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KAMWOOD SYNDROME
〜とある神林狂いの日常〜

■過去の日記08(`02年4/4〜4/25)

<ふりむけば……>
 『雪風<改>』が出たり、いよいよOVAのキャスティング発表&予約受付開始……等、なかなか話題豊富な一ヶ月でしたね。その影響のせいか、過去最高数のページビュー(一日当たり)も記録しましたし。
 その割には、更新頻度や分量は相変わらずでお恥ずかしい限りです(^^;;;)。 いよいよ『グッドラック』の私的「キモ」であるシーンや、一番好きなキャラクター(エディス♪)について話しかけたところで、GW入りしちゃって、同人誌の原稿にかかりきりになって、中断しちゃったのがちと残念。続きは連休が明けてから……で・きるかな♪ で・きるかな♪ はてはて……(^^;;)。
kayako拝)

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多田由美さんのコミックスを買った(4/25)

 河出書房新社『灰になるまで』。通勤駅構内の書店で、なぜか平積みされているのを見つけたので、買ってしまいました(^^;;)。河出書房新社から出ている多田さんの短編集は、4冊目のこれが最終巻だそうですが、残りの3冊も買おうかな……と検討中。どの話も似たような雰囲気なんだけど、そこが逆に妙な中毒性があって、もっともっと読みたくなってしまうという……(^^;;)。
  ほんっとに、この人の描くオツムの弱そうな(←他にもっと適切な表現があると思うんだけど、思いつかない…)男の子は絶品ですな。

 で、一昨日の話の続きですが……ふと思いつきで引き合いに出した『奇跡の人』ですが、案外、『雪風』…というより、「深井零の物語」としてなら、通じるところは多いかも知れない……なんて、思ったり。
 「奇跡の人」とは、言うまでもなく、かのヘレン・ケラーのことですが、わたしの場合、この人物について最初に知ったのは、映画や舞台(あるいは『ガラスの仮面』とか)ではなく、親が買ってくれた伝記からでした。その本の中では当然、ヘレンの一生が語られていたわけですが、メインとなるのは、彼女が障害を克服してひとかどの人物になってゆく経緯……つまり、「Water!」の後の話だったわけです。故に、はじめて「奇蹟の人」という映画の存在を知ったとき、なんだかすごく妙な気がしたんですよね。「ヘレン・ケラーのヘレン・ケラーたる所以はこの話の後から始まるのに、なぜ、ここで終わってしまうような構成にしているのか?」って。モチロン、当時は小学生でしたから、自分の感じた違和感をこんなにハッキリと言語化していたわけではありませんが(^^;;)。
 それが、20年以上経った今になって……本当に、一昨日、零の引き合いに出したときに初めて、自分なりに納得のいく答えが見つかったんですよね。<またしても目からウロコ経験
 つまり、あの話は「偉人伝」でも、重い障害を背負った少女の愛と感動の(^^;)ノーマライゼーション物語でもなく、「ヒト、世界に出会う」という、すごく哲学的かつ普遍的なテーマを扱った話なんだ、と。「世界に出会う」というのを別の言い方をすれば、「唯我的世界観から、他者の存在を感じ取り、周囲の環境を認識し、己の世界観を再構築する」……とでも申しましょうか。ほら、だんだん神林っぽくなってきたと思いません?
 さらにトドメの一発、ヘレンが「世界」を感じ取る媒介となったのは、「W・A・T・E・R......WATER」という「言葉」なんですよね。まさに、「ヒトは言語によって世界を認識する」。
 で、話を零に戻しますと、彼は、戦闘機乗りだけあって、肉体的な視力は人並み以上によろしいけれど、精神的には幼いヘレンとほとんど同じ三重苦だと言う気がヒシヒシとしてきたりして……「見えない(見ない)・聞こえない(聞かない)・話さない(話せない)」……ね?(^^;;)


しまった(^^;;)(4/23)

