2 次の日、真崎が約束どおり持ってきてくれた虫取りゲージは立派なやつで、ヤモリもクッキーの空き缶から引っ越すときには心なしか喜んでいるように見えた。と言っても、ヤモリの口元はいつも笑っているようにつり上がっているので、本当はどう思っているのかはわからなかったけれど。どんなに嫌なことがあっても笑顔でいられるなんて得だよなと、陸はうらやましく思ったりもした。 |
ちりん、と鈴の音がした。陸が振り向くとすぐ後ろに湖子姉が立っていた。手にしているピンク色の携帯電話に鈴のキーホルダーが付いている。大学生になってから、高校生のときよりも帰ってくる時間が早くなったような気がする。 「だっておじいちゃんずっとあんな調子だし、お母さん一人じゃ、大変でしょ?」 ただいまの前に、陸の隣にやってきてしゃがみこんだ湖子姉は言った。それに、と続けて、湖子姉は言葉を濁した。これ以上子どもに言っても仕方ないか、と顔に書いてあったので、なに? と陸は先をうながす。 「おじいちゃん、もうダメだろうって。覚悟決めてくださいってお医者さまに言われたんだって」 だから少しでもそばにいられるようにと思って。湖子姉はそこまで言って、ぶるっと肩を震わせて薄手のコートの前を合わせた。陸はずっと背後の部屋の窓を開けっぱなしにしていることが気になっていた。この話が聞こえていたからと言って何か変化があるとは思えなかったけれど、冷たい風は身体に障るだろうと思った。 「で、あんたはこんなとこで何してるの?」 「こいつのエサ、探してる」 こいつ、を見て、湖子姉の眉が真ん中に寄った。 「なに食べるの? こいつは」 「コオロギとか、虫」 さらに眉が寄った。 会話が途切れても湖子姉が隣から動かないでいるので、陸は不思議に思った。 「あ、そうだ。こいつに名前つけようと思ったんだけど、何がいいと思う?」 いつまでもヤモリやこいつじゃ失礼だと真崎に言われたのだ。湖子姉に聞いてみたのは、なんとなくだった。そうねえ、と湖子姉は少し考える風にしてから、空とか海とかがいいんじゃない? と言った。 「え」 「私が湖で、あんたが陸だから」 空とか海とか。ゲージのうちのヤモリにはこの話が聞こえているだろうか、そんな名前を付けたらどう思うだろうか。陸が想像していると、湖子姉は寒さの限界が来たのか、先に家の中入ってるねと立ち上がった。ちりん、という鈴の音に引かれて、陸もあとに続く。 「あれ、エサは?」 「あとでガでも捕るからいい」 前を行く湖子姉の表情は、残念ながら、陸の位置からは見えなかった。ただ、今、あの細い眉は繋がってるんじゃないだろうかと想像して、陸は少しおかしくなった。 |