+お隣さん+

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 一瞬、花が歩いてくるように見えた。
 両手で抱えきれないくらいの花を新聞紙でくるんで、雨貝はやって来た。

「米屋くんだ。今日はおはよう、だね」
 花と花の間から、雨貝が顔を出した。
 オレはよく遅刻をするけど、けして寝ぼすけなわけじゃない。
 早起きしようと思えば、これくらいはできるんだ。
 手を伸ばして、雨貝の片手にぶら提がっていた、水がたっぷり入った桶を受け取る。
 花の中の顔が嬉しそうに微笑んだ。

 今朝もきっと、花でいっぱいになる。
 赤、白、黄色、どこから見てもキレイになる。

 雨貝は、オレの父親の、隣の墓の前に新聞紙を広げ、色とりどりの花を並べた。
 オレはその横に、水をこぼさないように桶を置いた。

 雨貝の手がてきぱきと動く。墓石の頂上から水をかける。
 墓石は見る見ると色を濃くして、太陽を浴びたらキラキラと輝くほどにキレイになった。
 続けて、園芸用のハサミを取り出して、チョキチョキと花の長さを揃え始めた。
 黄緑色の葉っぱを大胆にむしったりもした。
 そのたびに、濃厚な甘い匂いが、辺り一面に広がった。
 オレは低い鼻をつまむのも忘れて、その作業を見ていた。
 雨貝家、と刻まれた墓の前に見事な花を差し終えて、隣の、米屋家の墓に移るまで。
 米屋家のちょうど家、の文字の上に、昨日の、オレの足跡がくっきりと白く、残っていた。

 雨貝が振り返った。ちょっと伺うような上目遣いをして。
 さすがの雨貝も、今日は勝手にやってもいいものか、迷っているらしい。

「あのさ。前から聞きたかったんだけど。そういう花って墓にやっていいもんなの?」
 もう今さらながらの無遠慮だから、指をさした。
 雨貝の右手の赤い花を、チューリップ。左手の白い花を、かすみ草と呼ぶ。
 さすがのオレにも、それらが墓に相応しくないことぐらいは分かった。
 オレの記憶障害じゃなければ、ちょっと前には、桃、梅、桜と移り変わった時期もあったような。
 ここには、四季折々たくさんの花が咲く。

「私のお母さん、花が好きだったから。いつも同じ花じゃつまんないかなと思って」
 雨貝がいいわけする。
 いいわけもできないほど罰当たりなオレが、つべこべ言えるような筋合いがあるわけはない。
 雨貝がもう一度すがるような目で、オレを見た。
「……いつも通りで、いいんじゃない」
 雨貝は目を輝かせて、さっそく作業に取り掛かった。

 

 雨貝の母親と違って、オレの父親に花なんて、豚に真珠に例えたら豚に失礼なぐらいだぞ。
 と、何度も雨貝に言おうと思ったけど、やめた。
 ちっとも似合わない花に囲まれて、縦に長い四角いただの石は、今朝もぴくりともしない。
 やけに、オレの足跡だけ目立たせて。

 雨貝が母親の墓に手を合わせているのを、オレはやることもなく、見守っていた。
 いつもならここらへんで一つ、蹴りをくらわせてやらなければいけないのだが。
 今朝は、そういうわけにもいかない。
 そう思っていたら、雨貝が実に不思議そうに、今日は足跡つけないの?と、聞いてきた。
 焦ったオレを見て、ふふと雨貝が笑った。
 なんだか、すべて見透かされているような。もしかしたら、オレにも分からないようなことまで。

「私ね」

 目は母親の墓を向いたまま、オレには背を向けたまま。
 雨貝は、昔話を始める。

「住職さんに、ここのお墓ってあんまり訪問する人がいないんだって聞いて。
私ね。お母さんに会いに来て、他の家のお墓の花が枯れてるの見ると、淋しかったんだ。だから、ここのお墓全部、花でいっぱいになればいいなって思ったの。
……でもそんなの、私の勝手にしていいことじゃないよね。第一お金も、時間もかかるし」

 じゃあなんで。とオレは無愛想に聞く。

「お隣さんならいいかなって思ったんだ」
 ほら、お隣さんのよしみってやつで。
「しかもね。米屋くん家のお墓って、いっつも靴の足跡がついてたんだもの」
 はじめて見つけたとき、信じられなくて可哀想だった。
 と、雨貝が苦笑する。
 オレは居心地の悪さを感じた。

「私、それが誰か、嫌な人の悪戯だと思ったから、すごーく腹が立った。なんてひどいことするのっ罰当たりだわっ!って。
だから、お母さんと一緒に、隣のお墓もキレイにするようになったの。でも消しても消しても足跡つけられてね。私、だんだん意地になってきちゃって、毎日お墓に参るようになったんだ。
……でもそのうち、気付いたの。この足跡は、毎日、新しく、つけられてるんだって」
 花の残骸が、慣れた手つきで新聞紙に包まれる。
 片付けをしながら、雨貝の目はオレの足元を指した。
「同じ足で」
 約24.5センチの足で。
 毎朝、学校に行く前に、雨貝はこれをしていたんだと言う。オレのように、遅刻することもなく。

「この足跡は、私の花と一緒なんだって、気付いたの」

 そんな、雨貝の花みたく、キレイなもんじゃない。
 オレは顔をしかめて、弁解する。
 思い切り蹴飛ばしてやりたいくらい、ろくでもない父親だったから。
 毎朝、代わりに墓でも蹴飛ばしてやらないと、やりきれないだけで。
 そのせいで、毎日学校も遅刻してる有様だしさ。
 全然、雨貝のと一緒なんかじゃないよ。

「一緒だよ。毎日欠かさずに来て、一日の報告をするんだもの」
 雨貝がふわっと笑う。花と一緒に。
「きっと、お父さんも気付いてるよ。喜んでるよ、息子の日々の成長が見られて」

 米屋家の、家の文字の上に新しくつけられた足跡。
 つま先からかかとまで、約24センチと5ミリ。
 まだ一般的男子平均より小さい。遺伝からすると、これ以上大きくなるかは微妙だ。

 どかっ。
 予告なしで、蹴りをくらわせた。
 きゃっ。と雨貝が高い声で驚いた。

 届けばいいのに。
 オレの短い足から繰り出される目一杯の蹴りとか。
 込めた痛みとか恨みとか。母さんの、悲しいのとか淋しいのとか愛してたのとか。
 雨貝の、濃厚な甘い花の匂いとか。
 どうせなら、そっちまで届けばいい。きっと、天国なんかにはいないんだろうけど。

 オレと雨貝は学校に行くべく、墓地を後にした。
 ここから学校までは、少なくとも15分。
 どうやら今朝は、遅刻せずにすみそうだった。

 

 

 

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