 このページ、大抵、週明けはカウンタの回りがよろしいのですが、昨日は特に勢いよろしく、どうやら、今月最高…おそらく、このコーナー開設以来最高数のご訪問をいただいたようです(といっても、30に届くかどうかといったところですが)。しかも、そのほとんどがリピーターの方々でいらっしゃる模様。こんな、どこにも登録もせず、余所様からもリンクいただいていない離れ小島のようなページをご贔屓いただけるとは、誠にありがたいことです(多謝)。が、よりによって、最新の日記が「エロゲー」から始まる話のときに、そんなに大勢いらっしゃるなんてっ!(爆)
  昔からネット上でワタクシとつきあいのある方々なら、この程度のネタでは今更驚かれたりはなさらないでしょうが、せっかく検索でこのページを見つけてリピーターになってくださった方が、ひいてしまわれるのではないかと、今更のようにちと後悔……(^^;;)。どうせなら、件のサイトにリンク貼って、解説されているシステムのどういうところが面白いと感じたのかを、こと細かにテッテー的に説明すればよかった……って、後悔の方向が逆だろうが!>自分

 いや、でも、冗談抜きに、ほんのささいなきっかけで、まったく突然に「ああ、そうだったんだ」って感じる──いわゆる「目からウロコが落ちる」というヤツ──感覚って、傍目には大したものには見えなくても、当人にとってはものすごく感動的なんですよ。どうにもお手上げで放りだしていたジグソーパズルが、突然独りでに組み上がっていくのを見るような、あるいは、一面の氷が一気に割れてその下の大地が姿を現すような感覚。それまでの思考の枠組みが突然崩壊して、目に映る世界が、今までとはまったく違ったものに見える衝撃。
 で、深井の零ちゃんも、まさに前回の日記で引用した箇所の直後に、「その感覚」を経験しているんじゃないかと思うのです……(お、ちゃんと『雪風』の話に繋がったぞ)

「おれは……雪風が、怖いのだ」

■『グッドラック 戦闘妖精・雪風』 IV「戦闘意識」より
(単行本 p.149、ハヤカワ文庫 p.242)

 このセリフと、その後に続く「他人というのは他者であり、他者とは自分とは違う世界を持っている存在のことだ」と零が認識する場面。これって、『奇跡の人』のクライマックス、「Water!」のシーン……「モノには名前があるんだ!」と、ヘレン・ケラーが認識するのと同じ意味合いなんじゃないかと思うのです。
 わたしにとって、『グッドラック』という作品の価値、前作から15年後に続編が書かれた意味はこの下りに尽きると言えます。「おれはいま、雪風との関係を完成させるために忙しい」(←初読のとき一番好きだった箇所)も、ラストシーンも、モチロンすごく感動的なんだけど、それは、この回での零の「覚醒」ないし「パラダイム・シフト」によって、自ずと付帯するものというか……古典的なミステリで言えば、名探偵が事件の解説をするシーンのようなものと申しましょうか。「深井零の物語」としての『戦闘妖精・雪風』の収束点は、ジツはこの「戦闘意識」の回なんじゃないかなぁ……ホント、私見ですがね(^^;;)。


雨の日はダラダラと……(4/21)

 またまた更新さぼってる間に、バンダイビジュアルのサイトにも、ようやく『戦闘妖精雪風』のリリース速報が載りましたね〜。
 8/25リリースってのは、既にSFマガジン誌上でも発表されてますので、情報自体には、そんなに目新しいものはありませんが……「予約締切日」なんてのがあると、良くも悪くも(笑)「ああ、本当に出るのね」という実感がジワジワと湧いてきますねぇ。
  ……と、ふと気づけば、最近OVA関連情報しかお話してませんね(^^;;)。

 というわけで、ここらで久しぶりに「原典」に戻った話題なぞ……
 先日、ネットで調べものをしていたら、なんのはずみか十八禁ゲーム──いわゆる「エロゲー」っていうんですか?(^^;;)──のソフトハウスのサイトに辿りつきましてね。ついつい好奇心の赴くままに、そこの新作ゲーム(制作サイドのふれこみによれば「恋愛シミュレーション」だそうな)の解説などを読みふけっている内に、なぜか『グッドラック』の1シーンを思い出してしまいました(爆)。

