間目が始まる。
 雨貝は久野に、じゃあね、と簡単な別れを告げて、教室を出て行った。
 その後ろ姿を見送るオレと、雨貝を思い比べて、久野が、どういう知り合いなの?と、聞いた。

「……単なる、お隣さんだ」

 ふーん、と久野が呟いた。
 すでに彼女の興味の対象は、たった今教室に入ってきた担任、鈴木に移っている。
 たぶん、久野のふーんには、大きな誤解が含まれている。
 けれど、オレはそれを弁解するつもりはなかった。
 担任の鈴木に気付かれる前に、窓の隙間から黄緑色の葉っぱを投げた。
 おとなしく、もとの場所に帰れ。

 

 

 

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