「きみの態度がころころと猫の目のように変わるからだ」
「わたしは変わってなんかいないわよ。それとも、いま怒っているとか機嫌がいいとか悪いとか、それを示すメーターでも胸に付けておけというの」
「そうしてもらえると、助かる」
「計器があっても、それをあなたは見ようとはしない。あるいは、見ても理解できない。そういう人間なのよ、あなたは。せいぜい雪風と痴話喧嘩しているがいい。雪風にはメーターがたくさん付いているものね」

■『グッドラック 戦闘妖精・雪風』 IV「戦闘意識」より
(単行本 p.148、ハヤカワ文庫 p.240-241)

 その、わたしが見つけたゲームというのは、まさに「女の子の感情がメーターで表示される」ようになっていて、そのパラメーターによって同じこと(十八禁ですから、ようするにアレなわけですが)をやらせても、反応が違うというシステムになっていたのですよ。もちろん、それって「ゲーム」ならではの極端なシステムだし、設定やシチュエーションもかなり現実離れしてましたけどね(^^;;)。でも、「相手への好感度の違いによる反応の違い」──興味がない相手と寝るときは淡々とした反応だったのが、いくらか好感度が上がってくると恥ずかしがったり…とか──自体は、ワタシの目には「理にかなった」ものに思えたわけです。
 そこでトートツに思ったのですが、「コミュニケーション」というものが、「相手の意識(感情、意志など)を読みとり、自分の感情や意志を相手に伝えること」だとするならば、それを成立させるためのインターフェイスは、別になんでもいいんじゃないか……極端な話、「メーター」であっても、それでコミュニケーションが上手くいきさえすれば、それでいいんじゃないか…と。
 モチロン、普通の人間には、針が回るアナログ式であれ数字で表記するデジタル式であれ「メーター」はついてません。「メーター」に替わるのは、表情や口調、場合によっては周囲のシチュエーションもひっくるめた複合的なインターフェイスなわけです。
 ただ、 零の場合は、その「多くの人間同士の間で使用されているインターフェイス」の読みとりができない(彼自身も、自分に備わったその種のインターフェイスをあまり使わない)。それ故に、彼は他人とのコミュニケーションがとれない。でも、彼自身の内面というか「意識」は、それほど「異常」でも「非人間的」というわけではないんですよね。彼のようなタイプのコミュニケーション不全って、例えて言うなら、単に「アナログ時計の読み方を知らない」だけなんじゃないのか……なんてことを思ったわけです。
  一分が60秒で、一時間が60分で、一日が24時間で、場合によっては午前と午後の12時間ずつに区切った呼び方で表記するという知識はある。 だから、午前12時50分の30分後が、午後1時20分だということは分かる。また、「30分」というのが、どの程度の時間の長さなのか、デジタルな数値だけではなく、彼なりの体感時間による感覚も持ち合わせている。だけど、多くの人間が直感的に共有し、それに則って動いている「お約束」──丸い板の上で回る2本ないし3本の針が「時間」をあらわしているということ、「長い針の半周分が30分を示す」ということ──がわからないだけではないのか……と。

 『グッドラック』における深井零の変化の根本にあるものを一言で言えば、「他者とのコミュニケーションを覚えたこと」だと思います。あ、断っておきますが、この場合の「コミュニケーション」というのは、必ずしも「相互理解」とは限らず、ましてや「仲良くする」ことでもなく、「相手の存在を無視することができない状況下で、自分のなわばり(物理的・精神的な)を確保するための交渉行為」とでも受け取ってください。それまで彼が雪風に対して「計器」を通して行っていた「操縦」も、雪風に「意識」があるという前提からみれば、一種の「交渉行為」であるという自覚を持ち、そこから敷衍して、雪風のような「メーター」を持たない「他の人間」とも「交渉行為」が出来るようになる……って、この辺り、語り始めるとまた長くなりそうなので、今夜はこれまで(^^;;)。


なんか、間違っているかも…(^^;;;)(4/16)

 14日の更新でご紹介したサイトの雪風コーナーは、どうも、更新の度にファイル名が変わるという方式になっているのかな? ファイル自体は残っているようなのですが、14日時点のリンクでは飛べなくなっている……というわけで、リンクをこちらのページに貼り替えました。これでダメなら、また考えましょう……
 零…もとい(^^;;)、例によって、週明けから残業に追われている間に、アフレコレポートがアップされてますね〜。零役の堺雅人さんと、ブッカー少佐役の中田譲治さんのコメントが写真付きで載っています。
 堺さんのお顔を拝見するのは、『オードリー』以来ほぼ一年ぶり(先月までTBSでやってたドラマも見てなかったもので)ですが、相変わらずハンサムですね〜 (*^^*)。ちなみに、昨秋NHKで放映された堺さん出演の時代劇『五瓣の椿』が、今週の月曜から金曜(4/15〜4/19)の14:05〜再放送中の模様ですので、もし興味があってご都合のつく方はご覧になってはいかがでしょうか?
 #ワタシは、「どうせ録画しても見る時間ないもん」とハナから諦めておりますが(^^;;)。
 ジャック役の中田さんも、お声だけでなくお顔も渋い男前でいらっしゃるし〜♪ ジツは先日某匿名掲示板で見るまで知らなかったのですが、この方、『超新星フラッシュマン』のサー・カウラー様だったんですって!?  わたし見てましたよ、大好きでしたよ。味方の科学者(リー・ケフレンでしたっけ?)に改造され、記憶も理性も失ってしまったかつての部下ボー・ガルダンに「このカウラーを見忘れたか…」とつぶやく悲痛なまなざしは、未だに胸の片隅に突き刺さっておりましてよ!
  このお二方なら、声だけじゃなくルックス込みで、原作読むときの脳内キャスティングに使えそう。少なくとも、わたくし的満足度では、70〜80点(100点満点中)はイケます♪ ……って、なんかこう、喜び方とか期待の方向性がどこかにズレているような……(^^;;;)。

 あ、でも、件の記事の最大の見どころは「原作者様と堺氏の2ショット」かも……(^^;;)。
 5月号のSFMに、「髪を切った」とはありましたが、なかなかお似合いでいらっしゃる……けど……なんか、みょ〜〜に誰かさんに似ているような気がして、不吉なムナサワギがしてしまったのはワタシだけだろうな、きっと(^^;;)。


キャスト発表されてますねぇ…(4/14)

 10日に出たニュータイプでは、OVAのキャストや新規の画像が乗ってるそうですが、11、12日と残業で午前様スレスレの帰宅だったんで、読んでない〜〜〜! 土曜も、一日中眠りこけてて、本屋に行けなかったし……
 と思ったら、Webの方でも、情報流れてますね。

http://www2.chara-ani.com/titlebbs/T0562481/index.html

 Mac版IE5.0では、 中黒が全部文字化けしてるんですけど〜。半角文字使ってんじゃないの〜? これだから、MS-IMEは〜〜(-_-;;)。
  ……なんてことはさておき(^^;;)、結構渋めのキャスティングではないですか〜。良い意味で意表を突かれました。ジャック役の中田譲治さんって、『敵海』OVAで、ヨウ冥役じゃなかったっけ? わたしは見ていないんですが、最近でも『ヘルシング』という深夜アニメに出演なさってるとか?(ヨウ冥fanの作家さんのサイトでだいぶ前に見かけた情報なんで、間違ってるかも)。
 リン・ジャクスン:池田昌子さん、クーリィ准将:麻上洋子さんの名前には、思わず興奮! お元気だったんですね〜〜〜、なんて失礼なことを考えて目頭が熱くなってしまいました(^^;;;)*
 もっとも、池田さん、麻上さんのキャスティングは、オールドアニメというよりも、洋画の吹き替えの方のイメージなのかも。ジャクスン女史は、メーテルやお蝶夫人というよりも、オードリー・ヘップバーン──それも、『ローマの休日』ではなくって、『ティファニーで朝食を』みたいな、ちょっとお行儀の悪い役の方──かなぁ…とか、麻上さんの「性格のキツい有能な女性役」って、もしかして『イデオン』のハルル・アジバ以来ではなかろうか……とか、既に脳内イメージを膨らませております(笑)。
 で、肝心の零ですが……堺雅人さんって、NHK朝ドラの『オードリー』で、ヒロインの相手役の一人(一茂じゃない方)をやってた人ですよね? 小柄で甘い顔立ちのハンサムさんで、わりとよく通るいい声だったという記憶はありますが……。検索で見つけたfanサイトさんの情報によると、『こち亀』のゲストキャラ(白鳥麗次というお坊ちゃまキャラ)で、 声優のお仕事もなさっているそうです。元々舞台出身の方だそうだから、演技力はある程度期待できると思うけれど……あの俳優さんだったら、「実写版」で見てみたかった気もしますね〜。『オードリー』では、わりと「好青年」系の役どころでしたが、もっと気むずかしくて神経質な役も似合いそうだったし。
 なんか、既にOVAには何も期待していないって、さんざん言っておきながら、新しい情報が出るたびに、それなりに心が躍ってしまうものですな(^^;;)。

*:昨今では、ゲームなどで、オールドアニメの声優さんの出番もかなりあるらしい……という話も小耳に挟んではおりますが、ワタクシ、ゲームは一切やらないんで、そっちの文化圏とは切り離された生活送ってるもので……


『雪風<改>』フライングゲット(4/10)

 今月のハヤカワ文庫JAの正式発売日は11日だそうですが、例によって、都心のそこそこ大きな書店では前日夕方〜夜には店頭に出ております。というわけで、グイン・サーガの新刊共々、『戦闘妖精・雪風<改>』をフライングゲットいたしました。
 まず、表紙の長谷川シルフと装丁は……う〜〜〜ん(^^;;;;)。とりあえず、横山画伯表紙の旧版を3冊も持ってて(うち1冊はまっさらな新品)良かったな〜〜〜と思ってしまったことを懺悔いたします(^^;;)。
 で、肝心の中身はというと、巻末の作者あとがきによれば、

「旧版の語句の表記を見直したり、ごく一部を修正した程度であることをおことわりしておく。構成自体はまったく変更していない。」

 だ、そうでございます。でも、その「ごく一部」の中に、ワタクシ的にはと〜〜〜っても気になるところが入っていたりして……あ〜、やっぱり、そう来ましたか……ふふふっ。<ナゾ

 楽しみにしていた、石堂藍冬樹蛉の両氏の豪華2本立て解説も、ほぼ期待通り。Web上でお二方の『雪風』&神林評を読んでいる身には、格別目新しいことはないのですが、なんといっても、当の『雪風』本編と同じ本の中にその文章が収まっている……っていうのは、また感慨ひとしおです。『グッドラック』以降の『雪風』……というより、2002年時点の「神林長平」を語るに当たって、個人的には、(そのスジでよくお名前を見かけるライターさんの中では)このお二方以上の人はいないと常々思っているのですが、それがこういう形で実現するとは……(感涙)。でも、よくよく考えてみれば、旧版の解説担当の野田大元帥を袖にしているわけで、ハヤカワさんダイタン!って気がしなくもないですが(^^;;)、ワタシとしてはどうしても、石堂的ないし冬樹的「神林の読み方」の方が、共感できるんですもの〜〜。お二方とも筋金入りの神林fanでいらっしゃるし〜〜。
 そういうわけで、わたしにとっては、この解説2本だけで、定価(700円+税)のうち300円分くらいの価値はありました。で、残りの400円が本編の料金……とすると、超ワタクシ的価値観では、今回の改版は「実質値下げ」に等しいかも(笑)。まぁ、その分表紙がアレだとかは、今は言うまい(^^;;;)。
 ええ、言いませんよ〜。「赤地(まさかM100+Y100じゃないでしょうね?)にスミ縁付金文字乗せのタイトルはケバ過ぎ」とか、「横山スーパーシルフが『天然ダイナマイトバディ美女』だとしたら、長谷川スーパーシルフは『シリコン豊胸整形美人』だよな〜」 なんて!(爆)


久々の(う゛っ)週末更新(4/6)

 昼間は、「せっかくの休日更新だから、まとまった文章を…」なんて張り切ってたのですが、いざ書き始めたら、ものの十分足らずで息切れ(爆)。
 気分転換に、これまたひさしぶりに「神林長平 雪風」で検索をかけたら、またまたナイスなレビューがひっかかりました。『雪風』も、『グッドラック』も、レビューは既に出尽くしたと思っていたけど、考えてみれば、昨年末の文庫化で初めて読んだ……という方もいらっしゃるのよね。
 う〜ん、わたしもこんな風にサラッと「神林のどこがいいか」「自分はどんな風に神林を読むか」って、言葉にできたらなぁ……。このコーナー初めて半年あまりが経ちますが、『雪風』はともかく、「神林長平」に対しては、まだまだ「現在進行形の恋愛」みたいな状態なので、熱に浮かされたうわごとみたいな言葉しか出てこない(^^;;)。まぁ、それはそれで悪くない……というか、本人にとっては「至福」と言ってもいい状態なんですが、他人様に読んでいただけるような文章にするには、もっと冷めないとね(^^;;)。
 で、件のレビュー、「神林好き」のツボはついてくるし、語り口も好みだし……と、それだけでわたしが気に入る理由の9割はクリアしてるのですが、特筆したいのは、結末で語られる「愛」の解釈。この箇所を語ってる文章を読んで、反発や違和感を感じなかったケースって、ジツはほとんど初めてだったりして……(^^;;)。
  この一年近く、ネット上で『グッドラック』の書評は随分読んだけど、ジツは、結末の解釈で違和感を感じることが多かったんですよね〜。 大半は、零と雪風の関係を肯定的に捉えている…のは、作者の意図に沿ってという点からも当然ですが、ジツは、この箇所って、「零と雪風の関係の肯定」をどのように表現するかによって、書き手の、ある種の事柄(「恋愛」とか「他者との関係」とか)に対する意識が露呈されちゃうという、非常にコワイ部分なんですよ。この箇所について語っていない評も結構あるのも、書き手が意識的にか無意識的にかその辺りを察知して上手に逃げているから…とも考えられなくもない(笑)。
 #わたしも未だにこの箇所については語る言葉が出てこないし。

  試しに「違和感を感じた」例を、いくつか挙げてみますと……
  たとえば、『グッドラック』で描かれている「愛」を肯定するに当たって、「凡百の男女の恋愛と異なり」と、必要以上に「男女の恋愛」を貶めるケース。
  確かに、フィクションにおける安易な「恋愛」や、現実世界でも幅を利かす「恋愛真理教」「ロマンチック・ラブ・イデオロギー」とやら(世の「恋愛幻想」に対して、こういう言葉で批判する考え方があるのですよ)には、わたし自身苛立ちを感じることは多いんだけどさ、それは別に「男女」という組み合わせが悪いんじゃなくって、キャラクターや当事者の意識の問題(個人として自立しているか否か等の)じゃん。「凡百の男女の恋愛」という言葉を使ってしまった時点で、評者にとって「男女の恋愛」というものは「甘ったるい恋愛幻想を満たすものでしかない」と言ってしまっているのに等しい。フィクションでも現実世界でも、「零と雪風」的な男女関係は、目立たないながらも存在しているんじゃないか……と考えるわたしは、そこで結構反発を感じる。
 逆に、「他者を排除した絶対的絆で永遠に結ばれたふたり」っていう、JUNE的恋愛観(これこそ「ロマンチック・ラブ・イデオロギー」かな)に酔っちゃって、「ふたりは永遠にラブラブね♪」って声高に叫んでるような評も、見ていて非常〜〜〜に気恥ずかしい(^^;;)。その評者が、実際にやおい・JUNE・ボーイズラブ等の名で呼ばれるフィクションを好まれる方かどうかは存じませんが、そういうものにハマる女性特有のメンタリティというのが、文中のほんの一言二言から、思いっきり透けて見えちゃった時の気まずさと言ったら……。いや、初めっから「やおい者としては、ここにグッときました〜!」って堂々と宣言しているのならいいんですけど、どうも書いてるご本人にはその自覚がないか、自覚があっても隠しているつもりらしい……という文章の中で、そういうのを感じ取ってしまうと、読んでるこちらが勝手に恥ずかしくなっちゃったりして(^^;;)。
 やおい的な「他者の存在を排した永遠のラブラブ」っていうのは、「そして二人はずっと幸せに暮らしました」という、おとぎ話のハッピーエンドのことでもあるのですが、それって、ジツは「死」の別の形(永遠に変化することのない停止状態)だ…という考え方もありましてね(わたしも同意します)、少数派ながら見かけた「結末での零と雪風の関係に否定的」な評は、その種の「永遠」に対する反発もあるのかも。
#実際、零は「必ずしもここに帰る必要はない」 とか思ってるし〜〜(^^;;)。

 このコーナーの母体である『ボトムズ』サイト(実質的にはほぼ休止状態ですが(^^;;))で、主人公とヒロインの「恋」を主要テーマとして据えているワタクシとしては、「そして二人はずっと幸せに暮らしました」や「絵に描いたようなドロドロの男女関係」のような一般 的な「恋愛幻想」から半歩ほど離れたところで、「恋愛」あるいは「性的な部分も含めたディープな人間関係」を考察したい……なんて一応(^^;)思っています。それだけに、零と雪風の(というより零の雪風への)「愛」を過剰に賛美するのも、既存の「恋愛」を貶めるのも、結局は「恋愛幻想」にとらわれていることの証明のような気がしちゃって、違和感をがあるんですよね。
 わたしの目から見ても、『グッドラック』の零と雪風の関係(というより、雪風に対する感情・態度の点で零が達した境地)が、「恋愛幻想」から離れた、「理想に限りなく近づいた形の一つ」であることは確かです(よくよく検討すると、主に零の側にいくらか疑問の余地もあるので、「理想そのもの」とは言いませんが)。でも、それを、自分の言葉で、既存の「恋愛」の文脈に頼らずに語ることは難しい。

 ……なんて、長々書いてしまいましたが、話を件のレビューに戻しますと、結末での「愛」についての評が、すごくニュートラルでイイ感じ(評者の本業は社会学専攻の院生さんのせいか、多少お堅い感じもしますが)なんですよね。かといって、「惚れたはれた」の色気というか、ワクワク感も無視しないでいてくれるところが嬉しいです。
 なんたって、「プロポーズの前に読み返したい度」5ツ星ですもの(笑)。 イカスー!


神様ヘルプ!(4/4)

 いったいワタシがどんな悪いことをしたのでしょう!? と、神様に抗議したいくらい、仕事が忙しくて泣いてます(T_T)。
 「ここさえ乗り切れば、一段落つくはず……」と思っているところに、次々と別 の仕事が割り込んできて、もう、延々と修羅場が続くようなカンジ。

 そんな仕事の合間を縫って(おい!)、かねてより懸案の「話題別インデックス」なるものを作ってみました。まだ作りかけですが、とりあえず、1月半ばあたりまでの話題はフォローできているはず。
 これで、過去の日記を参照したいときに、「あれ? あの話をしたのはいつ頃だったっけ?」なんて探し回る手間がいくらか省けるといいなぁ……という、要するに、自分自身のための覚え書きなんですが、拙文を読んでくださる皆様にも何かの折にでもお役に立てば、もっけの幸いでございます。
 わかる方にはわかると思いますが、インデックスページのエピグラムの元になっているのは、石堂藍さんのサイト昨夏のSF大会席上でのインタビュー記事です。記事中の「あそこに書きつけたはずたけど、あれはどこに行ったんだろう、と。」というのが、なんかツボにはまっちゃって〜〜(^^;;;)。
 できれば、↑の『狐と踊れ』のエピグラムと同様に、ちゃんとした全文を、作品名と共に載せたかった(この場合「引用」じゃなくって、「使用」になっちゃうのかな?)のですが……出ないんだもんな〜〜〜(爆)。
 この『敵海』の新作、タイトルも、エピグラムも、確かSFマガジン'99年5月号神林特集の記事にも載っていたけれど、あれから既に3年……
 わたしの場合、このシリーズは、未読のものがまだあと3冊残っているのですが、ここでウッカリ読み終わってしまったら、新刊を待ち焦がれて悶々としてしまいそうでコワイので(^^;;)、既に全部入手済みではあるものの、なかなか手が出せずにいます。


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